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「高齢社会の可能性」

大島 伸一
領域アドバイザー 大島 伸一
独立行政法人
国立長寿医療研究センター
理事長・総長

これからの高齢社会の可能性とは、長生きを歓迎できる社会を選択するのか、そうではない社会にするのか、という可能性である。可能性とは意志であり、意志とは知性である。どんな高齢社会を設計し実現するかは、良質な知性がどう関わるかによって決まる。

我が国は、明治維新から資源獲得のために、土地を求めて軍事大国として登り詰め、敗戦によってどん底に落ちた。モノ作りで産業を振興し、経済大国として蘇ったが、数十年で行き詰まり、気が付いてみれば、高齢大国である。たかだか150年間の間に、まったく違った分野で、三度も世界の頂点に立った国は他にはない。軍事大国も経済大国も、国、国民の豊かさを求めての国造りであったが、高齢大国は、しかし、意図して目指したものではなく、結果として到達した社会である。

高齢社会は、人類がかつて経験したことのないまったく未知の社会だが、私達はこれからどんな国をつくろうとしているのだろうか。欲望の追求と成長という大義を、科学技術と市場主義で支えてきた、これまでの価値観は、高齢社会でも通用するのだろうか、発展、前進、開発という価値は、高齢者とはどうにも相性がよくない。

私には、我が国は、今、大きな岐路に直面しているように見える。岐路とは年寄りを切り捨てるような社会に向かうのか、それを許さない社会にするのかという岐路である。

心の内はいざ知らず、年寄りを切り捨てるなどは、人でなしの振る舞いだから、禁句中の禁句だが、現実には、すでに平均寿命83歳、高齢化率23%を超えた世界一の超高齢社会で、長生きを迷惑がっているとしか思えない事件が頻発しており、年寄りの切り捨てを予感させる徴候は増え続けている。

解った振りや知らぬ振り、モグラ叩きのような応急手当や問題の先送りといった我が国の得意芸を駆使し、最後は金がない金がないという切り札を正当化の根拠とするような繰り返しの末路は悲惨である。惨状が誰の目にも見えてくるところまでゆけば、先進国ではあり得ないはずの地獄図が出現する可能性もある。

高齢社会にまつわる問題は、複雑多岐に亘る。何が問題かは何を価値とし何を目的とするかによって変わるが、今の日本で、長生きを歓迎できる社会を拒否するような選択肢をとることはできないだろう。そうならそうとはっきりと宣言し、新しい価値観の創造とそれを支える構造の構築に向けて、まだ余力のあるうちに、総合計画の立案に向かうしかない。

余力がなくなり追い込まれれば、若い人や子供の生存、生活の価値と、高齢者のそれとの比較といった事態に直面することになるかも知れない。冒頭に述べた良質な知性とは、人類、社会、子孫、そして他者や弱者のことを思いはかることのできる知性であり、高齢社会の可能性は、この良質な知性を持った人物にどのような場と機会が与えられるかによって、決まると思うのである。


(掲載日:2011年8月19日)

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