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理事長インタビュー

2016年1月「理事長新春インタビュー」

「海図のない近未来へ イノベーションの先導役を」

国立研究開発法人 科学技術振興機構
理事長 濵口道成

 2016年が明けた。東日本大震災から5年目を迎える。近未来を見すえつつ当面5年間の政策を具体化する国の「第5期科学技術基本計画」がスタートする。JSTは設立20年を迎える。この大きな節目の年初にあたって、昨秋就任した濵口道成理事長に抱負を語ってもらった。「大学との密接な連携・協働」「情報時代の政策推進と人材育成」「復興と減災」「多様性と新たな価値観」について熱く語る姿は、かつての臨床医師を彷彿とさせる。社会と科学のあり方からJSTの体質改善までを冷静に観察し、的確な診断と処方箋をじっくりと準備しているようだ。

(科学ジャーナリスト・浅羽雅晴)

—就任3か月が過ぎました。まずJSTの印象はいかがですか。

 濵口理事長: 想像以上に規模の大きな組織で、内外への影響力も強いことを知りました。私たちのありかた次第では10年後、20年後の日本の活力にもつながるはずで、とても責任が重い。

 JSTは、海図なき時代のイノベーションの先導者です。イノベーションは社会的価値の創出や、役にたつ出口というものが必要です。しかしこうやれば良いとの必勝法がありません。その中でも成功を導く人材育成やファンディング(研究資金の配分)のやり方がきっとあるはずです。

 注目したいのは、研究開発戦略センター(CRDS)のシンクタンク機能です。大学や研究者の実情、産業界のニーズ、国内外の動向についての調査能力も持っています。世界を俯瞰しながら日本の強みや弱みをデータに基づいて分析し、社会へ提言のできるシンクタンクはここだけでしょう。この力量と役割の重要性を実感しています。

—これからどの方向に力を入れていこうと考えていますか。

 濵口: 若者の行動を見ていると、私の息子もそうですが、違う世界に生きているように感じます。情報通信の環境が劇的に変化し、世の中の構造や価値観、コミュニケーションが大きな変化を起こしています。その情報は玉石混交ですが、時にはどこにもない重要な情報がポロッと出てくることがあります。ツイッターなどで、誰でもナマの意見を発信できるようになりました。

 明治以来の日本の情報構造が土台から変化しているのです。それに合わせて科学技術政策も大きく変わる必要があるし、このエネルギーをうまく取り込み利用できれば、もっと大きな力が出せるようにも思います。その具体的な戦略や方策が見えていないのですね。

 科学技術と社会の関係も大きく変わり始めています。専門家が知識に基づいて説明をし、市民が黙って聞くという時代から、両者がフラットに議論できるようになりました。これが実は非常に大事なのです。そこから日本の次のあり様が形作られていくのだと思います。その意味でも、毎年11月に東京・台場で開かれる科学と社会をつなぐ広場「サイエンスアゴラ」には注目しています。

 研究者の意識も変えながら、幅広い市民の方々と対話するためにも、アゴラを全国各地で通年展開し、各大学の先生方にも参加、運営協力していただくような場を作りたいと考えています。

 私は数年前に、英国王立国際問題研究所、通称「チャタムハウス」にならい、名古屋大学で学生や研究者らと半日のディベートを実施しました。日本の政治、経済、教育などをテーマに議論し、そこでの要点は匿名で公開しました。結論は出さないやり方ですがとても効果がありました。

 大学が社会に対して積極的に発信している時代なので、JSTもそれをサポートしながら新たな協力関係を作りたい。これができれば私たちの存在が研究者にもっと知られるようになるでしょう。単なる大型の研究費を配分する組織というイメージから、科学技術の大黒柱だとの認識に変わってくるかもしれません。

—あらたな柔構造のやり方ですね。科学と社会の関係を深めるには大切です。

 濵口: ICT時代に合わせた取り組み方を持ちたいものです。中身はそこから出てくると思います。その中でもう一度、東日本大震災の問題も取り上げたい。今年は福島などの被災地に出かけ、「震災の今を語る」ような形で、議論したいと考えています。

