筋骨格・神経系発達シミュレーション

胎児・新生児の筋骨格・神経系発達シミュレーション

シミュレーション環境と胎児・新生児モデルの構築

認知発達の根本原理解明に向けて,赤ちゃんシミュレータの開発と発達シミュレーションの研究を進めました.
人間の新生児は生まれたときからすでに,ある種の認知機能が備わっているように見えることが確かめられていますが, このような振舞の原理を研究するためには発達のごく初期,特に出生前後の発達過程についての研究が欠かせません. これを当プロジェクトの基本理念である身体性認知の観点から認知発達の根本原理解明とモデル構築を推進するため, 胎児・新生児期の身体・神経系および環境のシミュレーションモデルが必要になりました.


図1 胎児・新生児モデルの身体構成


図2 自由形状による胎児モデル


図3 自由形状による幼児モデルの振る舞い

 徹底した文献調査および医学・生理学研究機関(東京女子医大,理化学研究所等)への実地調査等を行い, 必要な生理学的データを収集した上で,形状は球と円柱で近似されていたものの, 胎児・新生児の質量等の身体パラメータや筋骨格系の主要部を精密にモデル化した198個の筋を持つ全身身体モデルと, 筋紡錘や腱器官等の感覚器のモデルを開発しました(図1) [Kuniyoshi2006][寒川2006]. さらに,実際に近い触覚情報を得るために,剛体であるものの身体形状を胎児・新生児に模したモデルへと開発を進めました. このモデルでは約1500点を超える触覚検出ポイントを均一分布や二点弁別閾に応じた分布に配置し,振る舞いを比較することができます. これにより新生児では壁や床などの環境や自分の身体への接触を検出することができ,胎児の子宮内環境として羊水・子宮壁からの触覚情報を研究に活用する事ができます(図2,図3) [森2008]. 胎児・新生児モデルは出生前後の時期に合わせた身体パラメータのモデルを生成することができ,連続的な身体変化に沿ったシミュレーションを行うことができます.
このような胎児・新生児のシミュレーションモデル構築は,世界的にも例がありません.

シミュレーションモデルは認知発達の研究基盤として研究グループ内で活発に改善され,複数のテーマで使用されました. 胎児から新生児までの運動発達を脊髄延髄系の神経振動子による身体運動(ジェネラルムーブメント)から得られる感覚・運動情報を通した神経系結合構造の自己組織化と行動の分化という観点から研究を行い, 多くの重要な成果を得ました.以下では,胎児から新生児への発達に従って成果を報告します.

胎児・新生児の発達シミュレーション

まず,胎児初期について,脊髄及び延髄の低次神経系によって発生するジェネラルムーブメント(一見無目的に見える乱雑な手足の運動) とそれに伴う触覚を通して神経系・身体・子宮内環境の相互作用し,自己組織化することで行動発達を導くとの仮説をシミュレーションにより検討しました. 大脳など高次の脳領域が脊髄系に接続されるのは早くとも16週以降ですので,触覚から神経振動子とアルファモータニューロンへ接続する脊髄内回路のみをモデル化(図4)して 子宮内を模した環境で動作させた結果,妊娠初期に現れる胎児の行動のうち独立四肢運動と手と顔の接触行動の現れを確認しました(図5) [森2009] [森2010] [Mori2010] [森2010]


図4 触覚を通して反射的行動を自己組織化する低次神経系モデル

図5 胎児シミュレーションの様子

妊娠後期から新生児にかけてのモデルとして,大脳モデルを構築し脊髄延髄系モデルと結合して,発達実験を行いました(図6).
その結果,大脳皮質における情報表現がこの感覚運動情報から身体構造を反映した形で自己組織化され,運動の傾向も変化することが確認できました(図7). 自己組織化された身体情報表現は,身体像や運動表象形成の初期モデルとみなすことができると考えられます [Kuniyoshi2006]. 大脳感覚運動野が自己組織化されるのに伴って,運動が単純化して行く結果が得られ,実際の新生児に見られるU字発達と呼ばれる現象と部分的に一致しました [金城2008] [國吉2010].


図6 脊髄延髄と一次体性感覚・運動野から構成される神経系モデル

図7 新生児モデルと神経系の結合により創発された寝返りとはいはい様運動

 脊髄・脳幹神経系により探索された運動を獲得・再現するための小脳モデル [Kinjo2008] [金城2007] [金城2008]を提案しました. これにより明示的な行動獲得させるための信号がなくても周期的な行動を獲得することができます.

胎児・新生児の目的志向性運動を感覚の制約に基づいた感覚運動統合の自己組織化の結果として捉える仮説の提案を行いました. 胎児の手と顔の接触運動は頭と手に敏感なヒトの触覚分布に基づく運動の偏り,ハンドリガードは視覚の存在する領域への運動の偏りとして統一的に解釈する事が可能になります. 乳児モデルによる実験では,脊髄・延髄・大脳モデルに視覚に基づいて神経修飾を行うモデルを提案(図8)し,視覚の制約を反映したモデルと反映していないモデルとの比較を行いました. その結果,視覚の制約を反映したモデルにおいてのみ,ハンドリガードとみなせる運動の時間割合の増加が観察されました(図9) [山田2010][Yamada2010]

 


図8 神経修飾モデルを伴う脊髄延髄・一次体性感覚野・運動野神経系モデル


図9 幼児モデルによるハンドリガード実験の様子

 海馬のシータリズムによる情報コーディングの側面から身体周囲の空間表現とリーチングとの関係についても検討しました.2~11カ月の乳児のEEGによる研究では, リーチングや指しゃぶりの際,頭頂葉と前運動野で海馬との関係が深いシータ波の活動が活発になることが明らかとなっています.そのため,海馬が身体表現を構成するのに中心的役割を果たし, 海馬による学習が1歳までの乳児が自身の運動に関係した感覚を選好する傾向と関係しているのではないかと考えました. 海馬を模したスパイクニューラルネットワークにシータコーディングにより表現された視覚からのオプティカルフローと体性感覚情報を入力しSTDPにより学習を行ったところ, ハンドリガード中の固有感覚の時空間的な関係が表現されました.さらに,視覚・体性感覚・運動指令のネットワークを結合し学習を行い,物体を視覚中においた際に物体に対するリーチングの増加が確認されました(図10) [Pitti2010]


図10 海馬モデルによる身体マップの学習.シータ波(6Hz)と同期した感覚信号が海馬内のスパイク信号に変換され(左),スパイクの時空間的な同期に従った学習(右)を行う.