事業成果

グリーン水素の大規模導入に貢献

水電解のための新規イリジウム触媒を開発2025年度更新

写真:高鍋 和広
高鍋 和広(東京大学 大学院工学系研究科 教授)
革新的GX技術創出事業(GteX)
「グリーン水素製造用革新的水電解システムの開発」チームリーダー(2023-2027)
中村 龍平(理化学研究所 環境資源科学研究センター チームディレクター)
革新的GX技術創出事業(GteX)
「グリーン水素製造用革新的水電解システムの開発」グループリーダー(2023-2027)

グリーン水素製造技術であるPEM型水電解の新規触媒を開発

日本はエネルギーの大半を海外から輸入する化石燃料に頼っており、安全保障の面から、これに代わるエネルギー源の確保が課題となっている。そうした中、次世代エネルギーシステムとして、再生可能エネルギーを利用して製造されたグリーン水素を介したエネルギー供給プロセスが注目されている。水素は利用するときにCO2を排出しないことから、環境にやさしいエネルギーキャリアであり、再生可能エネルギー発電とうまく組み合わせるとエネルギー安全保障にも役立つ重要なエネルギープロセスの核となる可能性を秘めている。

高鍋和広東京大学大学院工学系研究科教授、中村龍平理化学研究所環境資源科学研究センターチームディレクターらの研究グループは、グリーン水素の製造技術として注目されているプロトン交換膜(PEM)水電解(PEM水電解)※1の課題解決に取り組んできた。

今回、本研究グループはPEM水電解の触媒として、マンガン(Mn)とイリジウムの特異な相互作用を活用することで、高酸化数(+6)を持つ新たなイリジウム触媒として、6価イリジウム酸化物が生成していることを突き止めた。この新規イリジウム触媒は、原子レベルでイリジウムを分散したことにより、高い活性と安定性を維持しつつ、イリジウムの使用量を従来の2~4mgIr/cm2に対して95%以上削減することができた。

本研究では新規イリジウム触媒の生成過程を大型放射光施設「SPring-8※2」で追跡しており、電極触媒の基礎的な理解と水素製造技術の実用化の双方につながる成果となっている。

※1 プロトン交換膜(PEM)水電解(PEM水電解)
工業的な水の電気分解を行う方法の1つ。液体状態の水を電気分解するのではなく、固体高分子と呼ばれる膜に水を染み込ませ、その水を分解することが特徴である。膜の両側に電極触媒を塗布することで電極同士を極限まで近づけることにより、電気抵抗が抑制されるだけでなく、反応物の供給も促進され、水素製造効率が上がる。

※2 大型放射光施設「SPring-8」
兵庫県播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す理化学研究所の実験施設。

腐食性の高いイリジウム触媒の使用量削減が課題

再エネを利用した水の電気分解(水電解:2H2O → 2H2 + O2)は、二酸化炭素を排出しない環境負荷の低い水素製造技術として注目されている。中でも、負荷変動追従性の高いPEM水電解は、太陽光発電など、発電量が変動する再生可能エネルギーによるグリーン水素製造に適した技術として注目されている。しかし、酸素が発生する陽極※3は高電位と強酸性環境にさらされるため、活性と安定性を兼ね備えた貴金属触媒※4として酸化イリジウム(IrO2)が使われている。

イリジウムの原子利用効率は低く、現在のPEM水電解では、1キロワット当たり、おおよそ1グラムのイリジウムが必要となる。一方、イリジウムは世界の年間生産量が7~8トン。2050年までにカーボンニュートラル※5を達成するためには、おおよそ2000ギガワット(1ギガワットは10億ワット)程度の電解槽設置規模が必要であり、これはPEM水電解のみで操業した時の150年分以上のイリジウム生産量に相当する。そのため、イリジウムの希少性の課題を解消するためには、イリジウム使用量の大幅な削減が急務であった。

※3 陽極
正の電圧がかかっている電極を陽極、負の電圧がかかっている電極を陰極と呼ぶ。水の電気分解では、陽極で酸素が、陰極で水素がそれぞれ発生する。

※4 貴金属触媒
白金やイリジウムなど、地球上にわずかにしか存在しない貴金属元素を含む触媒。貴金属触媒を使えば、水を効率よく電気分解することが可能であるが、埋蔵量や価格の問題から、水の電気分解を社会全体に普及させるには、より豊富な材料を用いることが必要である。

