116. 基礎研究と出口

 財団法人国際科学技術財団は2007年の日本国際賞を、「巨大磁気抵抗効果(GMR)」の発見者パリ南大学、アルベール・フェール教授とユーリッヒ固体物理研究所のペーター・グリュンベルク博士に贈ることを発表した。科学技術においてあげた独創的・飛躍的な成果が、科学技術の進歩に大きく貢献するとともに、人類の平和と・繁栄に顕著な貢献したと認められる人に贈られてきて、今年で23回目になる。これまでさまざまな分野が設定されてきたが、初めて「基礎研究が発信する革新的デバイス」分野が設定されての表彰である。今回の設定分野と表彰対象は筆者にとって二つの点で身近に感じられるものである。ひとつはつくばに来て5年余の時間がたつが、その間科学技術振興機構が推進する戦略的創造推進事業の一つである「新しい物理現象や動作原理に基づくナノデバイス・システムの創製」研究領域で進められている基礎研究の支援をする立場でのものであり、もうひとつは、つくばに来る直前まで民間企業でGMR効果の産業利用の場として発展を続けてきたハードディスクデバイスの研究開発に身を投じていた立場で感じることである。

 技術のシーズと産業界のニーズの関連性

 今回の日本国際賞の受賞対象のGMRの発見は1988年である。ハードディスクの再生ヘッドとしてGMRが使われ始めたのが1998年であるから、基礎研究の成果が産業につながるまで10年である。磁気抵抗変化を記録信号の読み取りに使うのはGMRが最初ではなく、磁気誘導の原理に基づく再生ヘッドの次の世代に使われたMRヘッドが嚆矢である。磁気誘導原理と異なる特徴は再生出力が記録されたデイスク上の信号磁石から生じる磁束の時間変化ではないことにある。そのことが記録密度競争や、信号の転送速度を速めたいといった市場ニーズに技術的に対応しやすかったことで、異なる原理のデバイス導入に保守的な産業界が積極的に採用に踏み切ったものと思われる。その幸運と市場で制御技術などの周辺技術がマチュアになって行ったことでMRよりも抵抗変化率が大きいGMR導入のバリアが低くなった。その結果わずか10年で基礎研究の成果が産業に手渡されたと見たほうがよい。いつもいつもそんなに簡単に技術移転されるわけには行かないというのがデバイス屋の実感である。ただハードデイスクの業界では似たことが起こっていてGMRのつぎにトンネル磁気抵抗効果(TMR)の室温での動作の研究発表が(東北大学、宮崎教授の成果)1995年になされ、10年後に実用化された(ただ、TMRは低温での物理現象としてはもっと前に発見されていた)。これは成功パターンが再現された稀有の例と見るべきであろう。

 日本発の革新技術が実るまで

 ハードディスクの世界は、基礎研究の成果が結実するまで10年余の歳月でよいように見えるがそうはいかない。高密度磁気記録の研究を進めていた東北大学で強引に記録密度を上げていくと磁化が記録媒体の中で閉じてしまう回転磁化モードに移行することが明らかになった。磁気記録はそこで限界に達したということにはならず、記録媒体面に垂直に磁石を(N極とS極を交互に並べる)並べることで記録密度を高めるほど安定になるといういわゆる垂直記録の発想が生まれた。カーボンナノチューブほどのフィーバーではないが,磁気記録の研究者の多くがここに群がった。原理的に高密度記録に適していても、磁気ヘッド、記録メデイア、信号処理など多くの要素変更を伴う垂直記録の出番が来たのは昨年のことである。

基礎研究成果が実るまで30年余の歳月が過ぎていた。イノベーションの事例研究会で、岩崎俊一先生の後をついで辛抱されて垂直記録を進めてきた、中村慶久先生が長く、苦しい死の谷の存在とその期間の国の基礎研究への支援方法について訴えたという話を人づてに聞いて、あることを思い出した。19年前の秋にある会合で中村先生にお会いして、蒸着テープも出口が見えず筆者も苦戦していたのであるが、「蒸着テープの高密度記録特性は垂直の原理をうまく使っているからである。ぜひ記録サイズを50nm角までやりたいですね。がんばってそこまで行きましょう。」と励まされた。テープはそこまでの記録密度を必要としなかったが出番は1995年に訪れた。垂直記録はまだそれから10年余が立ってしまったことになる。シリコンにできないデバイスを目指してナノテクノロジーの研究に多くの資金が短期的には(ひとつのプロジェクトに対して3年から5年の期間)投入されるが、生み出される技術シーズが産業につながるまでの期間は技術だけをとってみても、革新度合いと(研究成果としてのインパクト)はっきりした相関はつかめないように思える。 


                              篠原 紘一(2007.2.2)

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