JSTトップ > 研究開発戦略センター(CRDS) > 報告書等 > 海外調査報告書 > 科学技術・イノベーション動向報告 オランダ編(2016年度版)
本章では、オランダの科学技術・イノベーションの現状を理解する上での背景情報として、地理、歴史、政治などを含む国情や、経済情勢について言及する。
オランダ(Netherland)は、オランダ王国(Kingdom of the Netherlands)の一構成国であり、国土の大半は欧州に位置する。国土面積は約4万km2で、2016年現在の人口は約1,700万人である。国土面積はEU全体の約0.9%、人口は約3.3%にすぎない。日本との比較でみれば、オランダは九州とほぼ同じ大きさであり、人口は7分の1程度である。憲法上の首都はアムステルダムだが、ここはエンターテインメントと金融の拠点となっている。王宮、国会議事堂、中央官庁、各国の大使館、国際機関などはデン・ハーグ(アムステルダムから南西に約65km)に置かれ、事実上のオランダの首都といわれている。
オランダは早くから世界に進出し、香辛料貿易をてこに植民地を拡大していった。17~18世紀にかけて、植民地支配を強めるとともに交易体制を築き上げ、オランダ海上帝国と呼ばれるまでになった。アジアとも関わりが深く、オランダ領東インド(現在のインドネシアに相当)等を植民地として支配下に置いた。しかしながら、海上での覇権は次第に英国に奪われ、英蘭戦争、第一次・第二次世界大戦を経て、カリブ海の幾つかの島々を除いてすべての植民地を手放すこととなった。
政体は立憲君主体制をとり、国家元首たる国王は2013年4月に即位したウィレム・アレキサンダー(Willem-Alexander)国王陛下である。議会は二院制で、第1院(上院)75議席、第2院(下院)150議席から構成され、議院内閣制をとる。法律や条約の先議権は第2院(下院)にある。2016年6月現在、自由民主国民党と労働党による連立政権が最大勢力を維持しており、マルク・ルッテ(Mark Rutte)首相は自由民主国民党の党首である。
オランダ本土は12の州に分かれ、州は複数の基礎自治体によって構成されている。言語はオランダ語だが、オランダは欧州大陸の中で最も英語が通じる国の一つでもある。また、高技能専門家は30%の非課税対象となっているため、知的労働者には働きやすい環境が整っているといえる。
オランダは欧州共同体(EC)の原加盟国の一つであり、欧州統合の主たる推進役でもある。欧州連合(EU)の発足を定めたマーストリヒト条約の締結に際しては、条約調印のホスト国として重要な役割を担った。
2015年のオランダのGDPは7,525億米国ドル(以下「ドル」と略す)で、国民一人当たりの名目GDPは4万4,433億ドルである。これは、EU28か国の中では、ルクセンブルク、デンマーク、アイルランド、スウェーデンに次いで、第5位の規模である。
次に、産業構造を見てみたい。名目GDPにおけるロシアの産業別構成割合を示したのが図表1-1である。第一次産業が1.8%、第二次産業が21.2%、第三次産業が77.0%という内訳になっている。
図表1-1 名目GDPにおけるオランダの産業別割合(2014年)
出典:世界銀行(以下「世銀」と略す)のデータを元に筆者作成
図表1-2では、2014年のデータを用いて主要国の経済活動別のGDP構成比を比較した。これで見ると、オランダは欧州諸国の中では第1次産業の割合が相対的に大きい。
図表1-2 主要国の経済活動別のGDP構成比(%)
出典:世銀のデータを元に筆者作成(※カナダは2012年のデータを使用)
オランダの貿易収支を見てみると、2015年度の貿易輸出額は4,260億ユーロ1、輸入額が3,780億ユーロで、480億ユーロの貿易黒字があった。
輸出品目の中で最もシェアが大きい品目は「機械・輸送機器(28%)」で、「化学製品(18%)」、「鉱物性燃料(13%)」、「食料品・動物(13%)」と続く(図表1-3)。
輸出先を国・地域別に見ると、約72%がEU向けで、主要な輸出先は、ドイツ(23%)、ベルギー(10%)、英国(8.9%)、フランス(8%)である。非EU圏の中では最大の輸出先は米国(4.3%)である。日本(0.8%)はオランダの貿易相手国として大きな比重をしめていない。
図表1-3 オランダの貿易輸出(品目別)(2015年度)
出典:オランダ中央統計局のデータを元に筆者作成
次に、輸入を品目別に見てみると、輸出同様に「機械・輸送機器(31%)」の割合が最も大きく、次いで「鉱物性燃料(17%)」、「化学製品(14%)」となっている(図表1-4)。
輸入先では、約53%がEUからである。主な輸入先は、ドイツ(17.1%)、ベルギー(9.8%)、英国(5.5%)、フランス(4.3%)となっている。非EU圏の中で最大の輸入先は中国(9.1%)で、次いで米国(8.7%)である。日本(2.2%)はアジア諸国の中では中国に次ぐ輸入先となっている。
このように、EUの占める割合が輸出の約72%、輸入の約53%であることから、オランダ貿易収支に占めるEUの依存度は高いことが分かる。
また、先に述べたとおり、オランダの国土面積はEU全体の約0.9%、人口は約3.3%にすぎないが、EUの総輸出の約7%(2015年)を占めており、オランダ貿易は相対的に活発であることが分かる。
図表1-4 オランダの貿易輸入(品目別)(2015年度)
出典:オランダ中央統計局のデータを元に筆者作成
オランダの特徴として、第一に、整備された物流インフラが挙げられる。オランダは、貨物およびコンテナ取扱量で欧州第1位のロッテルダム(アムステルダムから南西に約80km)港、並びに、貨物取扱量が欧州第3位および利用客数が欧州第4位のスキポール空港を有し、この2か所を軸に欧州域内を結ぶ道路、鉄道および内陸水路網を張り巡らし、欧州の物流センターとしての役割を担っている。特にロッテルダム港は欧州大陸へのゲートウェイとして利用価値が高い。
第二に、多国籍企業の存在がある。オランダには世界的な活動を行っている大企業があり、高い国際競争力を示している。ロイヤル・ダッチ・シェルやフィリップスなどがその典型例である。両企業は、フォーブス誌の2016年の世界企業ランキング(フォーチュン・グローバル500)上位500社の中に、それぞれ第5位と368位で入っている。その他、エアバス(第100位)などの大企業もオランダに本社機能を置いており、計12社がこのトップ500にランクインしている。国の規模を考慮すれば、大企業の進出のレベルがオランダは比較的高いといえる。
海外から多くの企業がオランダに進出しようとする理由の一つに、低い法人税など企業に対する税優遇措置が整備されている点が挙げられる。研究開発やイノベーションに関連した種々の優遇税制と合わせて第5章で紹介したい。
オランダにおける日本企業の動向を見てみると、数字上は約400の日本企業が進出しているが、うち半分は持株会社で、実体のない「ペーパーカンパニー」と大差がない。分野は、金融やサービス系が多い。残り半分の約200社は、実際に営業拠点として事務所を置いている場合がほとんどである。
オランダの企業の特徴的なあり方として、このような多国籍企業か、「特殊な」分野の小企業に二極化する傾向にあるといわれている。その理由として、小企業が成長しても海外企業のM&A対象となってしまうため、大か小かという極端な構造になり、間の中規模企業が多く存在しないという点が指摘されている。「特殊な」分野の小企業とは、例えばチューリップの球根を掘り起こす農業機械の開発を行うといった、オランダに「特殊な」理由で存在している企業を指している。
本章では、オランダの科学技術・イノベーションを推進する組織や制度について説明を行う。主要な省庁や諮問機関、ファンディング機関、また研究開発実施機関などの関連する諸機関を取り上げた後、ファンディング・システムおよび高等教育制度に言及する。
経済計画のための省庁間委員会(CIPE)は、閣僚会議(Council of Ministers)の議長をトップとしており、経済財政問題で政治的意思決定を行う委員会である。経済政策の策定における調整機能を有している。全体として、一般的な社会経済状況を調査し、国の主要な投資計画を承認している。
オランダにおける科学技術・イノベーションの主要所管省は、教育・文化・科学省(OCW)と経済省(EZ)である。オランダでは伝統的に、政策策定・ファンディング・研究開発実施という各段階において、「科学」と「技術・イノベーション」が分けられてきた。OCWは、「科学」において最良の研究が実施できる環境を整備し、国民の幸福や福祉をもたらすような良質の科学を創出することをミッションの基本としている。またOCWは高等教育も所掌している。一方EZは主として、「技術・イノベーション」の面で、オランダ経済の革新性および競争力の強化をミッションの基本としている。そのため、EZでは、イノベーション環境の改善、企業によるイノベーションの奨励、また産学連携の推進などを主たる業務内容としている。
2014年の省庁別の研究開発資金の出資額を示したのが図表2-1である。全省庁合わせて48億7,380万ユーロで、うち最大の支出をしめるOCWは35億100万ユーロ、次いでEZは9億860万ユーロとなっている。OCWとEZの2省を合わせると資金全体の約9割を占めることになる。
図表2-1 省庁別研究開発資金出資額(2014年)(単位:100万ユーロ)
出典:ラテナウ研究所のデータを元に筆者作成
オランダの科学技術・イノベーション政策にかかる関連組織をまとめたのが図表2-2である。
図表2-2 オランダの科学技術関連組織図
出典:各種資料を元に筆者作成
オランダには、米国や英国、ニュージーランドのように大統領や首相に対する主席科学顧問は置かれていないが、首相・内閣および議会に対する助言や諮問・答申のための体制が充実している。政策全般に対する諮問機関である政府政策学術評議会(WRR)、科学技術・イノベーション分野に特化した諮問機関である科学技術イノベーション諮問評議会(AWTi)、また、科学的問題について政府に助言等を行うオランダ王立芸術科学アカデミー(KNAW)がある。
立法機関に関しては、オランダ議会の上院・下院それぞれに教育・文化・科学委員会が設置されている。
主な研究ファンディング機関としては、オランダ科学研究機構(NWO)、KNAW、技術基金(STW)、オランダ保健研究開発機構(ZonMw)およびオランダ企業局(RVO)の5つが挙げられる。NWOはOCW傘下のファンディング機関で、日本の科学技術振興機構(JST)と日本学術振興会(JSPS)の両機能を併せた組織に相当する。KNAWは独立の諮問機関であるが、傘下の研究所を中心にファンディングも行っており、予算の半分以上はOCWから支出されている。STWはNWOの一部という位置づけであるが、複数の財源を有し、技術に関連した研究ファンディングを行っている。ZonMwは保健・福祉・スポーツ省(VWS)とNWOが共同で管轄するヘルスリサーチおよびヘルスケアの分野に特化したファンディング機関である。機能的には、STWが新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)に、ZonMwが日本医療研究開発機構(AMED)に近い。RVOはEZ傘下の機関であるが、他の関連省庁の事業にも広く携わっている。
オランダの研究開発実施機関は大きく3つに分かれる。第1のタイプは、独立および国立の研究機関である。オランダ応用科学研究機構(TNO)は応用研究を中心としたオランダ最大の研究開発機関で、予算の3分の1弱を公的資金によって賄っている。TNOは日本の産業技術総合研究所(AIST)に相当する組織である。第2は、ファンディング機関や諮問機関が有する研究所である。NWOは基礎研究を中心に傘下に複数の研究所を擁し、研究助成を行うと同時に研究も実施している。KNAWも諮問機関でありながら傘下に複数の研究所を有し、助成も行っている。第3に、オランダでは大学・高等教育機関も研究開発における主要プレーヤーである。大学では教育のみならず研究も重視する環境で学生を育成している。
