事業成果
次世代情報通信インフラを担う超高速磁気デバイス実現に道
高周波でも安定なスピントルクダイオード効果を発見2025年度更新

- 中辻 知(東京大学 大学院理学系研究科 教授)
- 未来社会創造事業
- 大規模プロジェクト型「スピントロニクス光電インターフェースの基盤技術の創成」研究開発代表者(2020-2029)
カイラル反強磁性体を用いて新たな高周波スピントルクダイオード効果を発見
中辻知東京大学大学院理学系研究科教授を研究代表者とする研究グループは、次世代の情報通信を担う超高速磁気デバイスを実現する基盤技術に取り組んでおり、これまでにカイラル反強磁性体※1のトポロジカル物性※2を活かした超高速・低消費電力の磁気シフトレジスタなどの成果をあげている。
今回、研究グループはカイラル反強磁性体を採用することで、従来の強磁性体※3よりも高い周波数で安定動作が可能なスピントルクダイオード効果※4を発見した。カイラル反強磁性体のマンガン化合物※5を厚さ10ナノメートル(ナノ:10億分の1)以下まで薄くし、マイクロ波電流を印加すると直流電圧が出現した(図1)。交流電流が直流電圧を生む現象はダイオード効果と呼ばれ、半導体を使った整流ダイオードが普及している。これに対し、スピントルクダイオード効果では、電子スピンの首振り(歳差)運動が整流効果を生み出し、半導体ダイオードと同様の効果をもたらす。
これまで強磁性体を用いたスピントルクダイオードでは、周波数が高くなるのに反比例して信号(電圧)の強さが急激に減少するという問題があった。これに対し、カイラル反強磁性体を採用したスピントルクダイオードでは、交換相互作用※6という高いエネルギーが顕在化する反強磁性体の特性により、周波数が高くなっても強磁性体に対して10~100倍ほどの信号の強度を安定して維持できるダイオード効果を確認した。この新しいスピントルクダイオードの実現により、次世代のスピントロニクスと高速通信の発展につながると期待される。

