第4回JST20周年記念シンポジウム開催レポート 特別対談

益川 敏英氏(名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構長)
聞き手:小沢 喜仁氏(福島大学理事・副学長)

「5年後、50年後、500年後の科学~あらためて復興を考える~」


名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構長 益川 敏英氏
名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構長
益川 敏英氏

福島大学理事・副学長 小沢 喜仁氏
福島大学理事・副学長
小沢 喜仁氏

 益川敏英名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構長と小沢喜仁福島大学理事・副学長による特別対談のテーマは「5年後、50年後、500年後の科学~あらためて復興を考える~」。難しそうなテーマとは裏腹に、戦後の復興期に過ごした小中学校時代の思い出、物理学を志すきっかけとなった恩師や本との出会い などのエピソードを交えた楽しい話題で会場を和ませた。とはいえ、言葉の端々に学問への厳しい姿勢が垣間見られ、研究者を志した当時の思いは、参加者にも十分伝わった。

 小沢氏の「研究者になったきっかけは?」という問いかけに、益川氏は「あまり参考にはならないが」としながらも終戦の翌年に小学校に入学、2部授業など貧弱な教育環境の中で学校の勉強はほどほどだったが、図書館に通いつめる「本のムシ」だったことがその後の学究生活に結びついたことなどを語った。また、小学校3年生 の時に一人一人の生徒の良いところを褒めて伸ばそうとするよい先生 に出会えたことなど、小中学校時代のユニークな経歴を披露した。

 物理学との出会いは、太陽誕生の背景に関わる星の知識を得たとき。太陽は宇宙創生期に生まれたのではなく、燃え尽きた星の残骸が宇宙に広がり、それを基に誕生した第2世代の星だということを知ったときだという。その後、『坂田模型』を提唱して素粒子理論を発展させた名古屋大学の坂田昌一博士に刺激され、大学進学を志した。ただ、親には強く反対され、ようやく1回だけの受験を認めてもらうと、見事そのチャンスをものにして進学した。


対談風景1

対談風景2

 大学ではさまざまな友人と出会う中で「高校の先生は知っててなんぼ」だが、「大学の研究者は分からなければ調べればよい」ことに気付いたという。大学2年の時は「60年安保闘争」と重なり、授業は少なかったものの、半面、じっくり勉強し議論する時間はとれたとのこと。

 ノーベル賞受賞の対象となった小林・益川理論のテーマは、『CP対称性の破れ』という難しい理論。当時の物理学では、宇宙の創生期に誕生した物質は消滅すると予想され、そうなると宇宙には物質が残らず、エネルギーだけの混沌とした世界になる。にもかかわらず、実際には宇宙は物質で満たされている。

 この議論は、この世の中がなぜ存在するのかという哲学とも結びつく内容だが、その秘密を解き明かしたのが小林・益川理論だった。誕生までには幾多の困難があり、説明できないとあきらめかけたこともあったが、あるとき浮かんできた一つの糸口から、ひもとくことができたという。

 「若者は努力する権利がある。努力、あこがれ、ロマンは若者の特権。人生の中で5年やそこいらは大したことではない。分からなかったり、迷ったら、遠慮なく引き返せばよい」。
 益川氏は、こう語って対談を終えた。

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