JSTトップ > 研究開発戦略センター(CRDS) > 報告書等 > 海外調査報告書 > 科学技術・イノベーション動向報告 カナダ編(2016年度版)
カナダとは、1867年に建国された北米大陸にある国家である。当時、英領北アメリカ法によりカナダ連邦が結成された。この時点では、自治が認められたものの外交権及び憲法改廃権は英国に帰属していた。その後、1926年のバルフォア宣言により英国から外交権を獲得した。また、1982年のカナダ憲法により英国から憲法改廃権を完全移管した。
カナダは、世界第2位の国土面積(998.5万平方キロメートルで日本の約27倍)をもつ。2016年4月現在の人口は約3,616万人(日本の約4分の1)である。連邦制の国家であり、10の州と3の準州からなる。英語・仏語が公用語であり、国民の半数近くがカトリック教徒である。
カナダには移民国家としての側面もある。カナダの移民数は、2015年現在約780万人で、人口の2割以上が移民である。永住権を取得する移民の数は年間25万人程度であり、フィリピン(約5万人)、インド(約4万人)、中国(約2万人)の割合が相対的に高い。
カナダの政治体制は、立憲君主制に分類される。イギリス型議院内閣制と連邦主義に立脚する。現在はエリザベス二世が女王の座にあるが、総督が女王の代行を務める。
議会は二院制で、上院(定員105名)、下院(定員338名)から成る。現在は、2015年の総選挙で下院の過半数の議席を獲得したカナダ自由党が政権を担う。ピエール・トルドー元首相の息子であるジャスティン・トルドーが、2015年11月以降首相の座にある。なお、州・準州ごとに議席数が決められている上院議員は、首相の助言により総督が国王の名で任命する。75歳の定年制である。
新政権では、首相を除く閣僚29名のうち女性が15名となっている。シーク系4名、障害者2名、先住民2名を含むなど、カナダの多様性を反映している。また、全州から閣僚を選出する等、地域バランスにも配慮している。
世界銀行の統計によれば、2015年のカナダの名目GDPは米ドルベースで約1.6兆ドルであった(本章の「ドル」はすべて「米ドル」である)。これは、米国の約17.9兆ドル、中国の約10.9兆ドル、日本の約4.1兆ドル、ドイツの約3.4兆ドル、英国の約2.8兆ドル、フランスの約2.4兆ドルも小さく、イタリの約1.8兆ドル、韓国の約1.4兆ドル、オーストラリア・ロシアの約1.3兆ドルと同等の規模であった。また、オランダの約0.8兆ドル、スイスの約0.7兆ドルと比べて大規模であった。
同じGDPの比較でも、全体のGDPと人口一人当たりでのGDPでは様子が異なる。世界銀行の2015年のデータによれば、カナダは約4.3万ドルであった。これは、スイスの約8.0万ドル、オーストラリアと米国の約5.6万ドル、オランダと英国の約4.4万ドルに次ぐ位置づけであった。また、ドイツが約4.1万ドル、フランスが約3.6万ドル、日本が約3.2万ドル、イタリアが約3.0万ドル、韓国が約2.7万ドル、ロシアが約0.9万ドル、中国が約0.8万ドルであった。
世界銀行の2012年のデータより、主要国の経済活動別のGDP構成比(%)を示す。英国、フランス、米国、オランダの4カ国は第2次産業が20%前後、第3次産業が80%弱であり、近い値を示している。イタリア、スイス、日本も第2次産業が25%前後、第3次産業が70%強であり、近い値を示している。カナダ、オーストラリア、ドイツも第2次産業が30%前後、第3次産業が70%弱であり、近い値を占めている。ロシアはカナダ、オーストラリア、ドイツのグループよりも第2次産業の構成比が高く、第3次産業の構成比は低くなっており、韓国と中国はロシアよりもさらに第2次産業の構成比が高く、第3次産業の構成比が低くなっている。
図表1-1 各国の産業構成比の比較
出典:世界銀行
カナダは、1987年に米国との間でカナダ・米国自由貿易協定(CUSFTA)を締結し、両国間の関税のほとんどを撤廃した(1989年1月発効)。CUSFTAは、その後メキシコも含んだNAFTAに拡大された(1994年1月発効)。
自由貿易協定発効の結果、カナダと米国との間の貿易額は、3倍以上に拡大されたといわれる。ジェトロによる2015年のデータでみると、カナダから米国への輸出額は約3,665億ドルであり、全輸出額の76.1%に相当した。同年の米国からカナダへの輸入額は約2,852億ドルであり、全輸入額の53.2%を占めた。
2015年度末の直接投資額でみると、米国からカナダへの投資額は約3,877億ドルで、全体の約50%を占めた(第2位は英国で、約343億ドル)。カナダから米国への直接投資は約4,485億ドルで、全体の約45%を占めた(第2位は英国で約929億ドル)。
これらのことから、カナダの経済は、米国経済と最も密接な関係を有していることがわかる。
同じくジェトロによる2015年のデータによると、カナダの輸出品目の構成は、鉱物性生産品(石油を含む)22.7%、自動車および関連部品15.5%、動物性および植物性生産品8.6%、卑金属7.6%、化学工業生産品7.0%、一般機械7.0%などとなっている。
これらから、主たる輸出品目が鉱物性資源由来のものであること、工業製品輸出の中では、自動車および関連部品の割合が最も高いことがわかる。
The Fortune 2016 のGlobal500へのランクインの状況は以下のとおりである。274位がGeorge Westonで収益が367億ドル、297位がRoyal Bank of Canadaで収益が348億ドル、301位がAlimentation Couche-Tardで収益が345億ドル、306位がMagna Internationalで収益が339億ドル、350位がToronto-Dominion Bankで収益が302億ドル、351位がPower Corp. of Canadaで収益が299億ドル、394位がManulife Financialで収益が269億ドル、407位がEnbridgeで収益が264億ドル、428位がBank of Nova Scotiaで収益が251億ドル、458位がSuncor Energyで収益が232億ドル、483位がOnexで収益が221億ドルである。
カナダにおいては、連邦レベルで科学技術・イノベーション政策を推進する組織があるとともに、各州にも関連する組織がある。本節では連邦レベルの組織体制を概観する。州レベルの関連組織については、第6章で述べる。
カナダの連邦レベルにおける科学技術・イノベーション政策を担う中心的な機関は、イノベーション・科学・経済開発省(ISED: Innovation, Science and Economic Development Canada)である。同省のミッションは、「成長し、競争力があり、知識に基づいたカナダ経済を育むこと」にある。科学技術・イノベーション政策全体を所掌するとともに、その成果を生かしつつカナダの経済発展を促進することに力点が置かれている。イノベーション・科学・経済開発大臣に加え、科学大臣および小規模ビジネス・観光大臣の3名の大臣を擁する。
ISED傘下には、複数のエージェンシーがあり、研究ファンディング機関や研究機関としての役割を担っている。自然科学・工学研究機構(NSERC: Natural Sciences and Engineering Research Council)は、自然科学・工学分野を対象としたファンディング機関である。社会科学・人文科学研究機構(SSHRC: Social Sciences and Humanities Research Council)は、人文社会科学を対象としたファンディング機関である。国立研究機構(NRC: National Research Council)は、主に応用研究に取り組む研究機関だが、中小企業支援プログラムを運営するファンディング機関としての役割も担う。カナダ宇宙庁(CSA: Canadian Space Agency)は、宇宙分野の研究開発に取り組む。
また、保健省(Health Canada)は健康・医療分野の研究・イノベーション政策に取り組む。傘下の保健研究機構(CIHR: Canadian Institutes of Health Research)を通じて、同分野の研究・イノベーションに対する支援を行っている。なお、CIHR、NSERC、SSHRCを指して、連邦三ファンディング機関(Federal Tri-Council)と呼ばれることがある。後に述べるとおり、Tri-Councilの活動は密接に関わっている。
さらに、天然資源省(NRCAN: Natural Resrouces Canada)、国防省(National Defence and the Canadian Armed Forces)も、それぞれの所掌する範囲の科学技術・イノベーション政策に取り組んでいる。NRCANの傘下にはカナダ原子力公社(AECL: Atomic Energy of Canada Limited)があり、国防省傘下には、国防研究開発機構がある。
外務貿易省(Global Affaires Canada)には科学技術イノベーションに関する部署があり、科学技術外交や途上国における科学技術支援に取り組んでいる。
なお、カナダにおいては、政府機関ではないものの、科学技術イノベーション政策の推進において重要な役割を果たす組織が複数存在する。カナダイノベーション基金(CFI: Canadian Foundation for Innovation)は、研究インフラに関する支援を行うファンディング機関であり、非営利組織としての位置づけである。ゲノムカナダは、カナダ全土に6のセンターをもつ研究推進機関であり、非営利組織としての位置づけである。
