2026年3月25日

サイバー空間とフィジカル空間が高度に融合する「Society 5.0」において、AIをはじめとする技術の進展は目覚ましい。しかし同時に、フェイクニュースの拡散やAIへの過度な依存、死後のプライバシーなど、既存の法制度や社会規範では捉えきれない新たな課題も浮上している。これらの問題に対し、技術・社会・法制度などがどのように連携し「トラスト」を構築すべきか。
2026年2月19日、成蹊大学4号館ホールにて、情報処理学会電子化知的財産・社会基盤研究会(EIP)主催の一般公開イベント「Society 5.0時代のトラストとそれを支える技術」が開催された。文理融合の研究拠点である成蹊大学 Society 5.0研究所と、人文・社会科学の知見を活用して社会課題解決を目指すJST RISTEX「SDGsの達成に向けた共創的研究開発プログラム(情報社会における社会的側面からのトラスト形成)」(以下、DigiST)、そして情報社会の基盤を議論するEIPが手を取り合い、多角的な視点から議論が交わされた。
<登壇者>
小森理氏
成蹊大学 Society 5.0 研究所長、理工学部 教授。専門は統計科学、データサイエンス。
中野有紀子氏
成蹊大学 理工学部 教授。専門は知能情報学、マルチモーダルインタラクション。
寺田麻佑氏
一橋大学 大学院ソーシャル・データサイエンス研究科 教授。専門は行政法、情報法。
藤代裕之氏
法政大学 社会学部 教授。専門はニュース研究、ソーシャルメディア論。
折田明子氏
関東学院大学 人間共生学部 教授。専門は情報社会学。
<モデレータ>
湯淺墾道氏
明治大学 専門職大学院ガバナンス研究科 教授。JST RISTEX「SDGsの達成に向けた共創的研究開発プログラム(情報社会における社会的側面からのトラスト形成)」総括。専門は情報法、サイバーセキュリティ法政策。
<司会>
小向太郎氏
中央大学 国際情報学部 教授。情報処理学会 電子化知的財産・社会基盤研究会(EIP)主査。専門は情報法。
成蹊大学Society5.0研究所の取り組み

冒頭、成蹊大学 Society 5.0 研究所長の小森理氏が開会挨拶とSociety5.0研究所の紹介を行った。
小森氏は、2024年に移転100周年を迎えた成蹊大学において、同研究所が文理融合を掲げ、学部学科の枠を超えて設立された経緯を紹介。データサイエンスや法学、経済学など多様な専門家が集い、産官学連携で社会実装を目指す姿勢は、まさにJST RISTEXがDigiSTで目指す「技術と社会の対話」と共鳴するものだ。
また、小森氏は、Society 5.0を「AIとそれを支えるビッグデータの時代」と定義したうえで、「そのなかでどうより良く生活していくかという問題に真正面から取り組む」ことの重要性を述べ、本シンポジウムの意義を強調した。
会話データセットの構築とマルチモーダルモデルの学習

ここからは、成蹊大学とDigiSTの研究者がそれぞれの研究について報告した。最初の報告は、成蹊大学理工学部教授の中野有紀子氏。中野氏は、対話における「信頼」が言語情報だけでなく、視線や表情、間合いといった非言語情報の同期によって形成されることを解説した。
自身のプロジェクトでは、グループディスカッションにおけるマルチモーダル情報(テキスト、音声、映像、センサーデータなど)を記録した「MATRICSコーパス」というデータセットを構築し、そこから会話に参加している人たちの説得力や役割などをAIで推定するモデルを開発している。特に、自閉スペクトラム症(ASD)者と定型発達者の会話分析などの事例を紹介し、AIがコミュニケーションのズレを可視化することで相互理解や支援につなげられる可能性を示した。
日本におけるAIガバナンスの現状と課題

次に、一橋大学大学院教授の寺田麻佑氏が、2025年施行の「AI法(人工知能関連技術の研究開発及び活用の推進に関する法律)」を含む日本の法制度の現状を整理した。
リスクベースで厳格な規制を敷くEUのAI法に対し、日本はガイドラインや事業者による自主規制、いわゆるソフトロー(法令による拘束力はないが、守るべきとされる決まりごと)を重視するアプローチをとっている。寺田氏は、こうした進め方は技術革新を妨げない利点がある一方で、実効性の担保が課題だと指摘。ソフトローの実効性を高めるための第三者認証や検証の仕組み、そしてAIの影響評価を社会実装していく重要性を訴えた。
ニュース発信者と受信者間における「トラスト」形成

