本当の科学のハナシ、誰から聞けばいいの?
日時: 2010年11月20日(土) 12:45~14:15
会場: 東京国際交流館 国際交流会議場
登壇者(敬称略)
- 基調講演「最先端科学技術を伝えるとは」:
- 村山斉(東京大学数物連携宇宙研究機構長、カリフォルニア大学バークレイ物理学教授)
- パネル討論「研究者自身または専任担当者が行うサイエンスコミュニケーション」:
- 浅川真澄(産業技術総合研究所研究チーム長)
- 大河内直彦(海洋研究開発機構プログラムディレクター)
- 福田公子(首都大学東京理工学研究科准教授)
- 大木聖子(東京大学地震研究所広報アウトリーチ室助教)
- 岡田小枝子(理化学研究所広報室主査)
- モデレーター:
- 室山哲也(NHK解説主幹)
- 司会:
- 山田健太郎(サイエンスアゴラ2010企画委員)
山田:企画委員の山田健太郎です。このセッション「本当の科学のハナシ、誰から聞けばいいの?」は、実際に最前線で活躍されている研究者の方や広報担当の方を中心に、日頃の研究活動と研究アウトリーチ活動を、どのように行っているか伺いながら、討論いただき、皆さんにもこれに加わっていただくという企画です。
年間研究費を3,000万円以上受け取っている研究者には、アウトリーチ活動が義務化されるということもあり、研究を行いながらアウトリーチを行う方法を模索されている方もいらっしゃると思います。この企画では、タイトルに「誰から聞けばいいの?」とありますが、それは参加者の方たち自身で考えていただき、どのようなアウトリーチが自分の研究に合うのか、自分の活動に合うのか、ということを見つけていただけたらと思います。
それでは最初に、東京大学数物連携宇宙研究機構長、村山斉先生から、基調講演を頂きたいと思います。

村山:基調講演をしろと言われたのですが、与えられたタイトルがすごく大きいんですね。正直言って、困りました。科学コミュニケーション、アウトリーチというものはいろいろやってきているつもりなのですが、それほど深く考えてやってきたわけではなく、ともかくやってきたという立場です。科学コミュニケーションの課題について話せと言われたことも特に今まではありませんでした。ですから、かなり当たり前のことを繰り返しているなとは思いますけれども、とりあえず、私なりに思ったことを話してみようと思います。
私に求められたのは次の4点でした。(1)最先端の科学を一般の市民に伝えることの難しさと、楽しさ。(2)アメリカと日本の科学コミュニケーションの比較。(3)誰にどこまで伝えるのが、研究者の責務か。(4)研究者にしかできない科学コミュニケーションとは何か。この4つについて議論してください、ということでした。

そこでまず、科学コミュニケーションとは何だろうか。で、恥ずかしながら、定義を今まで見たことがなかったので、あわててウィキペディアを見ました。すると、こう書いてありました。「科学コミュニケーションとは、ノンサイエンティストとサイエンスについて話すことである」と。ここでちょっと面白かったのは、この「と」です。原文はwithで、ノンサイエンティスト「に」向けて話す、ではなくて、ノンサイエンティスト「と」話す、と書いてある。だから、科学コミュニケーションというのは、あらかじめ双方向であると仮定されているようですね。
その次に、研究者自身がやる場合のことをアウトリーチとかポピュラリゼーションというと書いてある。つまり科学コミュニケーションというのはもっと広い言葉で、その中で特に研究者がやることについて、アウトリーチという言葉を使うんだというふうに、ここでは定義されているようです。それともう1つ、科学コミュニケーション自身が1つの職業として成立しているということも書いてある。これも非常に面白いことだと思いました。

ともかく、これを読んでわかったのは、科学コミュニケーションでは、そもそも双方向的であることが意図されている非常に広い意味の言葉で、ジャーナリズムなども当然含んでいる。一方、アウトリーチという言葉は、研究者が一般の人たちへ発信していくことであるらしい。ここで、研究者がやる場合は、当然ながらこれが職業ではありませんから、研究者のアウトリーチというのは、あくまでアマチュアであるということになる。これは、私も常に感じていることでした。要するに、研究者がアウトリーチをやる時というのは、プロではないので、少々下手だろうと何だろうと別にかまわないんだと、私は思っています。
ですから、アマチュアでありながらそういうことを、趣味ではないかもしれないけども、一つの活動の一環としてやっているということであって、決して、それでプロになろうとか、そのために高い技術を磨かなきゃいけないとか、そういうことはむしろ二の次だというのが、私の考え方です。
実は、私に子どもができた時に、最初に子育てのクラスというのに行ったことがあるんです。そこで、こういう質問されたんですね。「あなたは、子どもを育てることで給料をもらっていますか」と。当然もらっていない。「だからあなたは、子育てをすることに関しては、プロではなくてアマチュアなんですよ。それほど肩肘を張って頑張ってやる必要はありません。皆、お金も貰わず、いわばボランティアでやっていることなので、そんなに固く考えないでください」と言われました。それで、すごく気が楽になった覚えがありました。
ですから、研究者のアウトリーチというのはそれと同じような意味で、別にそれでお金をもらおうとしてやっているわけではなく、プロになるわけでもない。あくまでもアマチュアとしてやっている活動だ、というのが私自身の認識です。

それでは具体的にどういうことをやってきたかということですけれども、やることは基本的にどこでも同じで、サイエンスカフェをやったり、一般向けの講演をやったり、イベントをやったりです。もう少し細かい話をしますと、アメリカに長くいたので、その時に、エネルギー省とか米国科学財団に、助けてほしいと頼まれたことが何度かありました。ある分野、私の場合は素粒子とか宇宙物理の分野ですが、こういう分野がどういうふうに面白いのかということを、特に議会に対して話ができるような資料を作ってくれという依頼を受けたことがあります。そこで、「量子宇宙論」の冊子を作ったり、ジェリービーンズの壺の写真を見せたりしました(下図)。これは宇宙を示していて、宇宙のほとんどは暗黒物質と暗黒エネルギーでできていてよくわかりません。よく見える、普通の原子とか星というのは、たったの4%しかないんですよということを、ジェリービーンズの壺で表したものなんです。アメリカではこのようなものを作って、広く訴えていくということをやったりしていました。
3年前に日本に来てからは、機構長という立場もあって、情報発信をやらなきゃいけないということでいろいろとやってきました。私の場合、幸いなのは、広報担当の宮副さんというスタッフがいるほか、他にもいろいろ助けてくれる人がいるので、決して一人でやっているわけではありません。一人でやるのはすごく大変です。そういう助けがあるというのも、すごく大事なことだと思います。
本もいくつか出しました。研究所の別の研究者5人と一緒に書いた本とか、最近は幻冬舎から一人で本を出しました。本人が一番びっくりしているんですけども、なぜかこの本が18万部も売れました。なぜ売れているのか、私にはよくわかりません。個人的には、なぜ売れているかということよりもむしろ、読者がこの本にどういう不満を持っているかを知りたくて、いろいろ調べたりもしました。そのことは、後で紹介します。

ともかくこういうことをやってきました、ということなのですが、それではアウトリーチ、もしくは科学コミュニケーションを研究者がやる目的は何なのでしょうか。最初に必ず皆が言うのは、これは研究者の責任であるということですよね。税金で研究をサポートしてもらっているんだから、その結果を納税者に返さなければいけない。それは研究者の責任なのだ。逆に研究者の立場から言うと、世知辛い話ですけれども、研究費を貰うことを正当化するということがある。引き続き欲しいので、納税者の理解を得て省庁を説得し、さらに予算を獲得する。この分野をサポートしてほしいと働きかける。これも目的の一つとして、良い悪いは別として、あると思います。
第三の目的はもっと単純です。研究者というのは研究をしていて楽しいわけです。良い音楽を聴いた時に、「あ、この音楽良かったよ」と友達に話すのと全く同じで、自分がしている研究が楽しかったら、「これ楽しいよ。聞いて、聞いて」と話したくなるということが、やはりあると思います。私にとってアウトリーチをする目的といえば、おそらくこの3つになるでしょう。