先に記したとおり、オランダ政府は年間45億ユーロ強を科学研究(開発段階を含む)に投じている。政府は、世界のトップ水準にあるオランダの科学が今後もそのレベルを維持できるよう諸策を講じるとともに、科学研究が社会的課題や産業界が取り組む課題にも応えるよう、その推進を図っている。
政府のウェブサイト2には、45億ユーロ強の科学研究支援は基盤的経費と競争的基金(公募によるプロジェクト助成等)に大別され、その支援対象は大きく以下の5つになるとある。
また近年、オランダ政府は基礎研究を重点的に支援しており、2014年以降、基礎研究に特化した追加助成を実施している。当該助成額は2017年には7,500万ユーロに達する予定である。この追加的な基礎研究資金に関して政府は、研究者間の競争と連携を奨励しつつ、研究資金の使い道については(研究計画調書に基づいて)研究者個人に委ねるとしている。
上記45億ユーロ以外の研究開発助成については、以下の機関やプログラム等から総額70億ユーロの資金がオランダでの研究に流れている。
以下では、主要な関連機関の紹介を行う。
図表2-3 OCW予算の支出内訳(2013年)(単位:100万ユーロ)
出典:OCWのデータを元に筆者作成
図表2-4 OCWの科学研究予算の推移(2000~2014年)(単位:100万ユーロ)
出典:OCWおよびラテナウ研究所のデータを元に筆者作成
図表2-5 OCWの科学研究予算の配分先(2014年)(単位:100万ユーロ)
出典:ラテナウ研究所のデータを元に筆者作成
主席科学顧問制度がないオランダでは、首相・内閣および議会に対し科学技術分野の政策助言等を担う重要な役割を諮問機関が担っている。科学技術分野のシンクタンクも存在する。ここでは、3つの主な諮問機関とシンクタンク機関を1つ取り上げる。
オランダのファンディング機関の特徴の一つとして、どの機関も所管省庁がありながら、他の関連省庁の事業にも携わり、その財源が多岐にわたる点が挙げられる。以下では、5つの主要なファンディング機関を取り上げる。
図表2-6 NWOを中心とした研究資金の流れ
出典:NWOおよびOCWのデータを元に筆者作成
NWOの建物 ©津田
図表2-7 NWOの組織分布(2014年12月時点)
出典:NWOのウェブサイトの情報を元に筆者作成
STWの建物 ©津田
ZonMw1階のオープンスペース ©津田
※絵画や芸術作品はアートセラピーとして用いられている
オランダの研究開発実施機関は大きく以下の3タイプに分類される。
このほか、企業が研究開発を積極的に実施している場として、オープンイノベーション・キャンパスのようなクラスターなどがある。オランダにおける企業の研究開発活動は相対的に不活発といわれているが、農業や食品、ハイテク製品など、特定の分野によっては精彩を放っているものもある。このような企業の研究開発を推進する取組については第5章で言及することとし、ここでは上記3タイプの研究開発実施機関を取り上げる。
図表2-8 オランダにあるTNOの23拠点
出典:TNOのウェブサイトの情報を元に筆者作成
図表2-9 TNO予算の使用目的別の内訳(2016年)(単位:100万ユーロ)
出典:TNO報告書の情報を元に筆者作成成
図表2-10 ワーヘニンゲンURの組織構成
出典:ワーヘニンゲンURのウェブサイトの情報を元に筆者作成
図表2-11 THE世界大学ランキング(2015年度)のトップ200位以内のオランダの大学
出典:THE World University Rankings 2015/16のデータを元に筆者作成
ここでは、オランダにおける研究開発助成の流れを概説するとともに、実際に資金を配分する機関についても言及する。
オランダ学術会議(CNR)はオランダ最大の公的研究機関であり、教育大学研究省(MIUR)の傘下にある。目的としては、研究の推進、イノベーションや競争力の促進、国際化の推進、技術や解決策の提供や助言、人材育成への貢献等がある。①地球システム科学・環境技術、②生物学、農業と食品科学、③化学と材料技術、④物理科学、⑤バイオメディカルサイエンス、⑥エンジニアリング、ICTとエネルギーと輸送技術、⑦社会科学と人文科学、文化的遺産の7部門に分かれており、部門ごとに計画・監督機能を有している。合わせて102の研究所があり、職員を合計すると8,000名以上、そのうち約6割が研究者もしくは技術者である。
オランダでは、政府による研究開発費の72%がOCWから、19%がEZから支出されている。OCW予算のうち、科学研究への支出は2.5%にすぎず、その約4割がNWOの基盤的経費である。他方、OCWから大学への支出は全体の19%を占めている。
大学への研究資金配分はまず、OCWを中心に政府から措置される資金と、NWO等を通じた競争的資金という2つの流れがあり、前者は「政府による直接的なファンディング」、後者は「政府による(NWOを通じた)間接的なファンディング」と呼ばれている。それに加え、第3の流れとして、政府外からの助成によるものがある。
先に述べたとおり、NWOはファンディング機関であると同時に傘下の研究所において研究開発を行っている。KNAW傘下の15の研究所でも研究開発を担っている。また、EZ内のRVOも助成を行っている。
オランダの研究にとって、国内の基盤的経費や競争的資金だけでなく、EUからのファンディングも重要である。科学技術関連予算に関して、オランダはEUの恩恵を最も受けている国の一つといえる。
オランダの研究開発費において最大の負担者は企業である。企業へは企業自らと海外から研究資金が流れている。
以上をまとめたのが図表2-12である。
図表2-12 オランダの研究制度と研究資金の流れ
出典:OCWのデータ”Key Figures Science”を元に筆者作成
第6章の科学技術のインプット指標においても示しているが、オランダの研究開発費は約163億ドルで、米国の約28分の1、日本の約10分の1の規模である。図表2-13から分かるとおり、オランダはEUの平均値とほぼ同じである。
研究開発費の負担割合を見てみると、オランダでは、企業が51%と最も大きく、政府が33%、海外が13%と続いている。このセクター別の割合もほぼEUの平均である。
図表2-13 研究開発費の負担割合とその対GDP比の主要国比較(2013年)
出典:OCWのデータ”Key Figures Science”を元に筆者作成
しかし、研究開発費の使用側から見ると、オランダでは、高等教育機関の使用割合(32%)がEU28か国平均(23%)より高いのに対して、企業の使用割合(56%)はEU平均(63%)より低い。オランダではより多くの研究開発費が高等教育機関に流れている。
図表2-14は、2014年のオランダにおける研究資金の流れとその金額を示したものだが、高等教育機関には主に政府から、研究機関には主に政府や海外から資金が流れていることが分かる。また、研究開発費を最も多く負担している企業からの資金の大部分は、企業自らに流れており、それに海外からの資金も入っている。
高等教育機関に対する研究資金助成の内訳を見てみると、主に3つの流れがある。第1の流れはOCWを中心とした省庁からの資金である。これは全体の約65%を占めているが、近年徐々に減少の方向にある。とはいえ、大学にとって最大の資金源にあることに変わりはない。第2の流れは、全体の約15%を占めているNWOなどのファンディング機能を持つ機関による競争的研究資金を中心とした助成である。例えばNWOはOCWとEZから主に予算出資を受け、大学等に資金を配分している。これらファンディング機関の財源はほぼ政府からであるため、図表2-14では第1および第2の流れは同じ政府からの研究資金助成の流れのなかに位置づけられている。第3の流れは、政府外からの助成によるもので、全体の20%程度を占める。これには例えば、民間の非営利セクター(PNP)や海外からの助成や企業からの出資が含まれる。
図表2-14 オランダにおける研究資金の流れ(2014年)
出典:OCWのデータ”Key Figures Science”を元に筆者作成
国内の公的なファンディングは2つのタイプに分けられる。一つは、競争によらず、受け取り手が自由に使用することのできる基盤的経費である。もう一つは、期間を限定してプロジェクトやプログラムに対し配分される競争的資金で、いわゆる公募型の研究資金を指す。競争的資金については、ファンディング機関のNWOと各省庁が主たる配分元になり、特にNWOは研究助成に関する厳格なピアレビュー制度を有している。
競争的であれ非競争的であれ、上記のような直接的な研究資金の流れがオランダでは伝統的であったが、1990年代中ごろから、民間セクターの研究開発を促進するための間接的な研究支援として税制優遇制度が確立されてきた。2016年には2つの主な研究開発優遇税制WBSO(研究開発費のための奨励制度)とRDA(研究開発コストの税額控除プログラム)が制度的に一つに統合され、2016年度は約115万ユーロが予算として計上されている。
ファンディング機関であるNWO、STWおよびZonMwにおける公募採択のプロセスは共通である。その特徴の一つは、一旦提出した申請書類の書き直しをレビュアーが申請者に対し要求することがあるという点にある。修正を求められた申請者は情報を精査し、レビュー内容に答えた上で再提出することになる。
以下では、STWにおけるプロジェクトの選定プロセスを具体事例として紹介したい。
STWでは、プロジェクトの申請に際し審査委員会を設けるが、NWOが純粋に科学的な質の観点からプロポーザルを審査するのに対し、STWはプロポーザルを応用的見地(application perspective)から判断し、当該プロポーザルの内容がどのように利用され得るかという点を考慮する。STWのみ単独での審査はない。STWでは研究助成の目的として、研究の質の向上だけでなく、研究成果の利用や技術移転の促進も重視している。そのためSTWから助成を受けた研究プロジェクトは開始当初から、研究者だけでなく、期待される研究成果の利用見込み者(以下「利用者」と略す)も含めた形で進められることになる。利用者は当該プロジェクトに対して、財政的貢献も含めインプットを提供し、報告書の書き直し等を要求する場合もある。一般的にこの利用者も交えたミーティングは年に2度設けられる。
先述したOpen Technology Programme (OTP)の場合、STWでは独立した国内外のレビュアーを最低3人付け、プロジェクトを審査する。申請内容が不十分である場合、レビューの内容は修正のため申請者に戻される。それを受け取った申請者は情報を精査しレビュー内容に答えなければならない。レビュー内容およびそれに対する申請者の応答はすべて、審査委員会に上げられる。同委員会のメンバーは、レビュー内容やコメントを加味しさまざまな見地等からプロジェクトのランク付けを行う。結果はSTW運営理事会に送られ、当該理事会が最終的にファイディングの決定を行う。この際、却下されるプロジェクトはほとんどないという。全体の約30%のプロジェクトがファンディングの対象とされる。STWではなるべくこの割合を維持するよう努めている。というのも、EUのプログラム、例えばHorizon 2020では採択率が数%であることを考えると、国内研究者に研究の機会を与えるという意味でも重要だからである。OTP以外の特定分野対象のプログラムにおける採択率でも20%をキープしている。ただし、どのプログラムにおいても9か月以内に全工程を終える必要がある。
以上見てきたように、オランダでは企業に流れる研究開発費はEU28か国平均よりも低く、逆により多くの研究開発費が高等教育機関に流れている。オランダは欧州の中でも相対的に産業界の研究開発が不活発な国の一つであるということができる。