図1 研究内容の模式図(左)と得られた整流電圧信号(右)
(左)マンガン合金とタングステンとの二層膜に直流電流とマイクロ波電流を印加すると、マイクロ波の印加に応じた横方向の直流電圧が現れる。
(右)実際のデータ。マイクロ波を印加すると、マイクロ波のパワーに比例した特徴的なピーク構造を持つ電圧信号が現れる。
※1 反強磁性体・カイラル反強磁性体
反強磁性体は、隣り合う原子ごとに電子スピンが逆方向にそろう物質。これによりスピンが打ち消し合い、ほとんど磁場を生成しない。反強磁性体にはマンガン酸化物やニッケル酸化物などがある。カイラル(らせん状)反強磁性体は、隣り合う原子のスピンが異なる方向を向いていながらも、いくつかのスピンが作用しあうことで全体としてスピンが打ち消されるため、ほとんど磁場を生成しない。
※2 トポロジカル物性
物体への連続変形に対する不変な性質を研究する数理分野をトポロジーという。トポロジカル物質とは、トポロジーにより電子状態が特徴づけられる物質のことであり、その性質をトポロジカル物性と呼ぶ。
※3 強磁性体
電子スピンが原子ごとに同じ方向にそろい、強い磁場を生成する物質。磁石や磁石にくっつく物質。強磁性体には鉄、コバルト、ニッケルなどがある。
※4 スピントルクダイオード効果
強磁性体/絶縁体/強磁性体からなる磁気トンネル接合にマイクロ波電流を印加すると、交流電圧が整流され直流の電圧が生じる。周波数可変性や感度において半導体ダイオードを大きく上回る可能性を秘めている。
※5 マンガン化合物
今回研究に使用したマンガン化合物(マンガン・スズ合金:Mn3Sn)は、マンガン原子がカゴメ格子状に並んでおり、各マンガン原子の磁気モーメントが120度ずつ回転しながら配置されている。このマンガン化合物は、磁石の性質を持たないにもかかわらず、強磁性体と同等程度に大きな外場応答を示すことが知られ、注目されている。
※6 交換相互作用
隣り合う原子のスピンを平行あるいは反平行に揃えようとするエネルギーのこと。
次世代超高速磁気デバイス実現の基礎技術として
近年、インターネットの普及による社会のIT化は著しく、爆発的に増加する情報を低消費電力で処理するための新たなデバイスが求められている。これまでの半導体を中心としたエレクトロニクスは、電子の電気的な性質を巧みに利用することで発展してきた。これに対し、近年では、電子スピンと呼ばれる磁石の性質を活用するスピントロニクスの研究が盛んに行われており、データの維持に電力を必要としない不揮発性メモリーとして強磁性体を用いたMRAM(磁気抵抗メモリー)の実用化が進んでいる。このMRAMのさらなる高速化・高密度化につながる次世代技術として大きく注目を集めているのが反強磁性体の活用である。
従来のスピントロニクスでは磁化の大きさに比例して電気や光などに大きな応答を示す強磁性体が活用されてきた。例えば、強磁性体で絶縁体を挟んだ磁気トンネル接合※7素子において、マイクロ波電流を印加すると直流電圧が発生する「スピントルクダイオード効果」が広く知られている。しかし、強磁性体を用いた場合、ダイオード信号の強さは周波数が高くなるとそれに反比例して大幅に減少するという問題があった。
※7 磁気トンネル接合
2つの磁性層の間に薄い絶縁層を挟んだ構造。磁性層のスピンの向きが同じか反対かによって、電子が絶縁層を通過しやすくなるかどうかが変わり、電気抵抗が大きく変化する。この特性を利用して、情報を記録する磁気メモリーや磁場を感知するセンサーに応用されている。
反強磁性体を用いたデバイスで高周波スピントルクダイオード効果が発現
研究チームは、高周波数でのダイオード信号の減衰を解決するため反強磁性体に着目した。反強磁性体では、交換相互作用という高いエネルギーが顕在化するため、強磁性体に比べ格段に大きな共鳴周波数を持ち、高い周波数帯においても安定したダイオード動作が期待されていた。一方で、反強磁性体は磁化がないため、強磁性体のような大きな応答が得られないのが課題だった。
本研究では、カイラル反強磁性体であるマンガン・スズ合金(Mn3Sn)を用いた。この物質は特殊な(トポロジカルな)電子構造から反強磁性体にもかかわらず強磁性体のような応答を示すため、低消費不揮発メモリ、光電融合や熱電変換センサーなど、近年さまざまな分野で注目を集めている。研究チームは、まずマンガン・スズ合金薄膜をタングステン薄膜の上に作製し、厚みを7ナノメートルという極限まで薄くした。この二層膜に電流を流すと、タングステン層において電流がスピンの流れであるスピン流に変換されてマンガン・スズ合金中に注入され、スピンの運動が誘起される。次に、作製した薄膜をデバイスに加工し、磁場をかけながら5ギガヘルツ(GHz)のマイクロ波電流と直流電流を同時に印加する実験を行った。すると、マイクロ波電流の印加に応じて、パワーに比例する特徴的なピーク構造を持つ直流電圧が現れることを発見した(図1右)。この結果は、反強磁性体を用いたデバイスでもスピントルクダイオード効果が発現したことを示している。さらに、印加するマイクロ波の周波数を30ギガヘルツまで変えながら実験を行い、ピークの大きさがその範囲でほとんど変化しないことを見いだした(図2)。この振る舞いは、強磁性体におけるダイオード信号が周波数に反比例し減少することと本質的に異なる現象である。
この振る舞いを理解するため、反強磁性体に特有の交換相互作用を考慮した詳細な数値シミュレーションを行った。シミュレーションは実験結果を美しく再現し、直流電流が駆動するスピンの運動が磁場によって抑制される際に、効率的にマイクロ波と相互作用して整流作用を生み出すことがわかった。これにより、実験で観測された周波数に対し安定な動作が、強い交換相互作用によるものであることが明らかになった。

図2 反強磁性体と強磁性体の整流効果の違い
Beyond 5G超高速磁気デバイスの実現に道
本研究成果は、高周波電流を直流電圧に変換する「スピントルクダイオード効果」を反強磁性体で初めて実証した。反強磁性体を用いることで、これまでにない広い周波数範囲での動作が可能となった。これにより、スピントルクダイオードはテラヘルツ(THz)波に至る高周波数領域での応用が見込まれ、次世代スピントロニクス、次世代通信技術であるBeyond 5G※8の発展に貢献することが期待される。また、本研究で使われたマンガン・スズ合金は、そのトポロジカルな電子構造から、低消費電力・高速動作する不揮発メモリ・光電変換素子への応用も見込まれており、AIやデータ利活用によって増大する電力消費の問題へも貢献が期待されている。
※8 Beyond 5G
5Gに続く、2030年代に導入される次世代の情報通信インフラ(6G)。
- ナノテクノロジー・材料の成果一覧へ
- 事業成果Topへ
- English