事業成果

観測・予測技術で水災害に備える

タイの治水・利水政策に貢献2020年度更新

沖 大幹
沖 大幹(東京大学 生産技術研究所 教授)
SATREPS
環境領域「気候変動に対する水分野の適応策立案・実施支援システムの構築」研究代表者(2008-2013)
環境領域「タイ国における統合的な気候変動適応戦略の共創推進に関する研究」研究代表者(2015-2020)

研究結果はタイの環境政策に導入へ

国際科学技術共同研究推進事業 地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)の研究代表者である沖 大幹教授らは、タイのカセサート大学とともに、タイにおける統合的な気候変動適応戦略を構築するための国際共同研究を進めている。2016年度から始まった本プロジェクトは、これまでの研究成果を踏まえ、「気象水文基盤情報の創出」「適応機会とその効果の評価」「適応戦略共創手法の開発」の3領域において、超学術的な研究活動に取り組んできた。

プログラム期間は5年間で、最終年度にはタイ政府向けレポートをまとめる計画である。開始から3年度目となる2018年度には、本プロジェクトの研究成果が、タイ政府が策定しようとしている「国家適応計画(NAP)」に組み込まれるよう、天然資源・環境政策計画局(ONEP)や適応策の実施機関、大学関係者との協議を重ね、特別報告書として発表した。また、特別報告書を英語、タイ語でも作成し、公表した結果、同年9月に実施されたONEP主催のNAP公聴会でONEP長官が本研究に対し謝意を述べるなど、本研究成果はタイ政府中枢に広く知れ渡ることとなった。

また、2019年1月にバンコクで開催された国際会議(THA 2019 International Conference on Water Management and Climate Change towards Asia's Water-Energy-Food Nexus and SDGs)で特別セッションを企画し、本プロジェクトの研究成果について広く議論する機会を得たほか、政府関係者に対して社会実装に繋がる成果を紹介した。その結果、最終年度にまとめる「政府向けレポート」への期待がさらに高まっている。

図1

図1 チャオプラヤ川の年浸食堆積地図。このような情報をベースに、自然環境だけでなく社会経済状況を分析した。具体的には、洪水リスク低減に資する河道内の堆積土砂の浚渫コストとその建設資材としての市場価値の比較を可能とすることで、適応策の開発や政策判断に資する情報の提供を行っている。(Rangsiwanichpong P. et al. (2018))

※ Rangsiwanichpong P, Kazama S, Gunawardhana L. Assessment of sediment yield in Thailand using revised universal soil loss equation and geographic information system techniques. River Res Applic. 2018;1–10. https://doi.org/10.1002/rra.3351

気候変動リスクへの適応策を幅広い分野で構築

国民の約3割が農業や水産業に従事するタイにとって、気候変動の農業に対する影響の抑制は重要課題であり、沖教授らとの共同研究に対するタイ政府からの期待は大きい。気候変動の進行に伴い、干ばつや豪雨による洪水、地滑りなど、世界的に自然災害が頻発しているが、タイのチャオプラヤ川でも2011年に大洪水が起こり、日系企業も数百社が被害を受けている。このような水災害の頻度は今後も上昇していくと考えられ、リスクは年々高まっていくと懸念される。

沖教授らはそういった水災害のリスクを軽減するため、超学術研究によるさまざまな観測・予測技術を水災害管理に生かすこと、そのための適応策の構築と社会実装を行い、成果を近隣諸国にも波及させることを目指して活動してきた。研究内容は多岐にわたり、例えば、水循環情報統合システムの実運用に向けた環境構築・ソフトウェア開発、全球モデルのデータからタイの適切な季節降水予測を行う手法や、チャオプラヤ川を対象にした適切な貯水池操作を選択する手法の開発、全球モデルと過去の豪雨時の気象パターンを組み合わせた豪雨予測手法の開発、土砂災害のリスクマップの開発や河道内の土砂浚渫の費用便益分析、沿岸部の砂浜を維持するためのコスト算出と観光への影響の算定手法構築などがある。

このように地球観測と数値シミュレーション技術を組み合わせて開発された、早期警戒情報の提供や、適切な土地利用への誘導、貯水池操作規則の変更などの多様な適応策を組み合わせ、市民等との対話を通じて、社会全体の利益を最大化できる適応戦略の構築を目指している。