企業の研究開発投資額について詳細に知るには、欧州委員会が公表した「2015年EU産業研究開発投資スコアボード(EU Industrial R&D Investment Scoreboard)」が有益である。同スコアボードは、企業による研究開発への総支出において約90%をしめる世界の上位2,500社について分析を行ったものである。直近のデータによると、2,500社全体での投資総額は2014年で6,072憶ユーロであった。EUに拠点を置く企業は608社、米国に拠点を置く企業は829社、日本に拠点を置く企業は360社、その他の地域の企業は703社となった。
EUに拠点を置く608社のうちオランダは42社となっている。この42社の研究開発費を合わせると、約170億ユーロ(約190億ドル)である。他方、先述のとおり、2014年のオランダの官民合わせた研究開発投資は約163億ドルで、うち企業からの投資が約83億ドル(51.1%)であった。
これら数字の違いが意味しているのは、オランダは、フィリップスのような多国籍企業を抱え、また、最近ではエアバスや、フィアット・クライスラー(Fiat Chrysler Automobiles)などの世界有数の大企業が税優遇措置のため本社機能を移してきている。これら企業が研究開発に出すお金は膨大であるが、それがオランダの民間の研究開発にどのように効果的に流れているかは未知数である。少なくともデータ上は、企業の研究開発費の半分以上はオランダに落ちてきていないことが分かる。雇用の創出という点で企業の誘致は重要だが、企業の研究開発活動を引き上げるためにはまた別の施策が必要であると思われる。
近年のオランダでは、特に地方のレベルで活発的にオープンイノベーションの推進を掲げ、産学官を巻き込んだかたちでの研究開発活動をサポートする枠組みが構築されてきている。これは、企業全体の研究開発をてこ入れすることにも繋がっている。それについては第5章で後述したい。
ここではオランダの高等教育制度について概観し、個別事例としてアムステルダム大学(UvA)とデルフト工科大学(TU Delft)を取り上げる。さらにライデン大学内にある科学技術論センター(CWTS)についても紹介する。
オランダでは研究開発費の約3割が大学に流れており、大学も重要な研究開発の実施機関となっている。OCWのデータによれば、2012年にはオランダの高等教育セクターで研究開発に従事する職員数は32万5,000人(FTE換算)である。
オランダの大学は全部で52校あり、私立大学は1校のみで他はすべて公立大学である。大学は大きく2タイプに分かれ、一つのタイプは、研究大学(WO)と呼ばれ、15校ある。もう一つは応用科学大学(UAS)と呼ばれ、37校ある。
繰り返しになるが、WOでは研究が重視されており、科学研究の実施、研究開発の土台となるような教育の提供、知識の普及の3点を掲げ、基礎・応用の研究と理論構築に力を入れている。WOへの進学率は全体の10%ほどであり、エリート志向が強いといわれている。WOではより国際協力が活発で、1980年代から大学研究に対する外部専門家評価(6年ごと)を受け入れてきた。他方、UASでは専門的・実践的な教育訓練が優先される高等教育機関である。
図表2-11で示したとおり、英国タイムズ社による世界大学ランキングでは15校あるWOのうち12校が200位内にランクインしており、世界的に評価されている大学が多い。図表2-15では比較の観点から欧州の主要な国々と日本の大学の100 位以内のランキング状況を示した。英国の大学数の多さが顕著だが、オランダの大学も相対的に高く評価されていることが分かる。
図表2-15 主要国における世界大学ランキングの比較(2015年度)
出典:QS World University Rankings 2015/16およびTHE World University Rankings 2015/16
のデータを元に筆者作成
オランダの大学の特徴としては、伝統的に自立した組織である、また、飛び抜けて優秀な大学がない代わりにどの大学も同程度に総じて高いレベルにあると指摘されることが多い。後者の点は、大学のヒエラルキーが顕著である英国のような国とは異なるあり方である。
現在、オランダでは高等教育改革が進行中である。現行の高等教育制度のさらなる改善が必要であるとの立場に立ち、2018~2025年の期間において高等教育機関に対し年間約10億ユーロの追加拠出が予定されている。
アムステルダム大学、Amsterdam City Campus©津田
TU Delftのキャンパス©津田
電子数理情報工学部の建物©津田
その他の機関として、ビブリオメトリクス分析等に焦点を当てた政策研究を行っているライデン大学内の科学技術論センター(Centre for Science and Technology Studies: CWTS)を紹介したい。
ライデン大学©津田
CWTSのある建物©津田
本章では、オランダの科学技術・イノベーションに関する組織や制度について網羅的に説明を行った。
オランダの科学技術・イノベーションの主要所管省は、教育・文化・科学省(OCW)と経済省(EZ)であり、政府は年間45億ユーロ強を科学研究に投じている。科学技術・イノベーション分野の政策に関し、政府や議会に助言等を諮問機関やシンクタンク機関が多く存在している。
主なファンディング機関としてはNWOがあり、その一部としてSTWおよびZonMwが専門分野に特化したかたちで置かれている。諮問機関であるKNAWは傘下研究所に対し助成を行い、EZの一部局であるRVOにはEUのナショナル・コンタクトポイントが置かれ、EUの資金をうまく活用するための情報提供等が行われている。これらの機関はいずれも複数の財源を有しつつ、支援する分野をうまく棲み分けているのが特徴的である。
オランダの研究資金の流れを簡潔にまとめると、NWO、STWおよびZonMWでは、プロジェクトおよび個人ベースのファンディングを行っている。NWOは様々なグラントを通して研究者個人あるいはグループに対する助成を行うと同時に、オランダ最大のInnovational Research Incentives Schemeを運営している。NWOが大学への科学研究へのファンディング事業を行っているのに対し、STWは技術に関連した研究へのファンディング事業を担い、産業界の関与にも注力している。STWは全研究分野を対象とした競争的研究資金制度であるOTPを運営している。ZonMWはヘルスリサーチおよびヘルスケアの分野にフォーカスしたプロジェクトを支援し、保健・予防分野の優秀な研究者に対してTOP Grantsを助成している。
オランダにおける研究開発実施機関の3大アクターは、国立研究機関、ファンディング機関および諮問機関傘下の研究所、高等教育機関である。本章では、TNOとワーヘニンゲンUR、NWOおよびKNAW傘下の研究所、UvAおよびTU Delftの事例を中心に言及した。これら機関における研究開発は、政府の戦略や施策との連携を図りながら実施されている。
オランダでは高等教育機関の評価は高い。研究大学(WO)は大学の世界ランキングでも相対的に高く評価されており、実際、より多くの研究開発費の高等教育機関に流れている。
他方、企業の研究開発活動は比較的低調である。企業の研究開発活動をどのように引き上げていくか、この点はオランダの研究開発を推進する上での課題の一つであろう。
本章では、オランダの科学技術・イノベーション政策の歴史について述べる。1980年代以降の取組を概観した上で、現行の政策について言及する。
オランダがイノベーションを意識した科学技術政策を打ち出したのは、欧州の他の諸国と比べても比較的早い時期である。1980年代にオランダで初めてのイノベーション政策が制定された。
EZは2003年10月、民間セクターのイノベーション能力を強化することを目的として、The Innovation Letter “Action for Innovation: tackling the Lisbon ambition”を発表した。同文書において以下の3つの主要目標を掲げた。
その後2004年1月には、OCWが”Science Budget 2004: Focus on Excellence and Greater Value”を発表し、以下の5点を主要政策目標とするオランダの研究システムに関する政策を示した。
さらに2007年11月にはOCWにより、イノベーションの基盤となる高等教育および科学研究に関して包括的な方向性や政策を示した”Strategic Agenda for Higher Education, Research and Science Policy”が発表されている。高等教育においては「野心的な学習文化」を、科学研究においては「卓越した研究環境」を構築する必要があるとして、そのためのアプローチが提示された。
EZ主導で設置され省庁間で調整しながら合同で知識イノベーション推進事業を担っていた知識イノベーション・プログラム局は、2008年6月にイノベーション長期戦略を発表した。これは、安全保障、水、エネルギー、ヘルスケア等の分野における社会イノベーション計画を策定していた政府の事業の一環で、「持続可能な生産性の成長」をキーワードに2030年のオランダ社会に向けての戦略を示したものである。
本章では、オランダにおける現行の科学技術・イノベーション分野の政策や戦略の中でも特に重要と思われるものを整理し概説する。
オランダの科学技術・イノベーション政策で特徴的であるのは、政府がトップレベルで示す内容は簡潔かつ明瞭であり、課題認識、それを克服するための全体的な見通しや方向性を設定し進むべき道を示すものとなっている。こうした国家の政策や戦略とうまく連携を図りつつ、各機関は、個別具体的なやり方について戦略やアジェンダを設けている。この辺りは各機関の自由な裁量に委ねられている。
近年の動きとしては、2011年にトップ・セクター施策が発表され、重点9分野において産学官の3体による連携促進が進められている。9分野は以下のとおりである(詳細は後述)。
2014年12月には未来のサイエンスビジョン”2025 - Vision for Science choices for the future”がOCWから発表された。これは、科学政策に関する2025年までの政府計画である。ビジョンとして以下の3点が示されている。
技術・イノベーションの促進についてはEZが中心的役割を担っている。2016年9月には、財務大臣よる翌年の予算発表に合わせて、EZ大臣がイノベーションおよびテクノロジーに関連した以下の3つの目標を打ち出したばかりである。
2010年12月に発足したルッテ政権では、発足当初は財政再建を掲げ、そのため科学技術予算も削減された。しかし2013年以降、景気が回復するのと比例して、科学技術予算は伸びる方向で期待され、若干の増加傾向にあった。
しかしながら、ラテナウ研究所の報告書9によれば、2014年までは官民合わせた研究開発投資額は増加傾向にあったが、2014年以降は公的な研究開発費の漸減し、今後もその傾向が続くことが予想されている。その主たる理由として、応用研究に従事する研究機関への財政支援の削減および特定政策予算の減少が挙げられているが、加えて、民間セクターの研究開発を促すための税制優遇制度が間接的な研究支援としてこれらの減少分を補うほどに活発に適用されていない点が指摘されている。2014年の時点では0.74%だった公的研究開発費の対GDP比は2020年には0.64%にまで下がることが見込まれている。
OECDのデータによれば、オランダにおける官民合わせた研究開発費の対GDP比は2014年で2%である。欧州全体のバルセロナ目標では2020年までにこの値を3%まで引き上げることを掲げているが、上に述べたとおり、オランダ政府は2.5%という目標設定に留めている。
2013年、今後10年を見据えた研究アジェンダを設定するため、知識連合(Knowledge Coalition)が設置され、ボトムアップ的に研究アジェンダの検討が行われた。合計約1万2,000件のアンケートが研究者や科学技術関係者らに配られ、それら結果を取りまとめ調整した結果、2015年11月、140項目から成る国家研究アジェンダ”The Dutch national research agenda(NRA)10”が発表された。NRAには社会的課題を含むかたちで幅広く科学技術にとっても重要課題が含まれている。ただし、具体的なプログラムやプロジェクトに紐付けられているわけではなく、研究分野間の交流促進や分野横断的な連携の可能性を見い出す土台として活用されることが期待されている。
