103. A little bit of luck

先日、日本の科学技術分野のイノベーションに先導的な役割で貢献してきた科学技術振興機構のプログラムである、創造科学技術推進事業ERATO(http://www.jst.go.jp/erato/index-j.html)の25周年記念のシンポジウムが開かれ、盛況であった。

 さまざまな議論があった中で、イノベ−ションの要素として、人、環境とちょっとした幸運を取り上げた話は、筆者の経験からも(筆者が経験した、蒸着磁気テープの開発とそのビジネスは、イノベーションの側面を持っていたと考えている)共感できるものであった。ここではその中の A little bit of luck(以下幸運とくくる)についてふたつの事例を取り上げる。

ちょっとした幸運は、技術革新(ものや、製造プロセス)は勿論のこと、人の要素、環境の要素にもある。技術革新は特に後付のサクセスストーリーとして強調され語られる場合がたくさんあるので、ここでは人の要素と、環境の要素にからむA little bit of luckを取り上げてみたい。

 事例@(人の要素)

 ビデオカメラの業界規格を作っていく水面下の動きが活発化していく過程で、蒸着磁気テープによる規格提案を準備する筆者が所属した会社では、開発発表に向けてデモンストレーション用の蒸着磁気テープの試作が繰り返された。ビデオカメラ本体の開発グループと、試作テープによる記録再生を繰り返し、データを解析してその結果をフィードバックして改良するという当たり前の開発プロセスを踏む時間的余裕がどんどんなくなり、他社との駆け引きも含め、Xデーが定められてからは、ひたすら基板となるポリエチレンテレフタレートフィルムに磁性金属を蒸着して(もちろん磁気テープとして完成するまでには、他の複数の工程を経る)テープ化し、毎日タクシーを飛ばして豊中から、門真市の中央研究所まで届けるのが日課となっていた。プロジェクトチームは、技術者だけではなく、工場から製造経験(といっても、蒸着磁気テープは世界で最初であったから、コバルトを電子ビーム蒸着するということではなくて、フィルムコンデンサーの電極蒸着で、抵抗加熱や高周波誘導過熱で、アルミニウムや亜鉛を蒸着した経験である)も参画した構成からなっていて、試作は製造経験者がもっぱらやっていた。

 残業時間は増え、休日出勤が常態化しても、試作テープの評価結果から改善のヒントは得られず追い込まれていった。蒸着の主担当であった筆者は一人休日に高さが4メートルもある真空蒸着機を動かして試作を重ねた。一回の蒸着が終わると、蒸着容器の内部をクリーニングする。特に、基板フィルムを冷却する直径1メートルもあるクーリングドラムの表面は丹念に清浄化するのが作業標準として決められていた。しかし、筆者は休日に何とかいいテープを作りたいと、サイクル数を稼ぐため、作業標準を無視して一人で試作実験を繰り返した。なんとその試作テープの中に、デモに使える良好なテープが含まれていたのである。これまでの試作と大きく違うのは蒸着機の内部クリーニングをサボったことである。

その結果、蒸着時の基板フィルムの冷却が不十分になり、フィルムの中に取り込まれたままになっていた重合度合いの低いいわゆる、オリゴマート言う物質が汗をかくようにフィルム内部から表面に析出し、それと同時に蒸着薄膜が積もっていくことで、微細な突起がたくさんでき、テープ表面の摩擦を大幅に改善したということがその後の解析でわかったのである。ビデオテープとして備えるべき走行安定性が著しく改善されデモンストレーションは成功裡に終わった。もちろん筆者はこの微妙なバランスがピンチを救ってくれるなど思いも寄らなかった。しかし、製造担当の人たちに作業を任せたままであれば、起こらなかったことである(これは、研究者や開発技術者にものつくりをさせたら、製造歩留まりが暴れることになるであろうことの裏返しのエピソードではあるが)ことから、人の要素がちょっとした幸運を招いたと見てよいのではなかろうか。

 事例A(環境の要素)

 8ミリビデオにつながるビデオカメラの規格提案が終わって、業界内の勢力争いが始まると同時に、磁気テープの事業化の検討が始まった。各社から提案された規格案の中で、磁気テープは蒸着型と、合金粉末塗布型が規格として残るであろうとの判断に基づく事業化構想作成はまずどこでテープを生産するかということを決めることから始まった。候補は、電子材料、部品デバイスの事業部門とビデオの本体の事業部門に絞られた。普通に考えるとデバイスの事業部門にとなるのであろうが、当時の技術のトップは熱意で決めたと言って、ビデオ事業部門に、研究所のチーム全員の転勤辞令が出された。磁気テープを使う立場の事業部門でのテープ製造は利害が一致しないと不安を口にするメンバーも少なくなかったが、実はこの選択が後々幸運であったと振り返ることができた環境を提供することになったのである。

世界初の蒸着型ビデオテープの量産化のハードルは高く、時間切れで最初の事業機会を逃して、よく言われる「ダーウインの海(死の谷ということもある)」へプロジェクトは落ち込んでしまった。当時のビデオ事業部門の経営幹部が蒸着磁気テープをどのように見て、結果的に出口にいたるまで我慢をして続けさせたかは定かではない。

当時のビデオ事業部門は、関係会社の日本ビクターが開発し、市場においてソニーの開発したベータ規格を駆逐して、デファクトスタンダードとなったVHS規格のビデオ生産量が世界トップであり、ピーク時には、全社の利益の半分を稼ぎ出す勢いであった。

したがって、予想以上に長い時間がかかった(のでそれに対応して開発投資も大きなものになったのであるが)が、何とか鮫に食われずにダーウインの海を泳ぎきることができたのである。

 8ミリビデオでの事業貢献は微々たるものでしかなかったが、「結果的に事業成功までやめなかった」ことでデジタルビデオカメラ用の磁気テープ事業では寡占事業を実現できた。

筆者らのグループをごく潰しという人は当然いたが、鮫に食われないだけの支援を経営側ができる体力のある事業体でプロジェクトが続けられたことが幸いした。まさに環境要素にも幸運の女神は宿った例といえるのではないかと今省みてもしみじみ感じるのである。


                              篠原 紘一(2006.7.21)

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