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研究年次報告と成果


田口 良(東京大学 大学院医学系研究科 客員教授)

脂質メタボロームのための基盤技術の構築とその適用

平成17年度  平成18年度  平成19年度

§1.研究実施の概要

ゲノム、トランスクリプトーム、プロテオームの進展に伴い、メタボローム解析の重要性が叫ばれている。すなわち、生命現象を直接担っている分子は、遺伝子産物であるタンパク質によって合成・分解され、結合・運搬される数多くの低分子化合物であり、これらの代謝物質を動的・包括的に解析するメタボローム研究が、生命現象や生体機能調節を解明する上で重要であると考えられる様になってきている。このメタボロームの対象分子の中で脂質分子は細胞内外の情報伝達において主要な役割を演じており、生命活動や病態を本質的に理解する上で鍵となる重要な分子群と考えられるようになってきた。しかし、脂質分子の特性から、タンパク質を中心とした従来の研究手法を直接は適用できない等の制約があるため、重要な脂質機能の多くが未解決で残されている。質量分析を基盤とした脂質メタボローム解析は、この難問を解決する突破口と期待されている。

本研究では、生命活動に伴う脂質関連代謝分子の変動について、網羅的・包括的に質量分析データを取得して解析する基盤技術を構築することを目的とする。さらには、個別の脂質研究にこの基盤技術を適用して解析することにより、脂質メタボロームのリアルデータベースの作成、未知の代謝産物や代謝経路の発見を通じて、細胞機能の有益な制御を目指す。具体的には、T 質量分析手法の開発、U 質量データベース構築と同定・検索ツールの開発、V 定量的可視化ツールの作成、W 多変量解析ツールの作成、X 各脂質代謝系への適用とリアルデータベースの構築、の5項目について順次進めていく予定である。

 今年度に関しては、田口らは微量脂質解析の為の手法の確立を目指すと共に、測定結果の自動処理について重点的に改良を進めた。また各種病態モデルマウスについて脂質メタボローム解析を開始した。
 横溝らは複数のエイコサノイド産生酵素欠損マウス、生理活性脂質受容体欠損マウスを用いて、脂肪酸、脂肪酸誘導体、生理活性脂質の臓器含有量の比較を行い、データベースを作成する。また様々な病態モデルにおけるこれらの遺伝子改変マウスの表現型を解析することで、脂質代謝と脂質によるシグナル伝達の異常に起因する疾患の同定と治療法の確立を目指す。
 久下らはリン脂質の細胞内輸送と分子種との関連を酵母変異株のメタボローム解析で明らかにする目的で、リン脂質の細胞内輸送に関与する酵母遺伝子の同定を試みた。その結果、リン脂質の細胞内輸送に関与する遺伝子の候補約50個を同定した。
 福崎らは、多変量解析ソフトのプロトタイプの作成を試みた。
 横山らは細胞分裂サイクルによる、脂質の変動解析を開始した。
 高橋らはオフラインLC-FTMSシステムの構築を目指して、HPLC分取システム及びnano-ESIロボットのFTMSへの組み込みおよび制御ソフトウェアの開発を実施した。

§2.研究実施内容

田口グループ

昨年、大幅に進展をしたT 脂質メタボローム解析に適した、質量分析解析手法の開発と、U 脂質メタボロームの為の質量データベース構築と同定・検索ツールの開発について、新たに導入した質量分析計を中心に、さらに改良を進め、グリセロ脂質、グリセロリン脂質、素スフィンゴ脂質についてはほぼ手法を完成した。

このうちT 脂質メタボローム解析に適した、質量分析解析手法の開発に関しては、今年度は、初年度に構築したa) 網羅的、包括的解析手法、b) 特定の分子群にフォーカスした手法、c) 特異的な代謝物にターゲットを定めた手法の3つの測定手法を基に、特に通常の手法では検出が困難であることが判った微量脂質成分について、複数の測定モードを組み合わせた高感度検出法を検討した結果。a)の包括的解析手法に関しては新たにクレスト予算で購入したLTQOrbitrapを用いたLC/MS3測定により、300種類以上のリン脂質と200種類以上のトリグリセリドを定性、定量することが出来た(投稿中)。また、酸化脂質などの微量脂質代謝物の測定法としてc) 特異的な代謝物にターゲットを定めた手法である拡張MRMという手法を適用し、それぞれ、50種以上の脂肪酸酸化物、50種以上のリン脂質酸化物を一度に検出、定量する系を確立した(投稿準備中)。また、これらの測定についての自動化についてもほぼ完了した。