高等教育戦略については、2015年7月にOCWから2015~2025年までの高等教育・研究に関する戦略アジェンダとして”The value of knowledge”が発表されている。同戦略アジェンダでは、この先の10年においてオランダの高等教育がとるべき行動指針として以下の3つを掲げた。
高等教育の質を向上すべく、2018~2025年の期間で年間約10億ユーロの追加投資を約束しており、教育内容の充実や関連プログラムへのファンディング等が実施される予定である。
当該戦略の準備・策定の時期に導入が決定された学生向けの新たなローン制度の導入が古い制度に取って代わって運営を開始した。新制度では、2015年9月以降に学部および修士課程に入学する学生が対象となり、高等教育への政府の予算的負担が少し軽減することが期待されている。
ここでは、現行のイノベーション政策の中核を担う施策であるトップ・セクターのアプローチ、および、産学官連携により企業の研究開発活動を活発化することを目指したオープンイノベーションの構想について説明する。
オランダ政府は2011年、オランダが強い9の産業分野を「トップ・セクター」に位置づけた。その意図するところは、一層の規制緩和を図り、政府、企業、研究の3体による連携促進を進めることで、経済成長と社会繁栄を促進することにある。この9つの分野とは、農業・食品、園芸・育種、水、ライフサイエンス・健康、化学、ハイテク、エネルギー、ロジスティクス、創造的産業である。
予算としては官民合わせて2020年までに約70億ユーロの投資が見込まれており、知識経済の一層の促進が目指されている。具体的な目標は先述したイノベーション政策の内容である。ただし、予算の配分は9つのセクターに9分の1ずつ平等に配分されているわけではない。研究の規模によって決まるものだが、ハイテクの分野に半分ほど流れている。次に、農業・食品、化学の順に流れている予算が多い。
このトップ・セクター施策のユニークなところは、各セクターのプロジェクト等の計画立案・作成は企業が担う点である。企業のイニシアチブで重要分野の設定や投資を行わせ、そこから得られる利益を社会に還元させるという方法をとる。
ただし問題点もある。9つの産業分野がすべてを網羅しているわけではない。より産業界のニーズに応え、ビジネス・イノベーションのニーズを満たすために、セクターの追加、削減等も今後検討されている。最先端の技術分野をどう取り込んでいくかについても課題である。
トップ・セクター施策と欧州枠組みプログラムとの連携(特に「社会的課題」の部分で)も重視されている。セクター間の横断連携型の取組、中小企業のより積極的な参加の促進も重要課題となっている。
地方政府や投資銀行の支援を得て、試行錯誤の結果できてきたのが、オランダ版クラスターともいえるオープンイノベーション・キャンパスである。これは「競争」ではなく「共存」の理念に基づいて、成果や知識、リソースの共有、ビジネスネットワークへの自由なアクセスを保証し、そうすることで市場への参入をより迅速にし、しかも研究開発に伴う経済リスクやコストを軽減できるというメリットを提供するものである。他社との協働によってネットワークが広がり、また新たなアイデアが生まれることにも繋がっている。
現在、オランダ南部を中心に、ハイテク、自動車、ケミカル材料、健康、食品、スマートサービスの分野で6つのキャンパスがある(スマートサービスのみ建設中)。
ただ、キャンパス自体はグリーンフィールドから建設されているわけではない。例えばアイントホーフェンにあるハイテクキャンパスは、フィリップスの研究開発跡地にある建物を再利用し人材もそのまま引き継ぐかたちで作り上げられた。また、ケミカル材料のケメロットキャンパスでは、リンブルフに進出していたDSM11 の研究開発部門の一部が払い下げられた跡地に設立されている。
このようにすでに企業の研究開発が実施されていたところに、そのインフラと人材をうまく活用しながら建設されているのがオープンイノベーション・キャンパスである。キャンパスの具体的な状況については次章で説明することとする。
本章では、現行の科学技術政策および高等教育戦略等に言及しつつ、イノベーション政策とその中核となるトップ・クラスター施策について取り上げた。
現行の政策では、9の重点分野を定めたトップ・セクター施策が政府、企業、研究の連携を促進する中心的な位置づけとなっている。それを、OCWから発表された未来のサイエンスビジョンやEZが打ち出した目標が補足するかたちで存在している。
最近の傾向として、景気回復の動きに比例して科学技術予算が伸びている点は重要である。とはいえ、オランダ政府が定めている2020年までにオランダの研究開発費の対GDP比を2.5%まで引き上げるとの目標は、3%まで引き上げることを定めた欧州全体のバルセロナ目標には届いていない。
トップ・セクター施策により、選択と集中に基づいて重要な分野に重点的に予算が措置されており、産学官の連携推進とイノベーション強化を通じた活発な研究開発の展開が期待されるところである。
オランダにおける企業の研究開発活動は相対的に不活発といわれているが、農業や食品、ハイテク製品など、特定の分野によっては精彩を放っているものがある。本章ではまず、産学連携を推進するために実験のデザインやマッチングが行われているフードバレーの取組を紹介する。その後で、企業が実際に研究開発を積極的に実施している場として、オープンイノベーション構想に基づくクラスター政策について言及する。最後に、企業の研究開発を間接的に支援する制度について幾つか取り上げたい。
ワーヘニンゲンには、世界各国から1,500を超える食品、化学関連企業が集積した一大食品研究開発拠点である「フードバレー」が形成されており、この中核を成すのが先述のワーヘニンゲンURである。
ワーヘニンゲンURは今でこそ農業研開発の中核的存在として世界から注目を集めているが、第2章で言及したとおり、1990年代には若者の農業離れが進み、学生数の減少に苦しみ廃校の危機にあった。その頃、財政逼迫に悩む政府と、専門領域に閉じこもる弊害が表明化していた研究機関との危機感から、産学官が共同で組織再編を行い、1997年にワーヘニンゲンURが設立されたという背景がある。これにより、研究者の意向よりも企業などの学外のニーズや要望に応じた研究に基本を据える組織に転換された。
ワーヘニンゲンURでは、試験・応用・研究開発を担っており、食品の品質検査や加工、保存に関する試験など様々な研究サービスが提供されている。食品関連企業にとっては最先端設備や研究領域にアクセスできることもフードバレーに参加するメリットの一つとなっている。特に近年では食品分野におけるメタボローム分析が重視され、数学や統計学の授業数がワーヘニンゲン大学において増えていること、様々なオーム解析の中でもオランダはメタボローム解析において論文数が多いことが挙げられる。メタボローム解析では、高品質トマトにおける有用成分の同定や、コーヒー豆の成分とロースト後の品質との相関、誘導されてくる揮発性成分による害虫の早期発見、菌類侵入によって誘導される代謝産物の決定などの研究成果や、メタボロームに関するツール開発やデータベースの構築が行われている。
大学、研究機関において様々なシーズがある一方、食品関連企業などでは多様なニーズが発生する。そのマッチングを促進する機能を担う機関として、オランダ政府、地方自治体、食品業界数社によりフードバレー財団が2004年に設立された。フードバレー財団の主な活動は以下のとおりである。
フードバレーの強みは、ニーズ主導、つまり「企業にビジネスのニーズがあったときが研究のスタート地点」としている点で、産学官連携を重要視しているところにある。また、研究者が研究に専念できるよう、成果の移転については別部門が実施するという分業体制を構築しており、「職の棲み分け」ができている。
フードバレーは、シリコンバレーのように広大な土地に企業や研究機関が立ち並ぶようなリサーチコンプレックスではない。実体は、ビルの3階のワンフロアに11名のMD(Managing Director)によって運営されているフードバレー財団が活動の中心を担っている。ここが、食品農業分野の研究開発のプラットフォームの構築、橋渡しのサポート、そしてニーズに関する情報提供などを行う、いわば「知」の集積地となっている。例えばEXPOを開催し、産業界とアカデミアのマッチングの場を設けている。当初は、アカデミア側はワーヘニンゲン大学のみであったが、近年は国内の大学や研究機関はもちろんのこと、国外の機関までネットワークを広げている。
2016年11月時点で、国内外の企業159社がフードバレー財団の会員であり、うち日本企業は9社である。この9社のうち実際にワーヘニンゲンに進出しているのは、キッコーマンと三菱商事ライフサイエンス株式会社(MCLS)の2社のみである。日本の食品業界では、共同開発やオープンイノベーションという概念はほとんど浸透していないといわれており、フードバレー財団の会員であることから受ける恩恵は大きいと考えられる。
フードバレー財団のある建物 ©津田
オランダでは、先に述べたように、トップ・セクター施策として、農業・食品、園芸・育種、水、ライフサイエンス・健康、化学、ハイテク、エネルギー、ロジスティクス、創造的産業の9つの重点分野を設定して、産学官が一体となって取り組む指針を戦略的に策定している。フードバレーではこうした国家戦略と連携を図り、中長期を見据えた取組を産学官連携で実施してきている。
オランダでは現在、オープンイノベーションを推進する動きが南部地域を中心に進行中である。北ブラバント州がオランダ第三のブレインポート(第一が陸のポート、第二が空のポート)としてアイントホーフェンのハイテクキャンパス(High Tech Campus Eindhoven)や隣のヘルモント市にある自動車キャンパス(Automotive Campus)を中心に発展しているのに対し、リンブルフ州では、健康、食品、材料、スマートサービスの4分野にフォーカスしたキャンパスが設立されている。どのキャンパスにも共通するのは、既存の産業インフラを活用し、地方政府や銀行からの支援や融資がある点である。オープンイノベーション・キャンパスの場所を示したのが図表5-1である。
図表5-1 オープンイノベーション・キャンパスの所在地
出典:各種資料を元に筆者作成
ハイテクキャンパスには現在約150社が進出し、約1万人の人間(研究者、開発者、起業家)が働いている。ここはもともとフィリップスの研究開発施設があったエリアであるが、フィリップスの本社がアムステルダムに移転しても、アイントホーフェンのフィリップスで働いていた研究者や技術者はそのまま残留し現在に至っている。トップ・セクター施策の一つにハイテクが掲げられたことにより、このフィリップスの研究開発施設を再利用するかたちでハイテクキャンパスを設立する動きに向けて弾みがついた。試行錯誤を重ねてようやく設立したハイテクキャンパスは、その後に続くキャンパスのフォーマットにもなっている。中心となる研究開発の3分野は、健康、エネルギー、スマートな環境である。
アイントホーフェンは、ロンドン、パリ、ベルリンを結ぶいわゆる「黄金の三角形」の中に位置し、最もスマートな地域の一つとしてハイテク産業の集積地とみなされている(図表5-2)。その主な理由は、オランダ全体のOEMの約80%がアイントホーフェンに集まっており、1次仕入先が全体の約70%(14社)、2次および3次仕入先が全体の約35%(140社)が集中している点にあるだろう。
図表5-2 「黄金の三角形」とアイントホーフェン
出典:ハイテクキャンパス側提供資料