以上の内容を図示したものが、以下の図表である。
図表2-1 連邦レベルの科学技術・イノベーション政策関連組織
出典:カナダ政府ウェブサイト等をもとにCRDS作成
カナダにおいては、連邦レベルで科学技術・イノベーション政策を推進する組織があるとともに、各州にも関連する組織がある。本節では連邦レベルの組織体制を概観する。州レベルの関連組織については、本章の第6節および第6章で述べる。
CIHRのInstitute of Neurosciences, Mental Health and Addictionのあるビル ©山下
カナダにおいて研究に取り組む中心的な機関は大学である。一方で、連邦や州の政府傘下には公的な研究機関があり、これらも重要な役割を果たしている。本節では、主要な大学について概観した後に、連邦・州の公的研究機関について触れる。
カナダの大学の中には、各種のランキングで上位にランクインされているものもある。たとえば、Times Higher Educationランキングによると、上位200位にカナダの大学は7校選ばれている。
カナダにおいて研究に重点的に取り組む大学15校は、U15と呼ばれるサークルを形成している。U15では、研究政策に対する共同声明の発表等の連携活動が行われている。なお、これらの大学はカナダの46%の学生(博士課程学生に関しては70%)を擁し、カナダの競争的資金の79%を獲得し民間委託研究の83%を推進している。
U15に参加する大学は、以下の図表のとおりである。
図表2-2 U15に参加するランキング上位の大学
出典:RU15ウェブサイト等をもとにCRDS作成
以下、ランキング上位のトロント大学およびブリティッシュ・コロンビア大学、さらに起業家教育において特徴的な取り組みを行うウォータールー大学について紹介する。
連邦・州の公的研究機関としては、連邦のNRCが挙げられる。NRCは、応用研究に取り組んでいる。
カナダのファンディングシステムの特徴として、以下の点を挙げることができる。まず、連邦と州のいずれもが、ファンディングを行っているということである。連邦によるファンディングは、主に、Tri-Councilと呼ばれる3つのファンディング機関(NSERC、CIHR、SSHRC)を通じて行われる。これらは競争的資金として配分される。一方、州によるファンディングには、機関助成と競争的資金とがある。前者は、大学における研究者の給与等、主に固定的な費用に対して配分される。後者は、各州の優先事項に基づき配分される競争的資金である。
ここでは、連邦によるファンディングの状況について検討する。以下の図表は、連邦政府から配分される科学技術予算の配分状況を示したものである。なお、支出金額の多い順に並べられており、省・エージェンシー・非営利組織等が混在している。なお、この図表の対象は「科学技術予算」であり、「研究開発投資」を扱う第8章の図表8-3とは対象が異なる。
連邦による投資のうち最も大規模なものは、NSERC、CIHR、SSHRCという3大ファンディング機関および研究機関であるNRCである。これらのみで、全体の4割弱を占める。その他、環境省、カナダ統計局、自然資源省、カナダ原子力公社、農務農産食品省等がそれぞれの所掌範囲における研究開発に支出をしている。さらに、保健省およびイノベーション・科学・経済開発省は、傘下のファンディング機関を通じての出資に加え、自らが直接出資する予算ももっている。
図表2-3 連邦政府の科学技術予算配分(2015年度)
出典:カナダ統計局CANSIM 358-0163
科学研究および実験的開発税制優遇プログラム(SR&ED)という研究費税額控除の制度があり、企業による研究開発を後押ししている。その規模は年間30億ドル程度で、2万件以上の申請を受けている。
基本的なルールは以下のとおりである。
まず、カナダの民間企業については、研究開発投資額の35%(300万ドルを超える部分については15%)が税額控除の対象となる。それ以外の組織形態の場合は研究開発投資額の15%が税額控除の対象となる。
また、上記に加え、各州が別途研究費税額控除の制度を設けている。たとえば、ケベック州では最大30%、オンタリオ州とブリティッシュ・コロンビア州では各最大10%の税額控除を受けられる制度がある。
なお、カナダの法人税には、連邦法人所得税(Federal Income Tax)と州法人所得税(Provincial Income Tax)の2種類がある。連邦法人所得税は15%ほどであり、州法人所得税は0~16%ほどである1。
カナダの高等教育制度の大きな特徴は、それが州の権限により州ごとに運用されていることである。連邦レベルでの統一的な制度は存在せず、また連邦の高等教育省に相当する組織も存在しない。たとえば、ケベック州では大学の入学資格としてセジェップ(CEGEP:Collège d'enseignement général et professionnel)と呼ばれる2年間の大学基礎教養機関の学位が必要である(一方で大学は3年間)など、各州の制度は同一ではない。
なお、各州の制度は、全く別個に運営されているわけでもない。たとえば、カナダ教育閣僚協議会(CMEC:Council of Ministers of Education, Canada)という州政府間組織が存在し、各州の高等教育政策について議論をする場を提供するとともに、カナダの高等教育全体を代表した国際的窓口の機能も果たしている。
以下では、オンタリオ州の例を紹介する。
オンタリオ州には、22の州立大学(および相当機関)があり、441,000人の学生が学んでいる。州立の単科大学の数は24で、230,000人の学生が学んでいる。また、401の私立の単科大学があり、89,540名の学生が学んでいる。その他、ポリテクニーク(技術者養成学校)もある。一部私立大学もあるが、その多くは宗教的な色彩の強い大学である。
2014年度に大学等が受け入れた運営費用の総額は89億ドルであった。そのうちの53%が学費等であり、41%がオンタリオ州の高等教育・技能開発省(MAESD)から配分された資金であった。また、2%をMAESD以外の政府部門からの資金で賄い、その他の収入が5%あった。なお、州政府から大学等への資金配分の多くは、学生の数などの指標に基づいて非競争的に行われている。
ほぼ全ての大学(University)は自治権を有している(教育プログラムの種類、レベル、規模等を自身の裁量で決めることができる)一方で、単科大学(College)は自治権を有していない。
大学は、自らの戦略を記した文書をもとに政府と議論を重ね、戦略的付託合意(SMA:Strategic Mandate Agreement)を政府と締結したうえで自身の運営にあたる。SMAとは、大学が現状を踏まえつつ目標に至るまでの方法を記した文書である。大学側からの提案を受け、MAESDとの議論を通じて内容を確定させる。SMAに基づいた活動については毎年報告義務があり、その成果に応じて大学の全予算の4%程度が変動しうる。この比率は、今後上昇する見込みとのことである。
本章では、現行の政策の背景としてカナダの科学技術・イノベーション政策の歴史について検討する。1960年代後半のトルドー自由党政権以降の政策を概観したうえで、前政権であるハーパー政権(~2015)の科学技術・イノベーション政策について述べる。
現在の連邦の科学技術・イノベーション政策の体制に影響する変化の多くは、1968年以降のトルドー自由党政権以降に起こった。
まず、1968年からのトルドー自由党政権下においては、1977年にSSHRC、1988年にNSERCが設立された。両機関は、現在も科学技術・イノベーションに関するファンディングを担う重要な機関である。また、同政権下において、1983年に科学研究費税額控除の制度(STRC)が導入されている。
1984年以降のマルルーニー政権下では、1985年にSTRCを終了させ、1986年に科学研究・実験的開発税額控除(SR&ED)を開始している。SR&EDでは、研究費税額控除を受けるだけの収益がなかった年の控除額を最大10年間繰り延べられるようにする等の変更が行われた。また、1989年にNCEプログラムが開始されている。このプログラムは現在も続いているものである。
1993年以降のクレティアンおよびマーティン自由党政権政権下では、科学技術・イノベーション政策上重要な機関(CIHR、CFI、ゲノムカナダ)が複数設立されている。CIHRは、既存の医療研究機構(MRC: Medical Research Council)および国家医療研究開発プログラム(National Health Research and Development Program)をもとにしてできあがった機関である。また、CFIおよびゲノムカナダは、非営利組織という位置づけで設立された。さらに、同政権下では、主席科学顧問(Chief Science Advisor)が設置されている。この時期に、現在の科学技術・イノベーション政策を支える組織が、ほぼできあがっている。
2006年以降のハーパー政権下では、科学技術イノベーション会議(STIC)の設置や、Natinal Science Advisorの廃止といった変化が起こった。また、NCEプログラムに新たなバリエーションが追加された。
2015年以降のトルドー自由党政権では、研究・イノベーションにかかる新戦略策定に向けての取り組みや、Chief Science Advisor設置に向けての取り組みが見て取れるが、本書執筆時点の2017年3月時点では、まだ明確な方向性は明らかになっていない。これらの点を含む政策の現状については、第4章・第5章で詳述する。