2番目の課題であるU 質量データベース構築と同定・検索ツールの開発に関しては、初年度に公開したリン脂質を中心とした仮想データベース、自動検索同定法についてその改良を進め、同定結果の内の定性データと定量データを統合して表示することが出来るように改良した。具体的なサンプルテータを用いて構築したリン脂質自動検索同定システムを用いた解析データの再現性について、定性、定量の両面から検証を続けており、4月末を目処にlipid Searchの新しいVersionとして公開する予定である。このシステムは2004年11月に最初のLipid search with Lipid navigatorとしてWeb上に公開し、世界各国に多くの利用者が存在している。国内では製薬企業や大学・研究機関関係の利用が多いようである。現在、測定対象モードの改良、同定精度の向上、データベースを拡充を行っている。

 脂質データベースに関しては、脂肪酸、グリセロ脂質、グリセロリン脂質、スフィンゴ脂質及びそれらの代謝分子に関して、フラグメントイオンを含めたデータベースを構築した、昨年からはこれらの酸化物についてデータを充実させてきている。今後、2006年4月から開始されたJSTのBIRDプロジェクト(2011年まで)の一環として他の脂質カテゴリーについてもさらに充実拡大してゆく予定である。

脂質メタボローム解析の適用に関しては各種動物細胞、臓器から抽出して得たサンプルを用いた測定データのリアルデータベース化を開始し。マウスについて、血漿、肝臓、肺、心臓、腎臓、脂肪組織、筋肉、脳等の各種臓器における、グリセロ脂質、グリセロリン脂質、スフィンゴミエリンとその関連代謝物について分子種特異性を明らかにした。これについても論文投稿の後、今年秋ぐらいを目処の公開の予定である。

昨年初めからこれらのシステムを用いて、動脈硬化、肥満などのフェノタイプを示す遺伝子改変マウス、病態マウスを用いて、脂質代謝の包括的解析を開始した。肝臓、脂肪細胞、筋肉、血漿などの他、脳、心臓について、炎症、酸化ストレスによる変動を調べている。これらの結果、肥満や炎症の進行に従って、あるいはその前兆として、リン脂質とトリグリセリドの量比の変化と高度不飽和含有中性脂質、リン脂質の選択的変動や遊離高度不飽和脂肪酸とリゾリン脂質の変化等、多くの興味深い結果が得られ始めている。現在は、これらの変動が観察された病態マウスの特徴的な臓器について、酸化脂質、酸化リン脂質等の微量メディエーター、病態マーカーの検出に取り組み始めている。これらはクレスト研究班のメンバーやさきがけ等の研究10数グループとの共同研究であり(現在投稿中のもの2,今年中に投稿予定のもの4)、循環器科、消化器科、産婦人科、呼吸器科などの多くの臨床医学講座との共同研究を含んでいる。現在さらに共同研究でMS imagingを用いた、局在的メタボローム解析にも取り組み始めている。今後、脂質メタボロームがこれらのメタボリックシンドローム、動脈硬化等の成人病を中心とした疾患の病態解明や、将来の医薬品開発のターゲットの発見に寄与しうることを期待している。

