2022.09.22

インタビュー「脳モデルの解析によって、未知なる脳のはたらきを知る」

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西本伸志教授が試みているのは、ブラックボックス化している脳の情報処理の"暗号解読"だ。
実現すれば、未来では脳レベルでパーソナライズされた社会が実現できるという。
脳の暗号解読の全貌と課題について聞いた。

西本 伸志

西本 伸志
大阪大学大学院生命機能研究科 教授。専門は知覚・認知神経科学、知覚情報処理。大阪大学基礎工学部飛び級中退、同大学院基礎工学研究科修了。博士(理学)。
カリフォリニア大学バークレー校、情報通信研究機構を経て、2021年より現職。ERATO「池谷脳AI融合プロジェクト」グループリーダー。

―― 研究内容について教えて下さい。

西本伸志(以下、西本):私たちの研究は、言ってみれば脳の「暗号解読」です。何かを聞いているとき、見ているとき、あるいは読んでいるとき、つまり私たちが何かを体験しているとき、つねに脳は活動しています。脳の活動は、無数にある神経細胞の発火として現れます。これらは私たちには理解することができていない、体験が暗号化された、いわば「脳の言葉」と言えます。私は体験、すなわち認知活動によって生じる脳の神経活動を網羅的に解析し、脳の暗号化のメカニズムを解明することで、脳の言葉を理解したいと考えているのです。

―― 脳の暗号解読はどのようにして行われるのでしょうか?

西本:まず大きく分けて、私たちの体験とそれに対応する脳活動があると考えます。たとえば何かの映像を見たとき(体験)、脳内では映像の特徴をとらえて脳活動に反映するための処理が行われています。この体験と脳活動の関係性を記述するのに、両者を入出力関係として捉えて一方から他方を予測するモデルを作ることが有効であると私たちは考えて研究をしています。
これを「モデリングアプローチ」と呼びます。任意の体験と脳活動の関係について、その間を司る特徴を介して記述するモデルを構築することができれば、例えば知覚している内容(前述の例で言えば映像)を、脳活動からあらためて再構成(デコード)することも可能になると考えています。こうした脳活動モデルの解析が進めば、これまでわからなかった脳の機能を網羅的に理解することにつながると考えています。人間の脳の複雑な認知のプロセスを把握していくことが脳活動のモデル化です。

―― 脳活動のモデルはどのようにして生み出されるのでしょうか?

西本:モデルをつくる上で、AIや機械学習の手法が大きな役割を果たします。MRI(※)によって記録された脳活動と体験の関係を記述する際に、機械学習由来の様々な特徴を利用します。動画を見るとき、言語を使うとき、音を聞くとき、内省するとき、論理や計算をするときなどで、脳内ではそれぞれの特徴に対応した活動が表れます。たとえば、映像を見るというタスクを行っているとき、脳内では、色を認知したり、動きを認知したり、あるいは過去の記憶を参照したりする活動がダイナミックに、かつ複数の箇所で共起しています。こうした多様な特徴と脳活動の時空間パターンの関係を調べていくのですが、これらの解析に機械学習を用いることで、これまでの研究では把握しえなかった関係性、あるいは脳内における情報表現や機能構造を把握していくことができるようになってきています。

※MRI...「磁気共鳴画像法」と呼ばれる、人体を傷つけることなくその内部構造や活動を三次元的に計測する技術。脳の機能解剖学的検査や、病気の影響の評価、あるいは治療の指針となる情報を得ることができる。

脳情報をモデル化した
パーソナルブレイノミクス

―― 「ERATO 池谷脳AI融合プロジェクト」では、まさにAIと脳の融合を標榜していますが、先生の研究とはどのように関わるのでしょうか。

西本:私たちの研究ではAIをつかって脳をモデル化していますが、脳研究にAIを用いること自体は自然な流れだと感じています。私たちは世界からさまざまな情報を受け取り、この世界を生きるエージェントです。そして新種のエージェントがAIだとも言えるでしょう。この世界を私たちと共有しているAIは、何らかの目的を持つために生み出されたものです。これらのエージェントが相互作用することは、お互いの理解を深め、進歩につながると考えられます。たとえば現在のAIには、人間のように様々なタスクに対応したり、自律的な意思決定をしたりすることはできません。しかし、より人間に近いロボットやAIをつくろうとしていく際に、人間の複雑な認知モデルの研究結果が参考になっていくと思います。脳モデルの理解を進めることで、AI融合による新たな可能性を模索すること、それがERATO 池谷脳AI融合プロジェクトで現在進めていることです。

AI はこの世界の新種のエージェントといえるでしょう

―― 脳のモデリングアプローチには、今後どんな応用が期待できるでしょうか?

西本:たとえば現在、パーソナルゲノミクス(個人のヒトゲノムによる、全塩基配列の情報)はさまざまな応用が模索されています。私は脳の情報にも類似したインパクトがあると感じています。すなわち「パーソナルブレイノミクス」です。パーソナルブレイノミクスにおいて必要なものが、現在私たちが取り組んでいる脳活動のモデリングなのです。

―― パーソナルブレイノミクスは、人間社会をどのように変えていくと思いますか。

西本:定量化された"個性"をさまざまな人間活動に応用していくことができます。たとえば教育です。それぞれ異なる人間は、異なる個性を持っています。現状の教育現場では、異なる個性を持つ人々がいるにもかかわらず、概ね同じ学習方法で指導されています。しかし、個々人の脳のモデルや特性が分かれば、この教育のフォーマットを変えられる可能性もあります。たとえば、教育を受ける人の脳を「映像の方が理解しやすい脳」や「文字情報の方が理解しやすい脳」に分類し、脳の個性に沿ってパーソナライズされた学習を提供することができるかもしれません。現在はまだ遠い未来の話ですが、そうした応用の可能性も大いに考えられると思います。

―― そうした研究成果や技術が社会に実装されていくとき、ELSIや人間の価値観に関する議論に関してどうお考えですか?

西本:ELSIは、新しい研究領域のルールづくりに影響していく上でも、非常に重要なことだと考えています。
サイエンスは国に関係なく進みますが、社会応用などを模索していく段階になると、それぞれの国固有の文化や法律に直面することになります。そのため、ルールづくりの段階から、つまりELSIとしてダイバーシティを担保しておくことはサイエンスにとって重要なことだと考えています。たとえばパーソナルブレイノミクスにおいては、脳を究極の個人情報として扱うことになります。脳という極めて繊細な個人情報をどのように扱うべきなのか、また脳のことがよりわかってきたとき、人々はどう考え、どう生きて行動していくのか。人文科学の見地も取り入れながら、議論を重ねていくべき部分だと思います。

※本インタビュー記事は、「BRAIN-AI×HITE活動紹介冊子」に収録されています。冊子の入手については以下をご確認ください。
「BRAIN-AI×HITE」の活動紹介動画・冊子公開