以上の状況を整理したものが、以下の図表である。
図表3-1 政権ごとの主要な改革
出典:CRDS作成
ハーパー政権時には、科学技術・イノベーション政策上の大きな変化がいくつか起こった。まず、研究・イノベーション戦略が策定された。次に、前政権下で設置された政府科学顧問が廃止されている。さらに、より産業化に近い活動が重視されたという状況がある。
2014年にハーパー政権下で公表されたSeizing Canada’s Momentという研究・イノベーション戦略が、現在のトルドー政権下でも維持されている。同戦略は、人材・知識・イノベーションの三本柱の元に、優先事項をまとめたものである。
「知識」の柱においては技術分野ごとの優先事項を定めている。以下の図表のとおり、環境・農業、健康・ライフサイエンス、自然資源・エネルギー、ICT、先進製造という優先領域がある。特に、自然資源・エネルギーにおいては、「パイプラインの安全性」といった事項が含められており、資源国であるカナダならではの優先項目が見てとれる。
図表3-2 Seizing Canada’s Momentの技術開発に関する優先事項
出典:Seizing Canada’s Moment
2004年に設置されていた政府科学顧問が、2008年に廃止された。政府科学顧問の座にあったのは、初代のアーサー・カーティー(Arthur Carty)氏のみであるとの結果になった。この背景には、ハーパー政権が、科学者による自由な発言を好まなかったという状況があったといわれる。
政府科学顧問に代わり、2007年10月に科学技術イノベーション会議(STIC:Science, Technology and Innovation Council)が設置された。STICの役割は大きく2つある。第一に、政府に対して非公開のアドバイスを行うことである。第二に、国の科学技術情勢についてレポートを作成することである。たとえば、カナダのイノベーションにおける課題や機会を整理したレポート(State of the Nation)を、2012年と2014年に発行している。
ハーパー政権下では、産業化に近い段階の活動を支援する取り組みが強化された。具体的には、第一に、1989年に開始されたNCEプログラムの新類型として、産学連携に取り組むプログラムや、企業間コンソーシアムによる研究開発を支援するプログラム等が追加された。これらについては、第5章の施策・プログラムの説明の箇所で詳述する。
第二に、NRCの活動を、より企業ニーズに基づいた活動に転換する改革が行われた。2010年に任命された理事長のもと、NRCはそれまでのカラーを一新させ、基礎研究には取り組まずに産業技術研究にフォーカスする、という方向性を打ち出した。ただ、この変化はあまりにドラスティックであったため、NRCに所属する研究者にとっては不評なものであったといわれる。
上述のとおり、カナダの科学技術・イノベーション政策の中核を担うのがISEDである。また、NRCAN等のその他の省が、各省が所掌する範囲の科学技術・イノベーション政策を担っている。ここでは、関連各省の政策を概観する。
現行の研究・イノベーション戦略は、前政権であるハーパー政権が2014年に公表した”Seizing Ganada’s Moment”である。現政権であるトルドー政権下において、新たな研究・イノベーション戦略を策定する動きが見られるが、本書執筆時の2017年3月現在では、新戦略の発表には至っていない。戦略の策定に向けてパブリックコンサルテーションが実施されてきており、近日中に戦略が公表される見込みである。
トルドー政権下においては、2008年に廃止された科学技術顧問(Chief Science Advisor)を置くことが決定されており、2016年12月にその公募が開始された。
なお、当初はChief Science Officerを置くことが議論されていたものの、最終的にはChief Science Advisorを置くという方向性に落ち着いた。この背景には、Chief Science Officerというファンディングを統括しつつアドバイスも行うポジションでなく、アドバイザリーのみに注力するポジションが必要であるとの考えがあった。
また、同ポジションを公募するにあたっては、透明性を高める必要性があった。特に、前政権下で設置されたSTICは非公表のアドバイスを首相に対して行っていたが、それに対しては研究者等の間から根強い反発があった。そのような状況に対して配慮したものと思われる。
ISEDは、宇宙分野の科学技術・イノベーション政策において中心的な役割を果たす、カナダ宇宙庁(Canadian Space Agency)を所掌している。
同庁が中心となって進められる研究の中心的なテーマは、天文学、オーロラ研究、宇宙空間における生命活動、地球圏の大気、火星、無重力下での科学、成層圏バルーン等である。
Health Canadaにおいては、その所掌する範囲における研究開発の取り組みが進められている。それは、医療における標準、医療政策、医療規制、医療プログラム等に活用されることを目的に推進されている。
具体的には、疾病・環境的な要因・食糧等によるリスクを予見し対応すること、医薬・食糧・医療機器等の安全性や有効性を検証すること、カナダ国民に対し医療に関する意思決定をするための情報を提供すること、を基本目的とする。
NRCANにおいても、その所掌する範囲であるエネルギー、鉱業・材料、森林、地球科学、自然災害、北方領域における資源等の領域で、科学技術・イノベーション政策が推進されている。
NRCANにおけるエネルギー分野の科学技術・イノベーション政策には、原子力エネルギーに関する政策が含まれる。同分野の政策は、主にカナダ原子力公社(AECL: Atomic Energy of Canada Limited)により推進される。
AECLとは、1952年にカナダ連邦政府により設立された国策会社である。原子力の平和利用を目的とした研究開発に取り組んでいる。
軍事分野の科学技術・イノベーション政策は、カナダ防衛研究開発省(DRDC: Defense Research and Development Canada)が中心となって進められる。
同省では、陸・空・海の軍事技術に加え、軍人の医療・健康・パフォーマンス(Personnel)、重要情報の獲得・共有・活用(Joint Force Development)、公共の安全・セキュリティ、戦略的意思決定支援、軍事作戦支援等を中心的なテーマとしている。
カナダの施策・プログラムの多くは、NSERC、SSHRC、CIHRという連邦のTri-Council、公的研究機関であるNRCおよび非営利のファンディング機関であるCFIを通じて推進される。そこで、本章では、それらのプログラムについて詳述する。
NSERCの活動の理念は、「カナダは、自然科学と工学の分野で新たな知識を推進・連結・応用することにおいて、世界のリーダーになる」というものである。この理念を実現するために、People(人材育成)、Discovery(研究開発)、Innovation(産業化に近い研究開発)という3つのプログラムをもつ。2016年度の資金配分予算額は、Peopleに約2億8,800万カナダドル(約26%)、Discoveryに4億3,600万カナダドル(約40%)、Innovationに3億7,500万カナダドル(約34%)である。なお、ここでいう「プログラム」は、「公募の単位」という意味ではなく、「活動の柱」といった意味合いである。
Peopleプログラムとは、主に奨学金やフェローシップを扱うものであり、7のサブプログラムに分かれている。Discoveryプログラムとは、新たな知を創造するとともに広範な研究能力を維持するものであり、3のサブプログラムに分かれている。Innovationプログラムとは、自然科学・工学分野の知識を移転し成果の事業化を促進するものであり、6のサブプログラムから成る。サブプログラムの詳細は以下の図表のとおりである。なお、サブプログラムの一部は「公募の単位」であるが、サブプログラムによっては、さらに下位に「公募の単位」をもつものがある。
図表5-1 NSERCのPeopleプログラムのサブプログラム
出典:NSERC, Report on Plans and Priorities 2016-17
図表5-2 NSERCのDiscoveryプログラムのサブプログラム
出典:NSERC, Report on Plans and Priorities 2016-17
図表5-3 NSERCのInnovationプログラムのサブプログラム
出典:NSERC, NSERC 2020 A Stragtegic Plan
上記のプログラムは、2015年に策定されたNSERC 2020という事業戦略を踏まえたものである。この戦略は、5つの柱から成っている(当初は2番目の柱がなく、4つの柱であった。研究者コミュニティへの意見照会を踏まえ、2番目の柱が追加された)。個別の柱とその具体的な内容は、以下の図表のとおりである。
図表5-4 NSERCの戦略:NSERC 2020
出典:NSERC, NSERC 2020 A Stragtegic Plan
SSHRCのプログラムは、Talent(人材育成)、Insight(研究支援)、Connection(ネットワーキング)の三つの柱をもち、その下にサブプログラムが配置される構造になっている。Talentでは、修士課程以降を対象に研究者のステージごとに種々の支援の機会が提供される。Insightでは、人間・コミュニティ・社会の理解に資する知識の構築を目的とした優れた研究を対象とした支援が行われる。Connectionでは、人文社会科学分野における知識交換を目的とした活動を対象とした支援が行われる。
