信頼は、法令を守るだけでは生まれない 「デジタル社会におけるデータとトラストを考える」第1回開催報告

2026年9月8日

写真:会場の様子。発言する参加者

ビジネスや研究などのあらゆる場面において、データの利活用が当たり前になった現代。しかし、データを安全に活かすために必要なのは、単なる技術上のセキュリティだけではありません。データを扱う人、組織、そしてサービスに対するトラスト―信頼―をいかに形成できるかという点が、今あらためて問われています。

2026年7月27日、科学技術振興機構(JST)の社会技術研究開発センター(RISTEX)は、全3回のシリーズ企画「デジタル社会におけるデータとトラストを考える」の第1回を開催しました。個人・地域・国という3つの視点でデータとトラストの関係を探る本シリーズ。その初回となる今回は「個人」を起点に、個人情報・プライバシーをめぐるトラストについて、社会を対象とした研究開発の現場から考えるものです。行政・法務・研究・臨床それぞれの第一線で活躍する登壇者が集い、法制度と現場の実践のあいだに横たわる課題について、熱のこもった対話を繰り広げました。

写真:会場の登壇者。左から湯淺 墾道氏、小川 久仁子審議官、板倉 陽一郎氏、黒河 昭雄氏

なぜ、いま「データとトラスト」なのか

RISTEXは20年にわたり、自然科学と人文・社会科学の知見を融合させながら、現場での社会実験を重ね、具体的な社会課題の解決に取り組んできた機関です。そのRISTEXに2023年度に設定されたのが「SDGsの達成に向けた共創的研究開発プログラム 情報社会における社会的側面からのトラスト形成(デジタル ソーシャル トラスト)」です。

開会にあたり、本プログラムの総括を務める湯淺墾道氏(明治大学教授)が登壇し、企画の背景と目的を語りました。デジタル ソーシャル トラスト プログラムでは、情報社会の「トラスト」にまつわる社会課題のメカニズムの理解・課題把握から対策の開発、社会実装に向けた取り組みを包括的に実施しています。現在11の研究開発プロジェクトが推進されています。

湯淺氏は「社会や人間を直接対象とする研究開発であるため、個人情報などのセンシティブなデータの扱いに悩む研究者が少なくありません。研究開発成果を社会実装する過程で『研究目的』から『事業目的』へとデータの使い方が変化する難しさもあります」と指摘。そうした研究現場の困りごとに応えるべく、RISTEXではプログラムを横断してデータ管理を検討する「データマネジメントアドバイザリーボード」を設定して、共通する課題の整理や教材開発を進めていると説明しました。

本シンポジウムは、「デジタル ソーシャル トラスト」プログラムと、「データマネジメントアドバイザリーボード」が連携して企画したもので、第1回となる今回は、個人情報・プライバシーをめぐる法制度の最新動向と現場の実践をつなぎ、個人に関するデータの「トラスト」の形成を考える機会として位置づけていると述べました。

改正個人情報保護法は何を変えるのか

続いて、個人情報保護委員会事務局の小川久仁子審議官が登壇。2026年7月に成立・公布されたばかりの改正個人情報保護法について、公の場で公布後初めて解説を行いました。

学術研究における個人情報の扱いは、国際的動向を考慮して、かつての全面的適用除外から、2021年に例外規定の精緻化へと進んできた経緯があります。今回の令和8年改正は、4つの柱で構成され、主な改正点は次の通りです。

  1. 適正なデータ利活用の推進
    • 統計情報等の作成(統計作成等であると整理できるAI開発を含む)のみを目的とするというガバナンスの確保があることを条件に、個人データ等(要配慮個人情報を含みうる)の第三者提供や、公開されている要配慮個人情報(病歴や信用など、取扱いに特に配慮が必要な情報)の取得について、本人の同意を不要とする特例を新設。
    • 医療機関全般を「学術研究機関等」に位置づけ、学術研究に関する例外規定を使える対象を拡大。
  2. リスクに適切に対応した規律:16歳未満の子供のデータや顔認証データの扱いを法定化。
  3. 不適正利用等の防止:個人関連情報の不適正利用や不正取得を禁止。
  4. 規律等の実効性の確保のための規律:悪質な違反に対する課徴金制度の導入。

