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平成19年8月24日

科学技術振興機構(JST)
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東京大学医科学研究所
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赤痢菌の巧妙な感染戦略を発見――宿主細胞の延命を図る

(多くの病原性細菌に対する抗菌薬開発に期待)

 JST(理事長 沖村憲樹)と東京大学医科学研究所(所長 清木元治)は、赤痢菌が腸管での感染を維持するために、腸上皮細胞の代謝回転を抑制していることを発見しました。
 腸上皮細胞は、絶えず新生と死を繰り返し、数日以内で入れ替わる代謝回転(ターンオーバー)を行っています。多くの病原細菌は腸の上皮細胞を感染の足場として利用しているため、この腸上皮細胞のターンオーバーは、病原体の感染初期に足場となる細胞を除去するシステムとしても重要と考えられていました。
 本研究では、赤痢菌が腸の上皮細胞内へ分泌するIpaBたんぱく質注1)が、上皮細胞のAPCユビキチンリガーゼ注2)の抑制因子であるMad2L2たんぱく質注3)と結合し、細胞周期の進行を遅らせることで、上皮細胞のターンオーバーを抑制していることを明らかにしました。
 これまでの研究では、赤痢菌は感染初期に腸管にある孤立リンパ小節のM細胞から粘膜下へ侵入して周囲の上皮細胞へ感染を拡大することが分かっていました(図1)が、これに 対し本研究では、赤痢菌は分裂期の未分化な腸上皮細胞へも感染し、IpaBとMad2L2の結合を通じて菌の増殖に不可欠な上皮細胞の寿命を延長させていることを明らかにしました。
 全世界では赤痢菌に毎年1億人が感染し、数十万人の乳幼児の命が奪われています。多剤耐性を示す赤痢菌注4)も出現し、有効なワクチンもいまだなく、新しい治療薬の開発が望まれている現状です。本研究では、赤痢菌が感染を成立させるために、宿主の細胞周期へ干渉しそれを遅らせる因子(サイクロモデュリン)を分泌することを明らかにしました。これにより、このサイクロモデュリンを標的とする薬剤を開発することが、赤痢菌の治療薬として有効であることを示唆しています。また、これと同様に病原性大腸菌やカンピロバクター、サルモネラ、ピロリ菌などのサイクロモデュリンを有する、多くの病原細菌の駆除に有効な抗菌薬の開発にもつながるものと期待されます。
 本研究は、JST戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)「免疫難病・感染症等の先進医療技術」研究領域(研究総括:岸本忠三)の研究テーマ「病原細菌の粘膜感染と宿主免疫抑制機構の解明とその応用」(研究代表者・笹川千尋 東京大学医科学研究所細菌感染分野 教授)の一環として、笹川千尋(同上)と祝弘樹(同 大学院生)らによって行われています。今回の研究成果は、米国の科学雑誌「Cell」電子版に2007年8月23日(米国時間)に公開されます。

<研究の背景>

 赤痢菌は依然として人類にとって深刻な病原細菌です。発展途上国では乳幼児を中心に年間1億人が細菌性赤痢に感染し、死者は数十万人にのぼっています。この赤痢菌の感染過程を分子レベルで明らかにすることは、ワクチンを含めた細菌性赤痢の予防および治療法を開発する上で非常に重要です。また他の粘膜病原細菌による感染機構解明のモデルとしても赤痢菌は貴重な研究対象です。
 赤痢菌の感染は、菌が飲料水や食物により口から我々の体内に侵入することから始まります。菌が大腸に到達した後は、巧妙な感染機構により腸管の粘膜を構成する上皮細胞内に侵入し、さらには細胞内を自由に動き回り、隣接細胞に次々に移動していくことにより感染が拡大します。その結果、激しい炎症性の下痢が発症します(図1)。
 赤痢菌をはじめ多くの病原細菌は、感染の足場として腸管上皮細胞を利用します。これに対して、宿主の側は絶えず腸管上皮細胞を一定の時間(数日)で入れ替えを行い(図2、ここではターンオーバーと呼びます。)、病原体が腸管表面へ感染して定着することを防ぎます。したがって、この上皮細胞のターンオーバーは、無数の細菌と直接接触する腸や胃における病原体に対する生体防御機構として、極めて重要な役割を担っています。
 赤痢菌は、宿主細胞に突き刺したIII型分泌装置注5)から様々なエフェクター注6)を分泌します。それよって、マクロファージの細胞死や上皮細胞への赤痢菌自身の侵入を引き起こします。しかしそれらの機能は多くがいまだ不明です。赤痢菌のエフェクターたんぱく質(IpaB)が上皮細胞への感染に果たす役割を明らかにすることは、感染成立を抑制する手法の開発につながると期待されます。