2015年度のSSHRCのプログラム予算は、3億5,330万ドルであった。その内訳は、Talentに1億6,480万ドル(46.6%)、Insightに1億5,370万ドル(43.5%)、Connectionに3,280万ドル(9.3%)であった。加えて、世界レベルのカナダの高等教育機関を創出する目的でカナダの高等教育機関を対象として配分される、世界的に優れた研究分野の研究を促進するための基金(CFREF:Canada First Research Excellence Fund)に1,900万ドル(0.5%)が配分された。
なお、上記金額は、SSHRCの全体予算である約7億ドルと比べると約3.5億ドルの差額がある。この差額には、SSHRCがTri-Councilの事務局となって配分する間接経費プログラムの金額や、組織の運営にかかる金額が含まれている。
各柱に対応したサブプログラムの内容は、以下の図表のとおりである。
図表5-5 SSHRCのTalentプログラムのサブプログラム
出典:SSHRC, Reports on Plans and Priorities 2016-17
図表5-6 SSHRCのInsightプログラムのサブプログラム
出典:SSHRC, Reports on Plans and Priorities 2016-17
図表5-7 SSHRCのConnectionプログラムのサブプログラム
出典:SSHRC, Reports on Plans and Priorities 2016-17
図表5-8 SSHRCのその他のプログラム
出典:SSHRC, Reports on Plans and Priorities 2016-17
現在の3つの柱に基づいたプログラムは、過去の複雑なプログラム構成に対する反省を踏まえて導入されたものである。以前は30の異なったプログラムが異なった基準により運営されており、研究者からするとどのプログラムに応募すべきかがわかりにくい状況であった。
また、近年のプログラムでは、若手研究者をいかに支援するかという点も重視されている。シニア向けと若手向けのプログラムを分けることにより確実に若手にも資金が配分されるようにすることで、これを実現している。
SSHRCでは、ミッションに基づいたテーマ設定を伴うプログラム(target funding)は存在しない。応募者の発意に基づいた支援が行われている。
しかし、そうであっても特定のミッション(北極圏の環境、等)に対するファンディングは行っている。これは、研究者コミュニティとの議論を通じて彼らの社会的課題に対する関心を喚起し、そのような課題に資する研究に取り組むことを動機づけることによって行われている。
Canada ChairとCanada First Research Excellence Fundプログラムは、三大FAで共通の運営を行うプログラムである。SSHRCが事務局を担い、プログラムの設計や候補者の選定等は、委員会を設置して行っている。事務局の運営費は、各FAに配分された予算を持ち寄る形でまかなわれている。採択される研究者のテーマによっては、その配分資金の出自は三大FAの予算にまたがることもある。ただし、研究者は単一のチェックを受け取るのみで、予算の出自の違いは研究資金の使い勝手には影響しない。
間接経費プログラムは年間3億4,000万ドルの予算を極めて少人数で運営するものである。このプログラムでは、SSHRC、NSERC、CIHRの研究プログラムに採択された研究プロジェクトを対象とし、間接経費を配分している。たとえば、SSHRCのプログラムの場合、人材育成プログラムであるTalentに属するプログラムとPilot Program以外の多くのプログラムは間接経費支給の対象となり、直接経費の17~20%程度が配分される。
CIHRのプログラムは、研究者の発意に基づく医療研究(Investigator-Initiated Health Research)と優先事項に基づく医療研究(Priority-Driven Health Research)の二つの柱のもとに、サブプログラムを配置する形になっている。なお、前者には人材育成にかかるプログラムも含まれている。
2016年度のプログラム予算総額は約10億ドルであった。6億9,244万ドル(約70%)が研究者の発意に基づく医療研究に、3億497万ドル(約30%)が優先事項に基づく医療研究に配分された。
各柱に対応したサブプログラムの内容は、以下の図表のとおりである。
図表5-9 CIHRの「研究者の発意に基づく医療研究」のサブプログラム
出典:CIHR, Reports on Plans and Priorities 2016-17
図表5-10 CIHRの「優先事項に基づく医療研究」のサブプログラム
出典:CIHR, Reports on Plans and Priorities 2016-17
図表5-5中のOperating Supportは、さらにFoundation GrantsとProject Grantsに分かれる。前者は7年間のグラントであり、ライフ分野において実績のあるトップレベルの研究者を長期間サポートするものである。後者は5年間のグラントであり、創造性・新規性・潜在的なインパクトのあるアイデアに対して資金を配分するものである。
NCEプログラムとは、1989年に開始されたネットワーキングプログラムである。Tri-Councilが共同で運用するプログラムであり上記の図表中にも記されているが、特に重要であると考えられるため、ここで説明をする。
NCEプログラムの目的は、研究開発に取り組む優れた研究者等の連携を促進し、カナダの発展に資する研究開発を進めることである。共通の社会的課題に基づいた研究に取り組む研究者のネットワークを支援している。たとえば、健康的なエイジング、アレルギー・遺伝子・環境、バイオ燃料、いじめ対策等である。
プログラムの基本的な流れは以下のとおりである。まず、Tri-Councilが共同で設置する事務局が、ボトムアップでの提案を随時受け付けている。ネットワークの形成を目指す者が”Letter of intent”という形での提案を事務局に送り採択されると、まずは25万ドルが支給され、正式な応募をするためのコンソーシアムの形成に取り組むことになる。その後本提案をして正式採用に至った場合、そのネットワークには年間数百万ドルの資金を受領することができる。なお、支援期間は5~15年程度で、まちまちである。
当初はアカデミアのネットワーク形成を目的としていたNCEだが、2007年以降に産学連携や企業主導型のプロジェクトを対象としたプログラムが開始され、支援対象の広がりを見せている。それらを含めたプログラムの概要は、以下の図表のとおりである。
図表5-11 NCEプログラム一覧
出典:NCEウェブサイト
1989年のプログラム開始以降、約20億ドルを、研究・市場化・知識移転等に投資してきた。またこの投資は、約19億ドルの民間やその他のパートナーによる投資を呼び込んできた。
その結果、48,000名に及ぶ高いスキルを持った人材を生み出し、147のスピンオフ企業と1,332のスタートアップ企業を生み出した。
CFIの資金は、目的ごとに設置されたファンドを通じて配分される。2014年度のプログラムの一覧とその配分額は以下の図表のとおりである。
図表5-12 CFIの2014年度のプログラム一覧とその配分額
出典:CFI, Full Steam Ahead Annual Report 2014-15
CFIによるプログラムには、以下のような特徴がある。
まず、CFIのファンドは個人ではなく組織を対象としたものであるが、それは、研究インフラに対して責任をもつのは、究極的には個人ではなく組織だからだという理由による。たとえば、電気・空調・保険・規制への対応等は、個人では対応できるものではなく、組織の力が必要となる。特に、大規模なインフラであればあるほど、その傾向は強まる。
次に、CFIが研究インフラに投資をする際に通常必要経費の40%を支援する背景には、国と地方の法的責任分担の原則がある。連邦が40%程度を投資し、その他の主体が残りを投資することが原則的とされている。なお、残りの60%のうち40%ポイントを地方政府が負担し、残りを企業が負担することが理想的であるといわれているが、現状はそのようにはなっていない。12%ポイントを地方政府が負担するとともに、残りの28%ポイントは他のファンディング機関、チャリティを含む、非常に多様な財源となっている。
さらに、CFIのファンドを受けるプロジェクトのほぼ100%は、何からの形で他のカナダのファンディング機関の支援を受けている。例外としては、米国NIHのファンドを受けているプロジェクトに対しCFIからインフラ支援をするようなケースがある。
なお、CFIのファンドは国境をまたぎ得るという特徴ももっている。全投資の5~10%程度が海外で行われている。その際の条件は二つある。①その設置場所が、まさにそのインフラを設置すべき場所であること、②カナダの研究者に対し、優先的なアクセス権限が与えられること、である。
最後に、サイバーインフラに関しては、2012年の時点でまだ十分な投資が行われていないという問題が認識されていた。それを受けて、①ハイパフォーマンスコンピューティング、②データマネジメントの2つの領域を中心に投資を行ってきた。この投資対象を決めるにあたっては、人文社会科学者を含む25人のトップレベルの研究者に対し、個人としての見解を問う作業を行った。サイバーインフラに対しては、年間5,000万ドル程度が費やされている。
