取材レポート

研究公正シンポジウム「研究倫理教育の先進的な取組事例に学ぶ」

JST研究公正シンポジウムチラシ

 2018年11月2日、各大学・研究機関における研究倫理教育の充実化を目指して、JST主催の研究公正シンポジウムが開催されました。前半の講演では、2つの大学より研究倫理教育の先進的な取組事例が紹介され、後半のパネルディスカッションでは、第1部で効果的な研究倫理教育のアプローチについて、第2部で研究倫理教育の効果測定について議論となりました。

講演1: 教育課程全体を通した研究倫理教育を目指して〜金沢工業大学における全学的な取り組みについて〜 〔講演資料

KIT IDEALS
金沢工業大学ではKIT IDEALSという行動規範を、
学内随所へ掲示しています

 講演は、金沢工業大学教授の金光秀和氏による、同大学での取組紹介から始まりました。
 金沢工業大学では、大学の行動規範として共有すべき価値を「KIT-IDEALS」(左図参照)と定め、学内で共有につとめています。この価値を教育を通じて実現するために、学生を対象とした研究倫理教育を、初年次教育、専門職倫理教育、大学院教育とレベルに応じて段階的に進めています。

 初年次教育では新入生に対し、レポートの書き方や討議の仕方など大学での学び方を基礎から教えています。特に、新入生の多くは高校卒業まで引用を意識してきていません。そこで、剽窃(盗用)について、他人の意見(引用すべきこと)と自分の意見とを区別するところから丁寧に教えています。
 専門職倫理教育では、3年次学生に「科学技術者倫理」という必修課目を設け、倫理的な判断が問われる状況に直面した時に自分がどう行動すべきか考えられるよう、セブン・ステップ・ガイドや事例などを用いて実践的に教えています。

大学院教育における特徴
金光氏のスライドより

 大学院教育では、学生自身が「所属研究室の研究倫理プログラム」を作成する授業を行っています(右図参照)。この授業を通じて学生は、自分たちの研究が社会に果たす役割を自覚し、研究倫理を自分が行う研究に直接つながるものとして考えられるようになります。
 さらにこの授業は、学生が所属する研究室で詳細な研究倫理プログラムを作成する過程で、研究室内のPI(研究室主宰者)や先輩とのコミュニケーションが必須となるため、教員を含めた研究室全体で研究倫理を考える契機にもなります。

 金光氏は、金沢工業大学では、同大学の行動規範(KIT-IDEALS)のもと、学生の全教育課程を通した段階的教育を行っていることを述べました。そして今後は更に、研究倫理課目以外の授業の教材・課題・テストなどにも研究倫理にかかわる要素を組み込む取組を進めたいと、展望を語りました。

講演2: 東北大学における公正な研究活動への取り組みについて〜体制・制度の構築とその現状〜 〔講演資料

表:東北大学の6つのキャリアステージ
レベル 対象
 レベル6  研究公正アドバイザー
レベル5 研究指導担当教員
レベル4 ポストドクトラルフェロー・新任教員
レベル3 大学院後期課程学生
レベル2 学士課程後期学生・大学院前期課程学生 
レベル1 学士課程前期学生

 続く東北大学の講演では、前半に特任講師・主任URAの臼澤基紀氏より、東北大学の体制・制度の特徴について説明がありました。
 東北大学は、全学にわたる持続的な研究倫理教育を実現するため、学士課程学生から教員に至るまで全ての学生・教員を対象とし、課程や職位別に6つのステージに分けて(右表参照)学習課題を設定するというキャリアステージ別の教育を行っています。
 また、大規模な研究系総合大学で多分野にわたる部局があることから、大学本部が一律の研究倫理教育を行うのではなく、各部局がそれぞれ独自性を踏まえた研究倫理教育を行います。本部は全学的な規程の整備や教材作成によって部局を支援します。また、部局ごとに東北大独自の研究公正アドバイザーを置き、彼らが専門分野における倫理の理解と様々な事例の把握をもとに、他の研究者に助言し責任ある研究活動を先導的に推進することを目指しています。このように部局と本部は連携体制を組み、公正な研究活動を推進しています(下図参照)。

