112. YES & NO

 基礎研究といえども、税金で推進する以上納税者で構成される社会とのかかわりについてまったく無関心でいけないとの意見は強まってきている。そうかと言ってどういった関心をもてば、基礎研究がよりフルーツフルになるかと10人の有識者に問いかければ、10人十色の答えが返ってくるレベルの問題意識でしかない気がしている。しかし基礎研究の成果がすぐに産業競争力を飛躍させると考える人がいるわけではないのも事実であろう。基礎研究の成果が社会につながるまでには時間がかかり、社会を大きく変えるインパクトを持つような成果の普及までには10年でも短いという意見は受け入れられているようだ。そうなってくると10年先、15年先、20年先の未来社会を予測することが求められるが、先へ行くほど不確実性が増して行くからことは厄介である。未来社会となると変数が多すぎるし、パラメータ間の相互作用による変化もあって予測しにくい。それに比べれば、狭い技術の範囲で将来を考えることはできなくもない。民間企業で長い間開発に従事してきて、後輩たちに常に言ってきたことがある。「10年先のつもりが15年になる状況の変化はあるにしても、未来を言い当てるのは自らやって見せることである。みなが失敗すると評価していたり、本気でやろうとする人がいないテーマに取り組むことである!!」と。もちろん皆がこんな考えで動き出したら企業は持たないが、税金でやる基礎研究は言葉は良くないがこれに近い博打性は底辺にあってよいと思っている。だからといってテーマに取り組み出したらいつも丁か半か(yes or  no)ではなくて、YES(これを全肯定とみなす)でもありNO(これは全否定である;たとえば研究をやめるということである)でもある(量子の世界では重ね合わせの状態として理解されている)、二分法でない、研究構想や進捗の評価や思考が求められているのだと思う。ナノテクノロジー、ナノサイエンスの基礎研究は、他の先端研究分野に比べると産業に直結しやすいとの見方があるが、産業直結の画が描けるような世界には今はやりのイノベーションにつながる大きなインパクトを持つようなねたは多くないだろう。社会システム(制度や法律や・・・)を変えていくことで誘起できるイノベーションにはローリスクハイリターンの世界もありそうな気がするが、科学技術を基盤とするイノベーションはやはり正面切ってハイリスクハイリターンに挑むべきであろう。

研究の世界はもちろん仮想社会ではないが、現実社会とは違った頭を働かせる必要があるように感じている。現実社会では、割り切ってイエスかノーで判断して行動していかざるを得ないが、基礎研究の世界では時には立ち止まって、イエスでもありノーでもある、重ね合わせの状態をイメージして、次の研究の方向を定めることもあっていいのではなかろうか。たとえば、新しいデバイスコンセプトが提案され、その実証はプローブ顕微鏡でしか今の技術では実証できないときに、どうするかである。

 すばらしい物性が確認できても、極低温での確認で、室温まで持っていくいくつかのシナリオがまったく描けないときにどう考えるかである。

基礎研究の成果が産業競争力の強化に有用だったといえるようになるには、複数の関係者(後になって結果的に関係者となることのほうが多いかもしれない)の高い志(強い思い)がうまくつながったときだけで、うまくつながる確率を高める、工夫や努力はできないことはないが、数ある選択肢のどれに賭けるかによって、余人をもって替えがたい仕事が残せるかどうかが決まっていくと思う。かける選択肢はYes or Noではなくて、YES &Noの場に隠されているのだと思う。世の中は短期的に結果を評価したがり、その世界はYes or Noの世界である。先端での苦戦はつきものであり、ぜひYes &Noで突破していってもらいたいものである。


                              篠原 紘一(2006.12.1)

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