タイの科学技術情勢

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1.国情

(1)概要

 タイの正式国名は、「タイ王国(Kingdom of Thailand)」である。首都はバンコクである。面積は51.3万km2、人口は6,796万人(2015年)。少子高齢化の傾向が強く、出生率を上げる施策を行わないと今後顕著な人口減少に直面すると予想されている。

(2)歴史

 国家の成立は、1238年にタイ民族がスコータイでクメールを倒し、スコータイ王国を設立したことに始まる。スコータイ王国の衰退後、1350年にアユタヤ王朝が成立した。1767年にアユタヤ王朝がミャンマーとの戦争(泰緬戦争)で崩壊し、その後トンブリ王朝を経てシャム王朝が成立し、1840年のアヘン戦争や1929年の世界恐慌などの影響を受けながらも、近代化に努めてきた。絶対君主制に対する軍部の反対や国民の民主化要求などが繰り返され、1932年から立憲君主国となった。

 太平洋戦争が勃発すると日本軍はタイへ進駐し、タイは日本と日泰攻守同盟を結んだ。一方で、「自由タイ運動」などの連合国と協力する勢力も存在し、連合国と連絡を取っていた。こうした二重外交により、1945年、タイは1940年以降に獲得した領地を返還することで米英と講和することが出来、降伏や占領を免れた。

 東西冷戦期はベトナムなど近隣諸国の共産主義化に脅かされたが、「共産主義の防波堤」として米国の支援を受け共産主義化は免れた。また、国民の高い教育水準や豊かな国土を背景に、日本や欧米諸国の大企業の進出を背景にした本格的な工業化へのシフトを進め、バンコクなどの大都市を中心にインフラの整備も急速に進んだ。1992年には5月流血革命が発生したが、プミポン国王の仲裁により収まった。1997年に始まったアジア通貨危機により、タイ経済は一時的に停滞したものの、その後急激な回復を見せ、日本企業や中国企業の進出も増え、現在では再び高い経済成長率を維持し、東南アジアにおける代表的な工業国としての立場を保ち続けている。

(3)政治

 国家元首は、プミポン・アドゥンヤデート(Bhumibol Adulyadej)国王(ラーマ9世、1946年即位)である(2016年10月13日逝去。本稿更新時点では新国王の即位は行われていない)。

 タイ王室は、伝統的に科学技術や教育の振興に積極的である。150年ほど前のモンクット王(ラーマ4世、在位1851年~1868年)は、自ら天文学を研究して皆既日食を予測し、タイ科学技術の父といわれている。またその子であるラーマ5世(チュラロンコン王、在位1868年~1910年)は、タイに近代教育の基礎を築いた。さらにその子のラーマ6世(在位1910年~1925年)は、タイで最もランクの高いチェラロンコン大学を創設している。

 タイ国民議会は、元老院と人民代表院の二院制である。元老院の定数は200人で任期は6年、人民代表院の定数は500人で任期は4年となっている。人民代表院では国民貢献党が過半数を占めていたが、2014年2月に行われた選挙が無効との判決が出て、現在は解散したままである。次の選挙日程は未定のままであるが、実施されることになれば混乱の再発が危惧されている。

 2006年に、首相の地位にあったタクシン(Thaksin Shinawatra)氏が貧困層に対する援助などで経済格差の縮小を図ったが、不正蓄財疑惑で職を追われた。2011年に、タクシン氏の妹のインラック(Yingluck Shinawatra)氏が首相となったが、黄シャツ派と呼ばれる既得権益派の抗議活動が激化し、タイ国内の治安は悪化した。インラック首相は2014年5月に憲法違反の人事を行ったとして失職させられた。現在は国家平和秩序評議会(NCPO)議長のプラユット(Prayuth Chan-ocha)陸軍司令官が暫定首相となっている。

(4)民族、言語、宗教

 タイ族は人口の大部分を占めるが、多くの部族に分かれている。その他に中華系、マレー系などがいる。公用語はタイ語である。宗教は94.8%が仏教(上座部)、4.5%がイスラム教、0.7%がキリスト教である。