東北大学における公正な研究活動推進体制図
東北大学における公正な研究活動推進体制図
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 東北大学が平成29年度に現在の研究倫理教育体制・制度を開始してから2年が過ぎようとしています。講演の後半では、同大学教授の佐々木孝彦氏から現状の報告がありました。レベル1〜4の学生から新任教員までの研究倫理教育はおおむね順調である一方、レベル5、6の教員に対する教育は克服すべき課題があることが分かってきたそうです。
 レベル5は教授や准教授などベテランの研究指導担当教員を対象としているため、定型化した教育内容の繰り返しでは興味を持ってもらえません。そこで東北大学では受講意欲を喚起させるために、広い視点で様々な題材をセミナーに取り上げるなどの工夫をしています。
 レベル6では、対象となる研究公正アドバイザーは、研究不正や、その手前の不適切な行為に対して助言を行う必要があるものの、専門分野によって研究の方法・文化・表現の分野特性があまりにも違うため、同じ事例でも分野によって判断が異なる場合があることが明らかとなってきました。現在、アドバイザーの分野特性への相互理解を目指しています。

 佐々木氏は、全学にわたる持続的な研究倫理教育の実現を目指し、キャリアステージ別の教育を行っていると語りました。そして最後に、防犯対策を講じても犯罪をゼロにすることが難しいのと同様に、研究倫理教育をもって研究不正をゼロにするのは難しいが、研究倫理意識が高い風土の醸成を目指して、研究倫理教育を日々地道に続けることが重要だと述べて、講演を締めくくりました。



パネルディスカッション 第1部 研究倫理教育のアプローチについて  〔発表資料

1. 研究倫理教育の必要性と方向性

 講演に続き、講演者3名に、東京工業大学教授の札野順氏、京都府立医科大学教授の瀬戸山晃一氏を加えた5名でパネルディスカッションが行われました。
 はじめに、モデレータの札野氏が、なぜ(必要性)、何を目指して(方向性)研究倫理教育を行うのかについて取り上げました。
 研究倫理教育の必要性について、札野氏は「研究不正を防止するため」「ガイドラインがあるため」等のさまざまな理由をあげました。そしてその中から、「研究活動と不可分の基本的素養・能力を養うものであり、研究者養成の中核に位置付けるべきものであるため」という理由について意見を交わし、研究活動における研究倫理教育の重要性を再確認しました。
 また、方向性について「予防倫理だけでなく志向倫理も必要」*という見方を示し、どのようにバランスをとって両方行うか、意見を交わしました。
*予防倫理と志向倫理のバランス: 不正防止を目指す倫理(予防倫理)だけではなく、「研究者として良く生きるために自分がなすべきこと」を考え行動する倫理(志向倫理)も必要という考え方。

2.研究倫理教育の対象と手法

 続いて、研究倫理教育の対象と手法をめぐり意見が交わされました。
 論点のひとつとして、東北大学の報告でも紹介されたキャリアステージ別教育における課題が取り上げられました。キャリアステージ別教育は優れた教育手法と考えられますが、ひとつの克服すべき課題として「いかにすればベテランの教員(シニア教員)に研究倫理教育に参加してもらえるか」ということが検討されました。
 誰を対象とした研究倫理教育でも受講意欲を高める必要はありますが、特にシニア教員の場合、研究倫理教育は「既に知っていることの繰り返し」だと思われて、受講意欲が低くなりがちです。ディスカッションではパネリストたちから、シニア教員にとっても役に立つ、あるいは面白いと思ってもらえるような工夫の例が示されました。例えば、

  • 教育者・指導者として若手に研究倫理に関する教育をするための具体的な手法や教材を教えます、というもの(例えば 米国でPI(研究室主宰者)を対象にして行われている「あなたを教育するのではなく、あなたが若手に研究倫理を研究の現場で指導するためのワークショップ」)
  • 「あなたの豊富な知識や経験を活かして既存の教科書の不足部分を指摘していただき、より現実に即したよいものにしたい」とグリーンブックの精読を依頼するもの

 また、会場からは「シニア教員に制度改定や海外の状況変化を伝えることを教育の契機とする」案も提案されました。

パネルディスカッション風景



パネルディスカッション 第2部 研究倫理教育の効果測定について

 パネルディスカッション後半では、研究倫理教育の効果測定がテーマに取り上げられました。

1. 瀬戸山氏話題提供 〜研究倫理教育評価の必要性、現状、活用及び問題提起発表資料

 まず瀬戸山氏より「研究倫理教育効果測定の目的・対象・方法・費用・活用〜その意義と限界〜」と題して、以下のとおり話題提供がありました。

測定・評価の必要性

 研究倫理教育内容を見直し、改善していくためには、受講者の学習到達状況を測定し、研究倫理教育の効果の有無を評価する必要があります。また、大学や機関で研究倫理教育に人と予算を確保するために、その評価によって教育の有効性を経営層に示すことも大切です。

