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- 十倉マルチフェロイックスプロジェクト
研究総括 十倉 好紀
(東京大学 大学院工学系研究科 教授)
研究期間:2006年~2011年
固体中の電気作用と磁気作用の相関は、古くより物性物理学の主要なテーマであり、現代のスピントロニクスでさえ、そのうちの磁気抵抗効果や磁気ドメイン壁の電流駆動など、そのわずか一部が実用化されようとしているに過ぎません。ここでのマルチフェロイックスの科学は、「磁性絶縁体において、磁気構造と電気分極の相関を増強して、これによって、電気ー磁気の相互制御を巨大化して実証する」というものでしたが、これも、「固体中の強く相互作用する多数の電子が創発する新しい電気磁気力学」の重要の一分野です。ただ、この狭義のマルチフェロイックス科学についてさえ、そのメカニズムの多様性、物質の多様性、創発的な電気磁気効果特性の出現、など探索すべき真理と解決すべき課題は山積でした。このERATOプロジェクトの集中的な研究と、これと同時に世界的な規模で起こったマルチフェロイックス科学の研究の隆盛によって、磁性体がつくる固体中の電気分極についての物理概念は、完全に面目を一新したと言っても過言ではありません。磁場作用が電気分極ベクトルを変化せしめる現象は、今や極めて多くの物質群で観測され、その微視的メカニズムも、群論予測のレベルを超えて定性的に、ある場合には定量的にも、理解できるようになってきました。一方、電気的作用が直接、磁気構造に変化をもたらす例も集積され、何が現象を律速しているかの理解も大幅に進みました。このERATOプロジェクトによって、マルチフェロイックスの科学は確実に「新しい科学技術の流れ」となった、あるいはその流れの形成に大きく寄与しました。
・当初は、十倉の研究グループで実証したスピンカレントモデル(桂ー永長-Balatzkyモデル)に焦点をあて、種々のマルチフェロイックスを見出した。特に、ベクトルスピンカイライティ(ヘリシティ)と分極の方向との関係を、いくつかの代表的マルチフェロイックスで実験的に確定した。これによって、世界中で発表される以後の多くの研究成果は、この関係を自明なものと扱うようになったと言える。
・スピンカレント機構に加えて、スピン交換歪に基づくマルチフェロイックス、特にペロブスカイトマンガン酸化物のマルチフェロイックス相の全容を、高圧合成を含めた物質合成手法の動員によって明らかにし、またこれを詳細に再現する理論モデル化に成功し、その汎用性あるいは予測性を実証した。
・新しいマルチフェロイックスのうち、特に特筆されるべきものは、強磁性成分と電気分極成分が直交して存在するコニカル磁性体である。本プロジェクトのスタート直前に、このコニカル磁性体が電気磁気相関を最大化しうる候補であることを、スピネル型クロマイトで示し、またScience誌にも解説稿を書き、その設計指針を公表した。実際にプロジェクトでは、スピネル型カルコゲナイドやヘキサフェライトなどを比較的低磁場下で分極を発生する横型コニカル磁性(磁場印加以前は、縦型コニカル磁性)に転換して、これによって分極ベクトルをフレキシブルに制御しうること、またヘリシティを状態変数として、室温においても保持できることなどを実証した。
・スピン交換歪機構による新たなマルチフェロイックスの例を、古典的なペロブスカイトフェライトや有機電荷移動錯体などにおいて実証した。これらは、磁気誘起強誘電体としては、大きな自発分極(1-10μC/cm2)をもつことを示した。
・デラフォッサイト(酸化物)やハライド系において、螺旋磁性を三角格子上に展開して強誘電分極を形成し、これを回転磁場によって、連続回転あるいはデジタルフロップさせうることを実証した。これによって、マルチフェロイックスの巨大電気磁気応答の方式として、マルチフェロイックドメイン壁の駆動操作が重要であることを示した。
・スピン方向に依存したp-d軌道混成による強誘電性発現の機構を多くの物質群で実証した。これは、スピンカレント機構、スピン交換歪機構、につぐ第3のメカニズムであり、現存する磁性誘起強誘電性のほとんどのこの3つのモデルのいずれかで記述されることを明らかにした。
・マルチフェロイックスの動的物性の一つは、マルチフェロイックスドメイン壁の運動であり、これが電気作用と磁気作用の相関の巨大化を果たす上では、本質的な重要性をもつ。本研究では、基本系であるペロブスカイト型マンガン酸化物において、螺旋磁性の磁気ドメイン壁と強誘電性ドメイン壁が同一であることを示し、このマルチフェロイックドメイン壁の運動性をdc電場から500MHzの高周波帯の領域で明らかにした。普通の強誘電体ドメイン壁と異なり、マルチフェロイックドメイン壁は低温においても運動の凍結は抑えられるという著しい特徴が明らかになった。
