身体性に基づく感覚運動学習と認知発達

身体性に基づく感覚運動学習と認知発達の研究

 身体性に基づく認知発達の解明は本プロジェクトの主要目標の一つです.
この目標に向けて,身体運動から対人相互作用までを解明するため,感覚運動学習を主軸に感覚運動情報解析技術, カオス結合系運動創発モデル,アフォーダンス獲得モデルの検討,スパイクニューラルネットワークによるミラーニューロンシステムや自己所有感のモデルと人間の行動実験・計測を通じて研究を進めました. また,「発話・言語・共感発達の研究」に含まれる言語獲得モデル,幼児のやり取り遊び獲得モデル等にもシームレスにつながります. これらの研究は,「身体的行動から対人コミュニケーションまでを発達的につなぐ認知モデル」という当グループの最終目標に向けて統合され, 認知発達ロボットの設計論となるとともに,人間の認知発達の連続的理解につながると考えています.

感覚運動情報解析技術

身体性が感覚運動学習に重要な役割を果たすことは従来指摘されてきたが,適切な手法がないことなどから, 具体的にどのような情報構造が感覚運動データに内在するかの解析はほとんど行われてきませんでした. 私たちは,相互情報量や,因果関係の情報理論的指標であるトランスファー・エントロピー,高次元系の協調構造解析手法として独自に提案したウェーブレット分岐ダイアグラム法 [Pitti2008] [Pitti2006]や階層的トランスファー・エントロピー [Lungarella2006]などを駆使して,シミュレーション中の行動体の感覚運動データの情報構造解析を行いました [Pitti2007] [Pitti2007]

コンパス型歩行ロボットによるシミュレーション実験(図1)では,カオス振動子とロボットを結合したシステムにおける情報の流れが解析されました. このシステムにおいて二足歩行運動を実現した際の情報の流れをトランスファー・エントロピーにより可視化したところ, コントローラとみなせるカオス振動子から身体への情報の流れが相対的に小さく,身体からコントローラへの情報の流れが大きいことが分かりました(図2). これは,カオス振動子と身体の結合システムにおいて身体のダイナミクスをよく利用して運動が生成されていることを示しています [Pitti2007]


図1 コンパス型歩行ロボットとカオス振動子の結合系


図2 コンパス型ロボットとカオス振動子(コントローラ)の情報の流れ.

再利用可能な行為単位の獲得について発達的獲得シナリオを提案し,新生児シミュレーションにおける行動に伴う感覚運動情報の統計的構造抽出として定式化し検証しました. 実験では遷移的感覚情報が得られる全身感覚運動パタンを学習し,フィッシャー重みマップによる統計手法を用いた動作プリミティブの獲得と再現に成功しました [Mori2007][森2007] [森2007] [Mori2007]

身体-カオス結合系の運動獲得

身体運動の基礎モデルとして,複雑系のダイナミクスの変更によって特定の状態を選択的に安定化するモデルを提案しました(図3,図 4,図5). このモデルは環境への高い適応性と合目的性を両立する制御をおこなうことができ,運動創発原理に基づく身体性適合行動探索により発見された運動が, 目的に応じて意図的に発生することを確認しました.また,超高次元カオス結合系を多層化した独自のモデルによって,身体性情報構造を創発的に探索し, 身体性適合行動を分離顕在化し,記憶し,安定化制御できることも示しました. このカオスモデルは,前述の胎児・新生児の延髄神経系モデルの動作原理の基礎を与えています [塚原2008]


図3 身体・カオス結合系接続モデル


図4 カオス系における運動獲得モデル


図5 カオス系における運動の獲得

抱っこにおける母子相互作用実験

全身感覚運動を通した母子相互作用モデル構築に向けて,「触覚センサスーツ」を独自開発し,抱っこを通じた母子相互作用を直接的かつ定量的に計測しました. これまで身体の感覚運動と対人相互作用が共存する「抱っこ」は基本的かつ重要でありながら接触の基礎的なデータが存在しませんでした. そこで,母親と抱っこ経験の少ない女性にクッション,乳児模型,乳児を抱っこしてもらい触覚データを取得・解析しました. 抱っこ時の触覚データを判別分析や主成分分析により解析を行ったところ,育児経験のある女性とない女性で明らかな違いがみられました(図9,図10) [保坂2008] [池嶋09]


図6 赤ちゃん用触覚センサスーツ


図7 母親用触覚センサスーツ

図8 母子インタラクション実験の様子とその際の触覚データ


図9 抱っこ時の触覚計測データをHLACにより特徴抽出し育児経験の有無について判別分析した結果


図10 抱っこ時触覚計測データの主成分分析結果

空間概念

身体を環境との関係で認識する場合,最も基本となる環境情報は空間概念です. サルを使った実験では脳内においては VIP 野において頭部中心座標が表象されていることが知られています. 私たちは赤ちゃんがしきりに手先に注意するというハンドリガードの経験が,頭部中心座標を構成するときの重要な因子として働いている可能性を考え, 手の姿勢情報をリファレンスとして,様々な網膜位置と眼球角度の組み合わせにもかかわらず頭部からの相対的関係が同じ位置であることを表象するニューロンが自己組織化的に生じるモデルを提案しました. さらに,この頭部中心座標を表象するニューロンモデルを基盤として,手で顔を触るときの感覚情報の統合を行い, 実際に VIP 野で観測されるニューロンの振る舞いと同様な性質を持つニューロンを自己組織化的に構成しました [福家2008] [Fuke2008] [福家2008]


図11 空間概念獲得脳モデル


図12 空間概念獲得実験の様子

顔表象の獲得

赤ちゃんは早い時期から新生児模倣に見られるような顔に対する身体表象を持っていると考えられています.特に顔についての身体表現の獲得において興味ある問題は次のようなものです.