それで、一般の人に向けて発信する時に、楽しさ難しさは何かという問題を与えられていました。まずはっきりしているのは、最先端の研究内容を一般の人にきちんと教える、教育するということは、基本的には不可能だと私は思っています。その理由ははっきりしています。きちんと教育するためには、大学のカリキュラムがあって、それに沿って教えていくことで学生を教育して、最先端の内容を理解してもらう必要があります。それを、例えば1時間の講演だとか簡単な書き物で全部実現できるわけがないと思っています。
ですから、目標は、本当にきちんと教えることではないと思います。それでは何が目標かというと、やはり、どういうことをやっているのかを、なんとなくわかった気になってもらうことでしょう。つまり、「ああ、こういうことをやろうとしているのか」ということに理解を求める、ということだと思います。
そのとき、私が特に大事だと思っているのは、こういう研究を「なぜ」やりたいと思っているのか、その心が伝わるかどうかということです。それと、研究活動とはどういうものか。研究ということを知らない一般の人から見ると、科学者のイメージは、常に白衣を着て、瓶底メガネをしていて、ほとんど無機質な人間で、たぶん人付き合いが悪くて、といった感じですよね。しかしそうではなくて、研究というのは実はものすごく人間的な活動だということを知ってもらいたい。例えば、血沸き肉躍ることもあるし、競争があったり、大発見があってすごく喜んだかと思ったら、実は間違いだとわかったり・・・・・・。そういうことがずっと積み重なっていく。99%の努力はほとんど無になりながら、それでも一生懸命やるということ。なんというか、人間臭さが伝わるかどうか。これは研究者がアウトリーチをやるときのポイントの1つだと、個人的には思っています。
話をするときの楽しさは何かというと、単純な話ですが、興味を持ってくれる人は「面白かった」と言ってくれる。つまり、喜んでもらえる。人間ですから、単にそれだけでうれしいということが、まずあります。
それともう1つ、自分にとってメリットがあるのは、一般の人に話していると、そこで改めて考えるんですね。そもそもなんで自分はこの研究をやっているのだろうか、と。他人に説明するには自分なりに整理しなければいけないので考える。自分がやっている研究について、もう一度、一歩下がったところから見直す機会になる。それをやってみると、あ、やっぱり結構面白いことやってるんだなと再認識することが、個人的にはあります。
ですので、他人に伝えるということもあるのだけれど、自分がやっていることを再認識するという意義もあって、それが結構楽しい側面として大きな部分です。
ただし、相手が不特定多数だと、相手の人がどういう知識、どういう興味を持っていて、何を期待しているかがまちまちですから、発信の仕方をどうすればよいかがよくわからない。それがいちばん難しいことだと、いつも思っています。

それで、先ほどちょっと触れた、私が書いた本の話になります。いろいろなブログを見ていると、文句言っている人が結構いるんですね。おそらく著者は読んでいないだろうと思って、言いたい放題書いている。でもそれを読むとすごく面白い。どういうところが伝わらないのかがよくわかる。大学の授業評価でも、こんなに無茶苦茶書く人はいない。だから逆に、すごく面白い。なかには、はっきりと「大失敗だ」と書いている人もいます。
いろいろな例がありますけれども、まず、「難しくて、ついていけませんでした」というのがある。つまり、この分野はよく知らないんだけれども、ちょっと勉強してみたくて読んだけれど、やはり難しすぎたというコメントだと思います。
それとは逆に、「完全な失敗です。説明が不完全であり、せいぜいお茶の間止まりの解説で、とても人に説明できるような知識がつくものでもありません」というコメントもある。この人は、きちんと教育されることを期待していたのだと思われます。それだと、中途半端だということになりますね。「やさしい説明を心がけた著者の労は多としたいが」というありがたい言葉に続いて、「物理学の最前線を紹介することの難しさを痛感する」というのです。やはり、伝わっていないと言っているわけです。別の人は、「宇宙や星に漠然とした憧憬を持っている人には、著者の意に反して重い内容である。うがった見かたをすれば、事業仕訳対策として急遽書かれた本のように思われた」と書いてありました。
このように、受け取る人にとって、期待していること、持っている知識レベルなどが全然違うので、同じ発信の仕方をしても受け止め方が全然違うんだということを認識させられて、すごく面白かったです。誰かに向かって発信するときに、相手が何を望んでいるのかをある程度把握したうえで発信しないと、とんでもないことになりかねないという教訓も得ました。


実際に講演をするときに個人的にいちばん心がけていることは、コミュニケーションでは常にそうですが、基本は思いやりだと思います。受け取る側が何を望んでいるのかという気持ちになってみて、それに沿ったコミュニケーションの取り方ができるかどうか。例えば特に最先端の研究に関する講演を一般の人が聞きに来る場合は、基本的に、きっと難しいだろうな、ついていけるだろうかという不安感があるわけですよね。それでもあえて来たことに対して、どこまで答えられてサービスができるかとういところが、思いやりなのだと思っています。ですから、常にそれを心がけておきたいと、個人的には思っています。
特に大人の場合が難しい。自分はちょっと詳しいと思っている人はプライドがあるので、それにもある程度のケアをしなければいけない。そんなことはもう知ってると怒り出す人もときどきいるんです。そういう人には、「よくご存じの方には復習になりますが」と言っておいてから説明すると、「ああ、これは他の人のために説明しているんだな」と、勝手に納得してくれるので、それで事なきを得るということがある。それから、すごく難しくなってきた場合には、「ここはちょっと難しいかもしれませんが、後でまたやさしくなりますから」と予告しておくと、がまんして聞いてくれたりします。細かいことですが、こういうことがけっこう影響あるみたいです。それから、できるだけ質問を受けるというのも大切です。つまり双方向にすると、皆さんすごく喜んでくださります。質問を受けた際には、絶対に上から目線の答えをしてはいけない。よく聞いてみると、専門家以上に鋭い質問をしている人がたくさんいますから。そこではやはりすなおに褒めて、「それはいい質問ですね」と言った上で、できるだけ誠実に答えていく。
ここから先はさらに個人的な話になりますが、アメリカで一般向けの講演などをすると、基本的にエンターテイメントのショーという雰囲気になります。これは別にそうしなければいけないというわけではないですし、人によってスタイルも異なります。けれども私は、そういうのに慣れてしまったということがある。
そこでジョークを入れると、双方向コミュニケーションですごく役に立つという経験があります。1つは、何かくだらないことを言うだけでも、聞き手の注意力を引き付ける手法になるということがあります。注意力がいったん離れてきたなと思っても、1つのジョークでまた戻ってきてくれる。ジョークのもう1つの効能は、その冗談がどのくらいウケたかで、聴衆がどのくらい聞いているか、ついてきてくれているかを測れるということがある。そのためのツールとして使えるので、私は積極的にジョークを使うようにしています。
それから先ほども言いましたが、研究者がアウトリーチをする効果は、その人の人間味が出るということだと思います。研究者の情熱がどれだけ出てくるか。自分のやっている研究に対する情熱だけではなくて、その研究内容を伝えていきたいという情熱も、話に加味しないといけない。そういうことは、身振りとか、抑揚とか、間に表れると思います。ですから、できるだけ聴衆の目を見るほうがいい。
それと、自分の研究をしゃべりたいのはやまやまですが、そこはぐっと我慢して、その研究をやっている背景であるとか、他の人がどういうことをやっているのかなどが講演のほとんどを占めてしまい、自分のことをしゃべる時間がごくわずかになるということは、しょうがないと思います。そうじゃないと、そもそも何でそんな研究をしているのかということが伝わらなくなってしまい、逆に意味がなくなってしまいます。ですからそこはじっと我慢する。
そのほかの心がけとしては、できるだけ日常生活に結びつけてみたり、視覚に訴えることを心がけるように、個人的には気をつけています。例えば、小学生向けに反物質の話をしろと言われたことがありました。話はエネルギーから始まるのですが、「エネルギーって何でしょうね。エネルギーというのは、何かができるということですよね」と言ってピカチュウを出して、「ピカチュウは、こんなにいろいろなことができますから、エネルギーがたくさんありますよね」という話をすると、皆けっこうわかってくれます。それでもうちょっと説明して、位置エネルギーと運動エネルギーとかいうことを説明しても、小学5、6年生だと、話が終わったときにはちゃんとわかっているみたいです。ですから、頑張ればそういうことも伝わるのです。

大人向けの話では、例えば、私の分野で南部さんがノーベル賞を取ったときに、受賞理由の「自発的対称性の破れ」について説明することになった。業界の言い方をすると、系が対称的であっても、最低エネルギー状態は対称的ではなく、その結果として最低エネルギー状態が複数あって縮退する、という説明になっちゃうわけです。けれども私が説明するときに必ず出すのが洗濯物ですね。まず最初の洗濯物をかけるときは、右に向けてかけても、左に向けてかけても同じですよね。けれど、いちど左向きにかけてしまうと、なんとなく他の物も全部同じ向きにかけたくなりますよね。そうすると結果的に見たら、みんななぜか左に向いています、と指摘します。これは対称性が破れましたと言う。本当はどちらでもいいのだけれど、みんななぜか同じ方向を向くようになってしまいました。そういうような説明をすると、なんとなくわかった気になってくれる。こんな感じでやっています(図を示す)。