・このドメイン壁の高周波応答は、更にスピンパイエルス機構(一種のスピン交換歪機構)によって強誘電性ドメインを発生する1次元的な有機電荷移動錯体のマルチフェロイックドメイン壁-ソリトン励起-の特徴を初めて明らかにした。
・もう一つの重要な応答は、振動(光)電場で励振可能な磁気励起(エレクトロマグノン)である。基本系でのペロブスカイト型マンガン酸化物での系統的な研究と理論的考察により、その電気活性の微視的機構が解明された。結論は、必ずしもマルチフェロイックスに限らず、スピンが非共線的配置をとる格子系で、このエレクトロマグノンの存在が可能となる、という驚くべきもので、これにより、高速の電気的励振により磁気共鳴が多くの磁性体で可能なことが明らかになった。この機構はさらに一般化されて、スピンが共線構造を取ったときでさえ、結晶格子の対称性とスピン秩序の条件によりエレクトロマグノンの存在しうることが明らかになり、実験的にも実証された。
・このエレクトロマグノンを利用して、共鳴的な電気磁気効果が可能となった。一つは、テラヘルツ帯のエレクロマグノンスペクトル自体が外部電場、磁場の作用を受けて大きく変調する。さらに、このエレクトロマグノンに基づく、光学的電気磁気効果(非相反型方向2色性)も極めて巨大化できることが明らかになった。これらの結果は、テラヘルツ域における電気磁気光学の基本スキームを与える。
・非共線スピン構造に於いて、スピン流機構を起源とする発現する強誘電分極の揺らぎに対応するエレクトロマグノンの存在を初めて明確に実証した。このエレクトロマグノン共鳴において、線形吸収係数に匹敵する巨大な非相反型方向2色性が発現することを見出した。動的な電気磁気効果を発現するコニカル磁性体のエレクトロマグノンについて、マルチフェロイックスの静的な性質を特徴づけるトロイダルモーメントの素励起、トロイダルマグノンの観点から系統的に理解する理論的枠組みを構築した。
・更に高い周波数領域では、極性強磁性体における光学的電気磁気効果(非相反型方向2色性)が存在する。これは、すでに以前に当研究グループが見出していたものであるが、本研究では、磁性酸化物3色超格子を用いた人工マルチフェロイック物質でも、光散乱の手法を利用して確認した。また、ガーネットの3色超格子で室温以上でも安定な極性磁性体を人工的に作り、トロイダルモーメントによる第2高調波発生と非線形カー回転を実証した。
・2009年度後半より本格化した研究主題であるが、すでに、パイロクロア格子と呼ばれる特殊な結晶格子でスピンが非共面的に相互に傾いたときに、スカラースピンカイラリティによるベリー位相効果のために、巨大な電流磁気効果、特に異常ホール効果が出現することを当研究グループは実証してきた。今回は、螺旋磁性から磁場印加によって導かれる、スキルミオン結晶 – ボルテックス状のスピン回転体が三角格子上に規則正しく並んだスピン超構造体 – の生成の実空間観察とその薄膜における安定化に成功したことを受けて、このスキルミオン結晶が作るスピンカイラリティによる電流磁気効果、および電気磁気効果の探索を開始している。
・B20型合金(Fe,Co)Si、FeGeなど、螺旋磁性を示すほぼすべての系でスキルミオン結晶が形成されることを実証した。また、このスキルミオン結晶は巨大スピンカイライティが存在すると考えられ、その証左であるトポロジカルホール効果の観測にも成功している。
・磁気誘電体Cu2OSeO3においてもスキルミオン結晶を観測した。また、スキルミオン結晶由来の電気磁気効果を観測した。
・以上の研究は実空間のスピンテクスチャーによるものであったが、スピン軌道相互作用が強いBiカルコゲナイド系などでは、バルクおよび表面状態の運動量空間において、特徴的なスピンテクスチャーが現れることがある。この典型が世界的フィーバーとなっているトポロジカル絶縁体である。その潮流を受けて2009年度から、この運動量空間のスピンテクスチャーによる電気磁気効果の研究も開始した。
・トポロジカル絶縁体Bi2Te3に磁性不純物であるMnを少量ドーピングした物質で、通常のキャリア誘起強磁性と異なるトポロジカル表面状態のディラック電子が誘起する強磁性を確認した。さらに、そこでの巨大な異常ホール効果や磁気ドメイン壁にそったエッジ状態伝導を観測した。
・バルクで極性を有するBiTeIにおいて角度分解光電子分光により、巨大なラシュバ型のスピン分裂を観測した。さらには光吸収スペクトルによって期待されるスピン分裂準位間の遷移を見出した。さらにこれらの実験結果を第一原理電子状態計算により再現することに成功した。
・また、このスピンー軌道相互作用やスピンカイラリティが引き起こすユニークの電気磁気効果として、パイロクロア格子強磁性絶縁体で磁気励起(マグノン)が示すホール効果も初めて実験的検証に成功した。