(5)外交協力関係

 基本的に全方位外交である。東はカンボジア、南はマレーシア、西はミャンマー、北はラオスと国境を接しており、いずれもASEAN加盟国であることから国境紛争はない。米国とは条約で同盟国となっている。中国との間では、ラオスとの国境までの高速鉄道建設での協力について折衝していたが、2016年にプラユット政権により中国との協力による建設が拒否され、タイが一部区間を独自に建設する方針となっている。

 国際連合への加盟は国連発足2年目の1946年のことで、我が国より10年早かった。1967年に5か国で発足したASEAN、1989年に12か国で発足したAPEC、1995年に77か国で発足したWTOにおいて、いずれも設立メンバー国である。

 2015年以降のASEAN統合で、域内での貿易や投資の簡素化が図られると見込まれる。

(6)初等中等教育と識字率

 日本と同じ6-3-3制(小学校6年、中学校3年、高校3年)である。義務教育も日本と同様に9年間である。就学率は小中学校で95%以上、高校で70%以上である。

 識字率は、2005年で93.5%である(米国CIAのワールドファクトブック)。

(7)経済

① 概観

 2015年現在の名目GDPは3,953億米国ドル(以下「ドル」と略す)であり、国民一人当たりの名目GDPは5,816ドルである。

 2014年に入って、自動車産業を中心にタイに対する外国からの投資額が大幅に増加しているが、日本と中国のシェアは急減している。暫定政権発足後、それまで減少傾向にあったGDPは増加に転じている。

② 産業構造

 2014年の産業構造を見ると、GDP構成比で一次産業(農業水産業)10.5%、二次産業36.9%、三次産業52.7%となっている。農林水産業は就業者数で40%以上を占めている。

③ 貿易

 2013年の貿易額は、輸出が2,254億ドル(前年比0.3%減)、輸入が2,190億ドル(前年比0.3%増)で、64億ドルの黒字となっている。主要貿易品目(2012年)は、輸出がコンピュータ・同部品、自動車・同部品、機械器具、電子集積回路など、輸入が原油、機械器具、電子部品などである。また、主要貿易相手国(2013年)は、輸出が中国(11.9%)、米国(10.0%)、日本(9.7%)の順で、輸入が日本(16.4%)、中国(15.0%)、アラブ首長国連邦(9.1%)の順となっている。

 国際競争力(WEF)ランキング(2016年)は32位(140か国中)である。

2.科学技術体制と政策

(1)行政組織

 タイの科学技術関連の行政組織図は以下のとおりである。

図表1:科学技術関連の行政組織図

図表1:科学技術関連の行政組織図

出典:各種資料を元に筆者作成

 科学技術政策の中心は科学技術省(Ministry of Science and Technology:MOST)である。MOST以外では、産業省、教育省、保健省、農業・協同組合省、情報通信省などがある。以下に、主要な組織の概要を示す。なお、大学や研究実施機関は、「3.公的研究機関」及び「4.高等教育と大学」の項で述べる。

① 国家科学技術・イノベーション政策委員会(NSTIC)

 国家科学技術・イノベーション政策委員会(National Science Technology and Innovation Policy Committee:NSTIC)は、広範な政策提言を行う組織として2001年に設立された国家科学技術政策委員会(NSTC)が2008年に改組されて発足した。同委員会は「国家科学技術・イノベーション政策及び計画2012-2021」を起草した中心的組織であり、各関係省庁間の調整も行う他、その成果の評価も行う。議長は首相が務める。

② 国家経済社会開発委員会(NESDB)

 国家経済社会開発委員会(National Economic and Social Development Board:NESDB)は、持続可能な開発、国民参加、環境変動に対する柔軟さ、国民のニーズなどの要素を組み込み、国の経済的及び社会的開発戦略を5年ごとに策定する機関である。

③ 国家研究評議会(NRCT)

