102. 科学の信頼

 また科学者の不正が内部告発されて、調査が進められている。女性研究者を増やそうと舵をきった矢先の事件である。錯体化学の専門をバイオ分野に高度に展開し、実績を残すことで、次への期待が大きくなるといった好循環で国の研究資金投入が大きくなっていった。そんな過程で、うっかりミスとは思えないことが起きてしまったようである。科学技術への投資を、国の財政が苦しくても重点化し、継続させようとの思いから首相が議長になってすすめられている総合科学技術会議の委員であり、優れた研究業績、学会での活動で培われてきた信頼から国際的なコミュニテイーでの女性初の会長の座が約束されているなど、女性研究者の憧れであった存在が崩れ去ろうとしている。経理面の不正に加えて、論文捏造の話まで持ち上がり、調査が進められているという。事実であれば、何をかいわんやである。

 よく言われてきたことであるが、一瞬にして信頼は失われるが、信頼回復には長い時間や莫大なエネルギーがかかる。今回のケースは、信頼の失墜が、一個人の範囲にとどまらない。確かに人間は時に過ちを犯す弱い存在であるということも歴史的に証明されてきたことであるとしても、ライフサイエンスに多くの資金投下をしても、期待するほどには国際的なポジションが相対的にあがっていかないとの声もある中で悔やまれることである。

 税金の無駄使いや、不正、税金で助けた銀行がもう最高収益をあげているのに、国民は将来への備えをどうしたらできるか先行きも不透明である。これまでの国の運営の負の遺産が大きくなりすぎて、国民の負担増も現実の流れになってきており、社会に内在するひずみに対し、庶民感情からのブーイングは強まっている。それにもかかわらず決して科学技術に予算を当てすぎだとの声はまだ大きくなっていない。それは科学技術が開く豊かな未来社会への、漠然としたものであっても期待がまだまだ大きいからなのであろう。とはいえ、科学者の反社会的な行為や、科学そのものへの信頼を裏切るような行為が繰り返されるようでは国民の科学への期待感もいずれ萎えていくであろうから、早く正されるべきである。ここまではそのとおりだと共感する。しかし、そこから先で少し気になる点は、こぞって「管理体制を見直し、徹底強化すべきである」との主張にある。政府、与党も骨太の方針にデータベースに基づいた管理強化などをうたうという。打たれる手が対症療法にならないことを関係者の一人として切望している。間違った認識かもしれないが、ライフサイエンス系に不正が目立つのは、投入されている資金が多いからというだけではない要因を含んでいるとしたら、そこの根を絶たない限り手口がさらに巧妙になるいたちごっこが起こり、健全な研究環境がほんの一部のほころびから、国際競争力の弱体化につながる方向に変わっていくことを心配する。1000余万円の私的流用で、5年間の競争的資金獲得の道を閉ざされ、実質的な研究空白は5年で収まらないどころか、場合によっては、研究生命を絶たれる、こんな割の悪い話しは計算するまでもないことなのに、世界的な研究者が現実に不正に手を染めてしまう。どこかに、自らの行動を律しきれないところまで、研究者を追い込むメカニズムが潜在しているのではなかろうかと思えてくる。世界をリードする力を持った研究者ほど自立の度合いが強い。自立の度合いが強まり、実績を認められるほど、自分の中で回るロジックが正しいと思ってしまうことは起こりうる。したがってよく言われるように自立度が高まるほど、自律心を強くすることが、軌道を踏み外さないために大切になるのである。当たり前のことであるが、パワーの小さいほうがパワーで圧倒される相手を諭すことなどできないのである。だから、研究現場で過ちに気がついた弱者がことを正そうとするには内部告発しかないのであろう。

 新しい分野を先駆けて開拓したい。世界をあっといわせたい。志を高く持って、好奇心の塊の研究者は、いつも研究のことが頭(心)を支配している。成果が挙がれば、競争的資金の獲得機会は増える。そうしてさらに成果が挙がる循環は国の競争力の底上げに貢献することで歓迎されることであり、その循環が不正を生むわけではない。国の資金を、私的口座に溜め込んだのは許されないことであるが「決してそのお金は研究以外に使うつもりなどなかった」というのは、研究者の特質と、研究資金に現状課せられているさまざまな制約から、そうかもしれないなあと理解できないことはない。世間をにぎわした、村上ファンド代表の村上氏がインサイダー取引の容疑で逮捕されたときに「お金をもうけることがそんなに悪いことですか?」と、食って掛かっていた。この単純化した問いかけは、答えはひとつになる巧妙な質問といえる。同じように「世界を研究でリードするために、たくさんのお金を使うことはそんなに悪いことですか?」と、問われれば、「悪いことです」とは答えないに違いない。研究に使うお金野の多い少ないではなく、正しい使い方になっているかどうかが問われているのである。こんなことを考えると管理だけで完全解決するのであろうかと不安に駆られ。

研究の世界も、ビジネスの世界もいまやスピードはもっとも大切な要素である。スピードを上げるのに、人が人を管理することはビジネス界ではもうはやらない。自立と自律で正しい判断を現場で即刻にが強く求められているのである。管理強化はひとつのステップでやむをえないのかもしれないが、科学の世界も早くビジネスの世界に追いついてほしいものである。ライフサイエンスの進歩は、倫理問題の解決と同期していかなければならない。この問題を社会とともに解きほぐしていく上で科学者の信頼(それは管理強化で得られたものではなく、コミュニテイーの自浄作用から確立されたものである)は大前提である。


                              篠原 紘一(2006.7.7)

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