研究トピック

インシリコスクリーニングを駆使した化学反応の新しい開発戦略

Face Photo
林 裕樹 特任助教
所属
北海道大学 化学反応創成研究拠点(WPI-ICReDD)
経歴・業績
researchmapへ
キーワード
反応開発 量子化学計算 反応シミュレーション 含窒素複素環化合物

この研究では、本ERATOプロジェクトの基幹技術である人工力誘起反応法とスーパーコンピュータを用いた計算科学主導型の反応開発スキームを確立し、計算によって提案されたジフルオロカルベンを用いる三成分環化反応を実験で具現化することに成功しました。

研究背景: 化学反応の開発プロセス

化学反応は、分子レベルのものづくりです。私たちの身の回りの製品や医薬品は、これまでに発見されてきた様々な化学反応を利用して合成されてきました。一方、新しい化学反応の開発は、化学者の勘やセンスに依存したトライアンドエラー型の実験プロセスを経てきました。この従来型の開発プロセスでは、膨大な実験量とそれに伴うエネルギーやコストを必要とし、たくさんの廃棄物を生み出してしまいます。

この問題を解決するために、近年、計算科学や情報科学を駆使した化学反応の開発戦略が注目され、コンピュータの処理能力の向上やAI技術の社会への浸透に伴い、世界中で研究が行われています。中でも、未知の化学反応の挙動をゼロベースから予測することができれば、化学反応の開発が大幅に効率化されると期待できます。しかし、競合する反応経路を全て見積もることは通常の計算手法では困難であるため、そのような開発戦略はこれまでありませんでした。

そこで私たちは、本ERATOプロジェクトのコア技術である人工力誘起反応法(AFIR法)とスーパーコンピュータを用いて、計算による反応シミュレーションからフラスコ内で具現化する、化学反応の新しい開発スキームの確立を目指しました。AFIR法は、量子化学計算を併用した反応経路を自動的に探索する技術で、副反応も含め可能性のある反応経路を網羅的に明らかにすることが可能です。また、反応速度論解析と組み合わせることで計算上の収率を算出することができます。本研究では、このAFIR法を用いたスクリーニングの中で見つかった付加価値の高い反応を実際の実験で実現する、という開発戦略の実証を大きな目的に研究をスタートしました。

アプローチ: AFIR法による反応スクリーニング

今回の研究では、ジフルオロカルベンと2つの不飽和結合成分(C=O,C=C,C=N,C≡C結合を持つ成分からの2つ)との3成分反応をターゲットとしました。まず、AFIR法を用いてコンピュータ上で総当たり的に反応させ(10反応)、どのような化合物が得られるかをコンピュータ上でシミュレーションしました。その際、計算コストを鑑み、各結合成分として最もシンプルな分子(ホルムアルデヒド、エチレン、メタンイミン、アセチレン)を用いました。これによって、計算時間を大幅に短縮しつつ、各不飽和結合とジフルオロカルベンとの反応経路を探索することができました。

計算による反応スクリーニングの結果、ジフルオロカルベンとメタンイミンから調整される反応中間体「アゾメチンイリド」と、3成分目の不飽和結合との環化付加反応が速やかに進行することが示唆されました。この反応で得られる生成物は、窒素原子に隣接したα位の炭素に2つのフッ素原子が結合した環状化合物です。類似のβ位やγ位にジフルオロメチレン基を導入した化合物はジペプチジルペプチダーゼ4(DPP-4)阻害活性を有する新規糖尿病薬として知られています。しかし、α位に導入された化合物はほとんど報告されておらず、その合成手法は限られた例しかありませんでした。したがって、本反応が実現すれば、新たな生物活性が見出される可能性が十分にあります。そこで、本計算によって示唆されたα位がジフルオロ化された含窒素複素環の骨格構築反応の実現を目指し、実験を開始しました。

研究成果: 三成分反応の具現化

計算で使用する原料は、計算コストを考慮し単純なもので代用していますが、実際に合成化学実験を行うとなると、安定でかつ調製可能な原料が必要です。そこで、実際の実験では、有機合成で汎用される試薬を用いて、計算で示唆された反応の実現を検討しました。この際もAFIR法を用いて、目的の反応の活性化障壁が低い最適な基質分子を精査しました。その結果、1つ目の不飽和結合成分としてピリジン、2つ目の不飽和結合成分としてベンズアルデヒドを用いて、フラスコ内でジフルオロカルベンを発生させると、ピリジンの脱芳香族化を伴う3成分反応が効率良く進行し、高収率で目的のフッ素化含窒素複素環が得られることを見出しました。

また、さらなる実験的な検討を行うことで、2つ目の不飽和結合としてベンズアルデヒドに代えてケトン、イミン、アルケン、アルキンでも3成分反応が進行することがわかりました。このように本研究グループでは計算科学主導により、ジフルオロカルベン、ピリジン、及び様々な不飽和結合を原料として、多様なフッ素化含窒素複素環を生み出す3成分反応の開発に成功しました。ピリジン骨格は、ニコチン等の様々な天然物に含まれており、実際に天然物を原料としてフッ素化含窒素複素環を構築することにも成功しました。

さらに、AFIR法により算出される反応経路ネットワークによって、競合する副反応も想定することができました。これにより、用いる試薬によって反応が進行するものとしないものを予測することに成功しました。例えば、求電子剤としてベンズアルデヒドやアクリロニトリルを用いる場合は、副反応よりも目的の環化反応の活性化障壁が低いため、進行すると予想され、実際の実験で進行しました。一方、エチレンやスチレンを用いた場合、またはピリジン/求電子剤の代わりにベンズアルデヒド2分子を用いた場合は、副反応の活性化障壁の方が低いことが示唆されており、実際に目的の反応は進行しません。このように、AFIR法によって反応が進行するかどうか予測できることを実証しました。

展望: 計算科学主導型の反応開発プロセス

今回、本ERATOプロジェクトの核となる技術であるAFIR法で反応経路を予測して実験を行う、一連のプロシージャーが新反応開発に非常に有効であることがわかりました。この一連のプロシージャーにより開発過程の大幅な効率化に繋がったことから、次世代型の反応開発プロセスとして、今後いろいろな反応開発の場面で使われるようになると確信しています。

関連論文の情報