元新聞記者の経歴を持つ、法政大学教授・藤代裕之氏は、偽・誤情報やフェイクニュース(ニュースの形式を模した偽の情報)が氾濫する現状に対し、「アルゴリズムの全貌が見えない以上、プラットフォーム任せの対策はいたちごっこになる」と、プラットフォーム規制の限界を指摘した。
一方、日本のニュースの信頼度は比較的高いものの低下傾向にある。若い世代は「信頼できるメディア」に新聞を挙げつつも、実際には読んでいないという乖離があり、藤代氏はこれを「食べたことのない老舗店の饅頭」に例え、信頼が残る今こそ対策に取り組むべきだと訴えた。
亡き人のAI生成に関するトラスト形成と合意形成

関東学院大学教授の折田明子氏は、故人をAIで再現するサービスに対するトラストの問題を報告。Meta社による関連特許の取得や、日本・中国・韓国で相次ぐ「AI故人サービス」のリリースを背景に、この分野が急速に現実化していることを示した。
一方で、AI故人サービスのトラストにおいては、故人の意思を尊重しているか(自己決定)、故人の外見や言動を忠実に再現できているか(再現)、利用者にとって満足できるものになっているか(無害・効用)といった要素があり、それらが互いにぶつかり合う可能性を指摘した。
パネルディスカッション:便利さへの「依存」か、新たな「信頼」の構築か

後半のパネルディスカッションでは、DigiST総括・湯淺墾道氏のモデレーションのもと、登壇者全員による活発な議論が展開された。
湯淺氏の「メディアは生き残れるか」という問いかけから議論が始まった。藤代氏は「ニュースを発信する人がいなくなることはない」としつつも、事業者の継続性とニュースという商品の継続性は分けて考えるべきだと応答。寺田氏は、報道機関は複数人による検証プロセスを経ている点が一般の発信者との違いだとし、その信頼を強化していくことが生き残りの鍵だとの見方を示した。
さらに、議論のなかで大きな関心を集めたのが、AIへの依存の問題だ。中野氏は、AIとの対話においてユーザーがひたすらアドバイスを求め、過度に依存する傾向がすでに見られると指摘。これを「トラスト(信頼)」と呼ぶべきか「アディクト(依存・中毒)」と呼ぶべきかという根本的な問いを投げかけた。ChatGPTのバージョン更新時に「AIが優しくなくなった」と不評を買った事例にも触れ、そこにはもはや信頼ではなく依存に近い状態があるとの懸念を示した。
この問題に対し、寺田氏はプラットフォーム側に依存に対応するための一定の配慮を義務付けることも一つの手段だと提案。ただし回避手段が容易に見つかるなど、いたちごっこになる可能性があることも認めた。藤代氏は、AIは便利であるがゆえに急速に普及するという現実を直視したうえで、規制一辺倒ではなく、信頼性の高い情報やサービスがポジティブに評価される仕組みの設計が不可欠だと主張した。

折田氏は、AIというテクノロジーは炊飯器や電子レンジと同様、人が楽になるから使うものだとしつつも、日本固有種であるタヌキをAIが生成した画像がアライグマと混ざったものになる例(実際のタヌキの尻尾に模様はない)などを紹介した。AIが生成する情報は多くの人が「それらしい」と考えているものになりうるため、「何かおかしい」と感じる違和感を可視化することが重要だと述べた。
また、寺田氏がフランスの国会ではコロナ禍でもオンライン参加時の発言を認めず、議論は対面で行うべきとされていたことを紹介するなど、議会における対面とオンラインをめぐる議論が広がった。
中野氏は両者のコミュニケーションには明確な違いがあるとしつつ、動画加工の許容範囲について基準がないことへの懸念を表明。折田氏は「対面でなければ本物ではない」という方向だけに振れることの危うさを指摘し、物理的に現場に行けない人の参加機会を保障するというテクノロジーの本来の役割を見失うべきではないと述べた。

最後に、科学的な研究成果をどう社会に実装していくかという議題が取り上げられた。小森氏は、AIの学習データには必ず不確実性が含まれており100%正しい答えは出せないと指摘したうえで、AIと共存していくためには、使う側が批判的な目を持って判断できるようになることが重要だと語った。
中野氏はASDの方のコミュニケーション研究を例に挙げ、AI技術は障がいのある方を検出するためではなく、周囲の人が理解を深め、相互に歩み寄るための基盤として活用できるとの展望を示し、多様性を認める社会の基盤技術としての可能性を語った。
分野を超えて考える、AI時代のトラスト
本イベントでは、AIやデータ技術がもたらす恩恵と課題が、技術・法制度・メディア・倫理という複数の視点から立体的に議論された。「トラスト」という概念が、技術への信頼、情報への信頼、人と人との信頼、そして亡き人への敬意まで、多層的な広がりを持つことが改めて浮き彫りになった。
パネルディスカッションで浮上した「トラストかアディクトか」という問いは、AI時代における人間と技術の関係を象徴的に示すものだ。技術の急速な発展に対し、法制度の整備、メディアリテラシーの向上、そして人間自身の判断力の涵養を、分野を超えて同時に進めていく必要性が確認された場となった。