上記プログラムの背景には、”CFI Strategic Roadmap 2012-17”という戦略文書がある。そこでは、カナダの研究機関の世界レベルの能力を維持・増進し、産学官連携を推進し、カナダ社会に利益をもたらす形でカナダの研究の世界的な影響力を増すことを目的として、研究インフラの面からの支援方策を示すことが述べられている。戦略の柱とその内容は、以下の図表のとおりである。
図表5-13 CFIの戦略
出典:CFI, CFI Strategic Roadmap 2012-17
NRCは研究機関としての位置づけをもつ機関であるが、一方で産業研究支援プログラム(IRAP)を運営する機関としての位置づけももつ。
IRAPとは、Industrial Research Assistance Programの略称であり、中小企業を対象とし、技術開発に基づいた産業化を様々な手法により支援する、1950年代に始められたプログラムである。このような支援を通じ、中小企業の成長(雇用の拡大)を促すことを目的としている。プログラムを通じ、技術開発や市場化に向けたメンタリング、ファンディングといったサービスを提供している。そのために、カナダ全土に250名の産業技術アドバイザー(ITA: Industrial Technology Advisor)を配している。
IRAPの基本的なプロセスは以下のとおりである。①ITAと中小企業との間で関係を構築する、②技術的・ビジネス上のアドバイスを提供する、③プロジェクトのプロポーザルを作成し、ITAに提出する。その後のデューディリジェンスを経て支援が決定される。また、プロジェクト開始時の企業の状況が「スナップショット」として記録される、⑤”contribution agreement”を結んでプロジェクトを開始する、⑥プロジェクトの活動状況に応じ、企業の負担額に応じたreimbursement(必要経費の後払い)が行われる。⑥プロジェクトの進行状況を報告する、⑦5年後に③で記録したスナップショットからの成長の度合いを評価する、⑧対象とした中小企業が500名以上の人員を雇用する企業に成長した場合は、IRAPからの卒業となる(必ずしもすべての企業が卒業までIRAPを活用するわけではない)。つまり、IRAP推進の鍵となるのはITAであり、中小企業の規模(雇用数)を拡大することを目的とした支援が行われている。
ある中小企業を支援する際には、通常ITAは3人体制を組む。主任ITA(Lead ITA)、ビジネス査定人(Business Assessor)、技術査定人(Technology Assessor)である。このようなチームを組むことで、多角的なアドバイスを提供しうる。なお、これら3名は必ずしも同一のオフィスで働く同僚ではなく、プロジェクトの性質に応じて各所に散らばったITAがアドホックでチームを組む(このチームは、しばしば州をまたいで結成される)。また、ITAは必ずしもNRCのオフィスに拠点をもっているとは限らず、大学、州政府事務所等にオフィスを間借りしているケースも多い。一人のITAは、おおむね30程度の中小企業との関係を有している。
IRAPでは、年間最大100万カナダドルの支援を一企業に対してすることが可能である。
IRAPの支援の構造は、ベンチャーキャピタルのそれに似ている。しかし、ベンチャーキャピタルが特定の分野に特化する傾向があるのに対し、IRAPはすべての技術領域を扱っている点が異なる。
また、IRAPからの資金については返済の必要はなく、IRAPが企業の株式を取得するわけでもない。
プロジェクト開始時に締結するContribution Agreementにおいては、カナダの利益に資することが明記される。また、プロジェクト終了後5年以内に、技術や営業の売却をした場合、それまでに支援した金額を返還するという約束を結ぶ。
中小企業が活用すべき技術をIRAPから提供することは稀である。多くの場合、中小企業は独自で開発した技術をもっているか、あるいは独自に大学から技術を調達してくる。NRCが開発した技術を支援対象である中小企業に売却した場合、利益相反の問題も生じうる。
プロジェクトから発生した知財権は支援を受けた企業の所有となり、IRAP側は一切の所有権を主張しない。これは、①知財権は企業が持っていてこそ活用され利益を生む、②IRAPは企業との間に幅広いネットワークを持っており、必要な知財は都度ライセンスを受けることが可能である、といった考えに基づいている。
IRAPを含むNRCの活動の背景にはStrategy 2013-2018という戦略がある。そこでは、「クライアントおよびパートナーとともに働き、カナダの現在および未来の産業・社会ニーズに応えるソリューションを開発・実用化するために、イノベーション支援、戦略的研究、科学技術サービスを提供する」というミッションを掲げ、4つの事業領域ごとの戦略を示している。
図表5-14 NRCの戦略
出典:NRC, Strategy 2013-2018
Mitacsは、Accelerate、Elevate、Step、Globalinkの4のプログラムを運営している。
Accelerateプログラムは、学部レベルの学生に4ヶ月の企業での研究インターンの機会を提供する。現在は年間3,000名強がこのプログラムに参加しているが、2020年までに10,000名に増やす計画である。Mitacsは、このを通じて産学の連携を強化しようとしている。すなわち、インターンの学生が媒介となり、大学の研究者と企業をつなぐという戦略である。インターンを希望する学生は、その指導教官と企業の担当者とともに応募書類を作成し、プログラムに応募する。指導教官は学生が企業で行う研究インターンを監督するため、結果的に大学の研究者と企業間でのつながりが生まれる。
Elevateプログラムでは、ポスドクに対して企業での2年間の研究フェローシップの機会を提供している。プログラムより、年間55,000ドルを支給している。
Stepプログラムでは、大学院の学生やポスドクに対し、複数のワークショップを通じて、プロジェクトマネジメント、プロ意識、コミュニケーション等の必要なスキルを教えている。
Globalinkプログラムとは、カナダの学生を海外に派遣し、また海外の学生をカナダの高等教育機関で受け入れるプログラムである。このプログラムにより、MitacsはJSPSと連携してカナダの学生を日本に送っている(逆のプログラムは現時点では成立していない)。
上記に加え、Convergeプログラムというパイロットプログラムも運営している。これは、中小企業を大学や大企業と結びつける目的を持つプログラムであり、従来のインターンシッププログラムとは異なる。
なお、学部レベルでAccelerateプログラムを利用した学生が大学院・ポスドクレベルで再びElevate等のプログラムを利用しつつ同一の企業で研究インターンを行うということもある。このような場合は、大学の研究室と企業との間に、より強固な関係が築かれる。
カナダの連邦レベルの施策・プログラムは、主にTri-Council、CFI、NRCを通じて実施される。多くの資金がResearch Chairプログラムに割かれており、それは優秀な研究者を惹きつけ維持するという方針を反映している。また、これらの機関のプログラムの多くは、研究者の発意に基づくものであるという特徴があった。
カナダイノベーション基金によるファンディングは研究インフラを対象とするものであるとともに、必要経費の40%までしか支援しないという特徴があった。残りの60%は、州政府や非営利組織、企業等から別途調達してくる必要があった。
また、Tri-CouncilとCFIによる支援は、互いに補完しあう関係にあった。たとえば、NSERCの資金を受けて進められる研究プロジェクトに対し研究インフラの面ではCFIの支援が行われるといったケースがしばしばみられた。
国立研究機関であるNRCにより、IRAPというプログラムが運営されていた。これは、メンタリング・資金配分・技術サービスの提供等を組み合わせつつ中小企業の成長を促すプログラムであった。
本章では、研究開発投資の規模が相対的に大きい4州(オンタリオ(ON)州、ケベック(QC)州、アルバータ(AB)州、ブリティッシュ・コロンビア(BC)州)の科学技術・イノベーション政策について比較する。そのうえで、最も活動の規模の大きいオンタリオ州、州政府による投資額が最大のケベック州、被引用数がトップ1%の論文の執筆者が最も多いブリティッシュ・コロンビア州の政策の特徴に触れる。
ON州は連邦からの多額の投資を受けつつ、基礎研究から産業化までを幅広くカバーする。また、特に官製ベンチャーキャピタルに注力している。全体的にパフォーマンスが高い。
QC州は州政府による投資額が最も大きいものの、連邦からの投資額割合は小さい。ON州やBC州にある官製のベンチャーキャピタルの機能はなく、研究に対する支援という側面が強い。
AB州では州政府による投資と企業による投資が相対的に大きい。産業分野では、石油・天然ガス生産および輸送の割合が突出して高いと考えられる。
BC州には、ライフサイエンスを対象とした競争的資金の配分の仕組みがあるものの、その他の分野の支援体制は相対的に手薄である。一方で、トップ1%,論文においてはON州についで第2位である。またUBCは、カナダで最もトップ1%論文の著者数が多い。
研究開発投資の規模は、ON州・QC州・AB州・BC州の順である。2013年の投資総額は、ON州(14.1億ドル)、QC州(8.4億ドル)、AB州(3.6億ドル)、BC州(3.1億ドル)であった。
