97. 感じる時間

 物理的な時間は一日が24時間であるが、体内時計は25時間だそうである。日本国内で暮らしている限りはこの差を実感することはないが、海外に出向くと物理時間が異なる時計で動いているため、体内時計を合わせていくにはあれこれ工夫が必要なことが多い。筆者の時差ぼけ対策は、現地時間で正午前後についた場合は、とにかく太陽に当たって身体を動かすこと(テニスや散歩)が有効であった。夕方や、夜の到着便になった際は眠いのをこらえて熟睡時間を確保するようにしたが、身体を動かす方が効き目はすっきりしていた。どのように時間を感じるかは、生物の種によって違うという。人間の場合は、なかなか時間がたたないなあと感じることから、あっという間に過ぎたと感じるまで、そのダイナミックレンジは広い。ダイナミックレンジを広くしているのはおそらく、脳の発達が最も強く影響しているのであろうが、どこまでわかってきているのかは勉強不足で体系立てた話は出来ないが経験的な話を少ししたい。

 ひとつは、コンソーシアムに参加しての産学連携で感じたことである。ハードデイスク技術に関しての連携で、大きな産業規模になっているにもかかわらず、感じる時間と、物理的な時間が錯綜していて肝心なところでイメージのずれが問題を起こしているなと感じる場面が何度もあった。

それぞれ所属する機関の一般的なミッションに対する理解が違うのであるから、同じ時間軸でまわそうとするほうが無理なのである。具体的には民間企業と、大学や国の研究機関との間にみられる差である。活発化しつつある、産学官連携の推進で、認識を共有化して進めていくことが大事だとはわかっているつもりでも体内時計というか脳内時計というか感じる時間の差は簡単には埋められない。類似の認識差は民間企業の中においてもある。それは本社機構の研究機関と、事業部門の研究開発機関、事業部門の技術部門との間に生じる認識差である。悩みはしたが、それぞれの立場で感じる時間が違うのはありうることであるし、それを無理に同じにすることはトータルでフルーツフルな成果に繋がらなくなる道を選択していくことになり、民間側が、上手に基礎研究側に踏み込むような連携の進め方に工夫が必要だというのが経験から得られた結論であった。
結論に至るまでに、苦笑せざるを得ない経験もした。産業界と意欲的に連携して成果を挙げている先生もいて、雑誌記者がさまざまな質問をする。ハードデイスクは周期的に限界論が持ち上がるので雑誌記者はインパクトのある記事を書きたいから、あの手この手で先生を攻めていく。答えていわく「・・・・の時代はまもなく来ます。」定量的に答えられないから幅を持たせたのでしょうが、まもなくと聞いて、感じる時間は個人的に関心が高い場合は別にして、市場に一番近い民間会社の事業部門の技術者が、もっとも短い物理的な時間を想像するから、先生との間の認識ギャップが大きく開くことが起こる。

“まもなく”は結果、半年後であれば、先生お見事であるが、3年後であったり、10年たっても実現し無かったりとなることが起こるなんてことは、答えた先生の念頭には無いことなのである。いくら立派な先生のご託宣でも、世の中がそのように動くとは限らない。この話に関連して、今気になっていることがある。ナノテクノロジーを研究している先生には、お金も回っているが、期待もついて回っている。かつ、質問が先生の専門に近いところに及ぶと、定量的に答えないとまずかろうと思われてか、「・・・は2008年までには実現するでしょう」と、ずいぶん踏み込んだ発言をしてしまったりする。その結果予測がはずれた理由を見事に説明して見せたりすることが後に起こる。なぜこのようなことになるのかと言えば、話を聞くほうも無理かなと思いつつも先生に聞かざるを得ない日本の状況があるからなのだろう。それは、市場に一番近い産業界の技術者がもっとおおらかに未来を語らないからである。では産業界が未来を語れば全て解決するかといえば、問題は残る。