 国家研究評議会(National Research Council of Thailand:NRCT)は首相府内に設置され、自然科学・社会科学系両分野の政策・戦略の策定を推進する政府組織であり、後述する「国家STI基本計画2012-2021」の起草にも携わった。

④ タイ研究基金(TRF)

 タイ研究基金(Thailand Research Fund:TRF)は1992年に制定された研究基金法に基づき、1993年に設立されたファンディング・エイジェンシーである。首相府直属で科学技術関連の省に属さないため、中立的に研究支援を行うことができる。

⑤ 科学技術省(MOST)

 2002年に旧科学技術環境省(MOSTE)は科学技術省(Ministry of Science and Technology:MOST)、天然資源・環境省及びエネルギー省の3つの省に分割された。MOSTの傘下機関は、原子力庁(OAP)の他に、独立機関として国家科学技術・イノベーション政策局(STI)及び後述する国家科学技術開発局(NSTDA)を有しているほか、傘下に研究実施機関を有する。

 国家科学技術・イノベーション政策局(National Science Technology and Innovation Policy Office:STI)は、科学技術・イノベーション政策の立案、調整、及び推進を支援する機関である。科学技術・イノベーション機能は、国家の将来の成長と持続可能性に向けた駆動力と考えられており、STIはより良い未来に向けて国民を支援することに取り組んでいる。

(2)科学技術政策動向

① 科学技術・イノベーション推進政策

 2004年に、「国家科学技術戦略計画2004-2013」が開始された。重点4技術として情報通信技術、材料技術、バイオテクノロジー、ナノテクノロジーが選定され、それぞれの分野別戦略計画が策定された。

 2007年に、国家研究評議会が「国家研究政策・戦略(2008-2010)」を立案し、研究予算を政府予算の1.3%以上にすること、総研究開発費の対GDP比を0.5%以上とすること、民間セクターの研究投資額を公共セクターと同等にすること、研究人材を人口1万人当たり8人とすること、という4項目の目標を掲げ、3年間で690億バーツの研究予算を計上した。この中には社会科学系分野の研究も含まれている。なお、バーツはタイの通貨単位で、2016年10月20日時点の日本銀行の為替レートによると、1バーツ≒2.94円となっている。

② 国家STI基本計画2012-2021

 2012年4月に、「国家科学技術・イノベーション基本計画2012-2021(National Science Technology and Innovation Master Plan 2012-2021)」(以下「国家STI基本計画2012-2021」という)が策定された。

 MOST傘下の独立機関である国家科学技術・イノベーション政策局(STI)が中心となって策定されたもので、公的機関間での科学技術・イノベーション政策の調和と、民間・学界・研究機関間の連携の強化を目的とし、国家から地域、地方までのすべてのレベルでタイのイノベーション・システムを豊かにするメカニズムを提供する。

3.公的研究機関

 タイの公的な研究実施機関は、MOST傘下の独立機関である国家科学技術開発局(NSTDA)、MOST傘下のタイ科学技術研究所(TISTR)、生命科学研究所(TCELS)などである。

(1)国家科学技術開発局(NSTDA)

 国家科学技術開発局(National Science and Technology Development Agency:NSTDA)は、科学技術を国家の経済・社会開発に活用することを目的として1991年に設立された機関で、現在はMOSTの傘下にある。競争力を強化するためのR&Dを推進することだけでなく、技術移転や人材育成、科学技術インフラの整備や産学連携の推進など幅広いミッションを有する。バンコク北方のタイ・サイエンスパーク(TSP)内に立地している。次の写真はNSTDAの建屋群である。

国家科学技術開発局(NSTDA)

国家科学技術開発局(NSTDA)©NSTDA

 NSTDAには、以下に述べるバイオ、材料、ナノテク、情報の4つの研究センターがあり、それぞれタイにおける主要な研究開発組織となっている。

 NSTDAの2013年の予算は、収入44.3億バーツ(うち政府30.5億バーツ)、支出41.6億バーツであった。2014年現在の職員数は2,934人で、うち536人がPh.D.である。特許保有件数は77件(申請中1,420件)、2013年の英語の出版物は588点であった。

