149. 90回記念大会

 

 第90回全国高校野球選手権記念大会は55校の代表校によって競われ、大阪桐蔭(北大阪代表)が常葉菊川(静岡代表)を大差で降し、17年前に初出場、初優勝を果たしたとき以来の、2度目の全国制覇を成し遂げた。

つくばに拠点を移して初めての甲子園観戦は7年ぶりで、試合開始の一時間前にはスタンドに、そして3試合を観たら暑さに参るかと心配したが、つくばにきて夏でも、休日はテニスをしたことが効いたのか全く苦にならなかったので、5日間スタンド観戦を楽しんだ。

 

決勝はもちろんであるが、3回戦でもほぼ満員であることに変化を感じたが、気がつくと10年前の準々決勝など(1日で4試合していたが、今は2日に分けて行っている)の観衆は5万5千であったと記憶しているが、今は4万6千で満員なのだ。以前は駆けつけるファンの熱気に押されてついつい切符を売ってしまったということなのだろうか?内野スタンドは改装され、出入り口もゲート管理が2重になり、手荷物検査までやっていた。スタンドは全面禁煙になり、喫煙室が設けられ、車いすで観戦できるスペースはより見やすい場所に移され、内野の椅子も良くなって快適になったということなのであろう。手荷物検査をするようになったことから、缶ビールの持ち込みは禁じられ、売り子さんはタンクを担いで、紙コップにノズルでビールをそそぐようになっていた。放送機材はまだそのままであったが、スチル写真は完全にデジタル化し、カードメモリーになり、ノートパソコンをわきに置いて絶えずその場確認をしながらという状況になっている(したがってフィルムや磁気テープを、運ぶ役のアルバイトの姿も消えた)。

 

 甲子園は8月2日に始まり17日間で18日に幕を閉じた。北京オリンピックも17日間の幕を8月24日に閉じた。野球とソフトボールは今回が最後(復活されることもありそうではあるが)ということで、いずれも悲願の金を目指したが、野球はメダルなし、女子ソフトは金をものにした。

現場にいたわけでもないし、テレビもまじめに見ていなかったので、甲子園と比べるのは公正を欠くかもしれないが、感じたままを述べたい。

 

ソフトのエース上野の熱投は、10年前の記念大会で松坂大輔が横浜高校の春、夏連覇をもたらした大会での準々決勝、PL学園高校との死闘17回を投げ抜いて、翌日9回に登板ストッパーとして抑えきり、決勝戦はノーヒットノーランの快投を演じ怪物ぶりを証明した戦いぶりを彷彿とさせるものであったと思われる(実はこの年は残念ながらアメリカ出張と重なってしまい、いつも甲子園が始まると仕事をしない筆者を知る部下が新聞を郵送してくれボウルダーのホテルで食い入るように見て興奮するとともに、なんでアメリカなんぞに来てしまったのかと思ったものである)。

 

チームで競う場合は特に個々の技術もあるが、モチベーションが高く、かつ単純で、フォーカスされていることが大事なのだ。常葉菊川と、大阪桐蔭の準決勝までの闘いをみると、決勝戦の展開は全く予想できなかったことであるが、救いは劣勢のままでも、常葉菊川が自分たちの目指す野球をやり続けたことであろう。星野ジャパンンはどうだったのだろうか?オリンピックも ロサンゼルス大会の時に一気にビジネス化し今に至っている。

 

時代の流れだからと達観したままだと本来どうであるべきかが変質していく気がする。勝った、負けただけでない大事なものがあるはずである。評価しにくいものに目が向かないのは基礎研究もおなじではないのか。


                                   篠原 紘一(2008.8.26

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