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コラム

<10>誰が科学技術イノベーションという炭鉱のカナリアになるのか

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RISTEX フェロー  伊藤 裕子

科学・技術・イノベーションを社会にとって有益な方向にのみ進めるためには、どうしたら良いのか。

科学・技術・イノベーションは、人間の歴史において、社会と生活に便利さと豊かさを与えてくれた。その一方で、これらが人の健康や自然環境を損なったり、生活の場や生命を奪ったりしてきたことも歴史に刻まれている。また、似非あるいは疑似の科学・技術・イノベーションにより、本来あるべき社会の進歩や発展が遠回りを余儀なくされたということも人は歴史の中で経験してきた。しかしながら、科学・技術・イノベーションは、多くの人にとって、どこかの見知らぬ人が創ったものであり、それがどのようなプロセスを経て社会に導入されたのかを知らされず、またそれについて意見を求められることもなかった。

しかし、科学・技術・イノベーションを社会にとってより有益に利用するためには、社会の多くの人が科学・技術・イノベーションを正しく理解し、それを社会に導入する際の懸念点や問題点、生活への影響や効果・期待などについて、個人個人で何らかの意見を持ち、他の人の意見も参考にしながら自分で判断を下し、それに応じた行動(賛成や反対の意思表示)を社会に対して取ることが必要である。

というのは、実のところ、社会のほとんどすべての人が、科学・技術・イノベーションと何らかの関わりを持っているからである。新しい知識等を創出する研究者・技術者は当然として、科学・技術・イノベーション分野の教育者、科学・技術・イノベーションに関する政策を立案したり実行したりする行政関係者や政治家、科学・技術・イノベーションを基に商品やサービスをつくり販売する企業等の経営者や勤務者等が、関係者である。さらにこれらの商品やサービスを購入したり利用したりする消費者も、“使う側”という、“創る側”の研究者・技術者とは異なる視点を持つので、重要な関係者である。

したがって、これらすべての関係者が協力して、社会の重要な課題を解決できる可能性がある科学・技術・イノベーションはどういうものかを討論し、その成果を実際の研究開発の推進に反映することができれば、科学・技術・イノベーションを社会にとって有益に利用できるのではないだろうか。

近年、日本語では「公衆関与」と訳される、英国発の“Public Engagement (PE)”の活動が世界的に実施されるようになってきた。カナダのNGOのPublic Policy Forumでは、PEを「複雑な社会的課題の達成のために、政府・利害関係者・コミュニティ・一般人がどうやって一丸となって取り組めば良いのかを考える新しい方法」と定義している。米国のAAAS のCenter for Public Engagement with Science & Technologyでは、「公衆理解を実施し、さらに包括的な公衆の対話の機会へと発展する際に利用されるアプローチ」としている。2008年に設立された英国のNational Co-ordinating Centre for Public Engagement (NCCPE)は、大学の社会における役割に関するPEを実施しており、PEを「相互利益を生じる目標において、相互が関与し傾聴する、双方向性のプロセス」と定義している。

また、欧州の第7次フレームワークプログラム(FP7)の後継の研究開発イノベーションプログラムとして2014年から開始された、Horizon2020において、PEの手法を研究開発や政策において利用促進することを目的としたEngage2020プロジェクトが実施されている。デンマーク(Danish Board of Technology Foundation)、ドイツ(Karlsruhe Institute of Technology及びDIALOGIK)、英国(Involve Foundation)、オランダ(University of Groningen)、ブルガリア(Applied Research and Communications Fund)の5カ国6機関がプロジェクトに参画している。

このEngage2020プロジェクトにおいて、PEの手法をマッピングして整理した結果を報告した1)。プロジェクト参加国とその関係機関等から、PEに関する57の手法とそれらを含む事例を200以上集めたという。各手法は、適用のレベル(政策形成・プログラム開発・プロジェクト定義づけなど)、適用先のグループ(政策立案者・研究者・市民など)、公共関与のレベル(対話・コンサルティング・共同研究など)、対象の社会的課題(健康・食品安全・環境など)といった項目でマッピングされた。たとえば、“政策形成”を目的とした“対話”を用いた手法を探すと、Citizen compass, Citizen juries, Citizens’ assembly, Citizens hearing, Civic dialogue, Consensus conference, Crowd wise, Distributed dialogue, Future panel, Future search, Open space technology, Perspective workshop, Scenario workshop, World cafe, World wide views等の18手法が示された。これは、Action catalogueとして既にオンラインツール化2)されており、PEの実施を検討する際の有効な手引きとなり得る。

「炭鉱のカナリア」になぞらえると、欧州におけるPEの活動は、社会全体で関係者が少しずつカナリアの役割を分担する仕組みをつくっているようにみえる。果たして日本では、科学・技術・イノベーションという炭鉱で、誰がカナリアの役割を担うのだろうか。

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