—大震災を期に、科学者の信頼が大きく低下しました。

 濵口: そう思います。地震予知など科学技術への過大な期待を生んだ反面、それが裏切られた落胆や絶望や、救済を求める声に、科学者からの十分なサポートがなかったからでしょう。しかし、東日本大震災では各大学の医学部の救援活躍はめざましいものがありました。名古屋大学は震災2日後から4トントラックで3、4台分の救急・救援資材をかき集めて被災地入りし、スタッフは寝袋で寝泊まりしながら交代で1年半以上も働き続けました。被災地にも大変感謝されましたが、学生や若い医師たちにとっても貴重な勉強になったようです。

—日本は災害大国です。地震、台風、津波、山崩れ、さらに温暖化によって海面上昇や気候激変が心配されます。安全や減災の科学技術を磨くことは、国内だけでなく途上国支援にもつながるはずです。

 濵口: 災害に対処できる新たな専門家を育てるべきですね。研究者は実験室などで、過去のデータ分析をする能力には長けていますが、社会とか大きな自然構造の中で、リアルタイムで起きていることに対応するには弱い面がありますから。

 名古屋大学総長の時代に「減災連携研究センター」を作りました。愛知県内の市町村の古文書を集めて分析しています。過去にどこでどんな地震が起き、どんな被害があったかを収集し、ハザードマップを作り、地域を知ることから始めたのです。市町村の防災担当職員を大学に派遣してもらいトレーニングしています。同じ様な地震でも地域によって被害も対策も違うからです。

 このセンターについて、アメリカの科学雑誌「サイエンス」の女性編集長と話したことがあります。彼女は、テキサス湾でオイル流出事故の際に、政府の一員として対策に動いた方だったのです。彼女は「アクタブル・サイエンティストが必要になる」と話していました。災害緊急時に現地に直接入って、実際にリアルタイムで対策を立てる科学者のことです。科学技術の力で人命被害を最小限に抑えるのです。こういう形の科学者と科学が本当に必要な時代になりました。

—国の科学技術予算が縮小気味の中で、JSTも選択と集中が必要になってきます。再構成が迫られるのはどんなところでしょうか。

 濵口: まだ勉強中ですが、JSTの組織構造は高度成長期のように予算が増加し、事業を拡張したそのままで残っており、以前の大学の姿を見るようです。もっと時代に適った組織に変える必要があると感じています。

 JSTが担当する科学技術はハイリスク・ハイリターンの分野です。国がサポートを決めたからには挑戦をしてもらわないといけない。大きな発明や仕事というのは、それ自体が革命的であり社会に大きな影響を与えます。青色発光ダイオードの発明がそうで、ノーベル賞の受賞理由にも「15億の人に光を与えた」と書かれています。すごいインパクトですね。こうした研究支援をこれからも目指したいですね。

—昨年暮れには新設したインドのリエゾンオフィス(連絡事務所)に行かれました。インドにはどんなことを期待しますか。

 濵口: インドには非常に優秀な人がたくさんいますので、その人材を日本に紹介したいのです。私も仲の良いインド人の友人がいます。国民は二桁の掛け算が暗算できるくらい訓練されていますが、古い社会制度のカースト制でそうした能力が生かされているわけではありません。また主要な言語だけで15もあります。価値観の多様性の奥深さは日本とは比べようもありません。現代社会はそうした多様性が発展の原動力になるはずです。

 日本は多様性という柔軟性を失ってしまっている。インドの人たちとの交流でそれを回復し、また日本の中でマイノリティーの立場の女性がもっと活躍し、発言できるような国にすることが求められています。

 ダーウィンの言葉にもあります。「この世の中で生き延びるのは、最強の生物ではない。最も賢い生物でもない。環境に適応した生物のみが生き残るのだ」と。

—最後に座右の銘とか、趣味などを紹介してください。

 濵口: よく父から言われたことは、「艱難辛苦、汝を玉にする」でした。苦労は買ってでも経験をするもので、それで人間は磨かれるものだという意味でしょう。

 趣味は絵を描くことです。花の咲き誇る勢いの生命感がいいですね。園芸も好きで、暇のあるときはバラや季節の花々を育てます。花が育って咲き始める姿には命の力を感じ取ります。まるで学生を育てることにも似ていて楽しみです。

—命を尊ぶお医者さんの目と、人を育てる教育者の眼差しを感じました。ありがとうございました。

このインタビューはJSTnews1月号にも掲載しています。