2022.09.22

インタビュー「新たな「脳」を目指して」

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近年のAIの進歩は目覚ましい。AIはいま、深層学習という人間の脳の仕組みを模した手法などによって、私たちの脳の理解をも革新し続けている。脳とAIを融合させることで、未知なる脳の可能性をひらき、新たな科学への道をつくる。それが「ERATO 池谷脳AI融合プロジェクト」のミッションだ。プロジェクトを率いる池谷裕二に、プロジェクトについて、そしてこれからの脳と科学のあり方について聞く。

AIと脳を融合し、脳の理解を別の次元へと進歩させる研究です

池谷 裕二
東京大学・大学院薬学系研究科 教授。「ERATO 池谷脳AI融合プロジェクト」代表。海馬の研究を通じ、脳の健康や老化について探求を続ける。

―― 脳がAIとの共進化をはじめた

この約10年間は、脳神経科学にとって大きなターニングポイントが訪れました。それは、まさにこの「ERATO 池谷脳AI融合プロジェクト」で掲げているように、脳神経科学とAIの融合がきっかけとなっています。

AI、すなわちコンピュータ・プログラムは、かつては人間の知能の営みのごく一部を再現する程度のものでした。しかし、コンピュータの性能が指数関数的な成長を遂げ、人間の脳の仕組みを模倣したニューラルネットワークによる「深層学習」をはじめとした高度な機械学習の発達によって、脳神経科学の研究はかつてないスピードで進んでいます。

AIがもたらした一番の功績は、データの解析に関わる部分です。脳神経科学では、脳の活動を電気生理学的な手法で記録し、それらを解析することで、研究にとって有用な知見を得ていくことが主な手法です。そうしたデータ解析は「フーリエ変換」や「相関解析」などの古典的な数学的手法に長らくたよってきました。

もちろんそうしたアプローチは、飛躍的に脳の理解を進めました。しかし脳は、現状の技術で解析がしやすいように活動しているわけではありません。つまり、これまでの脳神経科学は、現段階の解析手法でわかる範囲でしか、脳のメカニズムを理解できてなかったといえます。

AIや機械学習は、特定の領域では人間を超えた能力を持っています。これにより、脳神経科学は人間だけの理解に頼った科学から、人間と機械学習が融合して生み出す理解に基づく、まったく新しいプロセスに変わりつつあります。

その成果は目覚ましいものがあります。たとえばこのプロジェクトに参画している、医師であり研究者でもある栁澤琢史教授(大阪大学高等共創研究院)は、AIを用いて患者の脳から情報を取り出し、その情報を患者の脳へフィードバックすることで、疾患を治療する研究をしています。いわば「脳のリプログラミング」による医療です。

現在私たちは栁澤教授と協働し、記憶の機能回復に取り組んでいます。たとえば認知症の患者は、もの忘れや記憶違いなどで日常生活にさまざまな障害を抱えていますが、栁澤教授の研究では、私たちのこれまでの研究成果である海馬の電気生理の大規模記録を統合し、治療を見据えた記憶力の操作法を開発しています。同臨床試験はすでに大阪大学での臨床試験の承認を得て進められています。

また、西本伸志教授(大阪大学大学院生命機能研究科)は、AIを用いて脳の「モデル化」を進めています。従来の脳神経科学は、脳に関する様々な知見をもたらしてきました。西本教授が挑むのはそれらの知見を統合し、AIによって脳の仕組みを大局的に把握することです。そうして、生物における全ての脳に共通する原理を解明しようとしています。言ってみれば、脳のなかのマップをつくるような作業です。

脳のモデル化が実現すれば、たとえばサルやネズミのような、人間とは異なる種の動物の脳も把握することができるかもしれません。まさにAIと脳を融合し、脳の理解を別の次元へと進歩させる研究です。

―― 脳は拡張していく

「ERATO 池谷脳AI融合プロジェクト」では現在、さまざまな実験を通してAIと脳を融合することで、脳の機能を拡張できることを確認しています。

たとえば、人間固有の言語である英語とスペイン語を、ネズミに聞き分けさせる実験を行っています。ネズミは生来的に、英語とスペイン語を聞き分けることはできません。実験では10000回以上のトレーニングを行いましたが、一切判別ができませんでした。しかし、英語とスペイン語には明確な音の違いがあります。音が違うということは、その物理的振動が異なるということですから、ネズミの耳の鼓膜では、英語とスペイン語が異なった振動で伝わっているはずです。

