98. 勝負の世界

 京都、淀競馬場で行われた第133回天皇賞・春(4月30日)は、記録尽くめのレースとなった。昨年の日本中央競馬会の話題を独占した感のある三冠馬デイープインパクトの底知れない強さが際立った3200m(3分13秒4のレコード勝ち)であった。この馬なら世界で十分戦えると、凱旋門賞への挑戦と昨年唯一の敗戦となった、有馬記念に絞って夢を追うという。長い歴史の中で皐月賞、日本ダービー、菊花賞を勝って3冠馬となったのはセントライト(1941),シンザン(1964),ミスターシービー(1983)、シンボリルドルフ(1984)、ナリタブライアン(1994)を含め、6頭に過ぎない。菊花賞と春の天皇賞は京都の淀競馬場でおこなわれていて、レースで勝つためにはやってはいけないといわれていることがある。それは第3コーナーの近くにスロープがあり、その坂で仕掛ける(馬の位置取りをどんどん上げていくこと)と、スタミナを奪われ、直線をゴール目指して駆け抜ける力が残らず勝利を逃す(本命馬といえども)、魔の坂での禁じ手である。デイープインパクトはいつもの癖で、ゲートから出遅れて後ろから2頭目で走ってきたのに、この坂で動いたのである。淀競馬場は大きなどよめきに包まれた。がこの馬には禁じ手とはならなかったのである。常識は仮説と対になって出来上がっている。デイープインパクトはこれまでの仮説を悠々と超えてしまう能力を持った馬だったのである。

勝鞍数で群を抜いている、武豊騎手が、乗った感じが走っているというより空かけているようだとの印象を述べている。日本で盛り上がっても所詮コップの中の嵐(?)に過ぎなかった日本競馬会にとっても世界に伍して戦える(種牡馬が世界の主要レースを制するという実績を残した今をときめくサンデーサイレンスということからいえば、血統的にはハンデイはなく素質を開花させるトータルの環境つくりにおいて、欧米との比較でかける面がまだあるのかもしれない)馬を得たといえそうである。関係者や多くのファンの期待は膨らむ一方である。中山競馬場、府中の東京競馬場、そして淀それぞれのターフには特徴があり、駆け抜けた名馬達が演じた心に残る名勝負の舞台演出役を担ってきている。しかし、この枠に無縁のレースがあった。

今からちょうど30年前の昭和51年の4月29日、先行逃げ切っての天皇賞馬が現れた。エリモジョージである。この馬の戦績は必ずしも超一流ではないが、この天皇賞も常識破りであった。先行して逃げ切るのは、人の為すことでも決して容易ではない。たとえば、マラソンレースである(最も多く人生にたとえられるスポーツの代表であろう)。中山竹通と瀬古利彦の二人のアスリートは対照的である。瀬古は今でも20キロメートルと30キロメートルの世界記録を持っている。マラソンの記録は中山が勝っている。しかしマラソンの直接対決は1勝1敗であったが、主要マラソンレースでの優勝回数は瀬古が10回、中山が5回であった。この数字に表れていると思うが、瀬古はもてる高い能力をうまく使って、勝負にこだわる走りをしていたのに対して、中山はスタートから世界最高記録ペースで突っ走り(世界歴代3位の記録に届いたのが最高であった)最後まで持たないだろうと思いつつもそんなレースにこだわり続けた。勝負の世界で、個人や組織を先行(逃げ切りをもちろん目指している)タイプと勝負にこだわる(がいつも計算どおりにことが運ばないで負けることが結構ある)タイプとにわけて考えてみる。研究開発でも、ビジネスでも求められているイノベーションを実現する上でどちらのタイプが有利かは単純には決まらない。

どちらのタイプに属するかは個人の好みや属性で決まっていくのであろう。筆者も先行して勝つプロジェクトと後から勝負を仕掛けて行って勝つプロジェクトを経験して思うのは、感傷的ではあるが開拓者をたたえる心を持つとともに、競争は一面非情であり、世の中が受け入れる仕事は割り切って全力投球するファイトをもつことが欠かせないということである。ハードデイスクが開拓したマーケットをフラッシュメモリーが置き換えていく。むかつくが受け入


                              篠原 紘一(2006.5.15)

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