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自然言語処理による心の病の理解:未病で精神疾患を防ぐ(UNDERPIN)

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岸本 泰士郎

(慶應義塾大学 医学部 専任講師)

岸本さんがチームリーダーを務めるCREST研究では、ごく初期の段階で精神疾患の予兆をとらえる技術の実現を目指し、自然言語処理を活用した精神症状の特徴量抽出の取り組みを行っている。精神医療と情報学のそれぞれを専門とするチームが密に連携した新しい異分野融合研究を通じ、新しい精神医療技術の実現を目指している。

言葉から精神症状の特徴を抽出
心の病の予防に新しい手掛かり

人々を長期にわたって苦しめる精神疾患。厚生労働省の「精神疾患のデータ」によると、うつ病や統合失調症などの精神疾患の患者は全国で300万人を超える。超高齢社会で増え続け対策が急務となっている認知症も加えると、約800万人近くにも達するという。世界保健機関(WHO)などの疾病負担調査では、社会的な損失も他の疾患より大きい。しかし、血液や画像などから症状を判定する鋭敏なバイオマーカーがないため、重症度の判定が医師の経験や勘に左右されやすい。また、その人の性格と病的な部分の境界の線引きも難しい。「我々精神科医は、患者さんがどんな気分でいらっしゃるのか、どのように考えていらっしゃるのか、などを伺いながら、診断していますが、この方法は客観性に乏しいのが現状です」と岸本さんは精神科医の悩みを打ち明ける。

岸本さんが代表となって2016年に始まったCREST研究プロジェクト「自然言語処理による心の病の理解」(Understanding Psychiatric Illness through Natural Language Processing: UNDERPIN)はこの課題の解決のため、情報通信技術(ICT)を活用して精神症状の定量化に挑む。このプロジェクト名の英語の略称「UNDERPIN」には「土台を固める、裏付けをする」といった意味がある。「精神科医にとって患者さんの言葉は鍵です。日常の診断でも、面接での患者さんの話し言葉から症状をひろっています。このプロジェクトでは、さらに急速に発達してきた自然言語処理を利用して症状との相関をみます」と岸本さん。今の診断方法の限界を越えて、精神科医療の土台を固めようとする果敢な姿勢がうかがえる。

インタビュー風景

現在、20歳以上の健常者とさまざまな精神疾患の患者を合せた30人の男女を対象にしたパイロット試験がほぼ終わり、データを解析中だ。まず慶應大学医学部精神科で、医師か臨床心理士がこの30人に対して1、2回(各40~60分ほど)面接をする。最近の生活や家族などについて、通常の初診時と似たインタビュー形式で尋ね、録音する。その後、CREST共同研究者の狩野芳伸・静岡大学情報学部准教授の研究室で、延べ50時間の録音から話し言葉を丁寧に文字に起こし、意味をもつ最小単位に分解して、コンピュータで自動解析を行う。

研究チームはテレビ会議なども使って議論を繰り返し、数値化されたデータと精神疾患の関連を探っている。「知能の中核をなす言葉なしに会話や思考は成立しません。その言語には構造があります。言葉から、名詞の使用頻度や助詞の使い方など多様なデータが形成されます。どのような特徴が、特定の精神疾患の症状の指標になるか、診断にどれだけ使えるか、が問題です。診断に有用な言語の新しいルールを見いだせるか、ですね」と狩野さんは研究の核心を解説する。

このパイロット試験からヒントが少しずつ出ている。例えば、不安症状をもつ患者は、話が速く、言葉が多い傾向が浮かび上がった。日常診療でも、うつ病の場合は思考や運動が遅くなったり、そう病の場合は多くのことを思いつきすぎるため話が飛びやすい症状が知られているが、それらがどこまで言葉の数値化で客観的に示せるかは未知の領域だ。

さらに、ツイッターなど短い書き言葉から、診断の手掛かりになる数値化を試みる別のパイロット試験も計画している。岸本さんらはパイロット試験を基に、より大規模な本試験を実施する予定である。

自然言語処理

言語の数値化で診断しやすい精神疾患が分かれば、その疾患に絞り込んで大規模な本試験をデザインできる。次の本試験では、精神疾患の重症度を判定できる自然言語数値化のプロトタイプづくりを目指す。もっとも、言語の数値化は手間と時間がかかるので、最終的な実用化には音声認識が望ましいという。音声認識が利用できれば精神疾患に関するビッグデータ解析が可能になるからだ。極言すれば『精神科医の機械化』に聞こえるかもしれない。ただ「精神科医師を機械に置き換えることは考えていない」と岸本さんは言う。「精神科では患者さんとのコミュニケーションが重要。我々精神科医は患者さんの症状を伺いながら、同時に患者さんの気持ちを受け止めたり共感したりすることで、患者さんの支えになろうとしている。それを急に機械が代替するようになるとは思えない」。だが、これまでできなかった言語の症状の数値化を新しいバイオマーカーとして重症度診断に使えるようになれば、医療レベルを格段に上げることができる、と岸本さんらは期待する。プロジェクトでは、精神科医療と情報学における自然言語処理という異なる視点がぶつかり合いながら融合して、共同研究が進んでいる。

「この研究は製薬会社にも注目してほしい。科学的に確かな数値化で必要な新薬開発の臨床試験もデザインしやすくなるでしょう。研究を発展させ、予防や治療法を発見する車輪にしたい」。

※自然言語処理
人間の言葉をコンピュータで処理する解析技術。精神疾患の早期発見支援への応用がこのプロジェクトの狙いだが、医師の診断にどれだけ近づけるか、あるいは今まで医師が気づかなかったポイントを見出せるようになるかが課題。

*取材した研究者の所属・役職の表記は取材当時のものです。

研究者インタビュー

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研究について

この研究は、CREST研究領域「イノベーション創発に資する人工知能基盤技術の創出と統合化(栄藤稔 研究総括)」の一環として進められています。また、CREST制度の詳細はこちらをご参照ください。

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