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「日本老残~20年後の長命地獄」~ある予言の書について

髙橋紘士
領域アドバイザー  髙橋 紘士
国際医療福祉大学大学院 教授

 1970年初頭は日本の高齢化にとって転換点であった。1970年の国勢調査の結果日本の高齢人口が7%を突破し国連の定義する高齢社会に到達した。いわゆる福祉元年(1973年)のなかで、老人医療の無料化政策の導入などで高齢者福祉の充実策が現実化したのもこの時期である。

 脳卒中などの疾患の救命率が向上し、家庭で生活する「寝たきり老人」の問題が顕在化し始め、認知症高齢者(当時は痴呆老人と呼ばれていた)を主人公とした有吉佐和子の「恍惚の人」(1972年初版)がベストセラーになり一挙に老人問題が社会問題として広く認識されるようになった。

 ちょうどこの時期に大阪医科大学の公衆衛生学の教授を務めていた吉田寿三郎医師が「日本老残~20年後の長命地獄」(1974年小学館刊)という書物を発刊し洛陽の紙価を高めた。

 氏は「恍惚の人」における「茂造(主人公)という淘汰に逆らった大きな存在がある」という表現に着目し、これからの長命化がたどる「死ぬに死ねない高齢者」の急増がもたらす個人の苦しみと社会の負荷の増大について、当時の先進福祉国家である、北欧諸国やイギリスなどヨーロッパ諸国の経験を紹介しつつ、日本の超高齢化が辿る行末に警鐘を鳴らした予言の書であった。

 人口高齢化は豊かさがもたらす生活水準の向上のなかで不可逆的に起こるプロセスでもあり、まさに能力主義と効率を追求してきた資本主義の発展の結果、膨大な依存人口としての高齢人口急増を招く、「資本主義の逆説」(馬場啓之助1974年東洋経済刊)といえる。あらゆる工業化に成功した国々におこる必然的な現象でもある。

 吉田医師は、「人間の一生間におけるサービスの再分配が所得の再分配にもまして、真の人間社会創りには必要」と主張し、その当時ヨーロッパ社会が収容主義からの脱却をめざした高齢者ケアの再編に注目した。

 氏は高齢期を豊富な経験と脱生殖期がもたらす「老勢期」と、加わる衰弱のもとで死と対決すべき「老衰期」とを識別し、感染性疾患の制圧がもたらす、弱って死ねない長命の時代の到来のなかで、加齢のダイナミックな管理とウェルエイジングの課題を説き、とりわけ「老衰期」の課題を個人的側面と社会的側面に注意しつつ論じている。

 とりわけ「収容ケア」(イギリスではピータータウンゼントが最後の拠り所という書物により施設ケアの問題点を明らかにしたのが1962年であった)の限界を指摘し、ヘルスセンターを設け、保健福祉関係者がネットワークを組み相談と情報共有によつ総合的支援を行う機能を整備し、小地域でワンストップ型のサービスを保証する老人サービスユニットの構想を紹介している。

 考えてみると高度経済成長の余塵がのこるこの時期から、現在のバブルの崩壊と経済危機を迎え、財政危機の中で、社会保障費用をまかなうための負担増時代に突入している。この間高齢者介護の質量を飛躍的に向上させた介護保険の導入を経験し、さらに、社会保障改革の構想のなかで、医療介護福祉の地域社会における一体化が地域包括ケアシステムの構築という政策構想で推進されようとしている。しかしながら、施設や病院への依存を克服できず、負担増を伴うこのような方向性への抵抗も相変わらず大きいように見受けられる。

 団塊の世代が2015年に65歳に到達し、「老勢期」の時期に入り、さらにその10年後の2025年に団塊の世代が75歳のいわゆる「老衰期」を迎え、高齢化率は25%を超え、75歳以上の後期高齢者は2000万人を突破する時代を経験する。

 この現実のなかで、36年前の高齢化率7%、後期高齢層約250万人の時代に出版された吉田寿三郎医師の予言の書は、「20年後の長命地獄」という副題からほぼ倍の時間が経過した現代に、受け入れられたのだろうか。そのためにはあまりにも長い時間を空費してしまったとういうのも正直な感想である。



(掲載日:2012年6月20日)

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