研究トピック

遷移金属触媒反応開発の新戦略"バーチャル配位子"を開発

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松岡 和 特任助教
所属
北海道大学 大学院理学研究院
経歴・業績
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キーワード
バーチャル配位子 インシリコスクリーニング VLAスクリーニング 遷移金属触媒 配位子設計 ホスフィン配位子 量子化学

遷移金属触媒反応の開発は、医薬品・機能性材料合成の効率化や価値の高い新物質の合成を可能にするため、非常に重要な研究領域です。本研究では、このような反応開発研究において最も重要な「触媒設計」に焦点を当て、この過程を量子化学計算によって効率化する「バーチャル配位子法」を開発しました。

研究背景: 配位子スクリーニングの重要性と課題

鈴木–宮浦クロスカップリング反応(2010年ノーベル賞)や野依不斉水素化反応(2001年ノーベル賞)などに代表される遷移金属触媒反応は、医薬品や電子材料、機能性材料開発の根幹を担う有機合成化学において、最も重要な科学技術の一つです。遷移金属触媒反応は、反応の中心となる「遷移金属」と遷移金属の反応性を調整する「配位子」からなる遷移金属錯体(図1左)を触媒として用います。一口に遷移金属錯体といっても、金属や配位子の組み合わせにより様々な錯体が存在しており、その一つ一つが全く異なる反応性を示します。したがって、遷移金属触媒の設計は、反応の成否を決めるほど極めて重要な役割を担っています。

触媒設計において特に困難なのが、配位子の最適化です。図1の中央に示したように、配位子の候補となりうる分子は、(理論上)考えうる分子構造の数だけ存在しています。したがって、この莫大な候補のなかから目的の反応に最適な配位子を見出すことは容易ではなく、いかにこの「配位子スクリーニング」を効率的に行えるかが、いかに早く新反応を開発できるかに直結します。従来、配位子スクリーニングは実験的なトライアンドエラーによって行われてきました(図1右)。すなわち、配位子候補を一つ一つ合成・評価し、この結果をもとにより優れた配位子を設計します。実際に、数多くの遷移金属触媒反応がこの手順に則って開発されてきましたが、この手法には、①一つの配位子を合成し評価するだけでも多大な時間とコストを要することや②結果として多量の廃棄物を排出してしまうことなどの問題点がありました。

図1. 遷移金属錯体の例と従来の配位子スクリーニング法

解決の緒「インシリコ配位子スクリーニング」とその課題

このような背景から、世界中で「インシリコ配位子スクリーニング」に関する研究が行われています。この手法は、実験を行う代わりに量子化学計算を用いて配位子の性能(目的の反応の活性化障壁など)を評価し、コンピュータ上で反応に適した配位子を絞り込む手法です(図2左)。この手法は、従来の実験的な手法(図1)に比べて、配位子を実際に合成する必要がないため、短期間・低コストかつ環境負荷の小さい配位子スクリーニングが実現できると期待されています。

しかしながら、このインシリコ配位子スクリーニングに関連する理論的な研究は行われているものの、未だ実用化には至っていません。最大の課題として、やはり配位子の多様性に由来する問題が挙げられます(図2右)。前述の通り、候補となりうる配位子は無数に存在するため、最先端のコンピュータを用いたとしても全ての候補に対して量子化学計算を行い、性能を評価することは到底不可能です。したがって、現実的には代表的な配位子に絞った上で計算を行う必要がありますが、この選択の仕方によって真に最適な配位子の見落としが生じてしまう可能性があります。

図2. インシリコ配位子スクリーニングとその課題

研究成果: 逆転の発想でインシリコ配位子スクリーニングを実現

本研究では、上記の課題を解決し、インシリコ配位子スクリーニングを実用段階まで発展させることを目指し、バーチャル配位子法という新たな量子計算手法を開発しました。有機リン配位子をはじめとする配位子は、配位した遷移金属の反応性を電子的・立体的に変化させることが知られています。バーチャル配位子とは、量子化学計算においてこの電子効果と立体効果を近似的に再現する仮想的な配位子です(図3)。実際の配位子がその化学構造に応じて固有の電子効果・立体効果を有するのに対し(図3左)、バーチャル配位子ではこれらの効果を独立なパラメータとして自在に設定可能です(図3右)。したがって、目的の反応が最も速く進行するように(活性化障壁が最小となるように)バーチャル配位子のパラメータを最適化することで、 反応に適した配位子の特徴を容易に絞り込むことが可能です。我々は、この独自に開発したバーチャル配位子を用いて、インシリコ配位子スクリーニング(VLAスクリーニング)を行うことで、工業的に重要な遷移金属触媒反応であるヒドロホルミル化反応において高い位置選択性を発現すると予想される有用な配位子の提案に成功しました。本手法は、検討する配位子を限定した上でスクリーニングを行う一般的なインシリコ配位子スクリーニング法(図2)と異なり、特定の配位子を想定することなく電子的・立体的な性質の最適化を行います。つまり、最適なパラメータから実際の配位子の設計を行うという、従来とは逆転の発想で、最適配位子の見落としや探索範囲の偏りを最小限に抑えつつこれまでにない迅速な配位子スクリーニングを実現しました。

図3. バーチャル配位子とバーチャル配位子アシスト(VLA)スクリーニング

展望: コンピュータが主導する次世代型反応開発研究

遷移金属触媒反応の開発においてボトルネックであった「配位子スクリーニング」のプロセスを量子化学計算により効率的に行うことで、反応開発研究に必要な時間やコストの削減・環境負荷の低減につながると考えられます。また、前田研究室で開発を進めている人工力誘起反応法(AFIR法)などの反応経路探索手法と組み合わせることで、コンピュータが主導する次世代型の遷移金属触媒反応開発手法へ発展することが期待されます。

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