小川審議官は「データ活用への信頼にはガバナンスと透明性が欠かせない。官民で連携し、納得感のある運用ルールを育てたい」と今後の抱負を語りました。

「学術研究例外」への理解の促進を

法律という枠組みが整う一方で、現場で運用する際の手続きにはどのような注意点があるのでしょうか。個人情報保護法に精通する弁護士の板倉陽一郎氏は、今般の改正に伴い、研究現場で直面しやすい論点を整理しました。

個人情報保護法には、学術研究を目的とする場合には本人の同意がなくても一定の範囲で個人情報を扱える「学術研究例外」が定められています。この規定があるからこそ研究は成り立っているにもかかわらず、板倉氏が特に問題視するのは、研究者が「本人の同意」と「学術研究例外」の区別を整理できていない点です。「『同意書があれば万全だ』と考えがちですが、その同意が無効と判断されたり撤回されたりした際、どの例外規定に頼るのかという視点が欠けています。また『本研究以外には使いません』と同意書に盛り込むと、法令上の学術例外すら自ら使えなくなってしまいます」と述べました。

さらに、自治体との共同研究では行政ルールが適用される点や、社会実装の過程でデータ提供先が企業へ変わると学術例外から外れる点など、社会を対象とした研究開発に特有の難しさも指摘。「研究の初期段階からデータの取得から活用までを見定め、早めに相談してほしい」と語りかけました。

信頼できる関係を、どうつくるか——医療・福祉の研究現場から

法的な整理に続き、医療・ケア現場のリアリティを伝えたのが、認知機能が低下した人の意思決定を研究する京都府立医科大学講師の加藤佑佳氏です。

医療・ケア現場での研究には常にジレンマが存在します。認知症高齢者らを過重な負担から守ることは前提ですが、保護を優先して一律に研究から排除すれば臨床に近いデータが集まらず、当事者や家族に還元できる知見が蓄積されなくなってしまいます。

この課題に対し、加藤氏は「同意能力」の捉え直しを提示しました。同意能力は「有るか無しか」の二分法ではなく、研究のリスクや体調、説明の分かりやすさで変化するグラデーションのある概念です。しかし現実には、研究参加に関する説明文書が10ページ前後に及ぶこともあり、説明文書に基づく説明と署名だけでは、本人がどの程度理解しているのかを十分に確認しきれないケースもあります。

また家族等による「代諾」も、必ずしも本人の最善を代弁できるとは限らないため、本人が研究への参加を受け入れているかの丁寧な見極めが欠かせません。オプトアウトによる同意も含め、加藤氏は「単なる書類上の同意や形式的な情報公開にとどまらず、本人や代諾者に情報が届き、理解・納得し、拒否できる機会を実質化することが、当事者との信頼関係を支える上で重要だ」と訴えました。

社会技術としてのトラスト——実装ギャップを乗り越えるために

続いて指定討論に立った神奈川県立保健福祉大学講師の黒河昭雄氏は、ここまでの議論を「テクノロジーと制度の速度差」を意味する「ペーシング問題」という概念で整理しました。

技術やデータ活用が加速度的に進む一方、制度の更新は遅れがちになり、生じたタイムラグや矛盾を現場がリスクとして抱え込んでしまう構造があります。黒河氏はこのギャップを埋める営みこそが「社会技術」であるとし、トラストの構造を以下のように整理しました。

  • 必要条件:法律や制度に適合していること(法令遵守)
  • 十分条件:現場での実行可能性、本人の実質的な理解や納得

黒河氏は「法令遵守という『必要条件』だけに縛られれば、手続きばかりが増えて現場の活動が停滞してしまう。現場の実践知を制度設計やガイドラインに反映させ、現場の努力だけに負担をかけない『仕組みとしてのトラスト』を築くべきだ」と提起しました。