アイントホーフェンやヘルモントを含む地域はブレインポートとして、ハイテクキャンパスや自動車キャンパスを中心に発展しようとしている。この発展には州政府の支援が不可欠である。このブレインポートには、太陽電池研究開発施設であるSolliance、フレキシブルな太陽光発電パネルやセンサー等を行っているHolst Centre13、TNO、アイントホーフェン工科大学(TU/e)、国立ポリマー研究所などの国内有数の研究開発機関が10以上も所在している。ハイテクキャンパスへの日本企業や韓国企業の誘致は特に関心が高い。日本企業の一例としては、2017年1月下旬に㈱シマノが同キャンパスでオープンセレモニーを開いた。同社は流通部門をアムステルダムに残し、本社機能をアイントホーフェンに移転した。
ハイテクキャンパスでは、オープンイノベーション推進の立場から、知識、リソースの共有、ビジネスネットワークへの自由なアクセスを保証している。このような共有や自由なアクセスにより、市場への参入がより迅速に行われ、しかも研究開発に伴うリスクやコストを軽減できるメリットも生まれる。
最近は、ハイテクエコシステムの醸成に向けて、スタートアップ企業の取り込みにも注力している。彼らの持つ独創的なアイデアや発想はイノベーションを興すキーファクターとなっている。
企業の大小に関わらず、職員全員が気軽に交流できるよう、共有の食堂(レストラン)やカフェテリア、スポーツや娯楽に関連した催しも設けられている。キャンパスには約80もの国籍を持つ人間がおり、この最大限の多様性は特徴の一つといえる。
ハイテクキャンパス ©津田
Sollianceの建物 ©津田
Holst Centre入り口 ©津田
建物外観 ©津田
自動車キャンパスは、オープンイノベーションを推進する拠点としてヘルモントに設立され、自動運転技術や電気自動車の研究開発を主に実施している。TASSという自動車の研究開発機関があり、ハイテクキャンパスにおけるHolst Centreのような役割を担っている。
TNOの自動車部門も同キャンパスにある。先に紹介したとおり、TNOは優先領域として、産業、健康な生活、防衛・安全性・安全保障、都市化、エネルギーの5つを定めているが、サブトピックに「モビリティ・ロジスティクス」を含む都市化の領域と自動車部門の研究開発は特に親和性が強い。
この自動車部門は、”Powertrains”と”Integrated Vehicle Safety(IVS)”の2つの研究グループに分かれ、それぞれ50人と20人の研究者を有している。PowertrainsではEV(自動車やバス)だけでなく、乗物に用いるバッテリーやセンサーの開発も行う一方、IVSでは乗り物による負傷・死亡事故をゼロにすることを目指して、安全で最適な自動運転技術の開発を行っている。
同キャンパスには研究開発機関や企業が入っているだけでなく、その一部はアイントホーフェン工科大学(TU/e)の学生のための開発現場として提供されている。
学生のための開発現場の一つでは、ルマン24時間レースカーのバイオ燃料エンジンおよび電気自動車の開発が行われている。また別の現場では、Team Firstと称する次世代自動車研究グループがギ酸を用いた水素燃料を使用している。いずれもTU/eの学生が自らの好奇心や探究心を基に自由な環境の中で開発に携わっている。
キャンパス内の建物外観 ©津田
TU/eの学生によるルマン
24時間レースカーのバイオ燃料エンジン等の開発現場 ©津田
ブライトランド・ケメロットキャンパス(Brightlands Chemelot Campus)は、オランダ南のリンブルフ州にあるブライトランド「Brightlands」構想の一環として設立したケミカル材料の研究開発を担うキャンパスである。
ケメロットキャンパスは2000年以降、DSM、および、石油化学や製鉄、肥料などを統括する中東最大の素材企業であるサウジアラビア基礎産業公社(SABIC)が、母体となる施設の提供や資金援助を行って設立された。とくにDSMの進出とケメロットの発展は非常に深い関係にある。
同キャンパスの強みは、第一に、産(DSM)・学(マーストリヒト大学)・官(リンブルフ州政府)の連携がうまく図られていること、第二に、バイオベースのケミカル材料、パフォーマンスマテリアルズ、バイオメディカル材料・生合成間の分野横断的な材料開発が実施されている点にある。
キャンパス1階の展示スペース ©津田
2016年11月時点で、約2,000人の職員を擁し、650人の学生、企業80社を受け入れているが、2023年までに、職員数を約3,000人に、学生数を約1,000人まで増やし、企業数も100社を超えることを目指している。
同キャンパスでは、企業が進出する場合のサポートシステムが非常に充実している。また、食事、娯楽、スポーツの点からも施設を設けており、職員同士、職員と学生が気軽に付き合える環境が構築されている。
北ブラバント州がブレインポートとしてハイテクキャンパスや自動車キャンパスが建設されたのに対し、リンブルフ州ではブライトランド「Brightlands」という新たなコンセプトを考案し、研究とビジネスを繋ぐ4分野(健康、材料、食品、スマートサービス)にフォーカスしたキャンパスが設立されている。現在、以下の4つのキャンパスがある。この中で、ケメロットキャンパスは、DSMの研究開発部門の跡地を利用してケミカル材料の拠点として生まれ変わろうとしている。
オランダは、起業や海外からの進出および投資を促す有利な税制を整えている。欧州の近隣諸国と比べて相対的に低い法人税をはじめ、企業の研究開発を促進する税控除の制度が充実している。以下では研究開発に関連した優遇税制を紹介する14。
オランダでは、収益が0 ~20万ユーロである場合は20%、20万ユーロ以上に対しては25%の法人税率がかけられる。図表5-3を見ると、オランダは、欧州諸国の中で法人税率が低い国の一つに入っていることが分かる。
図表5-3 欧州諸国の法人税率の比較
出典:各種資料を元に筆者作成
WBSO(研究開発費のための奨励制度)とは、研究開発(技術的・科学的研究、新技術を用いた製品または生産プロセスの開発、新技術を用いたソフトウェアの開発など)を行う企業に対する奨励制度である。賃金税および社会保険料の控除というかたちをとる。原則として、研究開発要員に関する1暦年当たりの賃金源泉徴収税企業納付総額のうち、最初の25万ユーロまでは35%、それを超える部分は14%を控除する。各年度における最大控除額は1企業あたり1,400万ユーロとされている。
RDA(研究開発コストの税額控除プログラム)は、企業にとって研究開発運営コストや研究開発資産投資の負担を減ずることを目的とした一般税制である。研究開発関連賃金、或いは、外注や委託による研究開発費用は適用外となる。
適格な費用項目に直接関わる研究開発支出に属する場合、かかった費用全額に対するパーセンテージで税額控除が受けられる。RDAは年度の課税基礎(利益)から控除するかたちをとる。適用の法人税率(最高税率25%)により、純控除額が変わる。
RDAは、全産業分野の、オランダ在住のすべての法人納税者に対し適用可能で、各年度に関して限度額は設けられていない。RDAは前述のWBSOに連動する制度であり、WBSOとRDAの申請は同時に行うことができる。2015年度のRDA税額控除は60%であった。
この支援枠組みでは、研究開発による収益にかかる税が5%(通常の税率は25%)になる。つまり、企業が独自に開発し、特許を取得した無形資産、或いは特許を取得していなくても、独自に開発しWBSO認定を受けた無形資産から得られた利益については、実効税率5%で課税するという優遇措置を得ることができる。
他社によって開発された無形資産でも、オランダに納税している企業の責任負担のもとに開発されたものであれば同支援枠組みの対象になる。
この支援枠組みは技術的に新しいプロダクトの開発段階向けのもので、臨床研究を要する医療プロダクトの開発等が同枠組みでサポートされる。最大で1,000万ユーロまでのプロジェクト費用のうち、小企業は45%、中企業は35%、大企業は25%が政府からの支援対象(最大で4年間)となる。
本章では、研究開発・イノベーションにかかる施策・プログラムとして、「知」の集積地としてのフードバレー財団およびワーヘニンゲンURの取組を紹介するとともに、オープンイノベーションを推進する場として建設された6つのキャンパスが、ハイテク、自動車、ケミカル材料、健康、食品、スマートサービスの各分野のクラスターを形成している点についても言及した。いずれの取組も既存の研究インフラを活用し、国家戦略との連携をとりながら、地方政府や地元のアカデミアの後押しを得ている。
また、研究開発の推進を間接的にする優遇税制を取り上げ、オランダでは単に企業を誘致するために法人税が低く設定されているだけでなく、研究開発推進に向けた支援組みや奨励制度が充実している点についても確認した。
このようにオランダでは、中央政府と地方、政策と実践、企業と大学など、様々なレベルのステークホルダーが一体となって研究開発・イノベーション推進に向けて取組んでいることが分かる。
本章では、研究開発費、研究者数、科学論文、ノーベル賞、大学ランキング、イノベーション力、特許などの指標を取り上げ、オランダの科学技術・イノベーション活動を客観的に把握する。
まず、研究開発費とその対GDP比、セクター別の負担・使用割合、また、研究者数といった科学技術のインプット指標を用いて、オランダの現状を確認したい。
図表6-1が示すとおり、オランダの2014年度の官民合わせた研究開発費は約163億ドルである。1990年度の約55億ドルから順調にその金額を伸ばし、今では約3倍になっている。研究開発費の対GDP比を見てみると、2014年は2.00%で、過去25年で最高値となった。対GDP比は1990年以降漸減傾向にあったが、2008年を転機として上昇に転じている。
図表6-1 オランダの研究開発費とその対GDP比の推移
出典:OECD, Main Science and Technology Indicatorsを元に筆者作成
主要国における研究開発費を比較したのが図表6-2である。オランダの研究開発費は増加傾向にあるとはいえ、金額自体はそれほど大きいわけではなく、米国の28分の1、日本の10分の1程度で、ドイツの6分の1強にすぎない。またオランダは、EU28か国の研究開発費約3,658億ドルの約22分の1を占めている。
図表6-2 主要国の研究開発費の比較(2013年)
出典:OECD, Main Science and Technology Indicatorsを元に筆者作成
※スイスは2012年のデータを使用
図表6-3は、主要国における研究開発費の対GDP比を示したものである。研究開発費の増加と比例して対GDP比も増加傾向にあるが、諸外国と比較して見てみると、オランダの値は、日本(3.58%)やドイツ(2.84%)に引き離されているばかりでなく、OECD平均(2.37%)にも届いていないことが分かる。かろうじてEU28か国平均(1.94%)を超える程度で、韓国の約半分という水準である。
図表6-3 主要国における研究開発費の対GDP比の比較(2013年)
出典:OECD, Main Science and Technology Indicatorsを元に筆者作成
※スイスは2012年のデータを使用
研究開発投資の負担割合を主要国と比較したのが図表6-4である。これで見ると、オランダは政府の比率(約33%)に関して他の主要国と大差なく、企業の比率(約51%)についてもフランスより若干低い程度である。オランダのセクター別負担割合はここ何年も大きな変化はなく、大雑把に分けると、政府:企業:海外(その他を含む)=3.5:5:1.5というバランスになっている。これは、EU28か国平均と比較すると、企業の負担割合が若干小さく、海外負担の割合が若干大きい程度で、大きな違いはない。
図表6-4 主要国における研究開発費のセクター別負担割合(2014年)
出典:OECD, Main Science and Technology Indicatorsを元に筆者作成
※フランス、米国、およびEU28か国平均は2013年のデータ