① 国家遺伝子工学・生命工学センター(BIOTEC)

 国家遺伝子工学・生命工学センター(National Center for Genetic Engineering and Biotechnology:BIOTEC)の設立目的は、公的・民間両セクターのバイオテクノロジー研究・開発・応用を強化することである。自らの研究室で研究活動を行うと同時に、BIOTEC内外へ研究資金の提供も行っている。その他、人材育成、技術支援、技術投資、バイオテクノロジーに関する一般国民の知識向上、情報普及、国際協力を推進する事業にも取り組んでいる。主要研究プログラムは、エビやコメに関するバイオテクノロジーや、新疾病や天然製品・医薬品などに係るプログラムである。

 BIOTECは2014年11月時点で510人のフルタイム職員を有し、68%の345人が研究系職員で、そのうち130人(37%)が博士号保有者である。BIOTECでは、2017年までに博士号保有研究者を220人まで増やし、その大半を海外で博士号を習得、あるいは教育を受けた者で占めることを目指している。

② 国家金属材料技術センター(MTEC)

 国家金属材料技術センター(National Metal and Materials Technology Center:MTEC)は、製造業セクターや国の発展に資する分野のR&Dを支援することを目的として設置された。名称の「金属材料」と実際の研究分野は少し違っており、現在、天然資源から高い付加価値を製造するための技術開発、製造設計及び製品開発、再生可能エネルギー、医療応用、農業推進の5分野で研究プログラムが実施されている。

 MTECは上記5分野において研究活動を行う他、公的・民間両セクターのR&D機関に対して研究資金を提供している。また外部のR&D機関や大学、産業界とも協力し、委託研究や技術コンサルタント等の技術情報サービス、そして人材育成のためのトレーニングプログラムの開催を行っている。

③ 国家ナノテクノロジーセンター(NANOTEC)

 国家ナノテクノロジーセンター(National Nanotechnoloy Center:NANOTEC)は、ナノテクノロジーの開発と製造技術への応用を目的として設立された。

 主な事業内容は、R&D、技術移転、セミナー等による人材育成、研究資金の提供、インフラ整備、関連政策等の策定である。自らの研究室で研究活動を行うと同時に、NANOTEC内外へ研究資金の提供も行っている。研究対象はナノ材料、ナノバイオ技術、ナノエレクトロニクスの3分野がある。

④ 国家電子・コンピュータ技術センター(NECTEC)

 国家電子・コンピュータ技術センター(National Electronics and Computer Technology Center:NECTEC)は、タイにおける電子、コンピュータ、電気通信、情報分野におけるR&D活動を遂行・支援することを目的に設立された。

 なお、NECTECとは別の場所にタイ・マイクロエレクトロニクスセンター(TMEC)があり、ここでは半導体やセンサーが開発されている。

(2)タイ科学技術研究所(TISTR)

 タイ科学技術研究所(Thailand Institute of Scientific and Technological Research:TISTR)は、1963年に設立されたタイ初の国立科学技術研究所である。現在はMOST管轄の国有法人となっている。

 TISTRは自ら研究施設を有する一方で、科学技術の応用に関してタイ企業を支援し、外国との連携を推進している。研究分野は、食品、健康関連、医療機器、代替エネルギー、環境関連などである。

タイ科学技術研究所(TISTR)

タイ科学技術研究所(TISTR)©TISTR

(3)生命科学研究所(TCELS)

 生命科学研究所(Thail and Center of Excellence for Life Science:TCELS)はタイのライフサイエンスの中核的研究機関で、現在はMOST傘下の公的機関である。タイのライフサイエンス推進のために、企業支援、知識の普及、インフラ・人材整備、戦略策定などを行っている。