<研究成果の概要>

 本研究チームは、赤痢菌が宿主上皮細胞を足場としてより長時間利用するための新たな戦略を発見しました。赤痢菌から分泌されたエフェクターの一つであるIpaBたんぱく質が腸管上皮細胞に移行し、腸管上皮細胞の細胞周期の進行を抑制します(図3)。赤痢菌による細胞周期停止の分子メカニズムを調べるために、IpaBたんぱく質と結合する宿主細胞側の結合たんぱく質を検索しました。その結果、IpaBたんぱく質はAPC抑制因子であるMad2L2たんぱく質と結合することを発見しました(図4)。
 通常の細胞内では、細胞周期の進行に伴ってAPCユビキチンリガーゼが活性化し、サイクリンなどの細胞周期関連分子がユビキチン化され、プロテアソームによる分解が誘導されます。Mad2L2たんぱく質はG2/M期にAPCユビキチンリガーゼの活性化を抑制しています。
 通常の細胞内では、細胞周期は一方向性のサイクル(M期→G1期→S期→G2期→M期)で進行し、G2/M期にはMad2L2たんぱく質がAPCユビキチンリガーゼと結合しその活性化を抑制しています。 細胞周期がM/G1期に進行するに伴い、Mad2L2たんぱく質との結合が解除され、APCユビキチンリガーゼは活性化し、サイクリンなどの細胞周期関連分子がユビキチン化され、プロテアソームによる分解が誘導されます。
 しかし、赤痢菌からIpaBたんぱく質が分泌されると、同たんぱく質が宿主細胞内でMad2L2たんぱく質と結合し、APCユビキチンリガーゼの活性化因子の1つであるCdh1注7)とMad2L2たんぱく質との結合を阻害し、その結果、本来M/G1期に活性化するAPCユビキチンリガーゼがG2/M期に早期に活性化、G2/M期に蓄積するAPCユビキチンリガーゼの基質分子であるサイクリンB1たんぱく質注8)Cdc20たんぱく質注9)およびPlk1たんぱく質注10)が赤痢菌の感染により分解誘導されることを突き止めました(図5)。すなわち、IpaBたんぱく質はMad2L2のAPCユビキチンリガーゼ抑制効果を解除し、早期にAPCユビキチンリガーゼを活性化させ、細胞周期の進行に必要な分子を分解誘導することによって、細胞周期の進行を抑制することが明らかになりました(図6)。
 これは、赤痢菌が腸管感染を成立させるために、宿主細胞の細胞周期の進行を調節し、腸のターンオーバーを抑制することを示しています。

<今後の展開>

 本研究で、赤痢菌が腸管感染を成立させるために細胞周期の進行を調節するという新たなメカニズムが明らかになりました。これは、病原細菌が感染を成立させるために、腸のターンオーバーの抑制によって、宿主の防御メカニズムを破綻させ、菌の定着を促進するという新しい概念を提示するものです。
 本成果は、赤痢菌のIpaBたんぱく質とMad2L2たんぱく質の結合を対象とした阻害薬剤の開発のみならず、IpaBと同様な細胞周期の進行を調節する分子を持つ非常に多くの病原細菌に対しても有効な抗菌薬の開発にも役立つものと思われます。また、腸管上皮細胞のターンオーバーの促進によって病原細菌を駆除する、という新しい概念の治療法も提起するものです。

図1 赤痢菌の感染過程
図2 赤痢菌による腸管上皮細胞の寿命延長
図3 ウサギ腸管上皮への赤痢菌の感染
図4 IpaBたんぱく質とMad2L2たんぱく質の特異的な結合
図5 赤痢菌感染によるAPCユビキチンリガーゼ基質分子の分解誘導
図6 IpaBたんぱく質による細胞周期進行の調節
<用語解説>

<論文名>

"A bacterial effector targets Mad2L2, an APC inhibitor to modulate host cell cycling"
(細菌のエフェクターは宿主細胞の細胞周期の進行を調節するためにAPC抑制因子であるMad2L2を標的とする。)

<研究領域等>

この研究テーマが含まれる研究領域、研究期間は以下のとおりです。

○戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域「免疫難病・感染症等の先進医療技術」
(研究総括:岸本忠三 大阪大学大学院生命機能研究科 教授)
研究課題名:「病原細菌の粘膜感染と宿主免疫抑制機構の解明とその応用」
研究代表者:笹川 千尋 東京大学医科学研究所 教授
研究期間平成15年度~平成20年度

<お問い合わせ先>

東京大学医科学研究所 細菌感染分野
〒108-8639 東京都港区白金台4-6-1
笹川 千尋 (ささかわ ちひろ)
TEL: 03-5449-5252
E-mail:

独立行政法人科学技術振興機構 戦略的創造事業本部
研究推進部 研究第一課
〒102-0075 東京都千代田区三番町5番地 三番町ビル
瀬谷 元秀(せや もとひで)
TEL: 03-3512-3524, FAX: 03-3222-2064
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