そこで私たちは、AIによるフィードバックを用いて言語の判別を可能にしようと考えました。音声の信号はまず、鼓膜から脳に伝わります。そして鼓膜から電気信号に置き換えられて脳幹を経由し、視床から第一次聴覚皮質へと伝わります。この経路の神経活動を記録し、機械学習によって言語の判別を行います。その判別結果を脳刺激パルスに変換し、ネズミの脳へフィードバックしたのです。

その結果、ネズミは英語とスペイン語を学習し、判別することに成功しました。この実験の興味深い点は、初めて聞くフレーズでも判定ができること、そして、機械学習のプロセスを取り外しても効果が持続するということです。この実験は、AIの活用によって、脳は生来的には獲得不可能な機能を会得できることを示しました。つまり脳機能は拡張できるという証明の一歩となったのです。

この研究成果の応用として将来的に検討しているのは「学習障害」へのアプローチです。現在、いわゆる読み書き能力や計算力について、平均的な学習能力から隔たりのある人々は学習障害と呼ばれています。しかし、これらは本当に障害なのでしょうか? そもそも私たちはほんの少し前まで、文字も数字も知らない世界で荒野を走り回り、狩りをしていたわけです。そう考えると、現代社会において「学習障害」と名が付けられてしまった方々は、現代の学校制度が生み出した犠牲者ともいえるでしょう。

そうした人々が脳の機能を拡張することで社会に適応することは非常に有益だと私は考えています。今後はこの実験の対象を絵画や音楽にも広げ、より多くの知見を獲得していきたいと考えています。

―― 自分で自分の身体をコントロールできるようになる

私たちは呼吸や身体の動きを調節することはできても、血圧や心拍数などを調節することはできません。なぜでしょうか? それは私たちの身体がそのように設計されているからです。

私たちはバイオフィードバック(※)を用いた実験で、通常は認識できない心拍数を自在に調節できる可能性を発見しました。その実験では、ネズミの脳に電極を刺し、自分の心拍数が上がっているか下がっているかを把握できるようにしました。そして、このネズミに、心拍数を下げるようにするトレーニングを行います。するとネズミの心拍数は約400BPMから200BPMにまで下げられるようになったのです。これは人間で言えば、自身で呼吸や心拍数をコントロールするヨガの極地にいってしまったようなものでしょう。

この実験の興味深いところは、実際のトレーニングでは何ヶ月、人によっては何年もかかって習得するようなことを、短期間で実現したことです。さらに装置を取り外しても効果は持続することを確認しています。これは私たちの学習に対する考え方を大きく変える発見だと言えるでしょう。

現在、同じバイオフィードバックを用いて、血糖値を自在に下げる試みを進めていますが、すでに世界で初めてネズミの長期間の血糖値を測定することに成功しています。もしも本人の意志で血糖値を下げることができれば、健康増進につながるほか、糖尿病や認知症の治療などに応用できる可能性があります。

※バイオフィードバック...自覚や制御が困難な身体の生理機能を、電子機器などを介することで認識・制御下に置く技術・手法。

―― 社会の側に立って、科学を見てみよう

「脳とAIの融合」というテーマは非常に挑戦的です。私たちは脳神経科学とAIの交差点で、いまもっともエキサイティングな時間を過ごしていると感じています。しかし、この研究が、社会の人々の目にどう映るか、どのように社会のなかで受け入れられていくのか、こうした懸念点も含めて、私たち研究者は、この脳で想像して行動しなければならない。それは科学者の仕事でもあり責務です。

最先端科学を追求するプロジェクトにおいて、ELSI(倫理的・法的・社会的課題)について確かな考えを持つことは、いまや科学の社会的責任です。私たちはその必要性から、RISTEXの研究開発領域「HITE(人と情報のエコシステム)」との協業を始め、社会の側に立って自分たちの研究を見つめ直すという実践を重ねています。

そこで、ELSIの専門家の方々との勉強会を重ね、歴史の中で人々はどのようにして新しい科学やテクノロジーを受け入れ、またその過程でどのような摩擦や議論があったかを学ぶとともに、脳とAIの融合において考えられる倫理的課題についての議論を進めています。また、ソーシャルメディアの使い方などの情報発信のガイドラインを研究室内で共有することを通し、社会との対話の方法を模索しています。

