事業成果

光格子時計の高精度化に必須の連続原子源を開発

交差する光ベルトコンベアで原子の運動方向を変えて輸送2025年度更新

写真:香取 秀俊
香取 秀俊(東京大学 大学院工学系研究科 教授)
未来社会創造事業
大規模プロジェクト型「クラウド光格子時計による時空間情報基盤の構築」研究開発代表者(2018-2027)

世界初のレーザー冷却と量子計測を同時に行う連続原子源

香取秀俊東京大学大学院工学系研究科教授を研究開発代表者とする研究チームは、レーザー冷却された原子を光ベルトコンベアで引き出し、さらに交差する光ベルトコンベアに原子を乗せ換えて出力する連続原子源を世界で初めて開発した。本技術は、香取教授が2001年に発明した光格子時計の精度をさらに向上させ、次世代通信システムの実現や衛星測位システム(GNSS)に代わる高精度測位システムなどの革新技術に貢献することが期待される。

レーザー冷却法は、量子センシング、量子コンピューティングなどにおける量子計測に欠かせない極低温原子を生成する手法である。しかし、冷却の過程で発生する光が原子の量子状態を乱すことから、レーザー冷却と量子計測を同時に行うことはできなかった。研究チームは、原子のベルトコンベアの働きをする移動光格子※1を使って、レーザー冷却された極低温のストロンチウム原子を引き出し、第二の光ベルトコンベアに原子を移して直交する方向に輸送する技術を開発した。これによりレーザー冷却部で発生した光のみを衝立で遮ることができ、第二の光ベルトコンベアの領域では高精度な量子計測を連続して行うことが可能になった(図1)。これは「無駄時間なし測定※2」と呼ばれる高精度な量子計測手法の導入を可能にするものであり、光格子時計※3の飛躍的な精度向上につながる技術となる。

図1

図1 実験の模式図 第一のベルトコンベアでレーザー冷却された原子を右方向に引き出し、第二のベルトコンベアで原子を上方向に輸送する(白抜き矢印は、原子の運動の方向)。第二のベルトコンベア中の原子はレーザー冷却で発生する光の影響を受けないため、高精度な量子計測を実現できる。

※1 移動光格子
周波数(波長)が等しい2本のレーザービームを対向させると、レーザー光は干渉して定在波(波形がその場に止まって振動しているようにみえる波)を作る。定在波では、光強度が極大になる「腹」と極小になる「節」が半波長ごとに形成される。レーザー光の周波数を原子の共鳴周波数より低くすると、定在波の腹の位置に原子を周期的に閉じ込める光格子ができる。その後、2本のレーザー光にわずかに周波数差をつけると、周波数差に比例する速度で定在波の腹の位置が移動する。これにより、光格子に閉じ込められた原子を移動させることができる。

※2 無駄時間なし測定
測定時間をΔtとすると、周波数の測定精度ΔνはΔν=1/Δtで向上する。長時間Δtにわたって、レーザー光の周波数を原子の共鳴周波数と比較することで、より高精度にレーザーの周波数を測定できる。

※3 光格子時計
「魔法波長」※4と呼ばれる特別な波長の光格子に捕獲した多数の原子を参照し、高精度な光周波数の基準を実現する原子時計の手法。

※4 魔法波長
特定の波長のレーザー光を使って原子を閉じ込めると、原子が吸収する光の振動数は閉じ込めによる影響を受けない。このような波長を魔法波長と呼ぶ。

光格子時計の高精度化・小型軽量化に必須の「連続原子源」

光格子時計は、2001年に香取教授によって発明され、2002年からJSTのさきがけ、CREST、ERATO、未来社会創造事業が支援してきた。その間、光格子時計の精度は、現行で最も精度の高いセシウム原子時計の約1000倍に相当する小数点以下18桁(2014年時点)にまで達している。その精度は300億年で1秒しか狂わない。

この光格子時計のさらなる高精度化のために必須の技術が「連続原子源」の開発である。レーザー冷却され光格子に閉じ込められた極低温原子は、原子の熱運動に由来するドップラー効果※5が抑制されて長いコヒーレンス時間※6をもつため、光格子時計などの量子計測の分野で重要な役割を果たす。ところが、レーザー冷却の過程で発生する光は、被測定原子の量子状態を乱すため、レーザー冷却と量子計測を同時に行うことが困難だった。

そのため、レーザー冷却と量子計測の操作を時間的に区切って2つの操作を交互に繰り返す測定が行われてきた。つまり、レーザー冷却している間は「無駄時間」となるため高精度化の足かせとなっていた。「無駄時間」を挟まずに連続して観測する「無駄時間なし測定」が可能となれば、量子計測の飛躍的な高精度化が期待されていた。

