2020.06.02

インタビュー「情動から考える ---- 変わりゆくデジタル時代の自己と社会」

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AIやデータアルゴリズム優位な時代に突入しようとする今、従来の人間観や社会はどう変化するのでしょうか。デジタル空間で生じる様々な課題に対し、理性による統制ではなく「 情動」という視点から人間の根源を問い直す信原幸弘氏に話を聞きました。

信原幸弘
HITE 領域アドバイザー。東京大学大学院総合文化研究科教授。
主な著書に『情動の哲学入門: 価値・道徳・生きる意味』(勁草書房)『意識の哲学』(岩波書店)、『シリーズ 心の哲学』全3巻(編著、勁草書房)、訳書にパトリシア・チャーチランド『脳がつくる倫理―科学と哲学から道徳の起源にせまる』(共訳、化学同人)がある。

ー 信原先生の専門分野について教えてください。

 私の専門は、心の哲学。なかでもその根本問題である「心身問題」に若い頃から取り組んできました。心と身体の関係はどうなっているのか、心とモノは何が違うのか、意識とは何かを問うことで、「心とは何か」を考えてきたのです。そのうち2000年代になってから脳科学の知見が入ってくると、人間の自由意志の問題が浮上してきました。あらゆる環境と相関をもつ人間の行動は、果たして自律的だといえるのかと考えるうちに、中心的なテーマとして浮かび上がってきたのが「情動」の問題でした。
 「知覚」が感覚器官を使って世界の事実的な在り方を感受するのに対し、「情動」とは世界の価値的な在り方を直感的に感受する能力、あるいは感受した状態を意味します。自分の置かれた状況が危険か、または安全なのか、あるいは喜ばしい状況なのか悲惨な状況なのかといったことを感じ取る力です。知覚が世界の事実的な在り方を捉え、情動が世界の価値的な在り方を捉える。知覚と情動を合わせて、はじめて人間は世界の在り方を捉えられるのだと考えています。

ー 先生がアドバイザーであるHITEはAIをはじめとする情報テクノロジーと社会の倫理を考える領域ですが、「情動」という観点はどのようにいきてくるのでしょうか。

 私の見立てでは、情動が成り立つためには身体が不可欠だと思っています。心臓がばくばくするとか、腸がもぞもぞするとか、そうした身体的反応があって、はじめて人間は世界の価値的な在り方を感じることができる。一方で人工知能はいまのところそのような身体をもたないため、人間のように情動をもつことはできません。
 またよく議論に上るAIの「フレーム問題(AIはある課題の解決に関連する事柄を迅速に捉えるのが苦手であること)」の解決もまた、実は情動に鍵があるのではないかとも考えます。つまり人間は、情動の力で自然と自身の枠組みを構築している。人間が課題に取り組む際には、その課題に関係する事柄が情動的に浮かび上がってくるからです。

情動とインターネットの関係

ー 昨今のインターネット社会において、情動はどのように関係しているでしょうか。

 情動は知覚と違って、身体的に世界に接しなくても生じるものです。小説を読んでも、人と話をしていても、もちろんインターネットで情報に接するだけでも、情動は湧いてくるでしょう。そうした想像的な媒体、言語的な媒体を通じて生じるところが情動の重要な特徴です。
 ですので、インターネット上で人と関わるときにも、直接対面したときと同じように情動が重要な役割を果たします。そしてその情動とは、必ずしも意識的なものであるとは限らない。むしろ自分では気付かない膨大な情動が無意識に働いているのです。われわれの考え方や行動は、実はそうした無意識的な情動に大きく左右されていることが多い。つまりデジタル空間においても、人が主体的な意思をもって行動しているかは疑わしいとも言えます。

ー 昨今のインターネットで炎上が起きやすいのも、情動的な働きと関係があるからでしょうか。

 その通りで、インターネット空間というのは非常に情動が煽り立てられやすい場です。なぜなら、対面しているときに働く身体的な情動の抑止力が存在しないからです。情動の抑止力とは、目前にいる人にひどい言葉を投げかければ、殴られるかもしれないし、自分の身が危険になると感じること。そうした心配のないデジタル空間では、いったん燃え上がった情動は燃え広がるばかりで、抑え込む働きがほとんど見られません。だからといって、皆が情動を抑えて理性的になれば良いかといえば、現実はそう簡単にはいきません。情動とは直感的に発生するものであり、理性でコントロールしようとしても果てがないからです。そのことに立ち返ってから、これからの情報空間との付き合い方を考えるべきだと私は思います。