 TCELSには、医療機器、薬剤・健康補助食品・薬用化粧品、ヘルスサービスなどのプログラムがある。2014年に2つのフラッグシップミッションが開始された。1つは医療ロボティックス、もう1つは細胞・遺伝子治療センターである。この他特別プロジェクトとして先端歯科技術センターがあり、歯科医が在籍している。

4.高等教育と大学

(1)概要

 高等教育は、教育省(Ministry of Education:MOE)が所管している。MOEには、国家教育審議会、基礎教育委員会、職業教育委員会、高等教育委員会がある。

 タイにおいては、科学技術人材の育成は優先度の高い施策である。大学への進学率は51.4%である。タイには大学が多数あるが、特に高い研究能力を有する3大学を以下に紹介する。

(2)チュラロンコン大学(CU)

 チュラロンコン大学(Chulalongkorn University:CU)は、1917年創立のタイで一番古い大学で、タイ国内では一般的に最も権威ある大学とされている。現在バンコクキャンパスに、19の学部(自然科学系は、工学、医学、薬学、理学など)と10の研究所等(バイオテクノロジー・遺伝工学、エネルギー、環境、金属学・材料科学など)を有する。「チュラロンコン」の名は、創立者である国王ラーマ6世(在位1910年~1925年)の父であるラーマ5世(チュラロンコン王、在位1868年~1910年)に由来している。

 2014年時点の総学生数は約3万8,000人で、そのうちの約35%が大学院課程に在籍している。

 協定を結んでいる日本の大学は、東京大学、京都大学、東京工業大学など17校ある。2013年に、工学部百周年記念館と呼ばれるビルを建設し、内外の研究機関を誘致している。

チュラロンコン大学(CU)

チュラロンコン大学(CU) ©CU

(3)マヒドン大学(MU)

 マヒドン大学(Mahidol University:MU)は、医学系でタイのトップクラスの大学である。タイで最初のメディカルスクールであったシリラート・メディカルスクール(Siriraj Medical School)を元に、1943年に設立された。設立当時は医科学プログラムに重点が置かれていたが、近年では自然科学から音楽まで広い分野にわたる教育が行われており、16の学部(自然科学系は、工学、環境・資源、医学工学、医学、薬学、公衆衛生、科学、熱帯医学など)と多くの研究所(分子生物学・遺伝学など)を有している。

 2014年時点での総学生数は約2万8,000人で、そのうち約32%が大学院課程に在籍している。

 マヒドン大学は、タイの国公立大学の中でも最大の政府出資を受けており、2012年の予算409億バーツのうち101億バーツが政府の出資である。その他の308億バーツのうち6割近くが外部からの資金で、またその外部資金のうち約15%が海外からの資金である。

 国内や国外40か国以上にある約270の大学や研究機関と、協力協定を締結している。日本も40の大学が、マヒドン大学と協力関係を構築している。

(4)チェンマイ大学(CMU)

 チェンマイ大学(ChiangMai University:CMU)は、1964年創立のタイ北部で最初の大学である。創立当時は、科学・社会科学・人文の3学部しかなかったが、その後教育・研究分野を広げ、現在では20学部(農業、農産業、医科学、工学、医学、薬学、理学、獣医学など)に加え、多数のセンターや研究機関を有している。

 4つのキャンパスで約3万6,000人(2014年時点)の学生が学んでおり、そのうちの約30%が大学院課程に在籍している。

 日本とは、慶応義塾大学など31大学及びJICAなど3機関と連携している。

5.科学技術指標

(1)研究開発費(UNESCOの統計による)

① 総額と対GDP比

 2014年の研究開発費は51億ドルで、その対GDP比は0.48%である。対GDP比は、ASEAN諸国の中では、シンガポール・マレーシアより低く、ベトナム・インドネシア・フィリピンより高い。

② 組織別負担割合

 2013年の政府の拠出割合は51.3%、民間の拠出は48.7%であった。しかし、国全体の研究開発投資を底上げするため、政府の拠出額を増やす一方で、民間の投資を呼び込む税制上の優遇などを行い、民間拠出割合を55%に増加させて全体の規模を24億ドルとすることを計画している。