あとは、アメリカとの比較ですね。アメリカでの私の研究費は米国科学財団から来ていたので、研究費の申請書にどういうアウトリーチなどをやってるかを書くことが義務づけられています。ブローダーインパクト(広くインパクトを与えられるか)という言葉を使っていて、アウトリーチとは限りません。教育でもいいですし、いろいろなメディアを作ることでもいいし、いろいろな可能性が許されています。ともかく、何か書かなきゃいけないことが義務づけられています。これは明文化されていないのですが、期待としては予算の3%位は使うようにというふうに思われているそうです。それで実際に研究が終わった後の報告書にも、そういうことを記入して、こういうことをやりましたと書かなければいけない。これは金額によらず、すべての研究費の申請に対してこういう義務が付いています。
そこでは、先ほども言いましたが、アメリカと日本ですごく違うのは、基本的にハリウッド文化なので、すべてがショー的になっています。ですから、内容が難しいと感じれば、それはあくまでも発信者の責任で難しいのだ、お前が悪いという態度がはっきりしています。皆が聞いて、よくわかったということになればいいのですが、難しいなどと感じたら、お前が悪いとなる。学生ですらそうです。授業で、あそこ難しかったということになれば、先生の責任でこれがわからなかったという態度で聞きに来ます。それはすごく一貫しています。ある意味ではわかりやすいけれども、厳しいです。
科学者に対する尊敬の念は、日本のほうがはるかに高いと思います。アメリカがはっきりしているのは、税金は自分が出しているんだという国民の意識がすごく高いので、それを使ってこいつら勝手なことをやっているということに対する反感はかなりのものがあります。一方、メディアで科学が取り上げられる割合で言うと、日本よりはるかに少ないというのが私の印象です。根本的に科学に敵意を持っているアメリカ人もいます。ですから、科学のこと発信していくときには、日本のほうがむしろ、土壌としては受け入れてもらいやすい。もしくは、尊敬してもらいやすい。そういう土壌があると思うので、それをうまく使って発信できれば、本当に良い関係になれるのではないかと思います。

研究者がどこまでやるかいうことですが、プロのサイエンスコミュニケーターではなくて、あくまでも研究者の立場としては、とにかくできる範囲でしかできない。したがって、無理をしてまでやるというのはあまり生産的ではない気がします。ともかく、研究をしながら、他にいろいろな仕事がありながらやることなので、あまり無理をしても、たぶん、消耗するだけでうまくいかない。
自分がまだ若かったとき、アウトリーチを始めようとしているときに苦労したことがあります。その頃のことを思い出してみると、どういうところでアウトリーチや科学コミュニケーションができる、できる機会がなかなか見つからなかった点で、いちばん苦労しました。自分が何か始めようと思っても、どこで何をやっていいのかがわからない。一人でやったら相談相手もいないし何もできない。そこで、特に若い人に言いたいのは、まずは、すでに何か行われているアウトリーチのプログラムに参加するところから始めるのがいちばんいいと思います。それから、自分が出た高校の先生に、「何かお手伝いできることはありませんか」と聞きに行くのも、けっこう有効な方法でした。
個人的には、非専門家にサイエンスの話をするということでいちばん初めにやったことは、自分の子どもの小学校に手伝いに行くということでした。アメリカの学校は日本の学校に比べるとはるかに予算が厳しいので、科学の時間は悲惨なものです。遠足も、親がボランティアで車を運転しないと行けない。普通の公立小学校でも、親が集まって毎年何千万円と寄付を集めて、それで人を雇ってやっと科学や音楽の授業ができるというひどい状況なので、すごく親が参加します。そういうところに行くと、小学生相手にサイエンスの話を偉そうにできるわけじゃない。ちゃんと座っていなさいとか、こうやると危ないよとか、そういうところから始まる。そういうことをいっぺんやってみると、大上段に構えたアウトリーチというよりも、一緒に作っていくというセンスが生まれてきて、個人的には後になってすごく役に立ちました。

最後に、研究者だからこそできるアウトリーチは何か。研究者だからこそ失敗することはたくさんありますよね。まず、研究者なので、正確さにこだわるあまり、話が難しくなる。それから、専門用語を使いすぎて、何のことだか相手にちっとも通じない。こうしたことはすごく気をつけなければいけない。
一方、研究者ですから、自分のやっている研究が、どういう分野の中でどう位置づけられるかは理解しているはずです。つまり全体像を知っているわけです。これはとても大切なことで、ある一部分だけを取り出した理解と、全体の中にこれがあるんだという理解ではまるで違います。そこで、それが伝えられるかどうかが1つの大きなポイントになります。それともう1つは、先ほども言った人間味ですね。ここまで来るのにどれだけ苦労したか、どういう競争があったか、こういうことで落胆したとか、このときこの瞬間に興奮したとか、こういう裏話がありますよという情報。研究の背景にあるそういう情熱、これはやはり研究者にしか伝えられないことなので、これを何とか伝えていきたい。
実際、研究活動というのは99%が失敗で、残っているのは1%だけだったりします。研究者ではないコミュニケーターには、おそらくその1%しか見えていないと思います。研究者は残りの99%も全部見たうえで1%を語れるので、その強みはやはり最大限生かしたいと思います。

