2026年3月19日

関東学院大学人間共生学部では、学部創設10周年を記念し、「テクノロジーが変えるコミュニケーション」をテーマとした全2回のワークショップを開催した。第2回となる今回のテーマは「生と死とテクノロジー」。AIを用いて故人の姿や声を再現する「AI故人」をはじめ、弔いや追悼のあり方がデジタル技術によって変化しつつある。2025年12月11日に開催された本ワークショップでは、文化人類学、倫理学、情報社会学の異なる視点を持つ専門家による講演と、参加者によるワークショップを通じて、テクノロジーによって死者と私たちの関係性がどう変容し、向き合っていくべきなのかを探った。今回は、その様子を報告する。
※本イベントはJST-RISTEXの「SDGsの達成に向けた共創的研究開発プログラム(情報社会における社会的側面からのトラスト形成)」の研究開発プログラム「亡き人のAI生成に関するトラスト形成と合意形成」の一環として実施された。
<パネリスト>
高木良子氏(東京科学大学・JST「人間と非人間の惑星的ケアプロジェクト」博士研究員)

東京科学大学博士後期課程在籍。コミックエッセイストや中国語翻訳者としての顔も持つ。現在は文化人類学的視点から「弔いの心性とテクノロジー」の関係について研究中。
佐藤啓介氏(上智大学大学院実践宗教学研究科教授)

博士(文学)(京都大学)。専門は宗教哲学、死生学、倫理学。著書に『死者と苦しみの宗教哲学-現代宗教哲学の現代的可能性』『いまを生きるための倫理学』(共著)など。
<モデレータ>
折田明子氏(関東学院大学人間共生学部コミュニケーション学科教授)

博士(政策・メディア)(慶應義塾大学)。専門は情報社会学。人と社会とテクノロジーの関係に関心を持つ。関東学院大学では ソーシャルメディアの情報発信や人工知能などの関連科目を担当。
「AI故人」はどこまで受け入れられているのか
冒頭、関東学院大学人間共生学部長・施桂栄氏による挨拶では、「AIと『生と死』は一見離れたテーマに見えるが、どちらも私たちが何を大切にし、どのように他者と関わるかという問いに深く関わっている」と語られた。

続いて、モデレータの関東学院大学人間共生学部教授・折田明子氏(以下、折田氏)より、今回の主題である「AI故人」についての解説がなされた。AI故人とは、故人の写真、音声、SNSのデータなどをAIに学習させ、その人格や姿をデジタル上で再現する技術やサービスを指す。故人の写真や指定したメッセージをもとにアバターを生成し、故人が語りかけたり、対話したりする動画を作成できる実際のサービスの事例が紹介された。
続いて折田氏は、自身が行った意識調査のデータを提示した。
2025年2月に実施した調査(20-60代男女1,000名対象)によると、昭和時代のモダンガールといった歴史資料の白黒写真は、俳優やセットによる再現と、AIによるカラー写真や動画の生成について、ほぼ同数(約30~40%)が「見てみたい」と回答していた。しかし、「AIで生成された音声で対話やチャットをしてみたいか」という問いには7割強が否定的な意向を示した。また、自身の祖父母・曽祖父母の若い頃の姿をAIで再現することについて、「カラー写真や動画にして見てみたい」という意向も一定数(約20~30%)見られたが、音声やチャットによる対話は10%程度であった。「見聞きしてみたい」という意向はあるものの、「対話をしてみたい」とは思わない人が多かったことが読み取れる。
また、2025年8月に実施した調査では、遺影のデジタル加工からAI故人も含む「デステックサービス」の利用意向として、遺影の加工や動画化には肯定的でも、AI生成された音声での会話やチャットには強い抵抗感が示される結果がみられた。折田氏は「生前の実際の姿に忠実であることと、自分の記憶や印象に合っていること。この2つが重視されていたのですが、これらは互いに矛盾してしまうこともある。このズレがAI故人の課題です」と指摘した。
技術の「不完全さ」が、遺族の記憶を引き出す
続いて、文化人類学者の高木良子氏(以下、高木氏)が、実際にAI故人サービスを利用した遺族へのインタビュー調査の結果を報告した。
高木氏はまず、メディアで語られがちな「死者の尊厳の侵害」「遺族の依存への懸念」といった批判的な論調に対し、「懸念すること自体が結論になっており、議論が進んでいない」と指摘。そのうえで、実際の利用者の声を丁寧に拾い上げた事例を紹介した。
例えば、韓国のドキュメンタリー番組の事例では、当初、母親は亡くなった娘がVRで再現された姿を見て「本人と似ていない」と感じたという。しかし、VR空間内で象徴的な白い蝶が現れたり、娘が生前歌っていた歌が流れたりした瞬間、強烈な没入感を覚え、涙を流した。また、日本のサービスを用いて、亡くなった息子のメッセージ動画を作成した遺族の事例では、AI故人のボソボソとした喋り方やBGMが、生前の本人を想起させるトリガーとなっていた。高木氏はこれを「余白への投射」と分析する。
「技術的に不完全であり、余白があるからこそ、遺族はその隙間に自分のなかにある故人の記憶を投影できます。逆に、精緻に作りすぎると『これは違う』という違和感が勝ってしまう。求められているのは、故人をそのまま再現することではなく、遺族の記憶を引き出すための『引き算のデザイン』なのかもしれません」(高木氏)。
死者に「人権」はない——倫理と法整備の狭間で
次に、倫理学・宗教哲学を専門とする佐藤啓介氏が(以下、佐藤氏)登壇した。
佐藤氏は「死者には基本的人権がないため、現行法ではAI故人に関する明確な規制が難しい」という法的課題を指摘したうえで、AI故人という技術に対する批判や懸念を整理するための4つのモデルを提示した。
1. 技術モデル:技術が未熟でサービス提供企業への信用が十分でないことへの批判
2. 危害モデル:遺族への心理的悪影響や、社会的な混乱への懸念
3. 真実性モデル:故人のイメージや歴史的事実と異なることへの批判
4. 尊厳モデル:死者の尊厳や権利を侵害しているという批判
「専門家の議論や法規制の検討では、実害を防ぐ危害モデルが中心になりがちです。しかし、一般の人々の感覚として最も強いのは『死者の尊厳を守るべきだ』という尊厳モデル。この専門知と国民感情のズレをどう埋めていくかが、今後の大きな課題です」(佐藤氏)。
期待と不安が交錯する「弔い」の未来
ここまでの講演を受けて、リアルタイム投票システム「Slido」から参加者が「AI故人に期待すること・不安なこと」や「AIで再現できるなら会ってみたい人」についての意見をスマートフォンから投稿した。