(2)研究者(UNESCOの統計による)

 2009年の研究者数は、10万1,356人(ヘッドカウント値)、6万5,965人(フルタイム換算値)である。研究人材を人口1万人に対し8人(全人口では約5万5,000人)にするという目標は達成したことになる。

 労働力人口1,000人当たりの研究者数は、2.5人(ヘッドカウント値)、1.4人(フルタイム換算値)になる。

(3)科学論文

 トムソンロイター社のデータを元に分析した科学技術・学術政策研究所の調査によると、タイの論文世界ランキングは、2009年~2011年時点で40位であり、この間の論文数は1万6,054編であった。ASEAN諸国の中では、シンガポール(31位)、マレーシア(39位)に続いている。

 分野で見ると、基礎生命科学、化学、材料などに強みを有している。

(4)大学ランキング

 英国のQS社が発表した2016年の世界大学ランキングでは、チュラロンコン大学は252位で、タイではトップであった。マヒドン大学は同283位にランクされており、チェンマイ大学は、同551位-600位のグループに含まれている。

(5)特許

 2010年におけるタイ特許庁への特許出願数は1,925件、登録数は772件であった。そのうち、非居住者による出願は半分以上、登録は90%以上を占めていた。

6.国際協力

(1)日本との関係

 日本とタイとは、緊密な関係にあり、首脳間の往来も頻繁である。また、日本はタイにとって最大の援助国で、経済的関係も深い。進出している日系企業数は1,552社(2014年4月末時点のバンコク日本人商工会議所会員数)に上っている。

 科学技術についても幅広く実施されているが、政府間の科学技術協力協定はまだ締結されておらず、2014年現在交渉中である。

① JSPSとNRCTの協力

 JSPSと国家研究評議会(NRCT)は、毎年2件~件のテーマを選定して、日本の大学や独立行政法人とタイの大学などとの共同研究やセミナー開催を支援している。

② 研究拠点形成事業

 またJSPSは、世界的水準あるいは中核的な研究交流拠点を構築し、次世代の若手研究者を育成することを目的として、各国の大学・研究機関と協力して「研究拠点形成事業」を実施している。この事業に参加している日本とタイの機関は次のとおりである。

  • ・神戸大学=カセサート大学
  • ・神戸大学=チェンマイ大学
  • ・九州大学=チュラロンコン大学
  • ・京都工芸繊維大学=チェンマイ大学
  • ・京都大学=チュラロンコン大学
③ 戦略的国際科学技術協力推進事業

 JSTは、政府間協定や大臣会合での合意等に基づき国が設定した協力国・地域・分野の国際研究交流を支援する、トップダウン型の「戦略的国際科学技術協力推進事業」を2003年度から実施している。タイもこの事業の対象国で、2012年以降以下の3件の事業を行っている。