そういうわけで、最後にもう一度アウトリーチの3つの目的をあげておきます。(1)研究者の責任:税金でサポートされる研究を納税者に還元、(2)研究費の正当化 :納税者の理解を得て省庁から予算を確保、(3)単に自分が楽しい研究を知って共感して欲しい「聞いて聞いて!」
このうち、純粋に個人的なことを言うと、私がアウトリーチや科学コミュニケーションをやる理由としては、単純に(3)がいちばん大きい。むしろ、この気持ちがなければこんなこと絶対にできないと思うので、これがあるかどうかが最終的な決めどころになるのではないかというのが、個人的な意見です。
山田:村山先生、ありがとうございました。
続きまして、パネリストの皆様による話題提供に移らせていただきます。
ここからの司会進行は、NHK解説主幹の室山哲也さんにお願いします。
室山: NHKの室山です。よろしくお願いします。
山田:ステージの準備が整うまで、室山さんに質問させてください。
研究者の研究内容や研究者の考え方を世間に伝える時に、マスコミの方がいちばん苦労されるのはどういう点でしょうか。
室山:それは千差万別です。とても難しいです。もともと僕はディレクター、プロデューサーを30年くらいやって、今は解説委員をしています。取材の場合は、どういう意図でここに自分がいるのか、どういうことを聞きたくて来たのかという自分のスタンスを研究者の方に、なぜ先生の研究に興味があったのかということをきちんとお伝えして、あとは子どものように一生懸命聞くことにしています。わからないときにわかったふりをしない。わからないときは、わかりませんと言って説明してもらう。結局わからないと伝えられないので。マスコミの人間は、自分がわからないことを、さらにわからない人にどう説明したらよいかなんてわからない。なので、わかったふりをするのがいちばん危険で、自分が責任を持てない言葉を発信するのは最悪です。それを防ぐためには、わからないことは伝えない。例えば研究者が、ここから先の研究はまだはっきりわからないと言ったら、そのことも伝える、ということですかね。
ディレクターによく言うのは、番組を作るときは問題意識で作りなさいということ。わかったことだけで構成すると、すごくやせ細った番組になる。わかったふりをして作るな、と言います。研究結果や研究の手法で、ここまではわかってるけれど、ここから先はわからないんだということを伝えろ。それをやらないと、本当の情報とそうでない情報が混ぜこぜになって、研究者の尊厳を傷つけるし、社会もわけがわからなくなると思います。答えになっていませんけど、そんな思いを抱いています。
山田:ありがとうございました。準備ができましたので、お願いします。
室山:始まる前の打ち合わせで、とにかく今日は自分がかねてから思っていることは全部言って帰りましょうということと、予定調和は無しで本音で言い合いましょうということで、基本的な合意しました。それから僕はマスコミなので、マスコミへの逆襲もOKですと。僕は司会もしますけれども、自分の意見を言います。そんな、ちょっとアナーキーな感じで行きます。
始める前に知りたいのですが、会場の皆さんはどんな方々なのでしょうか。研究者の方、手を挙げていただけますか。マスコミは? マスコミいますね。どこの社ですか。科学番組のディレクターですか、なるほど。それから、大学の先生。あとは学生さんも。主婦の方とか、いわゆるそのサラリーマンも。いろいろな方がおられるわけですね。
途中でしゃべりたくなったら指しますので、絶対言いたいよというときは手を挙げてください。それから、先ほどの素晴らしいお話をしていただきました村山さんも前におられますので、参加していただくことになろうかと思います。
それでは、パネリストのみなさんに「私の1週間」ということで、仕事の様子をパワーポイントにしてもらっていますので、それを見せていただきながら、今悩んでることとかをお話してもらいます。最初に浅川さんから話題提供をお願いします。
浅川:わかりました。決まった1週間というのがないので、だいたいの流れでこれぐらいの割合だなというところで書いてみました。
週に2日くらいは研究に集中するための時間をつくっています。たいていは、メールチェックしたり、コーヒー飲みに行きながらスタッフとディスカッションしたり、というようなことと、こういうような各種プレゼンの資料とかを作ったりというのが2日くらい。あと2日くらいは出張案件ですね。講演会だったり、展示会だったり、企業との技術相談だったり、研修会もあります。金曜日は所内でいろいろな会議があります。それらをいろいろ含めると週5日くらいが終わります。土日は基本的にはオフが希望なのですが、こんな感じの会議があったり、他の会議もあったりで、いろいろです。
ごくたまにアウトリーチ活動と最後に書いてありますが、僕の言うアウトリーチというのは、どちらかというと専門外の方々に科学的な話、僕の仕事の話をするという機会をアウトリーチと考えています。ただ、それほど多くの機会はないかもしれません。
僕の所属する産業技術総合研究所は、「技術を社会へ」がキャッチコピーです。我々が開発した技術、研究成果をいかに社会に生かしていくかが使命なので、直接のお客さんは企業になります。企業に対するアピールの仕事がかなり大きいのですが、それがアウトリーチと言っていいのかどうかに疑問があって、ごくたまにアウトリーチと書くことにしました。
室山: では浅川さん、科学コミュニケーションに関わる悩みの種はどんなものか、見せてください。
浅川:科学コミュニケーションに関わるかどうかはわかりませんが、いちばん大きいのはポスドク問題です。ポスドクというのは、大学で修士課程、博士課程を終わって、その後、社会人になる前にもうちょっと修行しましょうということで、サイエンスの専門家になるべく、研究に関わっている人たちのことです。その人たちが社会に出る場がなかなかない。サイエンスの最前線で働くそういう人たちが、社会にどんどん出ていく流れができないと、その後から来る人たちは詰まるし、将来が不安になる。そのあたりが解決しないと、我々のサイエンスコミュニティもなかなかうまくいかないということで、問題意識として挙げました。産総研の中でも主力になって働いてくれるのはポスドクの方たちです。彼らの将来の行き先、ポストを考えるのがとても大変です。ポスドクを経験すれば将来明るいと保証される社会になることを希望して、問題として提起させていただきました。
アウトリーチ活動としては、先ほど言った通り、技術を社会に持っていくことが僕のメインの業務なので、そのざっとした流れを書いておきました。その中で研究成果を企業につなげる前に、プロモーション、いわば宣伝活動の一環として展示会等に出しているうちに広報の方々と仲良くなって、いろいろ頼まれごとをされるようになりました。それを全部引き受けてるうちに、アウトリーチ的なことをやるようになったという背景があります。

