科学技術振興機構報 第8号
平成15年10月28日
埼玉県川口市本町4−1−8
独立行政法人 科学技術振興機構
電話(048)226-5606(総務部広報室)
URL:http://www.jst.go.jp/

戦略的創造研究推進事業における研究成果について

匂い知覚のメカニズム
〜匂いセンサーの特性は"負のフィードバック機構"が決定する〜

 独立行政法人 科学技術振興機構(理事長:沖村憲樹)は、戦略的創造研究推進事業「タイムシグナルと制御」研究領域(研究総括:永井克孝)における研究テーマ「嗅神経回路の形成と再構築の分子機構(研究者:芹沢 尚)」において、匂いセンサー(嗅神経細胞)の特性を決定するメカニズムを分子レベルで解明した。
 匂いは、匂いの分子が鼻の中に入り、神経を通じて信号を送り、脳を刺激することで初めて知覚される(図1)。匂いは40〜50万種類もあるとされるが、これらの識別は、約1,000種類ある匂い受容体の組み合わせで対応している(図2)。匂い受容体は、鼻腔に無数にある匂いセンサーに存在するが、個々のセンサーの特性は、約1,000種類ある匂い受容体の内、どの受容体を持つかで決まる。脳が多くの匂いを識別するためには、1つ1つのセンサーがそれぞれ1種類の匂い受容体しか持たないというルールが重要で、これは、嗅覚系における"1センサー、1受容体"ルールと呼ばれている。これまでのところ、このルールを裏付けする分子メカニズムは全く未解明であった。
 本研究では、匂いの知覚メカニズムを分子レベルで解明するために、匂いセンサーの特性を決める"匂い受容体"が産生されないように正常な受容体の遺伝子を一部改変したところ、この改変した匂い受容体遺伝子が、他の匂い受容体遺伝子と同じ1つのセンサーで活性化されてしまう、つまり嗅覚系における"1センサー、1受容体"ルールが破れることを発見した(図3)。今回の結果から、「1つの匂い受容体遺伝子の活性化が、他の残りの匂い受容体遺伝子の発現を抑制している(負のフィードバック機構)」ことが証明された。つまり、偶然一番乗りで活性化し始めた最初の匂い受容体遺伝子が、残りの約999個の匂い受容体遺伝子の活性化を抑え込むことで"1センサー、1受容体"ルールを保証し、センサーの特性を規定することを証明した。
 なお本研究の成果は、学術雑誌「Science」への掲載に先立ち、10月31日(金)午前4時(日本時間)に解禁予定のオンライン版「Science Express(http://www.sciencemag.org/sciencexpress/recent.shtml)」において一般公開される。

【研究成果の概要】
背景
 1991年に匂いの受容を担う匂い受容体遺伝子群が発見されて以来、"匂い知覚"の仕組みの解明が急速に進んでいる。
 人を含めた哺乳動物は、匂いを感知、識別するために約1,000種類もの匂い受容体遺伝子を持ち、これらを匂いセンサーである嗅神経細胞で活性化させ、遺伝子産物(受容体)をつくっている。特定の匂いは複数の匂い受容体の組み合わせによって感知されるため、哺乳動物は数十万種類もの匂いを区別することができる。匂い受容体は匂いセンサー(嗅神経細胞)で活性化しているが、個々のセンサーでは1,000種ある受容体遺伝子の内、1種類の遺伝子のみを選択的に活性化し受容体をつくっている("1センサー、1受容体"ルール)。従って、脳はどの匂いセンサーが反応したかを知ることで、どの受容体に匂いが結合したかを知り、そして結合した匂いの種類を知る。ここで、脳がどの種類の受容体に匂いが結合したかを知るためには、異なる受容体が異なる匂いセンサーに棲み分けて存在することが必要であり、"1センサー、1受容体"ルールが匂い識別の要となる。

研究の経緯
 遺伝子の性質は、DNA配列により規定されている。したがって、同じDNA配列を持つ遺伝子は、通常、同じ細胞で活性化する。ところが匂い受容体遺伝子の場合、全く同じDNA配列を持っていても異なる対立遺伝子や外来性遺伝子は異なる細胞(匂いセンサー)で活性化することが明らかとなった (S. Serizawa et al., Nature Neurosci. 3, 2000)。この結果から、匂い受容体遺伝子の活性化がこれまでに知られていない方法により成されていることが分かった。
 我々は、この全くの謎に包まれた匂い受容体遺伝子活性化機構、すなわち"1センサー、1受容体"ルールを保証する分子メカニズムの解明を目指し、研究を行って来た。

今回の論文の概要
 今回、ヒトとマウスの遺伝子配列を比較することで、匂い受容体遺伝子の活性化を「正に制御」する遺伝子配列を発見した。また、遺伝子配列を変異させた匂い受容体遺伝子及び匂い受容体偽遺伝子の活性化解析から、匂い受容体産物が他の匂い受容体遺伝子の活性化を「負に制御」することが示された。

今後期待できる成果
 今回の研究で、匂い知覚の仕組みを理解する上で不可欠であるが全く未解明のままだった"1つの匂いセンサー、1受容体"ルールを保証するメカニズムの主な部分が解明できた。今後、この理解を元に、匂いを感知、識別する仕組みの解明が加速的に進むことになる。匂い知覚の仕組みを明らかとすることで、犬の匂い感知、識別能力以上に鋭敏な化学物質センサーの開発が期待できる。

【論文名】
SCIENCE 「Negative Feedback Regulation Ensures the One Receptor-One Olfactory Neuron Rule in Mouse」
doi :10.1126/science.1089122
(マウスにおいて、負のフィードバック機構が "1匂いセンサー、1受容体"ルールを保証する)

【概要】
戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけタイプ)
「タイムシグナルと制御」研究領域 (研究総括:永井 克孝)
研 究 課 題 名: 嗅神経回路の形成と再構築の分子機構
研  究  者 : 芹沢 尚(独立行政法人科学技術振興機構  さきがけ研究者)
研究実施場所: 東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻 坂野研究室
研究実施期間: 平成13年12月〜平成16年11月

【問い合わせ先】
芹沢 尚  (セリザワ ショウ)
独立行政法人 科学技術振興機構 さきがけ研究者
〒103-0023 東京都文京区弥生2-11-16
TEL: 03-5841-4397, FAX: 03-5689-7240
坂野 仁 (サカノ ヒトシ)
東京大学大学院理学系研究科 教授
〒103-0023 東京都文京区弥生2-11-16
TEL: 03-5689-7239

図1 ヒト嗅覚器の構造
図2 “1センサー、1受容体”ルール
図3 “1センサー、1受容体”ルールの破れ
用語説明

■ 戻る ■


This page updated on November 11, 2015

Copyright©2003 Japan Science and Technology Agency.

www-admin@tokyo.jst.go.jp