・広島大学=NSTDA/BIOTEC

「持続的農作物生産に向けての次世代技術開発:ファージによる青枯病コントロール」

・東京大学=マヒドン大学

「DigiTag2法による結核菌の検出と型判別を目的としたDNAチップの開発」

・石川県立大学=NSTDA/BIOTEC

「鉄含量の高いコメと鉄過剰耐性イネの開発を目指した遺伝子資源の同定」

④ SATREPS

 タイの研究機関が参加するSATREPSは以下のとおりである。

・東京大学=カセサート大学・タイ気象局・王立灌漑局

「気候変動に対する水分野の適応策立案・実施支援システムの構築」

・北九州市立大学=チュラロンコン大学

「新バイオディーゼルの合成法の開発」

・京都大学=モンクット王工科大学トンブリ校

「低品位炭とバイオマスのタイ国におけるクリーンで効率的な利用法を目指した溶剤改質法の開発」

・東京大学=タイ国環境研究研修センター・チュラロンコン大学・カセサート大学

「熱帯地域に適した水再利用技術の研究開発」

・東京海洋大学=水産局・カセサート大学・チュラロンコン大学・ワライラック大学

「次世代の食糧安全保障のための養殖技術研究開発」

・産業技術総合研究所=NSTDA・TISTR・キングモンクット工科大学ノースバンコク

「非食糧系バイオマスの輸送用燃料化基盤技術」

・東京大学=タイ保健省医科学局生命科学研究所

「効果的な結核対策のためのヒトと病原菌のゲノム情報の統合的活用」

・大阪大学=タイ保健省医科学局・マヒドン大学

「デング出血熱等に対するヒト型抗体による治療法の開発と新規薬剤候補物質の探索」

⑤ e-ASIA JRP

 e-ASIA JRP(East ASIA Joint Research Program)は、アジアにおける研究開発を促進することを目的として、日本、カンボジア、インドネシア、ラオス、マレーシア、ミャンマー、ニュージーランド、フィリピン、タイ、米国、ベトナム、ロシアの12か国17機関(2015年6月時点)が参加する国際的な研究プログラムで、日本は文部科学省、JST及び日本医療研究開発機構(AMED)が参加・支援している。参加国の中から3か国以上で実施する共同研究を公募し、共同研究の支援や研究者の交流促進等を行っている。日本の研究機関に対してはJST及びAMEDからファンディングを行う。

 e-ASIA JRPの事務局は、NSTDAの誘致によりタイランド・サイエンスパーク(TSP)内に2014年10月に設置された。

 タイ関係では、ナノテクノロジー・材料分野で3件、バイオマス・植物科学分野で1件、ヘルスリサーチ分野で2件の計6件の共同研究が実施されている。

⑥ 京都大学エネルギー理工学研究所

 京都大学エネルギー理工学研究所は、21世紀COE事業として「環境調和型エネルギーの研究教育拠点形成」事業を実施しており、その一環でラジャマンガラ工科大学に研究拠点を開設した。

⑦ その他の分野

 上記の他、日本原子力研究開発機構(JAEA)はタイの原子力分野の人材育成、軽水炉型試験研究炉の利用分野で協力している。また、宇宙航空研究開発機構(JAXA)は地理情報・宇宙技術開発庁(GISTDA)とタイにおける洪水観測や豪雨観測などで協力している。

(2)日本以外の諸外国との関係

① 欧米諸国との国際協力

 米国国際開発庁(USAID)やドイツなどは、1950年代からタイの科学技術基盤に対して助力を行ってきた。また、フランス農業技術国際協力センター(CIRAD)、オーストリア・インスブルック大学などや、EUのASEAN-EUプログラム及びフレームワークプログラム(FP)などの協力が、タイの科学技術の発展に貢献している。

② ASEAN諸国との協力

 ASEAN COSTの枠組みで閣僚級科学技術委員会が毎年開催されている。

7.トピックス

(1)農産物包装フィルムの開発

 NSTDA/MTECのワニー(Wannee)博士は、米国ペンシルバニア州立大学でPh.D.を取得した重合体(ポリマー)材料の研究者であり、野菜の包装に用いるフィルムにナノメートルサイズの穴を開けることで市場に出荷された野菜の販売可能期間を大幅に長くし、高い市場価値を持たせることに成功した。この業績により、2013年にフィンランドで開催された国際包装シンポジウムで第1位の賞を受賞した。

 ナノ構造により特定の機能を持たせたポリマーは我が国でも各種の機能のものが研究されているが、ワニー博士のフィルムは酸素の透過性を制御でき二酸化炭素の侵入を阻止する。これによって、従来は包装後に仮死状態に陥っていた野菜が、常に酸素を供給されることで生きた状態を保つことができるようになった。

 農産物を通常のポリエステルで包装した場合、収穫後30%~40%しか残らず、100億バーツのロスを生じている。例えば、国際的な競争力を持つアスパラガスは、市場出荷後3日しか持たない。ところが、ワニー博士が開発したフィルムを用いると、この期間が29日まで延びて外国市場への供給も可能になる。

