113. 競争と協調

 米国の電気・電子学会の(IEEE;アイトリプルイーと呼ばれていて、電気、電子工学の多広い分野をカバーし、カテゴリー別の論文誌をだす大きな学会)が日本の生み出した家庭用録画機器(VHS)を「IEEEマイルストーン」に選んだというニュース(10月中旬に東京で表彰式が行われたとのことである)は、我々が浴した恩恵の大きさからすると信じられないくらいの、きわめてローカルなニュースでしかなかった。そのVHSはちょうど30年前に発売された。最初の商品の開発の中心は日本ビクターで、ソニーが提案したベータ方式との市場での競争による実質的な規格統一(その規格をデファクトスタンダードと称している)の物語は有名である。最初のビデオ戦争はベータ方式ファンにとっては思いもよらないつらい結果になってしまった。つぎのビデオの規格は10年後に提案されたカメラ(実際には、VHS同様の据え置き型も規格として用意されたが、普及はほとんどせずに、VHSの勢力が圧倒したままで推移した。)型の規格で、テープ幅がVHSはハーフインチであった(カセットの体積は約488cc)が、カメラ中心の規格は持ち運べるよう小型軽量であることが必須条件として考慮され、小さなカセットテープが用意された。これがいわゆる8ミリビデオ(カセット体積は88cc)である。その10年後にはカメラがデジタル記録技術で規格された(当然、更なる小型化を可能にするために、テープ幅は8mmから6.3mmになった)。これがDV規格(カセット体積は38cc)である。今DV市場が立ち上がって12年目に入っている。

 10年ごとに新しい規格が提案されてきたビデオの歴史は、業界として協調し新規格を提案、商品で競争するという動き(もちろん、規格を決めるまでの過程でも、熾烈な競争はある)ではなくてDV規格の展開という流れになっている。今年に入ってハイビジョン画質をカメラで撮れるようになり、使われるメデイアは磁気テープ、ハードデイスク、DVD,SDカードと多彩になってきている。これは液晶やプラズマなどのフラットテレビがブラウン管式のテレビを置き換えていることと無縁ではない、ハード技術の流れである。

 磁気記録技術の歴史の一部を駆け足で見たことになるが、この歴史は技術とイノベーションの関係についての事例研究の対象となる。

 VHSが商品化された時に、筆者は蒸着型の磁気テープ(蒸着テープ)開発プロジェクトに参画した。その後、磁気記録技術の一部の要素技術である磁気テープを開発する立場で、VHS,ベータ、8ミリ、DVの規格化や商品化、事業の変遷を渦中で見てきた。

蒸着テープを写真用の基板フィルムを用いて試作し、VHSやベータのカセットから酸化鉄テープを取り除いて、その代わりに試作テープを巻き込むことで、テレビ漫画を録画してみるといったのどかではあったがわくわくする開発をしていて、磁気テープにとってはベータのほうがやさしい機構から構成されていることを実感していた。技術屋はVHSよりベータを高く評価していたといえよう。しかし、市場の評価は違っていた。特にアメリカ市場の要望に対して懸命にこたえた(アメリカンフットボールの試合を試合開始から終了まで取れるような長時間記録の要望や、映画などのソフトテープを作ってほしいといった願望に対する応え方の差で、あるところで雪崩れ現象のようにマーケットシェアに変化が起きたのである)VHSがベータを市場から追い出したのである。30年前、大学卒の給料半年分くらいでやっと買えたVHSデッキ(磁気テープも4000円もした)は、今はHDD,DVDソフト再生、VHSがついても3万円で買えてしまうところまできてしまうのである。(大学は宝の(シーズ)山である。このシーズでイノベーションを起こし、新産業をといった表現が散見される。その意気や良しといえ、ことはさほど簡単ではないのである)3万円のビデオを目の前にしたときに関係者はさびしいに違いない。しかし、見方を変えれば今も、HDDやDVDとともにVHSが付いていることはすごいことである。家電量販の店頭からVHSがきえて久しいが、VHSの資産はまだ家庭に多く存在しているからであり、タイムシフトや、レンタルソフト再生などは文化として定着しているのである。VHSの勢いは一時すさまじく、筆者の勤めた会社の利益の50%を稼ぎ出した時代があったほどである。しかし、ビジネスでは連勝するのは容易ではなく、VHSにこだわった(?)グループは8ミリビデオでベータで負けを経験したソニーにしてやられることとなった。ソフトが重視される時代になっていたことから、VHSの実質の後継市場はDVDが担うこととなり、DV規格は8ミリビデオの高画質版として成長してきているが(技術的にはデジタルカメラとともに日本が世界の工場として圧倒している数少ないエレクトロニクス商品である;携帯電話やフラットテレビはグローバルには輝いているとはいえないという見方が強い)画質を問わなければ、デジタルカメラで動画が撮れるようになり、新たな競争が始まっているようである。

ビデオの30年ほどの歴史を振り返ってみて、イノベーションのエンジンとしてさまざまな技術革新がおりこまれていくことをかんじるとともに、それを進める人たちが、協調と競争を程よくバランスさせることができるかどうかも大きな要因となっていることを強く感じる。

 協調と競争のバランスが大きく動くことが予感されるニュースがある。

それは特許制度の統一への舵が切られたといった報道である。まだ、これから法整備がなされ、施行されるまでの時間はかかるであろうが、米国が先発明主義から先願主義に、出願内容の公開も合わせるなど恐怖のサブマリン特許がやがて消え、ほぼ同じ土俵で戦えるようになる(大市場、中国などにまだ大きな制度課題は残されてはいるものの)のは科学技術立国、ものづくり立国を目指す日本にとっては朗報である。同じ土俵で戦うとなると言い訳はできないことになるが、歓迎すべきことである。真っ向勝負に勝てばよい。が技術は勝つための必要条件に過ぎない。そこがイノベーションの厄介なところであろう。

 


                              篠原 紘一(2006.12.22)

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