また、水害のリスクが高いのは近隣の東南アジア諸国も同様である。統合的な適応策を構築するための技術開発や、適応戦略を共創していく手法の開発、優良事例の移転、適応分野の人材育成は、タイで気候変動対策を円滑に構築していくにとどまらず、近隣諸国でも適応可能な施策となる。

図2

図2 21世紀末に想定される砂浜の侵食量と、砂浜幅10m、20m、ならびに30mを維持するために必要な養浜量。この結果から、砂浜幅を10m維持する場合、 代表濃度経路シナリオ(RCP)のうち、最良シナリオ(RCP2.6)て゛10.6 億米ドル、最悪シナリオ(RCP8.5)で31.9 億米ドルのコストが必要と算定された。 (Somphong C et al. (2018) and Ritphring S et al. (2018)).

※ Somphong C, Udo K, Ritphring S, Shirakawa H, Kazama S. Adaptation assessment to future beach loss due to sea level rise in Thailand. Coastal Engineering Proceedings. 2018; 1(36), risk.13. https://doi.org/10.9753/icce.v36.risk.13
※ Ritphring S, Somphong C, Udo K, Kazama S. Projections of future beach loss due to sea-level rise for sandy beaches along Thailand’s coastlines. Journal of Coastal Research. 2018; 85(SI), 16?20. https://doi.org/10.2112/SI85-109.1

社会実装へ向け自治体・市民とワークショップ

治水・利水政策は科学技術だけでは推進できず、水災害被害を軽減するための土地利用計画や、貯水池の運用規則の改訂なども組み合わせる必要がある。例えば、2011年の大洪水の検証を行った際には、シミュレーションの結果、洪水被害の軽減に重点を置いたダムの運用規則を定めていれば、被害を大幅に抑えられた可能性が示された。しかし、水災害の被害軽減と水資源の安定供給は貯水池運用の面で相反する要素もあり、どちらに重点を置くのかは政府や市民と話し合うことにより、初めて戦略としてまとめることができる。

そこで2018年度には社会実装の取り組みとして、複数のセクターで地方向けワークショップを開催。タイ東北部コンケン県でタイ気象局と農村セクターチームとともに行ったワークショップでは、中央・地方行政、地域住民(農家)、大学関係者らを対象に、農業に関する気候変動の影響と適応計画、気象情報の活用に関して意見を交換した。また、森林セクターにおける適応機会とその効果の評価チームは、タイ北部メチャム川流域における気候変動に適応するための降雨観測と流域管理をテーマに、降雨観測結果を見ながら経済の変遷と気候変動による社会への影響について議論した。そのほかタイ北部ピサヌローク県、首都バンコクでもワークショップを実施し、多様なステークホルダー間の理解を深めあった。

2018年7月には、日本国内でも国連大学で国際シンポジウム「タイ気候変動対策の最前線〜大水害は再び起こるのか?〜」を行い、最新の知見の社会への還元と、タイに事業進出している日系企業への情報提供を行った。

  • 図3

    図3 タイ東北部コンケン県での気象情報の活用に関する地方ワークショップ

  • 図4

    図4 首都バンコクでの適応策を議論する地方ワークショップ

適応策を開発し、タイに技術移転を進める

現在は、国家適応計画のガイドライン策定に貢献するため、ONEPとの議論を重ねている。また、ONEPに対してシンポジウムや研修を開催し、主要セクターにおいて選択可能となる適応策オプションの提示とポートフォリオの利活用を通して、気候変動管理に関するONEPの業務の強化を推進していく。

技術移転については17の研究題目により完了しているものと、途上のものがある。今後もタイの現状に合った各種の評価手法の開発や、シミュレーションによる条件の違いによる被害額の変化の評価、効果的な適応策の開発・検討を進め、コミュニケーションを密に取りながらタイへの技術移転を図る。

図5

図5 カセサート大学、国立公園・野生動物・植物保全局、国家水資源局からの参加者を対象に、技術移転を目的に東京大学生態水文学研究所で行われた研修の様子。