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科学技術振興機構報第318号

平成18年8月1日

東京都千代田区四番町5−3
科学技術振興機構(JST)
電話(03)5214-8404(総務部広報室)
URL http://www.jst.go.jp

脳内にあった「腹時計」

 JST(理事長 沖村憲樹)の研究チームは、動物を1日のうち一定の時刻でのみ摂食が可能な環境(時間制限給餌)におくと、これまで特定されていなかった脳内の部位で時計遺伝子が新たに概日周期注1を刻み始め、生存に必須な食行動を食餌の得られる時刻に合わせるように制御すること(食餌同期性)を明らかにしました。
 全ての哺乳動物は、様々な行動パターンを24時間周期で制御する体内時計(サーカディアン・ペースメーカー)注2を持っています。例えばマウスなど夜行性の動物の場合、いつでも餌がある状態では、視神経に直結した脳内の分子時計(「光同期性クロック」)によって、夜は行動・摂食し、昼は眠るように支配されています。しかし、餌が昼間の一定の時間帯でのみ得られる環境に置かれると、マウスはこのクロックを無視して、行動パターンを昼夜逆転させ、餌のある昼間に行動し摂食するように順応することが知られています。ところが、この「食餌同期性」の概日行動パターンを支配しているはずの体内時計がいったいどこにあるのかは、これまで全く不明でした。
 今回研究チームは、通常飼育環境下のマウス(自由給餌)と昼間の一定の時間帯でのみ摂食できる環境に置かれたマウス(昼間制限給餌)からそれぞれ脳を取り出して、時計遺伝子注3の24時間発現パターンをあらゆる脳部位でくまなく比較しました。その結果、脳内の視床下部背内側核と呼ばれる場所において、昼間制限給餌下でのみ時計遺伝子(「分子腹時計」)が24時間周期でスイッチオン・オフし始めることを見出しました。
 近年、ヒトにおいては、睡眠時間や食事の時刻などのライフスタイルと、肥満やメタボリック・シンドローム注4の発症との間に密接な関係があることが注目されています。今回、分子腹時計が脳内のどこに局在するのかが突き止められたことにより、この腹時計がいかにして食餌によって制御され、またいかにして食欲・食行動を支配しているのかを解明してゆくための、最初の突破口が開かれました。将来、ここから肥満や生活習慣病を予防する新たな手段が発見されることが期待されます。
 本研究成果は、JST創造科学技術推進事業(ERATO)柳沢オーファン受容体プロジェクト(総括責任者:柳沢正史 テキサス大学教授)が、東京医科歯科大学難治疾患研究所(三枝理博助手)、ハワード・ヒューズ医科学研究所、およびテキサス大学との共同研究で得たもので、米国科学アカデミー紀要(PNAS)オンライン版に2006年7月31日(米国東部時間)付けで公開されます。

<本研究の背景>

 夜遅い時間に間食をする習慣は、良くないと思いながらもなかなかやめられないことがあります。これは、毎日の習慣により体内の時計遺伝子がオンになることによって、知らず知らずのうちに食べ物を探し求めているからかも知れません。
 ヒトをはじめ全ての哺乳動物は、様々の身体機能や行動パターンを24時間周期で制御する体内時計(サーカディアン・ペースメーカー)を持っています。中でも、からだ全体の概日周期を統合するマスター・クロックは、脳内の「視交叉上核」と呼ばれる場所にあります。この体内時計は眼球〜視神経と直結していて、太陽光の有無つまり昼夜の変化に従って、常に24時間周期にロックされているので「光同期性クロック」と呼ばれます。例えばマウスなど夜行性の動物の場合、いつでも餌がある状態では、視交叉上核の光同期性クロックによって、「夜は行動・摂食し、昼は眠る」というように行動パターンが規定されています。しかし、餌が昼間の一定の時間帯でのみ得られるような環境に置かれると(昼間制限給餌)、マウスは光同期性のマスター・クロックを無視して行動パターンを昼夜逆転させ、餌のある昼間に行動し摂食するように順応します。給餌時間の直前数時間には、餌を盛んに探し求める行動が見られます。興味深いことに、光同期性クロックの示す座標である視交叉上核を破壊した動物でも、食餌に同期した概日周期行動パターンは正常に保たれます。したがって、この「食餌同期性」の概日行動パターンを支配しているはずの体内時計(すなわち腹時計)は脳の視交叉上核以外の場所にあると考えられますが、いったいどこにあるのかは、これまで全く不明でした。