「期待すること・不安なこと」については、「遺族が心満たせるなら良いのではないか」「話し足りなかったことを話せる点に感動する」といった肯定的な声がある一方で、「悪用されるのではないか」といった懸念も挙がった。これを受けて高木氏は、「“危害モデル”に照らしたとき、遺族の許可があれば問題ないと言い切れるのか」という問いを佐藤氏へ投げかけた。
佐藤氏は、「遺族がいない場合や遺族間で意見が分かれた場合など、遺族の判断だけでは対応できないケースも想定される」と指摘。そのうえで「今後、倫理学や法学の議論では『遺族を中心に考えるべきではない』という整理になっていく可能性もある」との見通しを示した。さらに、その先の方向性の一つとして、「生前に本人の同意を得ることを前提に、AI故人をめぐるルールが整えられていく可能性が高い」と見解を述べた。
また、「会ってみたい人」としては、祖父母や先祖といった身近な存在のほか、タレントや歴史上の偉人などの名前も挙がった。これに対し、公人としての故人をコンテンツとして再生することと、私人としての故人を弔いの一環として再生することでは、求められる倫理観や許容度が異なる可能性についても議論が及んだ。

最後に、登壇者から参加者たちへのメッセージが送られた。
高木氏は「データや事例を見るときは、『誰の視点で語られているのか』を常に意識してほしい」と呼びかけ、佐藤氏は「AI社会は後戻りしない。漠然とした不安を言葉によって整理し、何が嫌で何が良いのか、自分なりの線引きを考えていくことが大切だ」と締めくくった。
AI時代の「死者」との向き合い方

90分間の議論を通じて見えてきたのは、AI故人は一つの形ではなく、画像の加工レベルから故人の再現、また対話型まで連続的なものであり、その段階によって受容もリスクも異なることであった。また、AI故人は、故人を含む出来事や情景を思い出させ、遺族の感情をゆさぶるような体験をもたらしうる。その一方で、死者の尊厳や権利をどう定義するかという未解決の問いを私たちに突きつけてもいる。
技術の進化に社会の合意形成が追いついていないなかで、私たちは個人の感情を社会でどのように受け止めていくか、広く対話を重ねていく必要がある。今回のワークショップは、学生からシニアまで多様な参加者が集い、AI故人を初めて知る人も含めて、どのように受け止めるかが可視化される機会にもなった。こうした対話の場は、テクノロジーと人間、生と死といった問いに向き合ううえで重要な機会になるだろう。