横溝グループ

平成18年度は、横溝岳彦、奥野利明の九州大学への移動と研究室の立ちあげのため、研究の遂行に遅れが出たが、現在順調に研究室のセットアップが進行している。
1. 樹状細胞におけるロイコトリエンB4第一受容体BLT1の役割の解明
免疫反応における主要な抗原提示細胞である樹状細胞にBLT1が発現していることを見いだした。BLT1欠損マウス由来の樹状細胞ではLTB4依存性のカルシウム上昇と細胞走化性が完全に消失していた。アロジェニックなリンパ球混合試験において、BLT1欠損マウス由来の樹状細胞は極めて減弱したTh1反応を示した。この原因は、BLT1欠損樹状細胞からのIL-12産生が減弱しているためであった。同時にIL-10産生も減弱しており、DNAマイクロアレイを用いた解析の結果、NFkBの活性化で誘導される一連の遺伝子発現が減弱していることを見いだした。野性型マウスの樹状細胞をLTB4で刺激すると、NFkBの主要コンポーネントであるp65タンパク質の核移行が亢進したが、この亢進がBLT1欠損マウスで観察されず、LTB4がBLT1を介してNFkBの活性化を生に制御していることが明らかとなった。In vivoにおいても、BLT1欠損マウスではTh1型遅延反応が大きく減弱しており、BLT1は樹状細胞を介したTh1型免疫反応を引き起こすための重要な因子であることを見いだした(論文投稿中)。
2. ロイコトリエンB4第一受容体BLT1のGタンパク質共役部位の同定
BLT1受容体はGiとG16という薬理学的に異なる三量体Gタンパク質を活性化することが知られているが、BLT1のどのドメインが両者を区別しているのかは明らかではなかった。BLT1のGタンパク質共役部位を同定する目的で、BLT1の細胞内ループの4アミノ酸を一単位として、全てアラニンに置換した変異受容体を合計14個作成し、おのおのの変異型受容体の細胞内シグナル伝達を観察した。第三細胞内ループのアミノ末端に存在するi3-1に変異を加えたBLT1は、G16を正常に活性化するが、Giは全く活性化出来ず、この部位でGiタンパク質を認識していることが明らかとなった。i3-1変異型BLT1は細胞内カルシウム上昇は正常であるが、アデニル酸シクラーゼの抑制とLTB4に対する細胞走化性を消失しており、Giタンパク質の活性化ができないことを裏付けている。興味深いことにGiを活性化出来ない変異BLT1は、高親和性のLTB4結合能を失っており、Giタンパク質との共役によって高親和性の構造をとることが明らかとなった。ロドプシンの立体構造を元に分子モデリングを行ったところ、i3-1の部位は、これまでに考えられてきた細胞内ループではなく、ヘリックス5の末端を形成していることが推定され、Gタンパク質共役型受容体と三量体Gタンパク質の共役に関して新しい知見をもたらした(Kunieda, J. Biol. Chem. 2007

久下グループ

リン脂質の細胞内輸送と分子種との関連を酵母変異株のメタボローム解析で明らかにすることを目的とした。ごく最近、ミトコンドリアのホスファチジルエタノールアミン(PE)を合成する酵素Psd1pとカルジオリピン(CL)を合成する酵素Crd1pの遺伝子をそれぞれ破壊しても酵母は生育可能であるが、両者を破壊した二重変異株は生存できず、この二重変異が致死性となることが報告された。そこで我々は、PSD1遺伝子が欠損した変異株においてCL生合成に必須なホスファチジン酸(PA)のミトコンドリアへの輸送に関与する遺伝子がさらに欠損した場合、あるいはCRD1遺伝子が欠損した変異株においてミトコンドリアPEレベルの維持に必須なホスファチジルセリン(PS)の小胞体からミトコンドリアへの輸送に関与する遺伝子がさらに欠損した場合、それら遺伝子欠損が致死性となることを想定し、PSD1欠損あるいはCRD1欠損の遺伝的背景においてその欠損が致死性あるいは増殖損傷となる遺伝子を同定することを試みた。その結果、単独変異では生育に大きな影響を与えないが、PSD1あるいはCRD1との二重変異により細胞増殖に著しい損傷を与え、リン脂質の輸送に関与する可能性のある遺伝子約50個を同定した。これらの遺伝子の中には、PS輸送あるいはPA輸送に関与する新たな遺伝子が含まれる可能性が大いにあり、それら遺伝子が欠損した酵母の性状解析をすすめている。