※5 カーボンニュートラル
現在の産業活動では二酸化炭素などの温室効果ガスが排出されている。これらの排出量を抑制し、植林などによる温室効果ガスの吸収量が釣り合った状態、すなわち人類活動から排出される温室効果ガスの正味量を実質的にゼロにした状態をカーボンニュートラルと呼ぶ。

これまでの知見を活かし新規触媒の合成

本研究グループはこれまで、PEM水電解の触媒材料として酸化マンガン(MnO2)を開発してきた。この過程で、酸化マンガンがイリジウムを特異的に吸着し、その結果得られる材料に優れた酸素発生触媒活性があることを発見した(図1A)。この知見を踏まえ、本研究では、新たな触媒材料の電子状態と構造解析に挑戦した。

まずMnO2電極を、電析法※6で作製し、得られた電極(MnO2/PTL)をK2IrCl6前駆体溶液に95度で6時間以上浸漬した(図1BのIr吸着過程)。その後、450度で焼成することで新たな触媒材料を合成した(図1Bの熱処理過程)。合成過程において、MnO2の表面にイリジウムが吸着されたと同時に、K2IrCl6と酸化マンガンの配位子交換反応が進行した。

具体的には、大型放射光施設「SPring-8」においてX線吸収分光法(XAS)※7を行い、イリジウムのX線吸収スペクトルを測定した結果、高エネルギー側にシフトしたL3吸収端(図1C)から、イリジウム原子が酸化されていることがわかった。また、隣接配位子への結合距離の短縮(図1D)から、イリジウムの配位子※8が塩化物イオンから酸化物イオンに交換されたことが明らかとなった。

以上の合成手法で得られた触媒の状態を評価したところ、合成した触媒が原子状に分散された+6価のイリジウム酸化物(atomically-dispersed oxide)であることがわかったため、新規触媒はIr-ado触媒と名付けられた。

※6 電析法
電圧を印加することで固体材料を析出させる手法。今回はマンガン(Mn)イオンを含む水溶液に電圧を印加することで、ガンマ型酸化マンガンを析出させた。

※7 X線吸収分光法(XAS)
物質の電子状態や局所構造を求める手法。測定対象となる物質は、気体、固体、液体、溶液などと幅広い。測定精度を高めるため、強力なX線が得られるシンクロトロン放射光施設を光源として行われる場合が多い。

※8 配位子
中心原子に結合しているイオンまたは分子などを総称して配位子と呼ぶ。

図1

図1 新規イリジウム触媒(Ir-ado触媒)の合成およびX線吸収分光法(XAS)解析 (A)酸化マンガン(MnO2)がイリジウムを吸着する様子。MnO2共存下では、K2IrCl6由来の赤褐色な溶液が無色透明に変化した(下)。
(B)Ir-ado触媒の合成過程は、電析法で作製した(MnO2/PTL)電極をK2IrCl6前駆体溶液に95度で6時間以上浸漬(しんせき)するIr吸着過程と、その後450度で焼成する熱処理過程から成る。
(C)Ir L3吸収端のX線吸収スペクトルの経時変化を示した2次元カラーマップ。L3吸収端が高エネルギー側にシフトしたため、Irの酸化数が高くなったことがわかる。
(D)Ir L3吸収端の動径構造関数の経時変化を示した2次元カラーマップ。結合距離の短縮から、Irの配位子が塩化物イオンから酸化物イオンに交換されたことがわかる。
(C)および(D)の左側に示されている青矢印は加熱もしくは冷却プロセスを表し、黒矢印は定温プロセスを表す。

2050年カーボンニュートラル実現に期待

本研究で開発された高酸化数(+6)を持つ新規イリジウム触媒は、イリジウム使用量を95%以上削減(2〜4mgIr/cm2から0.02〜0.08mgIr/cm2)できるとともに、活性と安定性の両側面において優れた性能を発揮する。これは、PEM型水電解を展開する上で課題だった貴金属使用量を軽減し、2050年までに温室効果ガスの排出量を全体として実質ゼロにすることを目標とする2050年カーボンニュートラルの実現に大きく貢献することが期待される。