ビジネスの世界では、技術者が未来を語ってもそのとおりにならないこともよく起こる。ほぼ間違いなく予測された物理的な時間でことが起こるのは、競争に参加している企業が決まっていて、かつロードマップも敷かれていて、物理限界まではまだポテンシャル的に余裕がある業界に限られる。新しいナノテクノロジーを取り込んで革新を起こそうとするシナリオは予測そのものに多くの不確実さが伴う。そうでなければ、延長上の世界であって、さほどわくわくする話にはならないだろう。

「使われてこそ材料」、「使われてこそテクノロジー」といわれる。このメッセージに反対する人はいない。重点4分野の「ナノテクノロジー・材料」はナノサイエンス、ナノテクノロジー、物質研究、材料開発のバランスがきわめて重要で、そのマネージメントの責にある人は、感じる時間に対しての、まさにバランス感覚が大事である。少なくとも、大学、国研は成果を押し出す姿勢を貫けばいいはずである。それらの成果の一部は、民間が取り上げるであろう。ところが民間企業では、技術が出来上がっても、出口がすぐ無いことがありうる。その技術が使い物にならないから使わないのではなくて、別の理由で、出口のドアが開かないことがある。そういうことが起こるのである。時間が止まってしまったと感じた経験を紹介する。

出口が開かないのは、きれいな言葉で言えば、経営戦略上の判断からということであった。生活シーンに、時間シフトの概念を初めて持ち込んだ家庭用のビデオレコーダー(ベータとVHSの二つの方式が提案され、フォーマット戦争と呼ばれた競争があって結果的にVHSがデファクトスタンダードになった)で、リーダーの地位にあり、その事業が会社の経営にとって大きな柱であったため、次に業界として提案した統一規格のビデオカメラ“8ミリビデオ”には、積極姿勢が取れなかった。8ミリビデオはどちらかといえば業界としてのお付き合い程度の事業の位置づけで、むしろVHS規格の中にコンパクトカセット規格を作って8ミリ対抗を打ち出す戦略が採られていったくらいなのである。8ミリビデオ用には、合金塗布型磁気テープと蒸着型磁気テープが規格として採用され、筆者のグループは蒸着型で技術的に先行していた。

典型的なサラリーマンではなかった筆者は、給料をもらっていない他社に出口を求めてでも、技術を少しでも世の中の役に立てようと動いた。8ミリカセットに仕上げて事業をするには不十分な体制であったから、テープに切り刻む前の蒸着した広幅のロールを、8ミリの推進会社へ売り込みに行き、ライバル会社の担当役員から購入してもらうべく話をつけたが、筆者の上司からは決裁が得られなかった。「敵に塩は送れない」と。しばらくして、経営側から、放送用途の厳しい開発ターゲットが提示された。真意を測りかねたが、開発資金が潤沢になったことで、挑戦しようということにした(ただし、プロジェクトチームは、技術者と製造マンの混成チームであったから、商品レベルのものが作れるのに事業が許可されないことに製造マンの不満は解消されなかった)。ハードルの高い開発であったが、デモンストレーション用のテープを新フォーマットの提案グループの勢力拡大に使うからとせかされ四苦八苦しながらも仲間ががんばった。

後でわかったことであるが、放送用の蒸着テープはまだまだ時期尚早で、実は勢力争いの政治の材料として使われたようなのだ。蒸着テープをミサイルとして位置づけ、いつでも発射できるといい、有力メーカーを自陣営にひきつけておく武器にしたということであった。こういった例は多くはないが、技術が完成したら事業になると、100%考えることは出来ないといった事例である。

技術提案が早すぎて、時間がたって市場がその技術を求める時代が近いと期待したら、代替技術が市場を奪うといった事例も時折聞くが、筆者のような経験も表に出にくいが実際にはあった話なのである。
何はともあれ、感じる時間の短い人生を送りたいものである。


                              篠原 紘一(2006.428)

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