小林グループ

各種ステロイド、および関連化合物の標準品を用いて、エレクトロスプレーイオン化質量分析(ESI-MS、機器名QTRAP)測定の最適化を行い、質量分析データを蓄積した。 一方で、ステロイド配糖体などのさらに多様なステロイド化合物への適用を検討した。また、その他の生理活性脂質についてもメタボローム解析を行った。具体的には、病態モデルとして出血性ショックモデルラットに着目し、リン脂質を中心としたリピドーム解析を適用して脂質メディエーターの関与を見出した。その際、田口らによって作成されたLipid Search(脂質化合物の同定・検索ツール)の有用性が実証された。

横山グループ

1.マウス赤血球の血小板活性化因子アセチルヒドロラーゼのisoformを解析した。ブタとヒトに関する以前の報告と異なり、細胞内I型ではα1サブユニットが存在しないことがわかった。各種動物の赤血球についても解析したところ、ラット、ハムスター、ウサギにはα1サブユニットが存在したが、モルモットには存在しなかった。血小板活性化因子等の脂質の量については今後測定する必要がある。
2.マウス腹腔マクロファージにコレステロール+ホスファチジルセリン含有リポソームを与えるとlipid dropletを形成する。この動脈硬化モデルにおけるグリセロ脂質とコレステロール代謝を網羅的に解析する系を検討中である。

福崎グループ

まず、脂質分析のデータとしてはマウスの様々な部位から抽出した脂質をESI/MSで分析したデータを用いた。このデータから、各サンプルに含まれるすべての分子種を網羅的に比較するためのマトリクスデータを作成する必要があった。この際には、サンプルごとに含まれていない分子種が存在するため、0もしくは妥当と思われる任意の値を代入する事とし、これらの処理を自動的に行うプログラムの開発を行った。 次に、上記マトリクスデータに対して多変量解析の手法をもちいてデータ解析を行ために、上記プログラムに主成分分析のアルゴリズムを加え、脂質メタボロームに適したブラウザの開発も行った。
しかしながら、マトリクスデータの作成に関しては現在の時点で同定されている分子種にしか対応できていないため、今後同定が進むことで増えてくるであろう分子種にも対応するために、より拡張性の高いソフトウェアになるように改良を行っていく予定である。 また、脂質はポーラーヘッドの種類や側鎖の鎖長、不飽和度といった複数のパラメータを持った分子種であるため、これらの情報を視覚化することは脂質の多変量解析において重要であると考えられる。これまでに開発したソフトウェアにおいてもポーラーヘッドの種類による色分けおよびフィルタリング機能は実装されているが、側鎖の鎖長や不飽和度への対応は実現できていない。今後のブラウザ開発の方針としては側鎖の鎖長や不飽和度による色分けやフィルタリング機能の実装を目指す予定である。

高橋グループ

FTMS装置のESIイオン源を最新のESIイオン源にアップグレードした。アップグレード後、測定に十分な感度と安定性が得られた事を確認し、ナノLCシステムをESIイオン源に接続し、オンラインnanoLC測定系を構築した。
しかし、高分解能のMS測定を行い、かつ、CID及びIRMPDによるMS/MS測定を行おうとすると、1スキャンに要する時間が長くなり過ぎて、オンラインLC-MS, MS/MS測定を実施することが非常に困難であることが判明したため、自動フラクションコレクターを装備したHPLCシステム、nanoESIロボットによる自動nano-ESI装置、FTMSを有機的に結合し、i) HPLCによって分離されたサンプルフラクションをtiter-plateに自動分画する、ii) nano-ESIロボットにより、微量のサンプルフラクションをtiter-plate上から吸い上げて、nano-ESIによりイオン化し、iii) FTMSにより、高分解能・高精度質量スペクトル、及び、MS/MSスペクトルを自動取得しデータベース化することにより、脂質メタボロームのための高精度質量分析を行うシステムとした。本年度、オフラインLCシステムの構築、nano-ESIロボットとFTMSとを接続し、nano-ESIロボットとFTMSを連動させて、MSスペクトルを自動取得させるためのハードウエア及びソフトウェアを開発した。

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