室山:ポスドクの職は、そんなに見つからないんですか。
浅川:難しいですね。
室山:そうすると、職もなく、若い人が育たないのに、科学コミュニケーションどころではないということですか。
浅川:そうですね。村山さんの意見に大賛成で、子どもたちに話すのは楽しいんですよ。それは楽しいし、そこから出てくる素朴な疑問も参考になる。そういう意味では、科学コミュニケーションに関わることは、どちらかというと仕事だと思ってはいるのですが、趣味の世界にもかなり近い。プロではないのでアマチュアとして楽しませていただいているという感じです。
室山:わかりました。次は大木さんお願いします。
大木:東京大学地震研究所の大木と申します。私は、阪神大震災が起きたとき、高校1年生の3学期でした。それで、同じ国で、同じ年の子がこんな被害を受けているというのがあまりに衝撃的で、地震学者になりたいと,そのまま進路を決めました。ところが、学部から大学院へと進むうちに、地球の内部のことがとても面白くなりました。地球の半径は6,400kmもあるのに、人類が入ったことのある部分はたったの4㎞。宇宙はロケットを飛ばせば行けますけど、地球の中には行けない。私たちは足元のことを全然知らない。そんなこと言っているうちにどんどん深入りしていきました。博士論文では、2,000km位の深さのポアッソン比なんかを扱うようになっていきました。そうした中で新潟県中越地震などの災害が起きたことで、私たちがやっている研究と防災というのはいったいどう結びつくのかといったことを悩み始めたんです。そこにアウトリーチというポストで声がかかったので着任して、今は助教をやっています。地震研という所は、地震とか火山噴火といった現象で人の命が失われることを軽減する研究と、純粋に科学としてそれがいかに面白いか、地球の中というのはどんなに美しい世界かを調べている研究とが混在しています。その二つのことを伝えることが私のアウトリーチ活動です。
基本的にはたくさんの講演が主です。防災の講演でも、さりげなく科学の話を入れていって、地球ってこういう生き物で、こんな営みのごく一部にたまたま地震があって、これは日本に暮らす限り宿命なんですよ、というふうに受け止めてもらって、地震と共生していく、そういう考え方も持ってもらえるように努めています。
研究という意味では、地球科学の研究というよりは、このアウトリーチ活動というものを学術化していくことに、私は今非常に関心があります。例えば、よその地球科学の研究所がうちもアウトリーチをやろうと思ったときに、アウトリーチについて書いた私の論文を読めば、ある程度のことまでできるというふうに。それは地震研究所の使命であり、私自身の使命でもあると思っています。
次のスライドは、アウトリーチでの悩みではなくて、むしろやりがいに近いことです。突発災害が発生すると、携帯に連絡が来て、何時であっても、どんな時であっても、出動します。以前、シャンプーしているときに、東北で大きな地震が起きました。そのときは母に頼んで携帯をお風呂まで持ってきてもらって、上司に、「リンスが終わったら行きます」と報告して、それでタクシーの中で髪を拭きながら、地震研に向かいました(笑)。こういうこと自体は私にとっては全く問題のないことです。少しでも早く正しい情報を発信するために、報道の方ともコミュニケーションを取りながらやっています。
次は悩み。年間3000万円以上の研究費をもらった研究者はアウトリーチが義務とされています。それで国民の皆さんは、地震研に大きな期待をかけて、教えてくれと言う。地震研の中の心ある研究者がそれに応えて、自分の研究を高校生に教えてあげましょうと、出前授業などをするとします。ところが国民の皆さんが求めているのは、たぶん、地震はいつ起きるのか、次の地震で私は死ぬのか、といったことなんです。授業や講演自体は面白かった、あの先生は面白い先生だ、良い先生だと喜ばれるのですが、皆さんが本当に知りたいことに応えることも必要なんですね。それを組織的にやるために、地震研は広報アウトリーチ室というのを作っていて、私がそこの教員なんです。これが目的・目標です。では、そのためにどういう戦略を取るのか。これを決めないと、360度モグラたたき状態で、来た質問にひたすら答え続けることになります。今の科学コミュニケーションは、これを、めくらめっぽう射ちまくるという状態になっているような気がします。とりあえず360度モグラたたきはこれで良しとして続けながら、誰かが根本的な戦略を考えていかないとまずいんじゃないかなというのが、私の問題意識です。
室山:なるほど。国民から、いつ地震が起きるんですかと聞かれたときは何と答えていますか。
大木:それはしょっちゅう聞かれます。「先生、先生」とか呼びとめられて、「はずれてもいいから教えてください」とか(笑)。これについては、はっきり申し上げています。「科学として、いつ、というのは予知できません」と。それは、健康体の30代女性である私が、いつガンで死ぬか教えてくれと医者に迫るのと同じことです。健康な人を見て、そんなことは言えないわけですよね。ただ、女性の平均寿命から見て、例えば30年後の60代で、このくらいの確率でガンを発症するでしょう、ということは言えるわけです。実は地震学はそれをやっています。これは、文科省を通して皆さんに公表していますので、そちらをご覧くださいというふうにお答えしています。
室山:そう答えたら、マスコミは何と言いますか。
大木:報道の方から直接聞かれることはあまりありません。科学部の方、皆さんご存じなのでしょう。結局は、そういう情報が国民に届いていないのだなという印象ですね。
室山:わかりました。研究者側と国民の間にギャップがある、というようなことですね。次は大河内さん、お願いします。
大河内:海洋研究開発機構の大河内と申します。1週間のスケジュールは、外向け用にモディファイしてあって、ちょっとカッコよくなっています。実際はもう少しドロドロしてます。まあ、あんまり見ないでください。
これをまとめてみて初めてわかったんですが、アウトリーチ、全然やっていない。過去8年間、今の職場にいる8年間にどんなことをやったのかをまとめたら、いろいろなプレス発表だとか、一般向けの講演会、そういったものをやってきました。アウトリーチは研究者にとってもいろいろな長所があると思っています。村山さんのお話にもありましたが、とても基本的な事柄を考え直す契機になる。ところが研究者は皆忙しいので、なかなか時間が取れなくて、誰かほかの人やってくれないということを、中ではよく言っています。
でも、やればやるほど必要性を痛感するというのは確かです。こういう所でこういうイベントがあって、こんなにたくさんの人が来ているということ自体、私にとっては非常な驚きでした。でも、個人レベルでいろいろ考えると、他人の子どもを教えるのだったら、成績悪い自分の子どもに教えないといけないとか、いろいろあります。そういうことを突き詰めて考えていくと、どこまでやればいいのだろうというのがよくわからない。
科学コミュニケーションというのは、何か目的があって、それに対するプロセスなわけですね。社会の人が、我々専門家がやっている科学をちゃんと理解して、それがいろいろな形でうまく使われていくことが、おそらく、最終的な目標になるのでしょう。しかし非常に雑駁(ざっぱく)としていて、それではいったい何をやればいいの、どこまでやればいいのというあたりが、個人レベルになるとわからない。そこらへんが最大の悩みですね。
室山:大河内さんが人前に立ったりするときは、上役から、どこそこに行って講演しなさいとか言われて立つんですか。
大河内:いえ、そういうことはあまりないですね。相手から直接電話で依頼が来て、それに対応してるという形です。
室山:そこに行ったときに、どこまでしゃべればいいのか、限度がわからないという意味ですか。
大河内:私は、気候変動の研究をやっているので、そういったトピックについて話して下さいということが多いので、個々の依頼には対応できるのですが、トータルで見たときに、私たち研究者はいったい何%の時間を使えばいいのか。あるいは、1年あるいは10年レベルでどういうふうなものを目指してやればいいのか。目的がいまいちはっきりしない。そこが最大の悩みなのです。
室山:わかりました。次は岡田さんお願いします。
岡田:理化学研究所広報室の岡田小枝子と申します。
今は365日広報の仕事をしています。大学を出てから研究者、専業主婦、大学教授秘書、医療系のライターを経て今の仕事をしております。こういう仕事をする動機となったのは、専業主婦時代に主婦仲間でのお茶飲み話で、「岡田さん、何やってるの」と聞かれ、自分が前にやっていた研究の話をしました。すると、「高校の先生の生物の話は全然わからなかったけれど、岡田さんの言うことならわかる」と言われて、新聞の科学記事もあんまり面白くないし、専業主婦としてはまったく科学の話題から遠のいてしまったという反省もあって、研究機関からダイレクトに伝える広報の可能性に興味を持ちました。
私の1週間は、科学コミュニケーション三昧の毎日です。理化学研究所に入ってからの仕事を具体的に紹介します。これまでのメインは海外向けの広報でした。英文の広報誌を発行したり、海外のジャーナリスト向けにプレリリースを配信したり、国際イベントに出展したり、ということをやってきました。
それと並行して、20代、30代の女性を対象にしたイベントを企画しました。理系サイエンスセミナーがそれで、書道家の武田双雲さん、芥川賞作家の平野啓一郎さんといった異分野の専門家をお呼びして、場所も科学館ではなく六本木ヒルズのアカデミーヒルズでのトークイベントを開催したり、表参道や銀座のギャラリーで研究画像を満載したサイエンスアート展を開催しました。理系サイエンスセミナーの参加者は、30代の女性が中心でした。
あとは、研究所一般公開でのサイエンスカフェ。日本ではありがちな、ミニ講演会みたいサイエンスカフェではなく、新しい試みとして、畳で車座になってやるサイエンスカフェを開催しました。子供向けのイベントとしては、このサイエンスアゴラで誕生した着ぐるみの「シロアリン」を使った子供向けの環境教室なども企画してきました。
あとは、レポートを作成したりとか、メディアのテレビ制作会社に売り込みをしたり、広報誌に隙間記事を書いたり。研究者向けには、上手に科学コミュニケーションをしていただく参考にしてもらうためのメディアトレーニングを試しに実施したりしています。以上です。
室山:悩みを言ってください。
岡田:悩みごとは、どのように、どうやって、どこまで広報したら、国民の皆さんと信頼関係が築けるか。科学の研究にお金を出してもいいよ、遺伝子組み換えのような研究をしてもいいよと皆さんに納得してもらえることがゴールだと思っていますが、そのための方法について悩んでいます。それと、研究者の科学コミュニケーションをどうやってサポートしていったらいいかが、広報官としての悩みです。
室山:それは、今はまだ信頼関係が築ききれてないという感じだからですか。
岡田:局所的にはできていると思います。広報のイベントなどに参加していただけている方たちとは築けているのではないかと思っていますが、それが国民全体の何%かということですね。どこまでの人にどれだけ築いたらいいのかがわからない点です。
室山:どこまでいけば、成功だと思っていますか。きりがないと思いますけど。
岡田:理研の知名度をインターネットの調査で調べたところ、50%くらいでした。その一方で、理研から出たベンチャー企業の理研ワカメの知名度は70%でした。ドレッシングを作れば、7割くらいの知名度になるのでしょうけど。
室山:知っていれば、信頼関係ができますよ。
岡田:知名度がある、知ってもらっているということと、信頼関係があるということは違います。でもまずは、知ってもらうことでしょうね。
室山:わかりました。次は福田さん、お願いします。
福田:首都大学東京の福田です。この中で、たぶん、普通の大学の先生に一番近いと思います。ですので、基本的には、授業あり、大学院生指導あり、事務の仕事ありです。普通の週だと、だいたい土曜日にアウトリーチをやっている状態です。それが夏休みになると多くなります。