研究開発費のセクター別使用割合を交えて作成したのが図表6-5である。オランダでは、高等教育機関の使用割合(32%)がEU28か国平均(23%)より高いのに対して、企業の使用割合(56%)はEU平均(63%)より低い。オランダではより多くの研究開発費が高等教育機関に流れていることが分かる。
図表6-5 オランダの研究資金フロー(2014年)
出典:OECD, Main Science and Technology Indicatorsを元に筆者作成
図表6-6は、2000年以降のオランダにおける研究者数の推移を示している。オランダの研究者数は、2009年まではほぼ横ばい状態であったが、2009年以降現在に至るまで順調に数が伸びている。2014年度は約7万6,000人である。前年度に比べて僅かに減ったものの、それでも2000年度の2倍弱の値である。
図表6-6 研究者数の推移(FTE換算)
出典:OECD, Main Science and Technology Indicatorsを元に筆者作成
オランダの研究者数は決して多いわけではない。約7万6,000人という値は、米国の約16分の1、日本の約9分の1、そして英国の約4分の1である。
2000年以降のオランダにおける労働力人口1,000人当たりの研究者数の推移を示したのが図表6-7である。2000年以降はほぼ横ばい状態であったが、2009年から現在に至るまで増加傾向にある。2014年度の労働力人口1,000人当たりの研究者数は8.5人で、これは同年の英国の値(8.4人)とほぼ同じであり、EU28か国平均(7.2人)を超えている。
研究者のセクター別所属割合を見てみると、オランダでは約6割の研究者が企業に所属しており、高等教育機関が約3割と続く。EU28か国平均では5割弱の研究者が企業に、4割弱の研究者が高等教育機関に所属しているのと比べると、オランダでは研究者の所属割合が比較的企業に集中しているのが分かる。
図表6-7 労働力人口1,000人当たりの研究者数の推移(FTE換算)
出典:OECD, Main Science and Technology Indicatorsを元に筆者作成
ここでは、オランダの科学技術・イノベーションに関するパフォーマンスについて、幾つかの指標により確認したい。オランダは、EUの主要国であるドイツや英国には及ばないものの、質の高い研究開発のレベルを誇り、また、イノベーション力に関する調査でもその評価は高い。
まず、基礎科学の指標である科学論文数を見てみたい。米国のトムソン・ロイター社(現、Clarivate Analytics社)のデータをもとに、文部科学省の科学技術施策研究所が集計した科学論文の世界シェアを示したのが図表6-8である。オランダは1990年代以降、順位を若干落としつつも、世界シェアは2.3%から2.5%へと微増している。直近の結果(2011~2013年)で見ると、世界的には14位だが、EU28か国の中では、ドイツ、英国、フランス、イタリア、スペインに次いで、第6位となっている。
図表6-8 科学論文数の世界シェア(整数カウント)
出典:科学研究のベンチマーキング2015を元に筆者作成
図表6-9では、全体(全分野)および分野ごとのトップ1%論文の推移を比較している。全体のトップ1%シェアであれば、オランダは1990年以降10位内を維持し続けている。10位圏内に入っている臨床医学や基礎生命科学などのライフサイエンスや環境・地球科学が特に気を吐いており、日本よりも上位に位置している(2011~2013年の日本の順位はそれぞれ15位、10位および11位)。
他方、化学、材料科学、物理学および工学の4分野は、かつては10位圏内に入っていたが、直近の結果(2011~2013年)では、それぞれ15位、13位、11位および21位と順位を落としている。工学系のトップ1%論文数が他の分野よりも大きく順位を下げている理由として、例えばオランダの工科大学では近年、大学の知見や研究成果を産業界につなげようとする産学連携が活発に推進されているため、論文生産や特許の申請・取得などよりも、産業界への技術移転や市場および技術の動向により敏感に対応しているという点が考えられうる。
図表6-9 オランダのトップ1%論文数の推移(整数カウント)
出典:科学研究のベンチマーキング2015を元に筆者作成
次に、医学・科学技術関係を中心とする国際的な出版社であるエルゼビア社(オランダ・アムステルダムが本拠地)が提供する情報分析ツールSciValを通じて、オランダの論文状況を示す。SciValは、エルゼビア社の抄録・引用文献データベースScopusをデータソースとした分析ツールで、世界中の約4,600の研究機関および約220の国・地域の研究パフォーマンスに関する客観的データが利用できる。
図表6-10は、2013~2015年の3年間に亘るオランダの論文生産の分野別内訳を示している。
図表6-10 オランダの分野別論文生産(2013~2015年)
出典:SciValのデータを元に筆者作成
オランダでは2013~2015年の3年間で合計16万8,153件の論文数が登録されている。うち最大の割合は医学で、全体の約4分の1(26.1%)を占める。次いで生化学・遺伝子学・分子生物学(8.5%)が多いが、興味深いのは社会科学(6.2%)が論文数で第3位に入っている点である。その後、工学(6.3%)、物理学・天文学(5.2%)、コンピュータ・サイエンス(5.2%)と続いている。この論文登録数を見ても、オランダではライフサイエンス系が比較的強いことがうかがえる。
オランダの自然科学系(生理学・医学、化学、物理学)のノーベル賞受賞者は14人だが、このうちオランダ生まれでかつオランダ国籍を有する受賞者は12人である。残りの2人は外国人出身者(ドイツとロシア)である。14人の内訳は、物理学賞が9人、化学賞が3人、生理学・医学賞が2人である。
オランダで最初のノーベル賞受賞者は、1901年に化学賞を受賞したヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフである。以降、1939年に第二次世界大戦が勃発するまでの間に8人の受賞者を輩出し、戦後(1945年以降)は6人となっている。
以下では、高等教育評価を行っている英国の民間情報会社のクアクアレリ・シモンズ(QS)社が作成する「QS世界大学ランキング」、および、高等教育専門誌『タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)』が作成する「THE世界大学ランキング」のデータを用いて、オランダの大学の科学研究のレベルを見てみたい。
QS社が発表した2015年度の世界大学ランキングにおいて、100位以内に入ったオランダの大学を示したのが図表6-11である。100位以内に5校が入っている。
図表6-11 QS世界大学ランキング(2015年度)のトップ100位以内のオランダの大学
出典:QS World University Rankings 2015/16のデータを元に筆者作成
英国のタイムズ社が毎年発行している高等教育専門誌THEでは、2004年から世界大学ランキングを公表している。2015年度の世界大学ランキング「World University Rankings 2015-2016」において、100位内に入ったオランダの大学を示したのが図表6-12である。100位以内に8校の大学が入っている。
図表6-12 THE世界大学ランキング(2015年度)のトップ100位以内のオランダの大学
出典:THE World University Rankings 2015/16のデータを元に筆者作成
図表6-13は、2016年7月に欧州委員会が発表した欧州イノベーション・スコアボード(European Innovation Scoreboard。以前の名称は「Innovation Union Scoreboard」)2016の結果をまとめたものである。
オランダは欧州の中で最もイノベーション力が高い第1集団の「イノベーション・リーダー(Innovation Leaders)」に位置づけられており、EU28か国中第5位である。昨年発表されたInnovation Union Scoreboard2015では、オランダは同じく第5位であったが、第2集団のイノベーション・フォロワーに位置づけられていた。今回の調査においてイノベーション・リーダーに格上げされたことは、オランダのイノベーション力が高く評価されていることの証左である。
なお、イノベーション・リーダーとは、イノベーション能力がEUの平均を大きく上回るレベル(120%以上)であることを意味し、他方、イノベーション・フォロワーとは、イノベーション能力がEUの平均程度かそれを少し上回るレベル(90~120%)であることを意味する。
評価の詳細を見ると、オランダは、海外からのライセンスおよび特許収入、科学論文の国際共著の割合、および官民協力による共著の割合において、相対的に高い実績を示している。また、前回調査より伸びが見られた主な項目として、科学論文の国際共著の割合(前回比7.9%増)、社会的課題に対するPCT特許申請(5.9%増)、および新規の博士課程学生数(5.7%増)がある。
逆に、実績が相対的に低いのは、研究開発以外のイノベーション投資とコミュニティ設計である。前回調査より低下が見られた主な項目として、研究開発以外のイノベーション投資(前回比6.6%減)とベンチャーキャピタル投資(3.1%減)が挙げられる。
図表6-13 EU加盟国のイノベーション力
出典:European Innovation Scoreboard 2016のデータを元に筆者作成
次に、オランダのイノベーションのレベルを測る指標として、世界のイノベーション力をランク付けするグローバル・イノベーション・インデックス(Global Innovation Index: GII)の調査結果を紹介したい。直近の2016年度版の結果によれば、オランダは、スイス、英国、スウェーデンに次いで、世界第4位である。2015年度版のGII調査結果では第5位であったことから、一つ順位を上げたことになる。オランダは「創造的アウトプット」の分野での業績が目立っており、特にインターネットを活用した「オンラインによる創造性」に強いと評価されている。
最後に、世界知的所有権機関(WIPO)の国別統計データ(Statistical Country Profiles)に基づき、2000~2014年における主要国の特許出願件数の推移を見てみる。主要国それぞれについて、自国および他国に出願した件数を合計したものが図表6-14である。全体として近年、中国の出願数が急激に増加していることが特徴的であり、米国・日本の後に、韓国・ドイツが続いている。
2014年のオランダの特許出願数(国内+海外)は3万7,738件であり、中国、米国、日本、などと比べるとかなり小さいことが分かる。規模にして、中国の約22分の1、米国の約15分の1、そして日本の約12分の1である。
図表6-14 主要国の特許出願件数の推移(2000~2014年)
出典:WIPO/Statistical Country Profiles
本章では、オランダの科学技術・イノベーションのインプットおよびアウトプットについて、基本的な指標と思われる研究開発投資、研究者数、科学論文数、大学ランキング等によって説明してきた。
客観的な指標から言えるのは、オランダでは研究開発投資額や研究者数などの科学技術のインプットは決して大きいわけではない。日本と比べると、研究開発投資額は約10分の1、研究者数は約9分の1である。にもかかわらず、例えば科学論文数(全分野)のトップ1%の世界シェアを見た場合、整数カウントの結果ではオランダ(9位)は日本(12位)より上位に位置している。これは、オランダが比較的生産性の高い科学技術のレベルにあることを意味している。
また、イノベーション能力に関しても、オランダは相対的に高い実績を示していることが分かる。特に科学論文の国際共著の割合や海外からのライセンスおよび特許収入に関してオランダの評価は高い。
