114. 新春雑感

 安倍内閣が発足して100日余り、早くも出鼻をくじかれるような事態が次々明るみに出ている。日本で初めての若き宰相の登場、小泉さんと違ってパフォーマンスは苦手なようだが、小泉さんになかったファーストレデイーが大変明るい方で、懸念されてきたアジア外交にも期待感が高まるなど、スタート時点では高かった支持率はこのところ下がる一方である。当然のことであるがどんなに優れた指導者でも負の遺産は残していく。引き継いだ指導者はそれを乗り越えていくと同時に、あれもやりたい、これもやりたいとなるから欲張りすぎて思ったように全体がすんなり機能しないことが起こっているように見える。

 教育再生会議は、首相官邸のホームページを見ても、議事録の公開は遅れているようだ(基本は公開していくということで、会議の後マスコミにブリーフィングは即やって記事が出るが、本音がどこにあるかは読み取れない例が多い)。真相はよくわからないが、意見として取り入れられると思っていたことがまとめでは削除されていると不満を漏らす委員の話などを聞いていると、独特の力学が働いていることを感じざるを得ない。野依座長の「塾を禁止する」という提言にまつわる議論が、どこまで掘り下げて議論されたのであろうかも知りたいところであるが、(ここからは再生会議でどうであったかとは無関係の勝手な展開であることをお許しいただく)仮に、法制化されて、塾が禁止されたら、日本の教育は変わっていくであろう。

これが(実現したとすれば)、今大流行のイノベーションそのものなのである。塾の禁止により、学校間の競争が起こり、先生のレベルも変わっていく(この方向性は少子化によっていっそう加速されるであろう)し、受験制度まで変わるかもしれない。
時間はかかるかもしれないが、明らかに日本の社会の価値の軸は移動するはずである。

 イノベーションが世界的競争の場に一気に位置づけられた様子は、クリントン全大統領の2000年の年頭教書で始まったナノテクノロジー重点化の様相に酷似している。

 イノベーションのプロセスは単一ではないし、技術革新だけでも無いといった、認識は広まってきているが、ナノテクノロジーの重点化でもそうなのだが、出口成果への期待を強めすぎると、挑戦の度合いが弱まり、結局は新しい価値を社会に提供する歩留まりを下げるといった懸念がついてまわるということである。なぜなら、ほとんどの人(いまのじょうきょうには不満がないわけではないが、我慢の範囲にあるとすると)は変化を好まないといった方向に行動するからである。広い意味での革新がイノベーションの必要条件になるのは実は起こりうる変化が予測しにくいからなのだと思う。

 国民生活への影響、効果の現れには大きな時差があるものの、科学技術の世界にとって安倍政権、最大のヒットは、黒川全日本学術会議会長が、首相顧問に就任、イノベーション25の実質推進リーダーとして精力的に動き始めたことが挙げられる。
今年の中ごろまでには、2025年の日本はどんな社会になっていたらよいかといったビジョンを基に打つべき手が提示される。それをベースにした国民的議論が広がることを期待したい。ナノテクノロジーも、イノベーションもキーワードの競争ではなく現場、現実に起こる大きな変化が競われるのである。

 


                              篠原 紘一(2007.1.5)

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