ON州は、連邦政府から最も多額の資金を得ており、その額は第2位のQC州の2.5倍強である。一方、州政府の投資額はQC州が最も大きく、ON州の1.3倍程度である。州・連邦の投資比率は、ON州が1:6.1、QC州が1:1.8、AB州が1:1.1、BC州が1:5.1、である。
BC州が連邦から獲得する資金はON州の0.2倍(QC州の0.5倍、AB州の1.4倍)程度であり、州政府の予算規模はON州の0.2倍(QC州の0.2倍弱、AB州の0.3倍)である。
上記の内容を表したものが、以下の図表である。
図表6-1 ON州、QC州、AB州、BC州の研究開発投資(2013年)
出典:Statistics Canada, CANSIM, table 358-0001
図表6-2 各州の科学技術・イノベーション政策にかかる組織
出典:各州のウェブサイト等をもとにCRDS作成
トロントの町並みとCNタワー ©山下
トムソンロイター社(現、Clarivate Analytics社)のデータによると、2015年にカナダには85名のトップ1%論文の執筆者がおり、ON州38名、BC州21名、QC州11名、AB州9名であった。
機関別では、ブリティッシュ・コロンビア大学(BC州)17名(うち2名は社会科学)、トロント大学(ON州)10名(うち2名は社会科学)、マクマスター大学(ON州)10名(うち4名は社会科学)、アルバータ大学(AB州)6名(うち2名は社会科学)、マギル大学(QC州)5名(社会科学は0名)、であった。
研究15大学グループ(U15)の多く(6大学)はON州にある。QC州には3大学があり、BC州は1大学である。AB州には2大学がある。
タイムズ社の世界大学ランキングによると、200位以内の7大学のうち、3大学がON州、2大学がQC州、1大学がBC州、AB州にある。
一方、Institute for Competitiveness and Prosperityのデータによると、2013年の分野別のクラスターの雇用者数は、以下のとおりであった。
まず、自動車部品・軍事車両等においては、ON州のクラスターの規模が大きいことがわかる。これは、トロント周辺の自動車関連のクラスターの存在を反映したものであると考えられる。
図表6-3 自動車部品・軍事車両等のクラスターの州別雇用数(2013年)
出典:Institute for Competitiveness and Prosperity
次に、航空機・ミサイル・ナビゲーション設備等においては、QC州のクラスターの規模が大きいことがわかる。これは、モントリオール周辺の航空関連のクラスターの存在を反映したものであると考えられる。
図表6-4 航空機・ミサイル・ナビゲーション設備等のクラスターの雇用数(2013年)
出典:Institute for Competitiveness and Prosperity
さらに、石油精製・パイプライン等においては、AB州のクラスターの規模が大きいことがわかる。AB州が石油産出に強く依存した州であることを反映していると考えられる。
図表6-5 石油精製・パイプライン等のクラスターの雇用数(2013年)
出典:Institute for Competitiveness and Prosperity
一方、BC州については林業分野で他州よりも大規模なクラスターを形成していたが、その規模は2万人程度で、他の産業分野と比べると小規模であった。
モントリオール万博時に建築された「アビタ67」 ©山下
BC州の2省が入居する建物 ©山下
カナダは、日本・米国・中国・インド・EU(ドイツ・フランス等の国との個別協定も含む)・ブラジル・イスラエル等と科学技術協定を結んでいる。アフリカを除くすべての地域において科学技術協定に基づいた幅広い連携を行っている。
米国にはニューヨーク、サンフランシスコ、ボストン、デンバー、フィラデルフィアに「カナダ技術アクセラレータ」という拠点を置き、米国でビジネスを展開しようとするICT、ライフサイエンス、クリーン技術関連の企業を支援している。
米国との関係においては、共著論文の相手国に関して特長的な関係を有している。NISTEPによる、カナダの2011-2013年の主要な国際共著相手国のデータによると、全分野において46.6%が米国との共著であるという結果になっている。これは、2001-2003年の50.8%と比較して低下しているものの、依然として高い水準にある。
多くの国が米国との強い共著関係をもつが、その中でもカナダは中国と同水準の極めて強い関係を持っていた。2011-2013年の値では、中国で46.0%、日本で40.3%、ドイツで29.8%、英国で29.7%、などとなっていた。
図表7-1 カナダの主要な国際共著相手国(2011-2013年)
出典:科学研究のベンチマーキング
一方で、米国から見たカナダは、2011-2013年の共著関係においては、中国(17.3%)、英国(13.3%)、ドイツ(12.4%)に次ぐ第5位(11.0%)の位置にあった。カナダから見た場合と非対称な結果になっていた。
1976年に結ばれたカナダEU商業経済連携枠組み協定に基づき、科学技術分野での連携が続けられてきた。その後1996年に科学技術協定が結ばれ、同分野での連携が強化されている。
カナダは、EUの枠組みプログラムであるHorizon 2020に積極的に参加するのみならず、欧州の政府間コンソーシアムである共同プログラミングイニシアチブ(JPI)にEUにとっての第3国としてはじめて参加するなど、活発な連携がなされている。
カナダのJPIの参加については、CIHRの活動が注目に値する。CIHRは2012年に、EUから見た第三国のメンバーとして、初めて欧州のJPIに参加した。その他にも、エボラ出血熱や感染症対応の分野などで、Horizon 2020やJPIの枠組みとは別の連携もしている。
CIHRによるJPIへの参加規模を示すデータとして、JPNDにおける”JPco-fuND”という名称の公募がある。この公募の規模は約41Mカナダドルであり、そのうち約14MカナダドルがEUからのトップアップファンドによりまかなわれる。CIHRは、最大1Mカナダドルを支出する。
また、JPIAMRにはより積極的に参加しており、2013年の参加以降、4回行われた共同公募のうち、CIHRは3の公募に参加している。その際の支援額は、7.7Mカナダドル(全体が約70Mカナダドルのうち)。
なお、EUの枠組みプログラムに対しては第3国としての位置づけであり、原則としてカナダの研究者はEUの枠組みプログラムから資金を得ることはできない。
中国とは2007年に科学技術協定が結ばれている。相対的に新しい関係ではあるが、近年急速に関係を強めている。
中国との間では「カナダ国際イノベーションプログラム(CIIP)」が推進されており、産業技術開発・研究の市場化分野での連携が強化されている。具体的には、双方の国でビジネスを展開しようとする技術企業の支援や、共同研究開発の支援等を行っている。
なお、このプログラムの連携対象国は、中国に加え、ブラジル、インド、イスラエルである。また、現在韓国との交渉が進められている。
海外からの留学生の状況に関しては、中国からの留学生の割合が突出して高い状況にある。カナダ国際教育局(CBIE)のデータによると2、2015年の海外からの留学生35万3,000名のうち、34%が中国出身者であった。2位のインドが14%、3位の韓国・フランスが各6%であった。中国出身者が突出して多い状況が見てとれる。なお、その他の国については、米国・サウジアラビア・ナイジェリアの各3%、日本・ブラジルの各2%、香港・ベトナム・パキスタン・イラン・英国・メキシコの各1%が続く。
一方、カナダ人の留学先としては、中国は第6位である。フランス(14%)、英国(9%)、米国(8%)、ドイツ(6%)、スペイン(4%)となっている。中国と同順位には、スウェーデン・スイス・イタリアが名を連ねる。
日本とは1986年に科学技術協定が結ばれている。これに基づいて定期的に科学技術合同委員会が開催されており、2016年6月に第13回の会合がオタワで開かれた。そこでは、日加両国の科学技術政策、日本の科学技術外交、ナノテクノロジー、幹細胞・再生医療を含む医療研究、持続可能な環境・エネルギー技術、北極研究、森林炭素蓄積研究、高エネルギー物理学、研究者交流等に関する両国間の協力の現状と今後の展望等について双方の関係機関から報告が行われた。
環境・エネルギー技術については、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)がオシャワ(Oshawa)市で行っている持続可能な電力供給の実証事業の紹介が行われた。また、カナダ極北研究ステーション(CHARS)における国立極地研究所とカナダ極地知識基盤機構(Polar)の協力に関する協力覚書の交換が行われた。
さらに、すでに述べたとおり、MitacsのGlobalinkプログラムを通じJSPSが主体となりカナダの学生を日本に受け入れる、といった連携が進められている。
また、今後約2年を見据えた両国間の重点的協力分野(ナノテク、保健科学、持続可能エネルギー技術、北極研究、研究者交流)に関する行動計画の本文への署名が行われた。
各国の研究開発費の総額(購買力平価)について、2013年のUNESCO統計で見てみると、カナダの研究開発投資総額は、米ドル換算で255億ドルであった。これは、米国の4,570億ドル、中国の3,335億ドル、日本の1,602億ドル、ドイツの1,004億ドル、韓国の689億ドル、フランスの556億ドル、英国の413億ドル、ロシアの407億ドル、イタリアの275億ドルよりも低い値であった。一方、オーストラリアの220億ドル、オランダの154億ドル、スイスの133億ドルよりは高い値であった。