このように、科学技術の指標を見るかぎり、オランダの科学技術力は世界レベルで見ても一定の存在感を有しているように思われる。
本章では、オランダの科学技術上のトピックスについて言及する。まず、トップ・セクターの一つに位置づけられている農業・食品分野に関連して、高効率・高付加価値の農業とスマートアグリを取り上げる。その後、印象記として2つのトピックを取り上げる。一つは、オランダが世界で生き残るための知恵としてのオープンイノベーションについて、もう一つは、オランダの教育制度と労働体制についてである。
農業・食品に関連したアグリビジネスはオランダ経済の原動力の一つである。オランダでは環境面での不利な点を克服すべく応用研究に多額の資金を投じ、高い収量を実現し、農業を工業化している。事実、オランダでは農業省が経済省(EZ)に統合され、EZが、経済・農業・イノベーションを所管することになり、農業は産業の一つとして取り扱われている。
オランダ農業が誇る高い効率性はコスト削減と土地の集約化を断行したためであり、狭い国土を有効に活用した高度な施設園芸や、加工貿易や中継貿易も盛んである。オランダで開発された「フェンロー型温室15」 のおかげで、生産性の効率の高さが確保されているといっても過言ではない。例えばトマトを見ると、年間土地あたりの収穫量は4~5倍、粗収益は4割以上高くなっている。加工貿易に関しては、原料をオランダに輸入し、それを付加価値のある商品に可能し販売している。また、中継貿易では、例えばアフリカ等で栽培したオランダ品種の切り花を輸入し、オランダを販売経路として欧州諸国に売っている。
選択と集中に基づき、特定品目に農業予算を重点配分し、大学の基礎研究と民間企業の技術・サービスを一貫させる政策を行っていることも、市場ニーズを汲み取り、技術・サービスをマッチングさせるフードバレー財団や農業コンサルティング企業が活躍できる下地を醸成していることにつながっている。
ワーヘニンゲンURを中核とした食品研究開発拠点であるフードバレーについては先述のとおりだが、ここが、食品農業分野の研究開発のプラットフォームの構築、橋渡しのサポート、そしてニーズに関する情報提供などを行う、いわば「知」の集積地となっている。フードバレーが功を奏したのは、企業ニーズにあった研究開発をコーディネーター役であるフードバレー財団がニーズ主導の産学官連携の推進を大学に説いていったからだといわれており、現在は大学側も市場や企業のニーズをよく把握している状況が生まれている。
オランダの農業の高効率性を示すために、図表7-1および図表7-2では、日本とオランダの農地状況の比較を行った。これで見ると、オランダの農用地は日本の半分以下であるにもかかわらず、ほとんどの主要農作物の生産高は日本よりオランダの方が高い。
図表7-1 日・オランダの農地の状況比較(2013年)(単位:万ha、%)
出典:農林水産省ウェブサイトより筆者作成
図表7-2 日・オランダの主要農作物の生産状況の比較(2013年)(単位:万トン)
出典:農林水産省ウェブサイトより筆者作成
オランダは伝統的に農業が強いといわれることが多いが、ずっと順調であったわけではない。EUの前身であるEC発足後には、農業大国であるスペイン、ポルトガルからオランダに安い農産物が大量に押し寄せ、オランダの農業は大きなダメージを受けた。海外に負けない競争力を身につける過程で、オランダではスマートアグリという農業革命が農家主導で展開され、自由競争市場主義による競争力が培われていった。園芸作物とICTを組み合わせたのは欧州ではオランダが一番早かったといわれている。ICTを通じて水や温度を制御する会社もオランダ国内に多く存在する。
こうしてIT技術の農業への応用が図られたことで、オランダでは現在、IT技術で栽培の環境が制御されている。ただIT化の波に乗れなかった多くの農家が淘汰されたのも事実である。
オランダは上記のような競争力を持ったスマートアグリ生産システムを海外へ輸出することで、農産物だけでなく技術輸出にも貢献している。例えば、韓国ではオランダの生産システムを輸入することで、パプリカ栽培においては輸出に転じている。生産システムを輸出した世界各国での栽培データをオランダに戻すことで、どのような環境においてどのような栽培が理想的なのかを最適化する研究開発が進められている。オランダでは農食品産業を成長の原動力としているが、その要因として以下の取組が見てとれる。
オランダのような小国が世界で生き残っていくためには、国内に固執せずに積極的かつオープンなかたちで世界と繋がることが重視されている。その際、オープンイノベーションという考え方に意義が見い出されている。その基本は成果や知識を共有することだが、すべてをオープンにするわけではない。重要なのは、プレコンペティティブなところでの研究のシェアと、機密扱いの部分を明確に分けることにある。シェアできるところは最大限オープンに共有することで、研究開発に伴うリスクの軽減、市場への迅速な参入が可能となり、結果的に得るものが大きいと考えられている。
ただし、オランダがどの程度オープンイノベーションであるのかについて、例えば人間の出入り等を数字やデータで示すのは難しい。オランダは現在EUの中でも先進的な福祉主義国家と称されるほど、社会的に成熟した時期を迎えているが、そうした社会では、「競争」ではなく「共存」による発展が模索されている。世界との連携が重視されるなか、英語教育はそのための手段の一つとして必須条件であり、マルチリンガルであることも珍しくない。オランダの科学技術・イノベーションの動向を探る過程で、このような積極性やオープンさが所与のものとして、アカデミア、産業界、そして公的機関にも根付いていることを実感した。
第5章で取り上げたオープンイノベーション・キャンパス設立の根底にあるのは、このようなオープンな考え方であると思われる。そこでのキーワードは「スピード」であるということを認識するのも重要である。キャンパスではどこでも研究開発におけるスピード感があった。良いものがあれば迅速にその先につなげ、新たな市場を開拓できる機会を見逃さないアプローチが取られている。例えば、クライオ電顕が市場に広がり始めたのは、アイントホーフェンにあるオランダのFEI社という会社からである。FEI社はフィリップス電子光学に買収された後、2006年にTitanをリリースした。その後Titan ETEMやTitan Kriosなどを販売し、同分野の世界市場を席巻しつつある。しかしそもそもクライオ電顕の開発は京都大学の藤吉好則先生の貢献によるところが大きい。このクライオ電顕の話は、日本製はハイエンドであるが市場に普及するのが遅い、或いは、普及しにくい環境にあることを示す事例の一つといえるだろう。この日・オランダの差の理由を考えたとき、研究をビジネスにする「スピード」というものが答えになりうるかもしれない。
もう一つのキーワードは「皆で協力」である。ここでいう「皆」とは、産学官の3者を指す。オープンイノベーション・キャンパスは大企業の研究開発インフラを利用するかたちで作られているが、これには、地元の州政府の積極的な協力、また、レベルの高い大学の存在なくしては成り立たない。
こうして産学官が一体となって、キャンパスの企業誘致を推進できれば、オランダに落ちてくる研究開発投資も徐々に増えていくのではないだろうか。
オランダのマーストリヒトに16年在住の柳井正史氏(名古屋大学 未来社会創造機構)の話によれば、オランダの科学技術・イノベーション力の高さを支える要因の一つに、教育制度や労働制度が影響しているかもしれない。以下、柳井氏へのヒアリング内容の概要を示す。
オランダの教育制度の特徴は、非常に早い時期から将来の職業や方向性が決まってしまう点にある。日本と同様にオランダでも、初等、中等、高等に分かれるが、初等(小学校)後の12歳の時点で大きな試験があり、大学準備コース、上級一般コース、職業訓練コースに振り分けられる。上のランクに移りたい場合、途中の編入はできず、コースを修業した後の編入のみ認められている。早期に子どもの将来を決めてしまうことには良い面と悪い面の両方があると考えられるが、子どもの好奇心や探究心を最大限伸ばそうとするオランダのこのような教育制度は他の国と比べて相対的に高い評価を受けているのは事実である。
日本では、会社や組織に入ってから専門性を鍛えることが一般的であり、その意味で学生は「就職」ではなく「就社」活動をしているにすぎない。博士課程を卒業した大学院生ですら企業ではすぐには使いものにならないと批判されることが少なくない。逆にオランダのような教育制度では、大学の卒業と同時にデプロム(資格)が付与され、その資格があるために転職も比較的容易である。
オランダにおけるこのような人材育成のあり方が、企業の即戦力になる人材の育成、企業のニーズに合った専門性の高い人材の供給を可能にしている。これがオランダのイノベーション力を支える原因の一つである可能性はある。
教育制度に関連した最近の動向として、ユナイテッド・ワールド・カレッジ(United World Colleges:UWC)16のマーストリヒト校開校に絡む動きも注目に値する。オランダは国の規模からすればインターナショナルスクールが比較的多くある国で、これは駐在企業の子息らの教育に対応するための施策の一環である。最近、UWCがマーストリヒトに学校を新たにオープンにしたが、以前であればインターナショナルスクールにオランダ人の生徒は入学することができなかった。しかし、このUWCマーストリヒト校ではそれが可能になっている。つまり、UWCマーストリヒト校には世界の選抜試験を通過した学生のみならず、オランダ国内で選抜された優秀な学生も入学できることになっている。UWC卒業後は世界トップクラスの有名大学に進学することも可能である。これは、オランダ政府の戦略的に長けているところで、単にインターナショナルスクールを誘致しただけでなく、それを利用して、オランダの教育の国際化も目指そうとしている。ちなみに、UWCマーストリヒト校はゼロから新設されたものではなく、既存のインターナショナルスクールを格上げするかたちでUWC分校となった。
就職後の労働体制を見てみると、日本は大卒の技術者が会社に採用されても、死に絶えてしまうシステムである。というのも、日本では技術者は昇進とともに幹部育成のためマネジメントに携わることになるが、オランダやドイツなどの国々では、技術者は技術者、マネジメント人材は専門の教育を受けた人をあてがっており、職の分業が進んでいる 。17
オランダは欧州共同体(EC)の原加盟国の一つであり、欧州統合の主たる推進役でもある。欧州連合(EU)の発足を定めたマーストリヒト条約の締結に際しては、条約調印のホスト国として重要な役割を担った。
オランダの貿易輸出の約72%がEU向けで、輸入先の約53%がEUからであることからも分かるように、オランダ貿易収支に占めるEUの依存度は高い。
経済的なメリットのみならず、オランダは科学技術の分野でもEUの一員であることに多くの恩恵を受けている。オランダは、EUの欧州枠組みプログラム(Horizon 2020)から相対的に多くの予算を受けており、加えて、他の様々な共同研究枠組みやパートナーシップなどにおいてEU諸国との間で特定の分野にフォーカスした研究開発を推進している。
本章では、オランダとEU間の科学技術・イノベーション分野の協力状況について説明するとともに、人材の観点からの交流や連携について言及したい。
欧州では、欧州研究圏の構築を謳った2000年のリスボン宣言を踏まえ、2002年には研究開発費の対GDP比を3%にするというバルセロナ目標を掲げた。
しかし、1990年以降、オランダの官民合わせた研究開発投資は総じて低調で、ようやく2014年に過去25年で最高値となる2%に達したが、目標値の3%にはまだ届いていない。オランダは現行のイノベーション政策において、2020年までにオランダの研究開発費の対GDP比を2.5%まで引き上げるとの目標を掲げている。
科学技術予算に関して、オランダのEUからの恩恵度は高い。以下では、FP7(2007~2013年)とHorizon 2020(2014~2020年)それぞれにおけるオランダの参加状況を示す。