科学者は、どうしても研究対象と向き合う時間が長いため、世間知らずになりがちです。その結果として、私たちが社会に対し、不要な警戒心を抱かせてしまうことに無自覚であったり、あらぬ期待を煽ってしまったりすることがあります。

AIはこれからますます私たちと脳の関係性を変えていきます。その関係性を、より良いかたちで提供していくことも、科学者の仕事の一部だと思っています。

―― AIがもたらす、科学におけるパラダイムシフト

脳神経科学はこれから、AIと共進化していくことは間違いありません。しかし、私たちはいまだにAIのことがよくわかっていません。機械学習によって、さまざまなことがわかるようになりました。脳のことだけではありません。チェスや囲碁の世界のチャンピオンに勝つことから、タンパク質の立体構造、農作物の生産量の予測や株価の予測まで、機械学習は、人間が何十年、何百年かけても到達しえなかったことを、このわずか10年足らずで成し遂げてしまいました。

しかし私たちは、AIがなぜそのような結果を導き出すのか、とくに深層学習と言われるような領域では、そのプロセスは十分にわかっていません。機械学習というものは、他ならぬ人間の脳の働きを模したものであったにも関わらず、その内部の演算様式は、もはや人間の理解を超え始めているのです。

そして私たちはそのAIをつかって、科学を実現している。これはどういうことなのか、科学者はきちんと考えておく必要があります。私の考えとしては、いま、科学の捉え方そのものが大きく変わってきている、パラダイムシフトにいるということです。

そもそも科学というものは、人間が真理を理解する営みです。よって、理解する主体はあくまで人間であるということが科学の大前提です。そして人間に理解できていないことは、科学的には未解明ということになります。

では、人間が理解できていないAIを使って解明してゆく営みは、科学ではないのでしょうか?

AIによって脳神経科学は進歩しましたが、AIがどう解析したかがわからない以上、その多くは未解明のままということになるのでしょうか?

私はいま、科学的ではないもので脳神経科学を実践し、脳とAIが融合する最先端で、科学そのものが変わろうとしている瞬間を目撃しているのだと思っています。

科学はいま、大きな変化の中にいるのです。そもそも科学が、従来の宗教的観点や価値との齟齬を生み、相互に相容れないものになったことすら、歴史的な視点で見れば、わりと最近の話です。これから先の未来、AIを使った科学が、科学の王道になっていても不思議はありません。そうした変化はむしろ歴史では必然的ですらあります。

AIが脳をどんどん進化させていく。脳で科学する私たちは、脳とAIを融合させることを通して、科学そのものを進化させているのかもしれません。きっといま私たちは、科学についてもっと新しい脳で考えるべき時代に生きているのでしょう。そんな未来の科学を理解できるように、脳の機能を拡張してゆくことも、あるいは必要なのかもしれません。

池谷脳AI融合プロジェクト、4つのビジョン

―― 01
脳AI解読

AIを用いて脳の活動を解読することで、さまざまな疾患の原因を解明し治療に結びつけることができる。また、本人は自覚していない、隠れた脳の情報を引き出し、フィードバックすることで新しい身体感覚や機能を獲得できる可能性もある。

―― 02
脳チップ移植

侵襲的(生体に直接侵入すること)な手法によって、脳内にチップを移植することで情報を入出力し、主にフィードバックの手法として機能させる。地磁気や身体の水分量や心拍数など、各種センサーから取得された情報を脳に与えることで、新しい人間の機能拡張の可能性を開拓する。しかし現時点では、侵襲的手法の安全性に懸念を抱く人も多く、人への実装はこれからの課題となる。

―― 03
脳とインターネットの融合

脳をインターネットに接続することで、多様な情報が瞬時に検索可能となる。たとえば、現在のインターネットは視覚や聴覚情報がメインだが、触覚や嗅覚の情報を検索できるようになるかもしれない。また、念じるだけで部屋の照明や温度を調節する、脳をIoT化することも視野に入る。

―― 04
脳脳融合

AIを介して複数の脳を接続することで、文字や言葉を超えたコミュニケーションを実現する。さらには、愛犬や愛猫など、種の異なる動物とのコミュニケーションすら実現できるかもしれない。ただし、脳は究極の個人情報であるため、この実現のためには適切なガイドラインの整備が不可欠である。

※本インタビュー記事は、「BRAIN-AI×HITE活動紹介冊子」に収録されています。冊子の入手については以下をご確認ください。
「BRAIN-AI×HITE」の活動紹介動画・冊子公開