OECDの統計から2014年のカナダの総研究開発費(購買力平価)のセクター別による負担割合と使用割合、およびそのフローを示したのが次の図表である。なお、この図における「ドル」も米ドルである。
研究開発費(負担)については、企業が117億ドル(45%)、政府が89億ドル(35%)、高等教育機関が26.5億ドル(10%)、民間非営利が10億ドル(4%)、海外 が16億ドル(6%)であった。
研究開発費(使用)については、企業が129億ドル(50%)、政府が24億ドル(9%)、高等教育機関が104億ドル(40%)、民間非営利が1億ドル(1%)であった。
図表8-1 総研究開発費のセクター別負担・使用割合(2014年:PPP$)
出典:OECDデータをもとにCRDS作成
時系列的な変化は、以下の図のようである(以降、カナダドル)。
2007年を基準とした購買力平価ベースの研究開発投資総額は、グラフが対象とする2000年以降増加傾向にあったが、2007年をピークにその後は減少傾向にある。ピークの2007年には約300億ドルであったが、2014年は約280億ドルになっている。
企業部門の投資は、2000年以降、概ね全体の50%弱である。ただし、この数字は2006年をピークに減少傾向にある。2006年には約150億ドルであったが、2014年には約130億ドルになっている。この減少が、国全体の投資額の減少に最も強く寄与している。
連邦政府による投資額は、2000年以降増加を続け、2010年にピークを迎えている。その後若干の減少に転じ、2014年の投資額は約50億ドルである。
州政府による投資額は、2000年以降概ね増加傾向にある。2014年の投資額は約20億ドルであり、連邦の3割程度に到達している。
図中には「高等教育部門」という項目があるが、その多くは州政府により大学に配分された資金を意味している。この金額の伸びが最も大きく、2000年に約35億ドルであったものが、2014年には55億ドル強に達している。この資金は、主に大学の固定費(人件費・設備費等)に投じられている。
図表8-2 研究開発投資の時系列的な変化(2007年を基準とした購買力平価換算)
出典:Statistics Canada, CANISM Table 358-0001
2012年のUNESCO統計によると、カナダの研究者数(FTE)は16.2万人であった。これは、米国の126.5万人、日本の64.6万人、ドイツの35.2万人、フランスの25.9万人、英国の25.6万人よりもかなり低い値であった。一方で、オーストラリアの10.0万人よりは高い値であった。ただしオーストラリアは2010年のデータである。
図表8-3 各国における研究者総数(FTE換算、2012年)
出典:UNESCO3
2012年のUNESCO統計によると、カナダにおける2012年の人口100万人あたりの研究者数は、4,634人であった。これは、日本の5,084人に次ぐ値であった。オーストラリアの4,531人、ドイツの4,379人、フランスの4,073人、英国の4,029人、米国の4,019人を上回っていた。ただしオーストラリアは2010年のデータである。
図表8-4 各国における人口100万人当たりの研究者数
出典:UNESCO4
文部科学省科学技術・学術政策研究所がトムソンロイター社(現、Clarivate Analytics社)のデータを元に分析した「科学研究のベンチマーキング2015」によれば、2011年から2013年に発表された全分野における科学論文数は、1位が米国(26.1%)、2位が中国(14.9%)、3位がドイツ(7.4%)、4位が英国(7.1%)、5位が日本(6.2%)となっていた。
カナダは全体の8位(4.4%)であった
図表8-5 国地域別論文発表数(2011年~2013年)
出典:文部科学省科学技術・学術政策研究所「科学研究のベンチマーキング2015」5
一方、Top1%論文の世界ランキングでは、様相は異なり、カナダは第6位(8.2%)にランクインしている。引用数の高い論文の割合が、相対的に高いという状況にある。
図表8-6 国地域別Top1%論文数(2011年~2013年)
出典:文部科学省科学技術・学術政策研究所「科学研究のベンチマーキング2015」6
これを10年間の経年変化で見ると、カナダはこの20年間の間に4位から6位に順位を落としたものの、世界シェアは2.4%ポイント拡大させている。
イギリスの調査会社QS社は、毎年世界の大学の国際比較を実施しており、その結果を「World University Rankling」として公表している。最新版は2015/16版である。ただし全ての国を対象にして集計したわけではないことに注意する必要がある。
QSランキングで400位以内に入った大学の数としては、米国が79校、英国が48校、ドイツが28校、オーストラリアが21校、フランスが20校、カナダが15校、中国が15校、日本が14校、オランダが13校、であった。
米国、英国、ドイツ、オーストラリア、フランス、カナダ、中国、日本、オランダ、台湾、韓国、スイス、イタリア、ロシアについて、それぞれの国で最も順位が高かった1校を記載し、カナダについては、400位以内に入った大学を全て記載したのが次の図表である。
図表8-7 QSランキングにおけるカナダの大学の位置
出典:QS World University Rankling2015/16よりCRDSが作成
過去20年では、2015年にArthur B. McDonald7が物理学賞を受賞している。1943年カナダ生まれであり、受賞時の所属はクイーンズ大学(カナダ)であった。
WIPO 統計に基づき、2000年~2014年における相対的に特許出願が活発ではない国々の特許出願件数の推移を示す。各国について、自国及び他国に出願した件数を合計したものが次のグラフである。
世界全体としては近年、中国の出願件数が急激に増加していることが特徴的であり、米国・日本の後に、韓国・ドイツが続いているが、カナダの出願件数はそれらに遠く及ばない。2014年のカナダの特許出願数(国内+海外)は24,715件であり、中国、米国、日本などと比べるとかなり小さいことが分かる。2014年の中国の特許出願数(国内+海外)は837,897件であり、米国は509,622件、日本は465,987件、韓国は230,556件、ドイツは179,535件であった。
図示した国については、フランスは72,369件、英国は52,612件、スイスは44,417件、オランダは37,738件、イタリアは29,298件、ロシアは28,515件、オーストラリアは11,743件であった。
図表8-8 各国の特許出願件数の推移(2000年~2014年)
出典:WIPO8
カナダの科学技術・イノベーション政策においては、「企業部門での研究開発が低調である」という課題が長年認識されてきた。すでに見たとおり、この状況は現在も続いていた。
この課題の背景には、①カナダでは研究開発に積極的に投資をする大企業があまり存在しない、②日用品や天然資源等の分野で一定のビジネス上の成功を収めてきたため研究開発に投資をする誘引が乏しかった、といった状況がある。
第1章でみたように、カナダの大企業(グローバルフォーチュン500に含まれる企業)の数は11社であり、決して多くはない。また、RE$EARCH Infosource Inc.のデータによると、その中で研究開発に積極的に投資をしている(カナダにおいて研究開発投資が上位100位以内である企業)は石油精製業のSuncor Energyと、自動車業のMagna Internationalの2社しかない。すなわち、研究開発に積極的に投資する大企業が乏しい状況が見てとれる。
また、カナダは資源国としての側面をもち、資源の輸出により一定の富を得ることができるため、敢えて研究開発に投資をする誘引に乏しかったという指摘もある9 。
このように企業部門の研究開発投資が低調な状況では、研究開発の成果をイノベーションにつなげることが困難になる。
上記の課題を解決するにあたり、カナダには①優れた研究力、②連携と競争のバランス、③安定的な研究開発の支援プログラム、という強みがあると考えられる。優れた研究力により、企業が活用可能な技術が生み出されることが期待される。広い国土に散らばった研究者たちが連携をしつつ競争をすることで、分散したコミュニティという困難を克服しつつ、多様な知を取り込んだ研究活動が可能になると考えられる。企業を直接支援する取り組みを通じて、より研究開発に対する投資効率を高めることが期待される。
第8章で見たとおり、論文の被引用度でみたカナダの研究力は、相対的に高い位置にある。特に、人口規模が日本の3分の1程度であるにもかかわらず、トップ1%論文の執筆者数が日本に次ぐ位置にあるということは特筆に価する。トップ10%論文においても、その世界シェアは常に全論分数の世界シェアを上回るとともに、近年はさらにトップ10%論文のシェアを高める傾向にある。
このような状況の背景には、カナダの積極的な国際連携があると考えられる。たとえば、Tri-Council、CFI、Mitacsのプログラムの中には、国際的な人材流動を目的としたプログラムや、国際連携を対象としたプログラムがあった。また、カナダは欧州のJPIに第三国として始めて参加していた。さらに、OECDのデータ10 によれば、カナダの論文の国際共著率は50%弱で英国やフランスと同等の水準にあり、25%程度である日本よりも高い水準にあった。カナダの研究活動の規模は相対的に小さいものの、国際連携にうまく取り組み、優れた研究力を保持しているものと考えられる。