最競争的資金であるFP7の全配分額は454億ユーロであり、そのうち約7%(33億1,300万ユーロ)をオランダは受け取っている。これは、ドイツ、英国、フランス、イタリアに次いで5番目に多い額である。研究者一人当たりの研究費の使用額で見てみると、オランダは第1位となっている。
FP7の後継枠組みプログラムであるHorizon 2020が現在進行中であるが、2016年11月に欧州委員会のウェブサイトに各国の中間状況に関するデータが公表された。図表8-1ではその概要を示す。
図表8-1 Horizon 2020におけるオランダの参画状況
出典:欧州委員会ウェブサイトの情報を元に筆者作成
現時点でオランダは、Horizon 2020を通じて13億2,918万ユーロを受け取っており、のべ2,628機関が参加している。オランダの採択率は16.1%で、EU平均(13.3%)より高い。
参加機関、獲得資金額ともに、オランダは第6位となっている。
Horizon 2020への参加を支援するオランダ国内の体制を見てみたい。
OCWによるEUプロジェクトへの参加を支援するやり方は、直接的なものと間接的なものと2つある。直接的なサポートとしては、ナショナル・コンタクトポイントの設置支援である。現在は、このコンタクト・ポイントは、EZの部局であるオランダ企業局(RVO)の中に置かれている。間接的なサポートとして、関連するあらゆるステークホルダー(省庁、ファンディング機関、研究所、高等教育機関、企業、シンクタンク)に声をかけ、月に1度の割合でEUプロジェクトの研究プライオリティ等に関する会議を設けている。OCWが調整役となって、関係者の取りまとめを行い、EUプロジェクトに関する正確な情報を周知・共有している。
申請する側の大学や研究機関にも、申請を手助けする部署が設けられたりしている。先述のとおり、アムステルダム大学(UvA)ではGrant Support Teamを設け、様々な競争的資金を獲得できるよう申請に関するアドバイス等を行っている。
図表8-2は、Horizon 2020で受け取っている資金が多いオランダの参加機関トップ10を示したものである。これで見ると、研究開発機関は7 位のTNOと10位の農業研究機構(DLO)のみで、残り8校は高等教育関連機関である。8校のうち工科大学が2校 − デルフト工科大学(TU Delft)(1位)、アイントホーフェン工科大学(TU/e)(6位) − 含まれている。
図表8-2 Horizon 2020を通じた資金額が多いオランダの参加機関トップ10
出典:欧州委員会ウェブサイトの情報を元に筆者作成
EU内人材の交流は様々なレベルで多様なかたちで行われているため、実態を把握するのは難しい。一般的に言われているのは、オランダはそもそも人材の流動性がある社会だが、ここ15~20年の顕著な傾向として、転職の回数がより頻繁になっていることが指摘されている。一人の人間が同じ職場や機関に10年以上勤務している状況は稀である。
研究者はどこでも英語で通じるため、昇進するごとに異なる機関の異なるポストに就くことが一般的で、異動先は国内外問わない。
本章では、オランダと海外との協力関係について取り上げる。日本との連携については、政府間、JSTおよびJSPS、その他に分けて言及する。諸外国との協力状況についてはEU以外の諸国との関係で特筆すべきもののみ対象として取り上げたい。
オランダは日本にとって400年以上の深い交流のある国であるが、現在の両国の関係はそれほど身近な存在ではない。例えば貿易動向を見てみても、オランダの日本への輸出割合は全体の0.8%で、日本はオランダの貿易相手国としてほとんど比重がない。輸入に関しては、日本はアジア諸国の中では中国に次ぐ輸入先となっているが、それでも全体に占める割合はたった2.2%である。
科学技術分野の協力に関しても、日本とオランダの関係は活発にあるとはいえない。個々の研究者レベルでは意見交換や研究交流が恒常的に行われている可能性はあるが、組織間の協力は相対的に不活発であるように思われる。
以下では、日本とオランダの間でどのような科学技術協力が構築されているのかについて言及する。
日本外務省ウェブサイトによれば、日本とオランダの両政府の間では、従来、原子物理、金属材料、農業、建築、医薬品、エレクトロニクス等の分野で協力が進められてきたが、こうした協力を一層発展させるため日・オランダ科学技術協力協定が締結され、1997年に発効した。
同協定に基づく日・オランダ科学技術協力合同委員会は、1998年にデン・ハーグで第一回会合が開催され、2016年12月時点で計6回行われている。直近の第6回会合は、2015年11月に日本で開催された。この会合では、最近の科学技術政上の重要な動きについて両国で意見交換を行うとともに、量子技術とサイバーセキュリティを中心とするICT・スマート産業、農業、再生可能エネルギー/核融合、ファンディングや研究交流といったテーマで報告が行われた。
現在JSTとオランダの間では協力のプロジェクトやプログラムは実施されていない。
JSPSは、オランダのNWO等との間で、研究者交流、共同研究・セミナー、国際共同研究事業などを行っている。
二国間交流事業のもと、海外の学術振興機関(対応機関)と学術の国際協力に関する合意に基づく共同研究セミナー(対応機関との合意に基づく共同研究・セミナー)を行っており、個々の研究者交流を発展させた二国間の研究チームの持続的ネットワーク形成を目指し、日本の大学等の優れた研究者が相手国の研究者と協力して行う共同研究・セミナーの実施に要する経費を支援している。オランダのNWOは、海外の対応機関の一つになっている。
また、国際共同研究事業のもと、「欧州との社会科学分野における国際共同研究プログラム(ORAプログラム)」があり、欧州4か国の主要な機関と共同で社会科学分野における多国間の研究者からなるコンソーシアムを通じた優れた国際共同研究を支援する事業が実施されている。この4か国の主要機関の一つにオランダのNWOが含まれている。
その他、エネルギー、宇宙、海洋といった分野で日本とオランダ間の協力事例が見られる。
エネルギー関連では、産総研が中心である。産総研の福島再生可能エネルギー研究所(FREA)は、オランダエネルギー研究センター(ECN)との間で、2014年10月に国際共同研究や研究者の相互交流を実現させることを目指して合意文書に調印した。FREAとECNは再生可能エネルギー分野で類似する研究テーマに戦略的に取り組んでおり、グローバル展開も重視している。この合意文書に基づき、今後は、人材交流を通じた研究課題への取り組みや共同プロジェクトの実施により、両機関の知識・技術移転が促進することが期待されている。
宇宙については、2010年4月に宇宙航空研究開発機構(JAXA)とオランダ宇宙局(NSO)の間で「平和目的の宇宙協力のための宇宙航空研究開発機構とオランダ宇宙局との間の協定」が締結された。これに基づき両機関にとってポテンシャルのある協力分野が特定され、協力が促進されている。
また同協定に先立ち、2009年10月にはJAXAとオランダ宇宙研究機関(SRON)の間で、X線天文衛星ASTRO-Hをはじめとする宇宙科学分野についての協力協定が締結された。両協力は並行して推進されている。
海洋の分野では2002年11月に、海洋技術安全研究所18とオランダ海事研究所(MARIN)との間で研究協力に関する包括的な協定が結ばれ、研究資源の有効利用、成果の相互活用等が図られるとともに、新しい研究テーマの創造、研究成果の普及等にも繋げていくことが期待された。同研究所とMARIN間では、研究者の交流や国際ワークショップの共催が実現されている。後者に関しては例えば、2010年6月にワーヘニンゲンにおいて海事技術に関する国際ワークショップが共同で開催された。
ここでは、EU圏以外の主要な協力相手先として米国と中国を取り上げる。
米国はオランダにとって非EU圏の中で最大の輸出先であることから経済的結びつきは比較的強い。科学技術分野では二国間の協力を進めており、例えばサイバーセキュリティの分野では米国国立科学財団(NSF)と国際共同公募を実施している。これは、双方のファンディング機関が自国の研究機関および研究者に対し支援を行うやり方で進められている。
NWOは2016年6月、NWOとNSFがサイバースペースにおけるプライバシー研究(PRICE)に関して実施した共同公募で5件を採択した旨発表した。この共同公募では、オランダに拠点を置く研究者と米国に拠点を置く研究者の協力関係を強化し、プライバシーおよびインターネット・セキュリティに関する研究の国際的な相乗効果を生み出すことを目的としている。
PRICEの募集はNWOが関与する3度目の国際研究プログラムであるが、NWOは今回のPRICEにおいて、オランダ側の研究者に研究資金として125万ユーロを、NSFは米国側の研究者に対して125万ドルを助成することになっている。
中国はオランダにとっては、非EU圏の中で最大の輸入先であることから経済的結びつきは強い。
科学技術分野ではNWOとの協力が顕著である。NWOは2009年以降、中国と包括的な協力プログラムを実施してきている。図表9-1で一連のプログラムを示す。
図表9-1 NWOと中国との協力プログラムの一覧
出典:NWOの資料を元に筆者作成
NWOおよびKNAWは2012年に、オランダと中国間の科学協力に関して両国の主要な研究者16名に行ったインタビューを取りまとめた書籍『Based on Science, Built on Trust』も発表している。
本調査では、オランダが生き残るための知恵として科学技術・イノベーションをどのように活用し、また科学技術・イノベーション力を推進するために何にどのように注力しているのかについて、文献調査およびフィールドワークで得た情報・エビデンス・知見をもとに考察を行った。
オランダは小国であるため「皆で助け合わないと沈んでしまう」という認識で成り立っているのに対し、日本は横の連携が円滑でない社会であるという点で大きく異なっている。とりわけ農業分野では、日本は保護的な立場をとって他との連携や交流を必要としない場合も少なくない。これは、例えば日本の優良品種が盗まれ勝手に栽培されるといった事例があり(りんご「ふじ」やいちご「章姫」など)、品種の管理について閉鎖的な対応を取らざるを得ないという背景もある。その点、オランダは成果を共有できるところは最大限共有してリスクをできるだけ減らし、双方にとってwin-winな関係を築こうとの立場に立つ。
また、大学の仕組み、つまり、経営体質が違う点も大きい。オランダの大学は特許収入などが追加の収入として大学の利益に貢献しているが、日本では、大学が儲かると国からの運営費交付金が減らされることになる。結果的に、資金が減らされるのであれば、逆に儲からない基礎のようなところにいってしまうため、産学連携のインセンティブが働かない。
2016年、農林水産省はオランダのフードバレーの取組からヒントを得て、『「知」の集積と活用の場』というプログラムを開始した。2016年12月の時点で、農業機械、育種、食品といった分野のプラットフォームが約47あり、シーズとシーズを繋ぎ、効果的な情報発信や会員間の交流が図られている。オランダの農業の強みは、研究、市場、消費者の3者をよく把握している点にあるが、市場を理解しているからこそ、どのような研究が必要で、それを誰にどのように提供できるかといった一連の工程をデザインすることが可能となる。日本ではこれまで生産者重視のアプローチであったことを鑑みると大きな違いである。しかし『「知」の集積と活用の場』が始まったことは、従来とは違う新しい農業のモデルを構築していこうとする意欲の表れであり、大きな前進である。
オランダと日本は深い交流があるとはいえ、歴史、文化、社会と、すべてにおいて大きく異なり、オランダでうまく機能しているものをそのまま日本の社会に当てはめることはできない。ただこの先、持続可能な社会をどう構築していくのか模索する際、日本がどう生き延びていくかを見習うのはオランダのような国かもしれない。