<本研究の成果>

 今回研究チームは、マウスを用いた実験で、食餌同期性クロックが脳内の「視床下部背内側核」と呼ばれる特定の場所に局在することを突き止めました。
 研究チームでは、通常飼育環境下のマウス(自由給餌)と昼間制限給餌に順応したマウスからそれぞれ脳を取り出して、時計遺伝子(period遺伝子)の24時間発現パターンを脳の全ての領域でくまなく比較しました(図1)。period遺伝子は、光同期性クロックのある視交叉上核で昼にオン、夜にオフになることが知られており、その24時間周期のスイッチオン・オフは、時計機構が存在することを示す指標として用いることが出来ます。視交叉上核におけるperiod遺伝子の発現パターンは、二つの給餌条件間で全く変化はありませんでした。一方、視床下部背内側核では、昼間制限給餌下でのみ時計遺伝子が24時間周期でスイッチオン・オフし始めることを見出しました。つまり、昼間制限給餌下では、視床下部背内側核にある「腹時計」が視交叉上核の「光時計」からの指令を乗っ取って、生存に必須な食行動を、食餌の得られる時刻に合わせるように制御することが分かりました。視床下部背内側核におけるperiod遺伝子オン・オフの時間パターンは、一度成立すると給餌するはずの時間に餌を与えなくても二日間維持されました。したがって、period遺伝子オン・オフは単純に毎日の食餌に応答しているのではなく、自律的な食餌同期性クロックとして機能し、給餌のタイミングを記憶していると考えられます。視床下部背内側核以外にこのような性質を示す脳部位は、観察されませんでした。
 以前から得られていた様々な知見と合わせると、脳の視床下部背内側核は、摂食や体脂肪量に関する情報と時間情報とを統合し、様々な身体機能や行動の概日パターンを調節していると考えられます(図2)。

<今後の展開>

 近年、ヒトに於いても睡眠時間や食事の時刻などのライフスタイルと、肥満やメタボリック・シンドロームの発症との間に密接な関係があることが注目されています。総摂取カロリー量の半分以上を夜に摂取する夜間摂食症候群なども知られています。欧米では正常体重群でも0.4%、肥満患者では約15%の罹患率が報告されており、日本でも認知度は低いですが多くの患者が存在すると思われます。また、海外旅行に伴う時差ぼけは、朝に日光を浴びる、夜メラトニンを服用する等と並んで、規則正しく食事をとる、すなわち腹時計を調節することがその解消方法として挙げられます。
 睡眠覚醒や食欲の一日の中での変動は、ヒトにおいてもマウスと同様、「光同期性クロック」と「食餌同期性クロック」とによって支配されています。今回、後者すなわち分子腹時計が、脳内のどこに在るのかが突き止められたことにより、今後、この腹時計がいかにして食餌によって制御され、またいかにして食欲・食行動を支配しているのかを解明してゆくための、最初の突破口が開かれたと思われます。腹時計を調節する、あるいは腹時計からの情報を伝える分子を明らかにしていく事で、将来、肥満や生活習慣病を予防する新たな手段が発見されることが期待されます。


<用語説明>
図1 食餌に同期したperiod 1遺伝子の24時間周期でのスイッチオン・オフ
図2 視床下部背内側核の食餌同期性クロックとしての統合メカニズム

<論文名>

 "The dorsomedial hypothalamic nucleus as a putative food-entrainable circadian pacemaker"
 (視床下部背内側核に局在する食餌同期性サーカディアン・ペースメーカー)
doi :10.1073/pnas.0604189103

<研究領域等>

 この研究テーマを実施した研究領域、研究期間は以下のとおりです。

創造科学技術推進事業(ERATO)
研究プロジェクト名:柳沢オーファン受容体プロジェクト
総括責任者:柳沢 正史
テキサス大学教授/ハワード・ヒューズ医科学研究所研究員
研究実施期間:平成13年10月〜平成19年3月

<お問い合せ先>

柳沢 正史(ヤナギサワ マサシ)  ERATO柳沢オーファン受容体プロジェクト総括責任者
 テキサス大学教授/ハワード・ヒューズ医科学研究所研究員
 5323 Harry Hines Blvd., Room L3.110, Dallas, TX 75390-8584, U.S.A.
 TEL: 1(USA)-214-648-5082 FAX: 1(USA)-214-648-5068

星 潤一(ホシ ジュンイチ)
 独立行政法人科学技術振興機構
 戦略的創造事業本部 特別プロジェクト推進室
 〒332-0012 埼玉県川口市本町4-1-8 川口センタービル
 TEL:048-226-5623 FAX:048-226-5703