※5 ドップラー効果
運動する物体が波源に近づく(遠ざかる)ときには、振動の周波数を高く(低く)観測する。このような物体の運動に起因する振動数の変化がドップラー効果。原子は熱運動によりさまざまな速度をもつため、ドップラー効果によりスペクトルが広がり、分光精度が低下する。レーザー冷却によりドップラー効果を低減できるが、完全には除去できない。光格子時計では、原子を光格子に捕獲し、原子の運動を量子化(離散化)することで除去する。

※6 コヒーレンス時間
擾乱を受けずに量子状態が時間発展できる時間をコヒーレンス時間という。周囲の環境からの擾乱を受けるとコヒーレンス時間は短くなり、量子計測の精度が低下する。

「連続原子源」の開発で「無駄時間なし測定」を実現

本研究で取り組んだレーザー冷却された原子を、交差する2つの光ベルトコンベアで原子を乗せ換えて出力する連続原子源の開発は、「無駄時間なし測定」を可能にするための不可欠な技術要素となる。

その実験セットアップが図2である。最初のステップでは、棒磁石などで作られる異方性の大きな四重極磁場中で、磁気光学トラップによってストロンチウム原子を1ミリK(ケルビン)程度までレーザー冷却して捕獲する。この冷却サイクルを繰り返す間に、原子は約100秒の寿命をもつ準安定状態になる。この状態の原子は磁気モーメントをもつため、四重極磁場により捕捉される(図3)。

第2のステップでは、原子をレーザー光でさらに10マイクロK程度まで冷却し、光格子に捕獲する。この2段階冷却により熱原子を連続的に冷却し、光格子に捕獲することができる。

今回の研究では、移動光格子を原子のベルトコンベアとして使い、レーザー冷却された極低温原子を連続的に引き出し、交差する移動光格子に乗せ換えることで、原子の運動方向を変えることに成功した。レーザー冷却部から運ばれてきた極低温原子が直交する移動光格子に乗り換えて、運動の向きを変える様子を図4(左)に示す。この交差領域では、直交する移動光格子の干渉で形成される「斜め45度の方向に動く」移動光格子に捕獲されて原子が移動する様子が観測されている。

こうした移動光格子に捕獲された原子に対して、原子の進行方向からレーザーを導入し、原子分光を行う縦励起分光法と、これを利用した「無駄時間なし測定制御」による光格子時計の高精度化の手法が提案されている。本研究成果は、この縦励起分光法を実装して光格子時計の高精度化・小型・軽量化、安定動作を図るための重要な技術基盤となる。

図2

図2 実験のセットアップ 棒磁石などで作られた異方性の強い四重極磁場中で、原子はレーザー冷却、磁気光学トラップされる。この磁気光学トラップの過程で、原子は磁気モーメントをもつ準安定状態に緩和し、四重極磁場によって磁気トラップされる。この磁気トラップ中で、狭線幅の遷移を使って原子のレーザー冷却を行う。原子は重力とレーザー冷却光の輻射圧により約5ミリメートル程度下方に移動する。この原子を移動光格子で引き出し、さらに交差する移動光格子に載せて運動の方向を変えた。

図3

図3 ストロンチウムのエネルギー準位図 基底状態(1S0)からの遷移(波長461ナノメートル)を使って磁気光学トラップを行う。約10万回の光の吸収・放出を繰り返すと、原子は準安定状態に緩和し、磁気トラップされる。この原子をさらにレーザー冷却(波長2.9マイクロメートル)し、光格子に捕獲する。

図4

図4 移動光格子で輸送され、運動方向を変える極低温原子(左)と直交する移動光格子間の移行効率の速度依存性、電子状態依存性(右)右のグラフは、2本の移動光格子間での原子の移行効率の速度依存性を示す。移動速度が低いほど移行効率が向上する。特に、交差領域でレーザー冷却を行うことで、移行効率は100%近くまで向上した。

光格子時計は2025年度にも商用化へ

光格子時計は2025年度にも商用機が市場投入される計画だが、地球上の多地点に設置して長距離間で時間を共有する配信技術を確立して超高精度時間インフラを広く社会に提供することにより、次世代通信システムやGPSに替わる高精度測位システムなどにも活用されるようになるだろう。実際に、2022年に情報通信研究機構が光格子時計を用いた標準時の生成に成功している。また、国際度量衡委員会により2030年までに予定されている1秒の定義の変更においても、光格子時計は有力な候補にのぼっている。

こうした光格子時計の社会実装に向けて、今回の研究成果によるさらなる高精度化が期待されている。