「代謝調節機構解析に基づく細胞機能制御基盤技術」

平成24年度 研究終了にあたって

「代謝調節機構解析に基づく細胞機能制御基盤技術」研究総括 西島 正弘

 わが国における代謝研究は1970年代まで盛んに行われていますが、遺伝子クローニング技術やDNA塩基配列決定装置の開発と普及も相俟って、ライフサイエンスの中心的な関心が分子生物学および分子遺伝学的研究に移行しています。その結果、ゲノム解読は急速に進み、バイオテクノロジーとITの融合も相俟って、細胞の働きを包括的に理解しようとするゲノム、遺伝子、たんぱく質についての網羅的な解析-ゲノミクス、トランスクリプトミクス、プロテオミクス-が盛んに行われるようになっています。そして、この生命現象の統合的理解という流れの中で、代謝物質の網羅的解析としてメタボロミクス、メタボローム解析という新しい概念が現れました。また、飛躍的な計測分析機器開発の発展により以前と比較して格段に多種の代謝産物を一度に分離・同定することが可能になり、個別の物質や代謝回路に限った研究だけでなく系統的な研究もできるようになっています。さらに、代謝研究は、ゲノム研究の次なるステップとして遺伝子や酵素の発現情報に関連づけた新しい発展期を迎えています。
 以上の状況を踏まえ、本研究領域は、細胞内の代謝変化を統合的あるいは網羅的に解析し、細胞の恒常性維持のメカニズムを解明することにより、細胞機能の向上・改変・付与や恒常性の乱れを回復するための、細胞を制御する基盤的な新技術の創出を目指すものです。具体的には、代謝産物群のパターンによる外部刺激に応じた正常細胞の細胞内状態の変化や病態、発生過程等における細胞状態の評価・分類、既存あるいは個別測定データに基づく細胞モデリングと機能変化予測、それらの研究に基づく代謝経路を特異的に制御する化合物の予測と制御物質設計に関する研究、およびこれらの研究に基づいた新機能を付与した細胞の作製技術などを研究課題とすることとしました。
 本研究領域は、平成17年度から開始され、初年度6課題、第2年度5課題、第3年度4課題の合計15題を採択し、第3年度の4課題が、平成25年3月に終了しました。「鉄および鉄補欠分子族の動態調節とその破綻による病態の解明」(研究代表者 岩井一宏)の研究では、鉄欠乏、鉄毒性を回避するための鉄感知機構の分子基盤とそれを支える細胞内鉄および鉄補欠分子族の動態の解析、鉄代謝調節機構の破掟による鉄毒性のパーキンソン病や慢性疲労症候群などの疾患への関与の解析、メタボローム解析による疲労のバイオマーカーの同定やパーキンソン病モデル動物の作製など、数多くの独創的な成果が得られました。「糖代謝恒常性を維持する細胞機能の制御機構」(研究代表者 清野 進)では、スルホニル尿素薬の新たな標的分子としてのEpa2の発見とその役割の解明やcAMPシグナルによるグルコース応答性インスリン分泌の増強にはリンゴ酸―アスパラギン酸シャトルが必須であることの発見、血清を用いたメタボローム解析による糖尿病の超早期診断に有用なバイオマーカー候補の同定など、本領域に大きく貢献する非常に独創性の高い研究成果が得られました。「植物アミノ酸代謝のオミクス統合解析による解明」(研究代表者 平井優美)では、メタボローム研究の本質ともいえる代謝制御の予測を行い、それを独自に開発したUPLCタンデム四極型MSによる「ワイドターゲットメタボロミクス」技術で実証することで大きな成果を挙げました。メタボローム研究からシステム生物学へのアプローチは、世界的に見ても例は見られず、全く新たな研究手法を切り開く研究であり、今後の更なる発展が期待できます。「個体における細胞ストレス応答代謝産物の遺伝生物学的解明」(研究代表者 三浦正幸)の研究では、分子遺伝学的手法に適したショウジョウバエの変異体を用い、傷害ストレス応答におけるカスパーゼの生理的意義を明らかにし、感度の向上したメタボローム解析やプロテオーム解析により、メチオニン経路のサルコシン代謝がストレス応答に関わることを明らかにするなど、極めて新規性の高い成果を挙げました。
 このように第3年度の4つの課題においては、メタボローム解析の手法を取り入れた研究が行われ、数多くの優れたインパクトある成果が得られました。特に、第3年度の研究からは、慢性疲労症候群、パーキンソン病、糖尿病などの疾患に対するバイオマーカー候補や治療のターゲットが明らかにされ、今後の一層の発展が期待できます。今後も、本領域の目標であるメタボローム研究という新しい領域の開拓・確立、並びに創薬への応用に向けて、研究を継続・発展させて頂くよう強く希望します。
 本領域は24年度で終了いたします。平成17年度に本領域が開始された時にはメタボローム研究に取り組む研究者が限られておりましたが、本領域が立ち上がり、領域研究者の今日までの研究活動により、我が国におけるメタボローム研究は大きく進展しました。従って、本領域が設定されたことの意義は極めて大きいものと判断します。しかし、メタボローム研究は現在なお未熟な段階にあり、生命科学の基礎的研究と応用研究におけるメタボローム研究の優位性を確立するためには、一層の解析技術の改良と有用性を示す研究成果を積み重ねる必要があります。そのためには国家レベルでの一層の支援が是非とも必要であります。米国では、2012年にメタボローム研究に向けた大きなプロジェクトが開始され、国際競争が激しくなっており、このような状況からも国家レベルでの大きな支援を早急に開始することを強く希望します。
 末筆ながら、本領域の推進および発展のためにご尽力いただきました領域アドバイザーの諸先生、研究代表者と協力研究者、並びにJSTの関係者の皆様に心より感謝申し上げます。また、本領域開始時に研究総括を努められ、任期途中で急逝されました鈴木紘一先生には、スタート時にしっかりとした道筋をお立ていただきましたことに深く感謝申し上げます。

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