中央:ワニー博士、右:行宗氏

中央:ワニー博士、右:行宗氏

 穴あけには、ナノサイズの穴の大きさを制御しうるドイツのBruckner GmbH製の二軸延伸機を用いている。

 大日本インキ化学工業(株)からプラスチック包装技術の指導のため、13年前にMTECに転じた行宗安友(ゆきむね・あとも)氏によれば、このような包装技術はタイの経済発展に大きなインパクトを与えており、顕著な効果が認められるとのことである。

(2)非可食バイオ燃料の研究

 タイ科学技術研究所(TISTR)における最近の興味深い研究に、非可食バイオ燃料がある。稲わらや林地残材などの非可食バイオマスは、食糧生産との競合が無くバイオ燃料の原料として特に有望といわれている。

 非可食性のバイオ燃料の研究は、我が国では自動車部品メーカーのデンソー(株)が、愛知県内の培養池(3万3,000リットルのプール)で微細藻類の「シュードコリシスチス」(大きさは5ミクロン)を培養し、バイオ燃料を製造する研究を行っている。藻類は樹木と比べてCO2の吸収効率が高く、同じ面積で比較した場合、藻の培養池は森林の10倍のCO2を吸収する能力があるといわれている。

 TISTRは、独自の非可食バイオマス由来のバイオ燃料の研究を行うため、デンソーと同じ規模の培養池をTISTR敷地内に設置した。この研究を開始した背景には、TISTRで長年蓄積してきたバクテリア・菌類・酵母・微細藻類などの標本「カルチャーコレクション(Culture Collection)」がある。独自の試料で研究を行う点がデンソーとは異なっており、今後の成果が期待される。

(3)医療ロボット

 生命科学研究所(TCELS)における医療ロボット開発も興味深い。TCELSでは、様々なタイプの先端型医療ロボットを11種類以上開発する予定であり、2015年までに開発インフラや施設を完成させ、2017年までに5つのモデルを完成させる計画である。特にがん検診を人間に代わって短時間で正確に行うロボットが注目される。

 このような医療ロボットの開発には、医療だけでなくナノテクノロジーや情報技術など他の領域との学際的な研究が必要であり、TCELSはマヒドン大学やNSTDA/NANOTEC及びNSTDA/NECTECなどの協力を得て、開発を進めることとしている。

8.まとめ

 タイの科学技術・イノベーションは、2008年以降急速に進展している。NSTDAやTISTR、TCELSなどの中核的な研究推進機関が、自らの組織内での研究だけでなく大学や企業との連携を活発に行い、社会の課題を解決するツールとして科学技術を利用することに重点を向けている。

 現在タイでは、製造業がほとんど外国資本の現地生産にとどまっており、科学技術的な研究成果に乏しい。しかし、健康・医療や食品の安全に関する技術開発などに研究資源が十分に投入されれば、バイオ技術や医療技術で特徴のある科学技術国になる可能性を秘めている。また、今後の方向性として優遇税制による民間企業の研究開発投資を大幅に増やす政策の動向も注目される。

あとがき

 本稿は、科学技術振興機構研究開発戦略センターが、2015年に出版した「ASEAN諸国の科学技術情勢」(美巧社)の第3章「タイ」部分を原稿とし、加筆修正を行って作成した。上記書籍のタイの章は、野が原案を作成したものである。

 なお、今回の加筆修正に当たっては、当センター名で作成した報告書「ASEAN諸国の科学技術情勢」(2014年度版)から、事実関係を中心に多くの内容を引用していることを、ここで申し添えたい。

2016年11月

国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センター

特任フェロー(海外動向ユニット担当)

 野  照 久

(著者紹介)

野 照久(つじの てるひさ)

 国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センター・特任フェロー(海外動向ユニット)。1973年東北大学工学部卒。同年日本国有鉄道入社。1986年より宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構)。