事業成果

大規模な光量子コンピュータを現実のものに

量子光のパルス波形を自在に制御する手法を開発2023年度更新

写真:工藤 寿彦/中路 重之/村下 公一
古澤 明(東京大学 大学院工学系研究科 教授/理化学研究所 量子コンピュータ研究センター 副センター長)
ムーンショット型研究開発事業
ムーンショット目標6:2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる 誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現
「誤り耐性型大規模汎用光量子コンピュータの研究開発」プロジェクトマネージャー(2020-)

「特殊なパルス波形を持つ量子光の生成」に初めて成功

スーパーコンピュータでも膨大な時間がかかる計算を一瞬で解くとされる量子コンピュータ。現在、大規模な量子コンピュータの実現に向けて、原子・イオン・超伝導素子など、さまざまなシステムで汎用量子コンピュータの研究が進められている。それらの中でも、光を用いた光量子コンピュータ※1は、室温・大気中といった条件でも動作し、他のシステムで必要な巨大な冷却装置や真空装置が不要であるため、実用化に有利とされている。東京大学の古澤明教授と高瀬寛助教は、日本電信電話(以下、NTT)、情報通信研究機構(以下、NICT)、理化学研究所の研究チームと共に、あらゆる量子光をパルス波形で出力する光源「量子任意波形発生器(Q-AWG: Quantum Arbitrary Waveform Generator)」(図1)を提唱し、その核心となる技術「量子光※2のパルス波形を自在に制御する手法」を実現。大規模な光量子コンピュータの作動に必要な、「特殊なパルス波形を持つ量子光の生成」に成功した。

本研究で新たに提唱した概念Q-AWGは、目的に応じてさまざまなパルス状の量子光を出力する汎用量子光源である。レーザーや任意波形発生器(AWG)といった従来型の光源は、一種類の光(古典光)のみを出力するものだった。対してQ-AWGは、光子数状態やシュレディンガーの猫状態※3など無数の光の選択肢から出力する量子光を決定できる。さらに、出力する量子光のパルス波形も目的に応じて最適なものに設定できる。本研究ではQ-AWGを実現する上で核となる、「量子光のパルス波形を自在に制御する技術」を実証した。

※1 光量子コンピュータ
従来のコンピュータは0か1で情報を表現し計算を行うが、量子コンピュータは0と1両方の情報を保持でき、その性質を利用して何通りもの計算を瞬時に行う。多くの量子コンピュータは電気信号が使われる。一方、光量子コンピュータはクロック周波数が高く、電気信号よりスピーディに計算を行える光信号を使う。

※2 量子光
量子とは、非常に小さな物質や微弱な光、もしくはそのような小さな対象がもつエネルギーの単位のこと。量子は、複数の状態が共存するような「重ね合わせ」の状態を取ったり、粒子と波の性質を併せ持つなど、われわれの直感に反するような不思議な挙動を示す。このような量子特有の性質を強く示すような光を量子光と呼ぶ。こうした量子光に対し、レーザーなど従来の光源が発する光は古典光と呼ばれる。

※3 シュレディンガーの猫状態
原義としては、シュレディンガーの思考実験に登場する、一匹の猫の生と死が量子力学的な重ね合わせになった不思議な状態。光分野では、位相の異なる2つの古典光を生きた猫と死んだ猫になぞらえ、それらの重ね合わせをシュレディンガーの猫状態と呼ぶ。光学的なシュレディンガーの猫状態は、量子コンピュータを含むさまざまな量子技術の重要なリソースであることが知られる。

図1

図1 量子任意波形発生器(Q-AWG: Quantum Arbitrary Waveform Generator)のイメージ

「多様な量子光を出力できる量子光源」が求められた

レーザーという光の発明は、科学技術を大きく発展させた。現代において最も汎用性の高い光源の1つは、レーザー光を任意のパルス波形で出力する「任意波形発生器(AWG)」である。AWGは、目的に応じてパルス波形を最適化することで、高速光通信から分子・原子レベルの物質制御など、さまざまに応用でき、課題を解決できる。光を自在に操るAWGは、非常に優れた光源に見えるが、「レーザー光という古典的な光しか出力できない」という明確な制約を抱えている。そのため、先進的な量子技術の開発に利用するのには限界がある。

光量子コンピュータや量子ネットワーキング、量子計測といった量子技術の世界では、「特定の位相成分の量子ノイズを圧搾したスクイーズド状態」「光という波でありながら粒子としての解釈ができる光子数状態」「位相の異なる古典光を重ね合わせたシュレディンガーの猫状態」といった多様な量子光を出力できる量子光源が必要になる。また、量子技術においても古典的な光と同様に、パルス波形を工夫すれば、さまざまな技術的恩恵を得られる。したがって任意の種類の量子光を出力でき、かつAWGのようにパルス波形を自在に制御できる「汎用的な量子光源」が実現できれば、量子技術の発展に大きく貢献すると考えられている。

「量子もつれを利用した量子光のパルス波形制御の原理」を実証

本研究では、任意の量子光を任意のパルス波形で出力する「量子任意波形発生器(Q-AWG)」という光源を提唱し、Q-AWGの核心技術である量子光のパルス波形を自在に制御する手法を開発。その手法を用いて、「大規模光量子コンピュータの作動に必要な、特殊なパルス波形を持つ量子光の生成に初めて成功」した。

