115. 20年前は? (1)

 今年の中ごろには、「イノベーション25」のビジョンがまとめられるという。20年ほどの時間が経過したときに日本はどこに向かうのか、社会全般を俯瞰したビジョンが提示される。こうした試みが政府主導でなされることは良い変化であり、これも、後々イノベーションを拡大することにつながるイノベーションであったと評価されることになると期待される。イノベーションについては一人一人が意識を強く持って、より良い変化、より好ましい変化に向かって行動することが原点であるとの主張(産総研TODAY 2007.1 VOL.7-1,理事長メッセージ、イノベーションの行動理論)はそのとおりだと共感する。

 インーベーション25の座長である黒川 清内閣特別顧問の講演の中で、20年後がどうなるかを考えにくいなら20年前がどうであったかを振り返ってみるのもひとつの方法だという話があった(「イノベーション」をはぐくむ社会 06/12/27
http://dndi.jp/14-kurokawa/kurokawa_x14.php)。

変化の多くは線形現象ではないし、イノベーションといえる大きな変化はブレークするまで多くの人は変化を意識しないし、したがって、予測もなかなか難しいことといえる。それでも事例に対して視点を広げていけばイノベーションに作用する要素のイメージは徐々にはクリアになっていくであろう。個人差もあろうが20年前の記憶があると思われる30代以降の人は、一度振り返ってみたらいいと思う。筆者も、ほとんどが仕事中心の簡単な日記風メモを読み返してみた。いくつか気づくことがあったことを述べたい。

20年間で社会にとって欠かせない存在になることも

 ひとつあげるとすれば、なんといっても携帯電話であろう。社用車には自動車電話が使われていたが、このように移動しながら通話ができるようになったのは、日本では1979年であった。携帯電話のサービスが始まったのは20年前1987年であった(といわれても、普及はもっと後であるからその実感はないだろうが)。スタート時NTTが貸し出した機械の重量は750グラムもあって、今の携帯電話機からは想像もつかないし、会社で長めの出張時に電話を持たせるようになったのはPHSの方が早くて、携帯電話を持って出張するようになったのは1990年代の後半でまだ10年ほどしかたっていない。一家に一台の市場ができたものは決して多くない。しかし携帯電話は今、70グラムを切るところまで来て、デザインはもとよりサービスの内容も充実の域を超え、過剰な感さえする(使いこなせていないからこういうことを言っているのかもしれないが)。事例研究の対象として格好の材料である。NTTがサービスを開始した時点での企画書がどのような主張であったか興味深いが、まったく予測とは違った姿を我々も見ているのであろう。

携帯電話は日本発のイノベーションではない。テレビもそうである。ただ、VHSが作り出した動画記録の文化は記録媒体の変化はあるものの日本がイノーベータの主役であったことは誇らしいことである{本コラム競争と協調(2006.12.22)参照}。これからは「課題先進国の日本が先頭に立ってイノベーションを実現しよう」という主張が東大小宮山総長の弁である。ぜひそういった目標に一人一人がむかっていくようにしたいものである。

20年前には身近になかったが気が付けば職場の風景は様変わり

 20年前は、まだ大型コンピューターが主役で、個人がコンピューターの前に座って作業をする光景は見られなかった。ましてコンピュータがネットで結ばれるなんてことは想像すら出来なかった。15年前でも、書類作製は今は見かけなくなったワードプロセッサーを使っていた。インターネットが日本で商用に普及が始まったのはわずか14年前のことである。総合家電メーカーの技術の職場でも、一課に一台からの事始であった。情報の世界の時間感覚はドッグイヤーといわれているが、半導体、磁気記録、パソコン、ソフトウエアなど多くの技術競争が社会に与える変化のスピード増大をこれまで支えてきた。インターネットの歴史はアメリカで起きた電話の中継基地爆破テロ(1961年)にまで遡るといわれている。リスク回避システムとしてアイデアが出され、大学や公的機関からテストが始まったのが、米国防総省主導のプロジェクトで商用化移行拡大速度は加速され今の姿がある。この1月17日で阪神・淡路大震災から干支が一巡したが、筆者も会社に連絡するのに,公衆電話の前に並んでなんとか連絡をとったが、しばらくして電話は不通になってしまった。携帯が普及し、インターネットが普及した今、類似の災害に襲われたときに、日常的に享受しているベネフィット(が多くあると皆思っている)が、非日常の事態でも有用であるとの確証はもてないところがある。 

 デジタル革新の波

 毎年1月初めに、米ラスベガスで開かれている冬季CEショー(Winter Consumer Electronics Show)がおわった。今年は(なのか、もかなのかは意見が分かれるようだが)話題をさらうようなものはなかったという。もちろんどのような視点で見るかによっては、近未来に思わぬ展開を見せる提案があったかもしれないが、大勢としては目玉なしと総括されている。確かに目新しさはないかもしれないが、液晶テレビひとつとってみても、1987年に日本の市場に投入されたものと、最先端の液晶テレビを2台並べて見比べれば(もちろんフラットテレビ分野はPDPとの熾烈な競争や、新しい有機EL,SED方式などの進展による追い上げの刺激もあってのことであるが)素人目にもその進歩の跡は歴然としているはずである。デジタル技術は気が付かなくても生活シーンにさまざまな形ではいりこんでいる。まさに革新といえるのであるが、(今ある世界もそうであるし当分変わらないのであろうが、)扱われる信号は1か0であるのに、デジタル化されたさまざまの機械を、つなぐ線が1本ですむという世界とは程遠い。これは自由競争の世界では無茶な要望になるのかもしれないが、持続可能な社会を地球規模で再構築するにはこのくらいのことをやらないとと思ったりするこのごろである。大市場となることが間違いないといわれているBRICsが成熟するより前に手が打たれないとと心配ばかりが募る(まったく空想の世界ではなくて、多くの電気製品は交流で動作させるものは必ず100ボルトのコンセントにつなぐからという事実に根ざした機器の接続によるネット制御の考えは規格化の話が進んでいる。それでも部分改良でしかない)。

 この実現にはオランダのフィリップスがやった、音楽を世界中の人に楽しんでもらおうと、コンパクトカセットの特許を無償開放したような、競争を超えた哲学が求められるのかもしれない。

そんなことを考えていたら、Dellが地球温暖化防止のために一肌脱ぐとの記事が目に付いた。「Plant a Tree for Me」プログラムで、ノートPC1台売るたびに2ドル、デスクトップPCは6ドルを植樹費用に当てるというものである。経営者にとっては一石二鳥(なんて見方は失礼なことかもしれないが)の好ましい変化を期待してのプランである。電気製品を動かすには、電気を生み出さないといけないが、電気を生み出すことで排出される炭酸ガスを少しでも炭酸同化作用で減らそうという考えである。ここからは筆者の経験を含めての勝手な解釈であるが、この方針が出たことで、社内には二つの流れが起こるはずである。一つはコストダウンの目標のなかに植樹に供出する金額が織り込まれてのコスト削減活動で、もうひとつはパソコン自体の消費電力をもっともっと追い込もうという活動であろう。この二つを単に経営目標としてトップダウンで進めるよりも、Dellは地球規模の課題にも貢献するというメッセージは社員のやる気に好ましい変化をもたらすであろう。このような動きも広義のイノベーションであり、歓迎されることではないか。なぜかこういう話が日本からまず発信されないのはさびしい限りである。

 一人一人のマインド変化が重要と訴える黒川座長の訴えと共鳴する見本と映る事例である。


                              篠原 紘一(2007.1.19)

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