なお、トップ1%論文の執筆者が多い大学はブリティッシュ・コロンビア大学とトロント大学であった。一方で、大学ランキングでは高い位置にあるラヴァル大学等のケベック州の大学は、トップ1%論文の著者数ではブリティッシュ・コロンビア大学やトロント大学に及ばない。このような状況がなぜ生じているのかについては、今回の調査では明らかにはならなかった。
カナダの研究者にカナダの強みを聞いた際にしばしば聞かれたことは、「カナダは規模が小さいため、研究者たちは連携の重要性を真に理解しており、連携が得意なことだ」というものであった。ブリティッシュ・コロンビア州、オンタリオ州、ケベック州におけるヒアリングのいずれでも、このような話が聴かれた点は興味深い。カナダの研究者の間には、連携が得意であるとのマインドセットが、一定程度浸透しているようである。
このようなマインドセットは、広大な国土に決して多いとは言えない研究者が散在するカナダにおいて、研究力を結集して成果を生むためには重要なものであると考えられる。
一方で、カナダにおいても競争が存在しないわけでは決してない。たとえば、Research Chairプログラムにおいては、そのプログラムに応募しようとする大学は特定の分野を自身の強みがある分野であると主張し、それに対する承認を連邦政府から得なくてはならない。ある分野での強みがある大学に対して認められた場合、それ以外の大学はその分野を自身の強みとしては主張できなくなる。したがって、どの分野で強みを主張するかにおいては、大学間の競争が存在する。
ただし、このような競争環境は、隣国である米国と比べると、相対的に緩やかなものであるようである。たとえば、米国では大学教授の給料は一般的に9ヶ月分しか支払われず、3ヶ月分は自らが競争的資金等を通じて獲得してこなくてはならないが、カナダにはそのような仕組みは存在しない。
カナダの研究者の多くは米国で学位を取得したり、米国でポスドクの経験を積んだりしているが、その中で米国の過度な競争状況に対し否定的な感情を抱くことも少なくはないようである。
そのような状況とも相俟って、カナダにはバランスの取れた競争環境が生まれているのかもしれない。
もうひとつの強みとして、連邦を中心とした安定的な研究開発の支援体プログラムの存在が挙げられる。たとえば、1950年代から続くIRAPや1989年に開始されたNCEの二つのプログラムはそれぞれ数十年の歴史をもち、これまで安定的に研究開発を支援してきた。中小企業に対する技術開発を通じた成長支援、広い国土に散らばった知の糾合と、いずれもカナダにとって重要な課題を対象として、継続的な支援を続けている。
その結果、たとえばNCEの1プロジェクトであったMitacsがプログラムを卒業し、カナダにとって価値あるサービスを提供する非営利組織として成長するなど、重要な成果を挙げていると考えられる。
さらに、研究インフラに対する支援を行うCFIでは、支援対象を(研究者個人ではなく)大学等の組織にすることで、研究インフラの安定的な運営を実現していた。また、大学に属する研究インフラを国レベルで活用するための活動に対しても資金を配分するなど、広く研究インフラを共用するインセンティブも生んでいた。このようなプログラムは、安定的な研究環境の創出に寄与するものと思われる。
カナダは、大企業が育ちにくい土壌であるとしばしばいわれる。有望なベンチャー企業は米国等の大企業の買収の対象となり、成長する前に買われてしまうというのである。たとえば、グローブ・アンド・メール紙において、Lightspeed社のCEOのそのような趣旨の記事が紹介されている11 。米国からのアクセスがよく英語も通じ治安のよいカナダは、買収市場としては魅力的なはずである。
この状況を明確に裏付けるデータは見当たらなかったが、関連するデータとして、カナダの企業の合併・買収に関するIMAAのデータを紹介する12 。以下の図表は、直近10年の、海外企業によるカナダ企業のM&A案件の数と額とを示したものである。この10年間の国境をまたいだカナダ企業のM&A案件数は5,332件でその総額は約4,469億米ドル、案件あたりの平均額は0.84億米ドルであった。
図表9-1 国境をまたいだカナダ企業のM&A案件の数・額
出典:IMAAウェブサイト
一方で、同期間の国境をまたいだ米国企業のM&A案件数は15,289件、総額は2兆7,138億米ドル、案件あたりの平均額は1.78億米ドルであった。また、世界全体の国境をまたいだM&A案件数は、12万6,759件、総額は12兆5,083億米ドル、案件あたりの平均額は0.99億米ドルであった。
以上より、カナダ企業の国境をまたいだ買収案件の案件あたりの平均額は、米国平均の半額以下であり、世界平均と比べても15%程度低いということがわかった。このことから直ちに「カナダのベンチャー企業は成長前に海外の企業に買われる傾向にある」と結論づけることはできないが、少なくとも小規模企業が海外の企業に買われているという傾向が見てとれた。
なお、カナダ企業を買収する外国企業のうち、米国の割合は67.7%であり、突出して大きかった(2位の英国は6.5%)。この面においても、米国との密接な関係が示唆された。
カナダのベンチャー企業が育ちにくい状況にあるとすると、研究開発に活発に投資をする大企業を創出することは容易ではない。この点が、上述の長期的な課題の解決を妨げる要因になっていると考えられる。
企業による研究開発を支援するには、直接的にプログラム等を通じて支援を行う方法と、税額控除等により間接的に支援を行う方法とがある。STICの報告書が指摘するように、カナダにおいては、これまで後者に偏った支援が行われてきたと一般的に言われている13 。
もともとあまり企業が活発的に研究開発投資を行ってこなかった状況下では、間接的な支援では十分に効果的・効率的な研究開発が行われないおそれがある。研究開発に取り組んだ経験が十分でないため、研究費税額控除等により間接的なインセンティブを与えられたとしても、それを活用するキャパシティが育っていないからである。
同報告書が指摘するように、企業の研究開発に対する間接的な支援と直接的な支援とのバランスを是正するという課題が、カナダには存在すると考えられる。
カナダにおいては連邦と州のいずれも科学技術・イノベーション政策を実施しているが、州の意図と連邦の意図とがうまく調整される保証はない。特に、カナダにおいては研究の中心は大学にあり、大学は州により設立された組織である。一方で、研究開発プロジェクトに用いられる資金は、主に連邦から配分される。そのため、研究の中心を担う組織のマネジメント主体とそのような組織への資金配分の主体とが異なるというねじれがある。
連邦から州へのファンディングの状況をみても、このようなねじれの存在が示唆される。たとえば、オンタリオ州(ON州)、ケベック州(QC州)、ブリティッシュ・コロンビア州(BC州)への連邦からの資金配分比率は、概ね5.2:2.1:1である。また、ON州は州政府による研究開発投資1に対し、6.1の連邦からの資金配分を得ている。この比率は、QC州では1:1.8、BC州では1:1.1である。なお、連邦からの資金配分は各州の人口も踏まえていると言われるものの、ON州、QC州、BC州の人口比(概ね2.9:1.8:1)を加味しても、ON州への配分の比率が高い。
ON州にはU15に属する優秀な大学が多くあり、そのような大学等が健全な競争を勝ち抜いて資金を得ているのであれば、上記の偏りは、大きな問題ではないのかもしれない。
しかし、連邦政府に距離的に近く、言語をはじめとした文化的にも近いON州が相対的に連邦からの資金を得やすい状況にあるのだとすれば、このような偏りは、各州の連携を促すうえでの障壁になるかもしれない。
近年、オンタリオ州を中心に、官製のベンチャーキャピタルを立ち上げ、技術に根ざしたベンチャー企業を支援しようとする取り組みが進められつつある。
その背景には、ベンチャー企業による技術に根ざしたビジネス活動の直接支援を通じて、よりスマートな投資を実現しようとする考えがある。すなわち、研究費税額控除により行われる間接的な支援は、支援される研究開発の取り組みはその企業に委ねられており、その企業の投資の巧拙により、市場化につながるか否かが大きく左右される。一方でベンチャーキャピタルにおける専門的な知を背景に投資対象を選び・支援することで、より市場化に結びつきやすい状況が生まれるという発想である。
このような取り組みはBC州にも広がりつつある。近年BC州は官製ベンチャーキャピタルに1億ドルを投じることを決定し、その運用が開始された。また、さらなる追加投資に向けて準備が進められている。
一方で、従来からある取り組みとのバランスも重要であると考えられる。
IRAPと官製ベンチャーキャピタルとでは、根本的な思想が異なる。すなわち、前者では、プロジェクト終了後5年間は技術や営業の外国企業への譲渡を禁止することで、支援の成果が企業の規模の拡大につながることが重視されている。一方後者では、支援対象の企業の規模が拡大することを必ずしもターゲットとせずに、市場全体としてよい投資環境を現出させることを究極の目的としている。市場環境が改善されればより多くの投資がそこに行われ、結果的に企業の規模の拡大が促される可能性も高まる、ということである。
これらの取り組みは、いずれもカナダの課題を解決するうえで重要ではないかと考えられる。IRAPの取り組みにより特定の企業を支援して成長させるとともに、ベンチャーキャピタルを通じた支援により投資環境を整えるという効果が期待できる。
これらの支援を活用し、いかに研究開発に活発に取り組む大企業を創出してゆくかが、カナダの強みを生かしつつ、研究の成果を産業に結びつけるうえで重要であると考えられる。