Q-AWGの実現を目指すに当たって、本研究ではまず、「量子光への損失を抑えつつパルス波形を制御する手法」の考案に取り組んだ。レーザーのような古典光は、損失を受けても物理的性質が変化せず、光増幅器を用いれば元の状態に戻せる。よって古典光のみを扱うAWGでは、損失の大きな光フィルタにレーザー光を入射することで簡単にパルス波形を制御できた。一方で量子光は、損失に非常に弱く、量子光特有の物理的性質がみるみる失われる。しかも損失を受けた量子光は、基本的に元の状態に復元できず、利用できなくなる。したがってQ-AWGによる量子光のパルス波形制御では、AWGで用いられる大きな損失を前提とした方法を利用できず、まったく異なる方法論の導入が必要だった。そこで本研究では、「量子もつれ※4を介してパルス波形を自在に制御する新しい手法」を考案した。

本研究で考案・実証した「量子もつれを利用した量子光のパルス波形制御の原理」は次の通りとなる。

光1と光2に量子もつれがある場合(図2)、量子光2を光子検出器※5に入射すると、光が検出されたタイミングで光1側に狙った量子状態が生成される。ここで光子検出器の前に光フィルタを設置すると、生成される量子光のパルス波形を指定できる。

特に「量子もつれのある光の周波数帯域を広く」することで波形制御の分解能(対象を測定できる能力)が上がり、任意のパルス波形を実現できる。この方法を使うと実際に目的の量子光が生成される光1側に光フィルタを設置する必要がないため、量子光への損失を抑えたままパルス波形の制御が可能になる。

※4 量子もつれ
量子の世界では、複数の量子の間に、古典的な物理学では説明できない不思議な相関が生まれることがある。このような相関を量子もつれと呼ぶ。量子もつれは応用上も重要であり、量子通信や量子情報処理における基本的なリソースとなる。

※5 光子/光子検出器
量子には、「粒子と波の性質を併せ持つ」という不思議な特性がある。光はもともと波として考えられてきたが、量子光は光の粒子の集合として解釈することも可能となる。この光の粒子を光子と呼ぶ。光子検出器は、入射した量子光に光子が含まれていたかどうかを判別する測定器。

図2

図2 量子光のパルス波形制御の原理

提案したパルス波形制御方法の実証には、東京大学とNTTで共同開発した「広帯域スクイーズド光源」と、東京大学とNICTで共同開発した「超伝導光子検出器」を利用した(図3)。実験では、スクイーズド光とビームスプリッタ(入射光を所定の分割比で分割する光学デバイス)により量子もつれのある光を生成し、そこに光フィルタと光子検出器を組み合わせ、シュレディンガーの猫状態と呼ばれる量子光をバランス型タイムビン(time-bin)波形(図4)のパルスとして生成することに成功した。

現在、開発中の大規模光量子コンピュータは、複数の量子光が互いに悪影響を及ぼさないようにバランス型タイムビン波形のパルス(図4)の利用を仮定している。これまでバランス型タイムビン波形の実現方法は知られておらず、本研究が初めての実証例となった。この成果は、今回、提案したパルス波形制御手法の柔軟性の高さ、そして量子技術開発における実用性を示している。

図3

図3

(左)東京大学とNTTで共同開発した広帯域スクイーズド光源。従来、低損失で十分な強度を出力できる広帯域スクイーズド光源は実現が困難だった。モジュールの心臓部である非線形光学結晶の製造プロセスを一新することで性能を大幅に改善し、本研究でも使用した実用的な広帯域スクイーズド光源を実現した。
(右)東京大学とNICTで共同開発した超伝導ナノストリップ単一光子検出器(SNSPD) 。本研究は高純度な広帯域スクイーズド光を生成するために通信波長帯を利用しているが、この波長帯で機能する通常の半導体光子検出器の性能は不十分だった。通信波長帯用の高性能光子検出器の設計に取り組み、超伝導技術を利用した本デバイスを製造した。

図4

図4 生成したシュレディンガーの猫状態のパルス波形

(A) のように、パルスが有限の領域内にほとんど収まっているものをタイムビン波形と呼ぶ。2つのタイムビン波形を反転し、つなぎ合わせた波形をバランス型タイムビン波形(B)と呼ぶ。この波形を持つ量子光パルスは、1つの光軸上に隙間なく並べられて効率が良いうえ、隣り合うパルス同士が互いに悪影響を及ぼしにくい性質をもつ。

光量子コンピュータの開発を次のステップへ

今回、開発したシステムを拡張すると、シュレディンガーの猫状態以外にも一般的な量子光が生成可能になり、Q-AWGの実現につながる。Q-AWGの最大の価値は、その汎用性にある。光量子コンピュータが非常に特殊なパルス波形を要求しているように、量子技術の実現には多種多様な量子光やパルス波形が必要となる。しかも研究の進展により、その要求内容は次々と変わっていく。汎用型の量子光源Q-AWGは、時々のニーズにも柔軟に対応することが可能である。本研究の応用からQ-AWGが実現すれば、「究極の量子光源」として光量子コンピュータをはじめとする、さまざまな量子技術の開発を促進すると期待される。