(a)身体表現は,触覚情報・視覚情報・体性感覚情報を統合したマルチーモーダルな表現となっていると考えられますが,顔の視覚情報を直接得ることはできない.
(b)口や目,鼻などの顔のパーツの情報がどのように識別されているか.

(a) については,見えない部位の視覚情報を,いかにして見えている部位の視覚情報と統合するかということが問題になります.私たちは手の先をプローブ(探針)として, 視野内で腕を動かし,運動中の関節角度の変化量と手先位置変化量の間を関係づける写像をニューラルネットによって学習し,その結果を用いて視野外でも腕の関節角度を通して手先位置を推測するモデルを提案しました.
(b) については,全ての触覚センサを同一のものと捉えながら,一様な触覚センサの中から目や鼻等の「パーツ」という特徴的な部位を検出することが必要となります.
そこで,私たちは接触運動中の各種センサ入力値に発生する不連続性をもとに,顔表面からパーツを構成する特徴的な触覚センサ情報を抽出するモデルを提案しました.さらに抽出した顔の情報を,他者の顔の視覚情報から抽出される特徴的な視覚情報と対応関係をとることにより,顔の模倣の基盤となるモデルを提案しました [Fuke2007] [Fuke07] [福家2007] [福家2007] [Fuke2007]


図13 顔の身体表現獲得

道具使用

視覚情報の中から自己の身体を発見することは身体表象の最も基本的な機能の一つです.
脳科学においては,ニホンザルを使った実験において頭頂間溝において自己の身体部位に視覚的に注意したときに活動するニューロンが発見されており, 道具使用の訓練後は,道具に注意したときにも同じニューロンが活動するようになることが知られています.そ
こで,このニューロン活動を説明するために,注意のボトムアップな要素に焦点を当て,顕著性に基づいた視覚的注意により視覚受容野を発見し, 触覚情報を契機に視覚受容野と体性感覚情報を統合しクロスモーダルな身体表現を獲得するシステムを提案しました.
さらに,本モデルを本プロジェクトで製作した赤ちゃんロボット CB2 へ適用し,ニホンザルで行われた実験結果と相同な結果を再現することに成功しました [疋田2008] [Ogino08疋田2008] [Ogino2009] [Hikita2008] [Hikita2008]


図14 身体認知と道具使用実験


図15 身体認知モデル

道具使用時の再帰的処理構造に着目し,「効果器と対象物の組み合わせ」の入れ子構造によって運動の手順を記述し, その入れ子構造によって効果器と関節角度の結合を使い回すことで,複数の効果器を適切な手順で扱う運動を生成することができるモデルの構築を行いました. 提案モデルでは Restricted Boltzmann Machine と呼ばれる想起型ニューラルネットワークを用い,道具使用の入れ子構造が階層的ネットワークに学習されます. シミュレーション実験では,学習後,状況に応じて適切な上位の状態が選択され,入れ子構造にしたがって適切なリーチングのための腕関節角度が生成されることを示しました [荻野2010]


図16 状況ごとに上位の階層で適切な状態が選択され下位層へ運動指令がフィードバックされる.

ミラーニューロンシステムモデル

共創知能機構の研究でも取り上げられているミラーニューロンシステムは共感の基盤になる神経システムです.私たちはミラーニューロンシステムが自己組織的に構築されるモデルを提案しました. この神経回路モデルはスパイク型ニューロンにより構成され,感覚運動情報を入出力としてニューロン間結合強度がSTDP (Spike Timing Dependent Plasticity) により修正されます. この学習原理に従ったニューラルネットワークを用いて,物体を把持する際の視触覚統合を行うモデルを提案し,触覚センサとカメラ情報からの実データによるグラスピング実験を行いました. その結果,視覚と触覚からそれぞれの感覚を補完するような神経結合が発生し,視覚情報のみで触覚情報がないという他者の観察を想定した実験でも,視覚から触覚を再構成するような信号が現れました.
これは,ミラーニューロンシステムの反応に類似しています [Pitti2009]


図17 グラスピング視触覚統合モデルのため実験の様子

自己所有感モデル

ヒトやチンパンジーは自分の体や鏡の自己像等を自らの一部であると認識することができます.自己所有感を得るためには少なくとも遠心性の運動指令と求心性の感覚情報を統合する必要があります. 私たちはスパイクニューラルネットワークにおいてエージェンシーインデックスを提案し,ロボットヘッドに適用しました.カメラからの視覚入力と運動指令を統合し,エージェンシーインデックスを求めました. 運動情報と視覚情報をネットワークに入力しSTDPにより学習したところ,視覚から運動,運動から視覚を予測するようなネットワークが構成されました. さらに,鏡をロボットヘッドの前においたところ,エージェンシーインデックスが上昇しました [Pitti2008]


図18 ロボットヘッドによる自己所有感モデルの実験