ー その付き合い方とはどのようなものでしょうか。

 情動vs.理性ではなく、情動に対して情動で立ち向かうことだと思います。つまり悪い情動が煽り立てられる状況に対して、とにかく抑え込もうとするのではなく、適切な情動を喚起する方法を考えるということです。適切な情動を喚起するデザインや環境とはなにか、その設計に鍵があります。たとえば、フェイクニュースひとつ取っても、多くのひとはそれをフェイクだと知っていたとしても、娯楽的に消費している可能性もあります。フェイクを断絶しようとするのではなく、情動としてそれを楽しむ人の構造に着目し、適切なバランスを考えるべきなのです。

A I が人間のアイデンティティを支配する?

ー 今回の冊子では、「データ社会と個人」というテーマを設けています。今後、個人のあらゆるデータを集積していくパーソナルデータ環境が普及すると、情動をもつ「自己」とどう関係してくるでしょうか。

 そうした社会に向けて、私は自己=アイデンティティを三つの階層で捉えるべきだと考えています。ひとつめがデジタル情報で規定され、完全にアルゴリズムに従うデータ上の「デジタル自己」。二つめが身体的・心理的な連続性が形成する「人格的自己」。そして三つめが、過去・現在・未来における存在の同一性をひとつのナラティブとして規定していく「物語的自己」です。
 三者は階層的な関係になっており、これからの社会はまずデータに記録された「デジタル自己」が起点となる。そこを基底に「人格的自己」が成立し、さらにその人格的自己をベースに自分はどんな人間なのかと自ら紡ぎだす「物語的自己」が成立するのではないでしょうか。
 重要なのは、データによって記録される「デジタル自己」は、人格的自己や物語的自己とは異なるかたちで社会に存在するということです。そのとき、これまで培われてきた人間の「物語的自己」がどんな影響を受けるかは注意深く見つめる必要があるでしょう。

ー 今後、個人のデータを管理するAIが「デジタル自己」に影響を及ぼすこともあるのではないでしょうか。

 人間にとって最も怖いストーリーは、そうしたデジタル自己に介入してくるAIが、人間よりも強いシステムになってしまうことでしょう。AIは今後も人間のような能力をもつことはないし、物語を理解するようにもならないと私は思いますが、それでも人間の基盤を脅かす可能性は大いにあります。もはや人間も物語的自己などは捨てて、データに記録された「デジタル自己」に純化していくかもしれない──これは、ユヴァル・ノア・ハラリが『ホモ・デウス』で描いた結論ですよね。人間が生き延びるための唯一の道は、AIと同様に純粋なデジタル自己としてサイボーグ的存在になることかもしれないと。

ー とはいえ、ハラリが描く最終結論にたどり着くまでにはまだ時間があると思います。私たち人間はこれから何を思考していけばいいのでしょうか。

 いま私たちができることは、自己には三つの階層があることを理解し、データ処理の対象となるデジタル自己だけでなく、人格的・物語的な自己の在り方をより一層大事にしていくことでしょう。
 自己の在り方を捉えるうえでも、これからの社会制度を考えるうえでも、世界が階層的・多面的であることを見据え、それらを両立させていくことが重要だと思います。たとえば世界に対する人間の接し方もひとつではありません。科学の力が強い現代においては、自然を客観的に記述し、解明するという科学的な接し方だけが唯一解のように考える人も多いのですが、果たしてそうでしょうか。かつて詩人が自然を詠い上げたように、詩的で、物語的な主観的理解からも、この世界は魅力的なものとして立ち現れてくる。世界にはいろいろな方法で接することができて、詩人のやり方も、科学者のやりかたも、ひとつの真実への向き合い方である──こうした思考が、いま、非常に重要だと思っています。

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『情動の哲学入門: 価値・道徳・生きる意味』信原幸弘(勁草書房)
「情動」とは何か、なぜ情動に着目するべきなのかを説いた、心の哲学を読み解く入門書的一冊。

※本インタビュー記事は、「人と情報のエコシステム(HITE)」領域の小冊子Vol.03に収録されています。小冊子の入手については以下をご確認ください。
「人と情報のエコシステム(HITE)」領域の小冊子Vol.03
「人と情報のエコシステム(HITE)」領域の小冊子Vol.02
「人と情報のエコシステム(HITE)」領域の小冊子Vol.01