パネルディスカッション:手続きから、関係性へ

写真:登壇者。会場の4人とオンライン参加の加藤 佑佳氏

パネルディスカッションでは、湯淺氏の進行のもと、登壇者全員による対話が行われました。

まず「人々が安心して個人情報を提供できる環境をどうつくるか」という問いに対し、小川審議官は制度の正確な理解浸透、事業者のガバナンス徹底、丁寧な施行準備、そして社会の役に立っている「好事例」の積極的な発信という4つの取り組みを提示しました。

続いて議論は、認知的に困難を抱える人の同意の問題へと展開していきました。

板倉氏は「本人と十分にコミュニケーションが取れていない親族からサインをもらうやり方などは、責任を回避するためだけの形だけの作業だ」と指摘。「そうした紙を集めることに時間を使うくらいなら、どのような説明を行ったかを客観的に記録として残すか、倫理審査委員会が条件を確認した上で同意取得を免除する判断を下す仕組みへ移行する方が理にかなっている」と述べました。

黒河氏も「現場に無理な同意取得を求めると、一括取得などの形式的な処理を生んでしまう。運用の構造問題であり、実行可能性を考えたルール作りが欠かせない」と応じました。小川審議官も、ネット上の利用規約のように長文で漫然と同意を求めるのではなく、真に必要な場面で納得感を得られる仕組みへと変えていく重要性を共有しました。

同意が取りにくい場合の現場の工夫として、加藤氏は重要な点をキーワード化して伝える手法や、AIで要点をイラスト化する試み、VRを用いた体験的な説明など、前向きな将来的アイデアを紹介。質疑応答では、会場の参加者から「複雑な個人情報保護法を、義務教育で学ぶ知識で理解できる説明を」との強い要望が出され、小川審議官はガイドラインや事例集、Q&Aを通じた分かりやすい情報発信に取り組む考えを示しました。

おわりに:次回以降の展望

イベントの締めくくりとして、RISTEX企画運営室室長の大矢克氏が登壇しました。2022年に本プログラムの構想が始まって以来、生成AIの登場や偽情報問題などデジタル社会の状況は激変しています。大矢氏は「変化が激しいからこそ、多様な立場の人々が集まり対話を重ねる場の価値が高まっている」と述べました。

デジタル社会におけるデータとトラストを考えるシリーズ開催について

全3回で構成される本シリーズは、個人・地域・国際という3つのアングルから「データとトラスト」の未来を探っていきます。

第1回「個人情報・プライバシーをめぐるトラスト― 社会を対象とした研究開発の現場から ―」

アーカイブ動画・資料を公開しました

開会挨拶・趣旨説明
湯淺 墾道(明治大学公共政策大学院 専任教授/プログラム総括

個人情報保護法改正と学術研究について
小川 久仁子(個人情報保護委員会事務局 審議官)

研究開発現場と個人情報について
板倉 陽一郎(ひかり総合法律事務所 弁護士)

医療・福祉現場における研究開発~同意取得やデータ共有をめぐる現場の課題~
加藤 佑佳(京都府立医科大学 大学院医学研究科 講師)

社会技術としてのトラスト~法制度と研究開発の実装ギャップを乗り越えるために~
黒河 昭雄(神奈川県立保健福祉大学 ヘルスイノベーション研究科 講師)

パネルディスカッション

第2回「地域と育むデータとトラスト―行政での活用は進む。信頼をどう築くか―」(次回)

日時:2026年9月16日(水)14:00-17:00
内容:地域社会や自治体、コミュニティにおけるデータ活用と信頼の育み方を議論
※詳細はこちら

第3回:国際的なデータガバナンスとトラスト

日時:2026年度下半期開催予定

制度という枠組み(必要条件)のうえに、現場のリアリティや人々の納得感という十分条件をいかに積み上げていけるか。社会技術としてのトラスト形成に向けた挑戦は、まだ始まったばかりです。

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