認知領域と情意領域について (認知領域・情意領域についてのより詳細な解説はこちらのイベントレポート内の図1「技術者倫理教育における『学習・教育目標2016』」をご覧下さい)
測定・評価領域 測定・評価対象カテゴリー
認知領域 知識
スキル
情意領域 価値・態度
測定・評価の現状

 「知識」や「スキル」(認知領域)については一定程度測定・評価できるようになってきました。しかし、「価値・態度」(情意領域)についての測定・評価*は、現状ではなかなか難しい状況です。(認知領域と情意領域については右表を参照)
*情意領域についての測定・評価: 研究者として重視すべき価値を共有し、持つべき態度を持って、獲得した知識やスキルを、実際の研究活動において具体的な行動として反映できているかの測定・評価

 評価に際しては、主に以下の課題があります。

  • 測定・評価手法について、正解が一義的に決まる選択式問題等と比較して、回答あるいはレポートの文章全体から判断しなくてはならない論述式問題等では、測定・評価のコストや負担がかかること
  • 評価尺度について、正解が一義的に決まらない論述式問題等では、採点者による尺度の違いが結果に影響してしまうこと
  • 測定・評価が主目的になってしまうと、測定・評価の比較的容易な教材や学習内容に限定され、測定・評価が困難でも必要な教育や学習が実施されなくなる可能性があること など
評価の活用と問題提起

 効果を示すことは、教育者・受講者の双方にとっての意欲向上に繋がり、また評価分析は教育内容の見直し・改善に役立ちます。将来的には、評価結果を活用することにより、個別の受講者ごとの理解度・到達度に応じて最適な教育を提供するといった活用も考えられます。
 一方で受講者の倫理意識は実施した研究倫理教育だけで確立するのではなく、周囲からの影響によって倫理教育の効果が失われることも、逆に効果が増強されることもあります。例えば、せっかく研究倫理の授業を受けても、研究室に戻ると先輩や周りの研究者が問題ある行動をしており、それが黙認されている状況では、受講者はその行動をしても構わないと思い込みかねません。(隠れたカリキュラム*)
 これは倫理意識を定着させようとするためには、考慮しておくべき問題といえます。従って、周囲の倫理意識や振る舞いが受講者の倫理意識に及ぼす影響が大きいということから、個人に対する教育だけでなく、そのような影響を与える周囲の環境をより良いものに変えていく取組も重要です。
*隠れたカリキュラム:不正や逸脱が生じる要因として注目されている概念で、公式の授業や教育研修以外の場面で、先輩医師や周りの研究者などの発言や行動から学習していき、問題ある行動でもそれは許されると認識し、態度や行動に影響を与えること。

2. ディスカッション発表資料
論点 研究倫理教育の効果の測定・評価
札野氏のスライドより

 続いて、モデレータの札野氏が、測定と評価の区別、測定・評価の対象と手法、及び、評価にかかる時間について分類・整理しました(右図参照)。
 ディスカッションではまず、研究倫理教育の測定・評価の実際の状況について意見交換を行いました。
 パネリストからは、測定・評価できているのは、今のところ「知識」や「スキル」(認知領域)までであること、受けた教育が行動に現れるには時間がかかり、その間に他の要素の影響もあるため、「価値・態度」(情意領域)について測定・評価するのは困難であるという意見がありました。

 「価値・態度」は測定・評価だけでなく教育自体も難しいものです。議論は「価値・態度」の教育の重要性へと移り、パネリストより、「価値・態度」こそ倫理教育では涵養したいとの意見が表明されました。「価値・態度」の涵養の難しさを受けて別のパネリストから、「研究不正の手前にある『良くない(研究)習慣*』を無くす取組なら出来る」ことが指摘されました。この取組が「価値・態度」の涵養へと繋がるきっかけとなることが期待されます。
*研究不正の手前にある良くない研究習慣: 先行研究の不十分な調査、ずさんなデータ管理、不適切な統計処理など、研究者が日常的に直面しがちで、特定不正行為(捏造、改ざん、盗用)に該当しないまでも問題のある行為のこと

 シンポジウムの最後にモデレータ及びパネリストたちから、「本シンポジウムに大勢が参加し、研究倫理教育の現状と課題を共有する場を持てたことは、良い方向に向かう動きが始まっているといえる。」「今日得られた知見を生かして着実に進めていこう」と参加者に呼びかけ、シンポジウムは盛会のうちに終了しました。

シンポジウム風景
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