私がアウトリーチ活動をするようになったきっかけは、理系の女性研究者を増やすという目的で夏休みにやっている、「女子中高生夏の学校」です。今年で6回目になりましたが、そういう活動が入ると、かなりの時間をアウトリーチにとられるようになります。それと、首都大学東京の特徴として、主に東京都の高校の先生との関係が深くて、それに関係した活動もいろいろやっています。海外の女子高校生にアウトリーチをする活動もしています。
アメリカのTOP30の大学・研究所の研究者を対象に、自分が科学を選ぶにあたって最も影響されたことを調べた調査があります。それを見ると、親が科学者だとか小学校の授業の影響力は小さくて、中学高校での体験が重要なようです。あとは、カール・セーガンの影響を挙げる人が多かったようです。
今、たくさんの高校の先生方と知り合いになって、高校によく呼ばれるのですが、時間がとれないのが悩みです。全国から呼ばれても行けない。個々人の趣味ではなく、全体で効率よくまわしていく態勢が必要なのではないかと思っています。それが今の私の悩みです。
室山:なるほど。今の日本に、カール・セーガンはいますかね。村山さん以外で。
福田:すいません、私はテレビを見ないので誰がテレビに出てるかわからないんです。
室山:出版の人でもいいんですよ。
福田:私が知ってる人だと養老先生ですかね。
室山:わかりました。皆さんの1週間をまとめてみたら、大木さん、岡田さんは、相当アウトリーチに時間を使っていらっしゃる。皆さんの一日を見ると、とても忙しくて、土日に一般向けの科学コミュニケーターとしての活動とかをやっていて、なかなか休みも取れない中で奮闘していらっしゃる。想像ですけど、相当お疲れになっているのだろうなと思います。時間が無いというのも本音だと思います。
これからディスカッションに入りたいと思いますが、私が聞いたら、指されなくても言いたい人が手を挙げてしゃべっていただくという形で行きたいと思います。
今日のテーマは科学コミュニケーションなのですが、そもそも科学コミュニケーションという言葉自体もよくわからない。一般の市民と研究者を繋ぐということがなぜ必要なのか。そこをもう一度、確認しておきたいのですが。なぜ、何のために、こういうことをして伝えなければいけないのか。研究者から言うと、伝えて予算を取るということもあるかもしれないし、社会のために研究の意図を国民に知らせるということもあるかもしれない。国民の側から見ると、今のサイエンスは五感で確認できないところでいろいろなことが起きてるので、よくわからない。わからないまま世の中が動いていくことへの不安から、知りたい。リテラシーのようなこととして、市民側は知りたいかもしれない。マスコミは、商売ということもあるだろうし、もっとピュアな動機もあるかもしれない。そんなふうに、立場ごとに違うと思いますが、なぜ、今の時代において科学コミュニケーションが必要なのか、どなたかいかがですか。
浅川:僕自身は、研究所に入った時にまず、公務員の新入研修みたいな場で、「アカウンタビリティ」ということを言われました。要は、先ほど村山さんのお話にもあったように、税金を使ってやっているからには説明責任がある、きちんと説明しなさいと言われました。まずは家族から始めて。税金を出している人たちに対する説明責任を果たすというのが、僕の研究者の立場としていちばん大きなモチベーションだと思います。
室山:むしろ一種の義務だということですね。
浅川:そうですね。最初は義務から入ってます。
福田:私が習った科学史では、科学者は昔は趣味でやっていたけれど、それがプロの科学者になった過程で、科学者は自然に対する好奇心を追求する仕事を、それができない人たちの代理でやっているだけなのだから、社会に伝える義務があるということでした。税金で研究しているということもありますけど、プロとしての義務というか、それよりはもうちょっとロマンティックな活動なのではないかと考えています。
浅川:税金は使わずに民間会社で研究している方は、作った製品のプロモーションは広報室やコマーシャルがやってくれたりするので、これは税金を使ってるからこそ発生するような問題なのかなとは思っています。
岡田:欧米からの流れを受けている面はあると思います。科学が社会的な問題になるようになって、メディアなどを通じた間接的な情報の送信や政府からのトップダウンの通達だけでは足りない。研究者自ら市民に信頼してもらうための活動をしなければいけないということで、盛んになってきた。日本でもその流れを汲みとっているということではないでしょうか。
室山:それをやらないと、リスク管理ができない。
岡田:そうですね。信頼関係が築けないから。
室山:大木さんは地震の情報発信をやっていらっしゃいますけど、どうなんですか。
大木:はい。私の分野は災害科学なので、比較的わかりやすいと思います。命の情報に関わる研究ですから。特に日本は地震国なので。そのための説明責任ももちろんあるのですが、個人的にやっていて面白いということもあります。
1つは、防災の意識を促す。これは国民一人ひとりのリスク管理ですよね。その助けになるようなことをする。もう1つは、予算をもらって研究しているのに、実際の地震で予知ができないこともある,というか,すぐに予知をすることは不可能です。その時に「なんだ,税金使いやがってまだできないのか!」と,とたんに予算が切られては,この先の社会全体の損になります.これを未然に防ぐための自分たちのリスク管理をしたいと思っています.つまり,地震科学は基礎科学で会って,まだ応用できる段階にない。地震研のすべての研究者が地震予知の研究をしているわけではない。でも基礎科学というのは、思わぬところで予知につながることだってあるのです。そもそも、地球科学という分野はこういうものですよ,ということを正しく伝えていくことで、私たちがコントロール不可能な突発災害の影響で予算の大きな変動を受けないように、分野自体を安定的に存続させるためのリスク管理としての科学コミュニケーション。私は広報担当の研究者なので、私自身は他の先生方よりも,それを意識してやるようにしています。
岡田:たとえばBSE騒動などの教訓から思ったことは、研究者自身も自分の研究が社会的にどういう位置付けになっていて、どういうふうに受け取られているのか、本当に理解してもらえるのかということを肌で知ってもらうことが大切なのではないかと思います。アウトリーチを日本語にすると何、どういう意義があるのと聞かれたらどう答えると、ある同僚に聞いたところ、「あなたのためだから」と答えればいいと教えられました。アウトリーチをやる半分は、送信も大事ですけど、研究者自身のためにやることという考え方も重要かなと思っています。
福田:大学の側から言わせてもらうと。大学の先生を個人的に知ってもらうと学生に来てもらえることです。特に高校の先生に、「あの大学にはいい先生がいるよ」と言ってもらうことで、優秀な学生に来てもらいたいということもあります。もちろん、それだけでやっていては駄目だと思いますけど。
室山:現在は、研究者の方々は全員に科学コミュニケーションが課されているのですか。それとも、組織の中の誰かがやればいいのですか。
岡田:どうしても、お話が上手な方とかに限られてしまう、というところはあります。ただ、理研として推したい分野では、誰かに話してほしい。あるいは、若い研究者などの論文が「ネイチャー」誌に出たりすれば、その人にどんどん取材が来て、ある日突然、話をしなければいけないという場合もあります。
室山:嫌がる先生もいるでしょう。話下手で、シャイな人とか。
岡田:嫌がる先生もいます。何でそんなことしなきゃいけないの。僕は忙しいのに、って。
室山:そういう場合はどうするんですか。引っ張り出すんですか。
岡田:おっしゃることはわかります、でも、と言って、粘り強く説得します。今は研究者の方に広報していただいているという立場、スタンスなんですけれども、本当はそうではないでしょうと言いたい。本当は、二人三脚のパートナーとして、広報と研究者が一緒に研究とか科学の存続のためにやっていくべきだと思っています。
室山:そのへんは、岡田さんの人間力でだんだん前に引っ張ってくるわけですね。そういうことを確認したうえで、いくつか議論の柱になりそうな事柄をまとめてみたいと思います。僕から見て、職業柄いちばん気になったのは、大木さんの予知の話が入り口としてはいいかなと思いました。できない予知をどう伝えるか、皆さんの問題意識もまとめると、一般市民、あるいはマスコミと研究レベルとの間にある大きなギャップをどう埋めていくか。何を、どこまで、どう伝えることで、求めている人たちのニーズに応えればいいのか。その際の壁は何か。そこでいちばんやりやすいマスコミあたりから、始めましょう。
マスコミと付き合っていて、すごいギャップを感じたり、何でうまくいかないのよと頭に来たりされることもあろうかと思うんですけれど。意見をお願いします。
大河内:その前に、ギャップについて。中学、高校、大学の教養で学ぶ範囲は、ここ半世紀ぐらいほとんど変わっていない。ところがサイエンスの方は、この50年にすごく進んだ。それで、大学院くらいのレベルになると、研究室に入って最先端の仕事をやることになる。その結果、真ん中に知識のギャップみたいな部分ができてきて、そこが年々拡大しているという現状があると思っています。だからこそ、その間を繋いでくれる人が必要で、それをやってくれるのが、たぶん、サイエンスコミュニケーターと言われる人たちだと、私は期待してるんですよね。
福田:生命科学の分野では、幹細胞(ES細胞)、山中さんのiPS細胞をめぐる問題があります。ES細胞にしてもiPS細胞にしても、確かに将来性はあるのですが、万能細胞という、科学的ではない名前を付けたがゆえに困っています。私たちがその話をする際は、まず最初にこの細胞がいかに万能でないかという話からしなければならない。単純化をすることはとてもいいことだと思うのですが、微妙に嘘っぽい単純化をされると、まずこれは嘘ですとういところから入らなければならないのがちょっと悲しい。正確には、たくさんの物に分化できる能力を持つという意味で多分化能を持つと言うべきなのですが。
単純化して目を引くということと、正しい知識とのバランスをどう取るか、難しいところですね。
室山:僕はもともと科学番組部のディレクター、プロデューサーをしていました。人体とか脳のCGを作るときに思ったのは、複雑すぎると伝わらないということ、単純化すると嘘になるということ。単純化はするけれど本質が伝わらなければいけない。そこの按配がとても難しい。たとえば、CGで、脳の中を人がピューと飛んだり、脳内物質がピュッピュッと出たり、アドレナリンはピンクにしたりとか。何か色を付ければわかりやすいけれど、実際は付いていない。そうすると、見ている子供は、脳の中のイメージとして覚えてしまう。進化の番組などでも、まるで見てきたようなCGを流すけれど、本当に正しい情報が伝わっているのかどうかはわからない。だけど、すごいインパクトがある。テレビのディレクターも、たぶん記者も、その狭間で迷っていると思う。そこでいろいろなことが起きてると思うのですが、実例とか、具体例かあったらお願いします。
大河内:テレビあるいはマスコミの方と付き合っていちばん思うのは、確かに、発表する時はかなりシンプルにしなければいけないというのはわかるけれど、いつもポイントがちょっとズレる。それがいちばんのフラストレーションです。
室山:特定の社がそうだ、とかありますか。
大河内:いや、ほとんどの所がそうですね。口酸っぱく言っても、結局、ズレたまま出てしまったというケースが多いです。シンプルにしなければいけないというのはよくわかっているのですが、それをするとちょっと嘘が入るというのも織り込み済みで、やるのですが、大概は「あれっ?」というズレたところが出てくる。
室山:具体的には?
大河内:実はつい1週間ほど前にプレス発表をやりました。海の中にすんでいる、ある微生物がどういう働きをしているどうのこうのという話だったのですが、そのままではなかなか記事になりにくいネタだった。それは確かなのですが、新しいプロセスを発見したことが重要なのに、応用面の出口の話がすぐに出てきてしまう。
室山:せっかくの機会なので、もう少しマスコミ批判をお願いします。こういうときは岡田さん。

