成果概要

食の心理メカニズムを司る食嗜好性変容制御基盤の解明1. 食の心理メカニズムを司る食嗜好性変容制御基盤の解明

2022年度までの進捗状況

1.概要

ヒトにおいて観察される特徴的な食嗜好性変容現象を再現するマウスの食行動課題、食により情動産生される行動課題を開発しました。これら食行動課題を用いて、脳内の神経活動依存的遺伝子発現の網羅的な解析により食経験を記憶するエングラム(食記憶貯蔵領野・神経細胞)、さらに、食の嗜好性に応じたポジティブあるいはネガティブな情動の産生を制御する脳領野・神経細を同定することを試みました。さらに、数理学的な解析によりこれら脳領域と神経細胞の役割を解析しました。

2.2022年度までの成果

ヒトの食嗜好性変容をモデルとしたマウス食行動課題整備の実施
ヒトにおいて観察される特徴的な食嗜好性変容現象をモデルとして、マウスの食行動課題を整備しました。ヒトの「食わず嫌い」と同じように、マウスも食の嗜好性が高い食べ物(例えば、チーズ)であっても、初めて食べるものには警戒して次回以降に多く食べ(新奇性恐怖)、また、同じものを食べ続けると、別の物を食べたくなります(感性満腹感)。そこで、このようなマウスの食行動解析課題を確立しました。さらに、マウスに通常食べている餌(通常餌)を与えた後に、チーズを与えることを続けると、通常食を食べる量をセーブして、チーズを多く食べようとする現象も観察されました(食物留保課題)。この課題を用いることで、通常餌を比較対象としてマウスの好き嫌い、すなわち、マウスの食嗜好性を客観的に評価できることが明らかとなりました。

食経験による情動産生機構の解明
条件づけ場所嗜好性課題を用いて食物摂取後の情動変化を測定する行動解析系を整備しました。この課題を用いて、チーズに対する嗜好性を評価した結果、マウスはチーズを食べた場所を記憶していて、この場所を好むような行動を示しました。そこで、チーズはマウスにとって高嗜好性の食物であり、チーズ摂食後に正の情動が生じると考えられます。

食経験を記憶する神経細胞(記憶エングラム)の同定とその性状の解析
整備した食行動課題を用いて、チーズ摂食後に引き起こされる神経活動依存的遺伝子発現を指標にして、食物摂取後に神経活動を示す領野を解析し、食記憶エングラムが存在する候補領野群の網羅的な同定を進めました。その結果、前頭前野を中心として多様な脳領域で顕著な遺伝子発現が観察され、チーズ摂食後に脳が活発に活動することが明らかとなりました。続いて、課題推進者が確立した数理学的手法により、食記憶エングラムが前頭前野を中心にして形成されていることが、示唆されました。さらに、食記憶エングラムが存在することが予想された脳領域においてカルシウム指示薬を発現させた神経細胞の神経活動の測定を開始しました。

以上までで観察されたチーズ摂食後の活発な脳活動は、マウスの恐怖体験後の神経活動に匹敵するものであり、チーズ摂食後に恐怖体験相当の強い情動が産生されて、チーズ摂食の強い記憶が産まれること、すなわち、初めてのチーズ摂食がマウスには大きなライフイベントとなることが示唆されました。このことは、恐怖体験により強い負の情動が産生されるのに対して、高嗜好性の食物を初めて食べた際には強い正の情動が生じていることを示唆しています。

3.今後の展開

マウスにおける食記憶エングラムを同定し、このエングラムを起点にして、食の嗜好性を変容させる脳内の生物学的なメカニズムの解明に取り組みます。さらに、美味しい物を食べる、また、食の共感により快情動が産まれるメカニズムの解明を進めます。一方で、ヒト対象の研究として、マウスの課題と相同性の高いヒトの食嗜好性変容を検出する動画課題の開発を進めます。将来的には、この課題を用いて、fMRI等を用いてヒトにおいて食嗜好性変容の神経基盤を理解するとともに、ヒトとマウスの研究の連携により、食嗜好性変容により快情動が産まれる脳内メカニズムを解明し、健康に優しい食を愉しんで食べる食習慣への改善技術を開発することに挑戦します。
(喜田聡:東京大学、藤原寿理:福島県立医科大学)