148. 20dB

 

 競争原理が働くことは決して社会を豊かにする上で悪いことではない。ただ無条件でよいこととも言えないのは、常に競争はひずみを内在しており、適正な範囲で処理できないことが起こりうるからである。国研や大学が独立法人化し、運営交付金が漸減しており、それをカバーする活動が活発化している。そのことは競争的資金の獲得や、民間企業との共同研究などを増やそうという動きになっている。ただことがそう簡単に運ばないのは、国研や大学に蓄積されている知が膨大であるのは確かであるが、利用価値を、短期、中期、長期と分けると産業界とシェークハンドできる短期、中期の技術シーズはやはり多いとは言い難い。

 

そこで論文や学会発表、特許のアウトプットから、アウトカムを重視する姿勢に変わりつつある様相が見て取れる。競争は避けられないが、バランスが崩れない範囲での好ましい運営をぜひお願いしたいものである。

 

大学や、国研の蓄積された知や、これから開発される技術シーズについて、民間企業がどう見ているかについて一つの例を紹介したい。一般論として展開できるような事例研究を系統的に行ったものではなく狭い経験かもしれないが、目標を定める上でヒントにはなると思っている例である。

 

 民間企業で30余年開発、事業化を経験する過程で多くの事例をもとに議論してきてえた一つの結論は20dB がキーであるということである。10倍以上のアヘッドを従来技術に対して示すことができれば、関心を持ち、動く人が増える。20dB以上のポテンシャルを有する技術であることを実感してもらえるある量のサンプルが提供できれば、システムサイドの目の色は確実に変わる。それは、事業においておよそ10年間をひとつの基幹技術をベースに組み立てうる点や、事業において先行し優位なポジションに立つことが極めて重要なグローバル競争環境に入ったことなどが20dB技術を高く評価する裏付けになるからである。

 

磁気記録の例で言うと、ハードディスクドライブのシステムをリードしてきたのはアメリカであるが、テープ媒体を使った磁気記録[特にビデオ]は日本がリーダーであった。

筆者らが蒸着型の磁気テープ(MEテープ)の開発に着手したころ、東北大学で高密度記録の限界となる回転磁化モード[磁化が閉ループを作って磁束が、磁性体の外に出なくなり磁気ヘッドで検出できなくなる現象]が発見され、その研究から垂直磁気記録技術が発明された。それまでの長手記録(あるいは面内記録)と違って、記録は長が短くなるほど磁化が安定することが報告され、磁気記録の開発パワーは垂直記録に一気に傾斜する状況が発生した。論文は急増したが、どこまで記録できたかを競うような研究に偏り、記録再生技術としては周辺技術を含めてすぐには成長しなかった。工業的には記録、再生がセットであるが、解析的な磁化パターンから読み取れる記録波長は20dBどころではない飛躍したポテンシャルを示していた。MEテープは製造技術が全く従来技術と違ったにもかかわらず、20dB強の性能を持ったテープのサンプルがシステムサイドに渡せたことから事業化において、垂直記録に対して20年余り先行できたのである。

20dBはシステムサイドが真剣にそのデバイスを使おうとする、そそられる値だというのがMEテープを業界で進めた時の経験則なのである(20dBは、何についても言えることでないのは当然であるから、意をくんでもらいたいところである)。

 

第2、第3のiPSの出現を熱望するのも理解できるし、基礎研究が社会の役に立ってほしいと、研究する側も、納税者側もそう思っている。志を高く持って事に当たることはいつでも、何についても大事なことのはずである。しかし最近の大学や国の研究機関が進める研究の目標が下がってきていないかといった危惧がある。

特にデバイス系の研究では、基本性能が20dBを超えていても、製品化の過程であらわれる多くの課題解決に20dBアヘッドのかなりの部分は犠牲になる形で使われスタートするケースがほとんどである。3dBや6dBを目標にした研究の意義は理解に苦しむ。みんなが垂直記録を目指さなくてよいが、近未来への適合性から20dB研究がもっと増えてもよいのではないかと感じている。

 


                                   篠原 紘一(2008.7.30

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