岡田:私は報道対応ではないので、具体例をすぐには思いつかないのですが・・・・・・。プレスリースはよく書き込まれているので、それほど誤報みたいなことはないと思います。ただ、大河内さんがおっしゃったように、ポイントがズレていたりとか、あれだけ取材をしたのにそれしか書かないの、といった文句は研究者からよく聞きます。
室山:私の実感を、図に描いてみましょう。科学コミュニケーションとは、市民と研究者の間を繋ぐんですよね。これ、研究の中身によってはストロークがすごく長い。マスコミのなかでも特にテレビなんか大衆向けですから、科学コミュニケーションといっても、ずっと市民寄りで仕事しているようなものです。その辺をうろうろしている。で、研究者寄りに行くと、だいたいわからない。難しすぎて。おそらく、一言で科学コミュニケーションと言っても、こっち寄りの仕事をしてる人もいればあっち寄りでやっている人もいるかもしれない。
そこで結論を急ぐと、ぼくの印象では、両端を繋ぐシステムがない。テレビの人たちは、たいてい文科系出身なので、研究者寄りのことはわからない。そうすると、そっち側で専門家のことをよく知ってるAさんを見つけてその人に聞いて終わりにする。あっちの端までは、怖すぎてわからないので行かない。もちろん、両端を行ったり来たりできるスーパーマンはいるけれどとても珍しい。普通の記者とかディレクターにはとてもできない。それで、このあたりでお茶を濁すようなことになる。
科学コミュニケーションと一言で言うけれど、どこの部分でのコミュニケーションなのかという議論はあまりされていない。そこでぜひ言いたいのは、これを繋いでいくシステムがないので、その設計がとても必要だということです。
岡田:そうですね。そこに入るのが、サイエンスコミュニケーターとか広報官。この間、番組作りに参加して、ちょっと良いものになったなと思えたことがありました。科学にあまり詳しくないプロダクションの方と研究者と私が協力した。研究者には、テレビ制作者が何がわからないのかがわからない。どういう意図で番組を作ろうとしているのかまで、研究者の考えは及ばない。そこで私がその辺を理解して、間で通訳することで、まあまあの三人四脚ができたかなと思いました。
室山:今の意見で、会場にマスコミの人がいたら、何か一言。
会場:フリーで科学の記事などを書いたり、写真撮ったりしていました。今は大学の中で、ポスドクの人とかをサイエンスコミュニケーターとして育てる仕事の一部をやっています。室山さんの先程の図はなかなか的を射ています。そこを繋ぐ回路のどこの部分を担う人材が必要なのか考えないと、と今の仕事で痛感しています。
室山:ぼくを褒めるのではなくて、意見を言ってください。
会場:マスコミの中に、理系出身者が非常に少ないですよね。それがフラストレーションを生み出す1つの原因かなと思っています。大概、話の最初で、私は文系なので理科とか物理とかはよくわかりませんがという枕言葉が出てくる。世の中にこれだけポスドクが溢れているのに、必要なところに必要な人がいない。それが現実。それで、そういうギャップが大きくなっている。理系の人がマスコミにいれば、もう少しこっちまで寄ってこれるわけですよ。
室山:何で、理系の人がそういう所に入れないのでしょう。
岡田:1つは、大学でも、そういうのは目指していないですよね。ドクターコースに進んだ人にも、いろいろな道があるからいろいろなことをやりなさいと、もっと言うべきですね。理系だから文章を書くのは下手ですとか言っていたらだめですよと。科学コミュニケーションのトレーニングは、学部生のうちからやってもいいと思いますよね。研究者だけではなくて、早いうちからやった方がいい。今の人はあんまりやっていないですね。
会場:もしかしたら、サイエンスコミュニケーターというポジションの魅力というか処遇の問題かもしれないですね。最近の優秀な学生は、マスターで金融などに就職してしまってドクターコースに進まない。それと同じような感じで、サイエンスを伝えることの価値を浮揚できるような社会的仕組みがもうちょっとあればいいな、と思います。
福田:マスコミの方に質問なんですけど、マスコミの就職で理系枠ってあるのですか。
室山:理系枠なんて、ないですよね。
福田:マスコミに就職して、私は科学だけの道に進みたいと言ったら、それは許されますか。
室山:ぼくが科学番組部にいた頃は、理系出身者は半分くらいでしたね。今も同じくらいかな。もちろん博士もいますが、文系出身も結構います。世界的な賞を取ったリーマン予想のドキュメンタリーを作った人は、理系出身ですが、科学番組部ではない。全然違う番組をやっている人間が、鬱々とした中で出した企画が大ヒットした。いろいろ、いるにはいるんです。
福田:昔、新聞の方に来ていただいて話を聞いた時に、新聞は理系だから取るわけではないし、理系で取ったとしても高校野球とか書いてもらいますから、みたいな話でした。それじゃあちょっと、行きたくないかも、みたいな感じになりますね。
室山:理系を増やすというの、ぼくもよくわかるし、賛成なんです。けれど、1つ気をつけなきゃいけないのは、植物学者必ずしも名園を作れずということです。怒られるかもしれないけれど、理系、理系と偉そうに言うなと思うわけです。理系だったら何でもできるのですか。テレビ番組を作るのとは、全然話が違うんですよね。コミュニケーションという技術と、理系のことを知っているということは違う部分がある。先ほどの村山さんは稀有な例で、あんなにすばらしい話をする理系の人なんて、そうはいないでしょう。ああいうふうに両方持っている人はいいですけれど。だからと言って、文系の人間がそれを隠れ蓑にしてはもちろんいけない。ぼくとしてはそう言いたい。
大木:マスコミというのは、おそらく、スペシャリストを作るところではなく、ジェネラリストを作るところで。だから、社会部に入ったり、科学部に入ったりというところに価値があると私は思っています。なので、文系の方が地震担当になられても、私はそれで苦労したことはとくにないですね。
もう1つは、村山さんのお話に共感という言葉が出てきましたけれど、それと同じように、研究者の側も、批判するばかりでなく、自分のことを伝えてくれる側に共感を持つことがすごく重要だと思っています。研究者の側も出ていかないと。たとえば、研究者のなかには、新聞を自分たちの広報誌だと思っている人たちがあまりに多い。彼らは彼らの商売であれをやっているわけであって、ちょっと違うふうに書かれたからといって怒るのはおかしなことです。自分たちが伝えたいことは、自分でお金をかけて広報誌を作るべきです。
それを踏まえたうえで、月に1回、私たちはマスコミとの勉強会を開いています。マスコミの方ばかりではありませんが、科学部の方がほとんどですが、地震の場合は社会面も多いので社会部の方にも来ていただいて、面と向かってお話をする会を月に1回開いています。あとは、こちらがどんどん学習する必要もある。たとえば、こんなことがわかったんですよ、すごいでしょう、という言い方もいいのですが、こうは書かないでくれ、こうは書かないでくれとしつこく言うことで、結局これしか書けなくなるという伝え方をしてみるとか。その辺は、広報の力の見せ所だと思います。研究者の先生にも、たとえばこういうふうに言ってみたらどうですかと言う。そういうことでも、歩み寄りができると思います。
もう1つは、地震の分野がわかりやすいのは、報道の方も私も研究者も、突発地震が起きた時は思いが1つになるからですね。この情報で1つでも多くの命を助けるという共通の目的を持つので、私は、マスコミに対するフラストレーションをほとんど感じていません。1つの使命に向かって、いっしょに、それぞれのツールでやっているという意識を持っています。
室山:なるほど。マスコミ以外の、一般の市民の方や学生相手のイベントなどで科学のコミュニケーションをする時の、ギャップの埋め方みたいな工夫は何かありますか。
岡田:私は、先ほどお話ししたように、ターゲットがいったいどういう生活をしていて、どういう情報を知りたがっているとか、そういうリサーチみたいなことはしますね。だから、30代の女性を集めたければ、女性雑誌などを見たりします。そういうことにも心を砕くようにしないといけないと思います。
室山: 次は、誰が伝えるのかという話題に行きましょう。全部の研究者がやらなきゃいけないのかどうか。話が下手だけどよい研究をする先生に会うと、痛々しく感じてしまいます。先生、もう出なくていいよと思ってしまう。先生は、その時間を研究に使った方がいい。そのほうが世の中のためだと思う。しゃべりが上手な人が出ればいいじゃないか。こんなことをしたら、この先生、研究意欲を失うのじゃないかと思ってしまう。これは誰が悪いのか。何かもう少しよいやり方がないのかなと思うのですが。
岡田:その辺はやはり、二人三脚でやらせていただければいいんじゃないかなと思います。間に通訳がいるということは、大事だと思います。
浅川:ある程度以上の予算を取っている研究者はアウトリーチをしなくてはいけないというのはチャンスかもしれない。コミュニケーション、しゃべるのがあまり上手ではない所には、それが専門の、たとえばポスドクのサイエンスコミュニケーターを育てて配置することで、雇用の機会を増やしてもいいのかなという気がします。
大木:国が本気で研究者にアウトリーチをさせたいのであれば、研究費が3,000万以上の人はアウトリーチをやれと言うのではなくて、研究費申請書でA4の両面にアウトリーチ活動の実績、自分が想定するアウトリーチ活動を書かせること。もう1つは、たとえば7,000万なり1億円なり取った人は、アウトリーチをやる人を雇えという仕組みにすること。3,000万円以上という条件だけだと、アウトリーチの質が落ちて終わるのではないかという懸念も私は持っています。
大河内:浅川さんと岡田さんとぼくは独立行政法人所属なので、どこもみな戦略的にやっています。広報課、報道室があって、すべてそこを通していろいろなことに対応するようになっています。しかし世の中の多くの研究者は大学に所属してますよね。大学は、決してそのようには組織化されていなくて、皆、勝手に広報に対応している。そういう状況なので話が違ってくる。ここで出た意見は独法よりの話かなという気がします。
福田:大学には大学なりのへんな事情があります。ある高校から広報室に、たとえば福田先生に講演に来てもらいたいと言ってきた時に、あそこの高校から合格者が出たことはないから行かなくていいです、とか言われたりする。それはちょっと違うでしょうと思いますが、大学という組織にとってはそうなんでしょうね。ちょっと微妙なところがあります。
村山:アメリカでは、何らかのブローダーインパクトという提案をしなくちゃいけないということを言いましたが、あれは、いわゆるアウトリーチじゃなくてもいい。たとえば、研究者が高校の先生に、最先端の科学についてこういうテーマやデータがあるから学生にこういう宿題を与えたらどうかと教えてあげたりする。それから、高校とか中学の学校に実際に行って、そこの実験器具を整備してあげるだけでもブローダーインパクトになります。講演だけじゃなくて、それ以外にも別のやり方があるのです。そこでメニューみたいなものが提供されていれば、誰にもできることが必ずあると思います。全員に一般向けの講演をやれと言っても、それは確かにうまくいかない。しかしアウトリーチのメニューがあるといい。たぶん、お役所にはできないと思うので、研究者もいっしょに考えて、こういうことができるんですよということを発信していく必要があるのではないかなと思いました。
室山:なるほど、なるほど。会場に文科省の方おられますか。文科省とか、その筋の方。JSTの方は? JSTの立場で、一言お願いします。
JST:お話にあったように、研究者と市民との間は非常に広いので、間をつなぐコミュニケーターがいまや不可欠だと思います。どうやってやるか、真剣に考えなくてはいけない時代にきたということだけ言っておきます。実際にやります。
岡田:メニューについては、欧米ではガイドラインが用意されていますよね。NPOだったり、政府の団体だったり、そういうのですけれども。通達があると同時に、ガイドラインも提供されていて、どういうふうにやればいいのかということが、研究者にわかるようになっている。JSTやお役所が用意しないのであれば、私たちがやらなければいけないかもしれないと、広報担当者仲間で話しているところです。
室山:はい。もう時間が参りました。
まとめとして、皆さんに、キーワードとして、これから素敵な科学コミュニケーションを進めていくうえで、自分はこれがいちばん重要だと思ってることをキャッチコピーで書いていただきます。皆さん、科学コミュニケーターなので、どのくらいの能力があるか、見さしていただくということで、キャッチコピーにしました。書けた方、手を挙げてください。
大河内:私は、「共感」です。アウトリーチというのは1つの形である。結局は、我々はこんなに楽しいことをやっています、世の中にはこんなに面白いことがありますよということを知らせる。知らせることで、相手もそれに共感してくれたら、私もハッピーになる。そこがキーかなと思っています。
福田:伝えるのは、「研究と生き様」です。若い子が特に注目するのは、すごく面白そうだということ。話下手でもパッションを感じてもらえるのが重要かなと思います。研究者を増やすには、研究が面白いだけではなくて、あの人、面白そうに暮らしてるということを知ってもらうことが大切。
岡田:コミュニケーションにより、歩み寄り、理解し合うことで、「科学で豊かな社会を」ということですね。ちょっと古いけど。
大木:組織としての戦略的な広報としては、地震予知に対する「過剰な期待と誤解の解消」ですね。ハイ、ちょっと硬すぎたので言い直します。ブラジルでは道端でサッカーをやっている子でも上手ですよね。ならば、たとえば地震を初めて体験してびっくりしている外国人に向かって、日本の子どもたちが、「今のはだいじょうぶだよ、たいしたS波じゃないから」とか言っちゃうくらいのところまで、日本人の地震リテラシーを持っていきたい。それが私の夢ですね。
浅川:「共感」というのを考えたんですが、大河内さんに言われてしまったので、繰り返しになりますが大事な課題として、「ポスドクに未来を」ですね。研究者を目指す人たちの未来がないと、あとが続かないし裾野が広がらない。そこら辺から解決していかないといけないと思います。そこが、科学コミュニケーションにつながるのではないかな、と考えてます。
室山:ありがとうございました。ちょっと時間不足で、予定の3分の1の議論もできなかった感じです。ただこれがきっかけになって何かの議論が始まればいいと思います。先ほどの、最後の浅川さんのキーワードを見てぼくが個人的に思うのは、若い科学者が育ってもいないのに科学コミュニケーションはないだろうという、そんな状況に僕も怒りを感じます。
NHKで、非常に不届きな管理職が、若い人に対して、体に気をつけて死んでも頑張れと言った人がいました。タイムカードはつけるな、だけど頑張れ、体に気をつけてね、と。こういうダブルバインドの状況というのはいたるところにあります。今のこの、科学コミュニケーションを取り巻く状況の中にも、たぶんあるでしょう。それには縦割り行政だとかいろいろなものが絡んでいて。形を整えれば成功とみなす悪い風土があるのかもしれない。我々は何のために科学をやっているのか。なんで、日本が世界の中で尊敬される国にならなきゃいけないのか。どうやったら、なれるのか。それをどうやって作るのかというのが重要なのに、形だけでできた気になりながら、日本は沈没してきました。今もそれが続いている。やはり、下から湧き上がってくるようなパワーを作らなきゃいけないという意味では、浅川さんの言われたようなものも含めた科学コミュニケーションの議論、システムとしての議論をしないといけない。結局何も変わらないということを私は恐れます。
そういうような形のグランドデザインを、ぜひ、国のほうも、JSTも書いてほしい。その中での位置づけをして、今日まさに村山さんが言われたように、この話を聞いてくれ、こんなに面白いんだよと生き生きと話してくれる現場の人が出現するような環境が求められているわけです。それをするには、どうしたいいのかを考えていかなければいけない。今日は、お話聞きながら、そういうことをとても強く感じました。
今日は、これをきっかけにいたしまして、出た方々皆さんは友達になっていただいて、育てていただければと思います。時間が、予定よりも5分押してしまいました。申し訳ございませんでした。以上でございます。ありがとうございました。パネリストの方々に、拍手をお願い致します。