事業成果

蚊の吸血の仕組みを解明

蚊が吸血を停止するシグナルを発見2025年度更新

写真:佐久間 知佐子
佐久間 知佐子(理化学研究所 生命機能科学研究センター 栄養応答研究チーム 上級研究員)
創発的研究支援事業
「感染症媒介蚊の吸血を制御する口吻味覚基盤の包括的理解」(2021-最長10年間)

蚊が「腹八分目」で吸血を停止するシグナルを発見

佐久間知佐子理化学研究所生命機能科学研究センター栄養応答研究チーム上級研究員らの研究グループは、哺乳類の血液中に存在するフィブリノペプチドA(FPA)※1が、ネッタイシマカ※2の吸血を停止させる作用を持つことを発見した(図1)。

蚊は、人の体温・匂いや吐く息などに引き寄せられて皮膚に止まり、針を刺すと血を味見してから吸うかどうか決める。その決め手となるのは、血液中のアデノシン三リン酸(ATP)だ。蚊はATPを感知すると、それがシグナルとなって血を吸い始める。

しかし、吸血を開始した蚊は、満腹になる前の腹八分目で吸血を止める。一説には満腹になると動きが鈍くなり危険だからとも言われているが、ATPが吸血を促しているはずなのに、どうして腹八分目で吸血を停止することができるのか、そのメカニズムは謎だった。

佐久間上級研究員らは、ヒトや動物の体内で食中・食後に種々のホルモンが分泌され食べる量を調節するのと同様に、蚊にもある程度満腹になったところで、ストップをかけるシグナルがあるはずだと考え、研究を進め、血液の凝固に関わる物質として知られるFPAが吸血停止シグナルになっていることを突き止めた。

蚊の吸血行動を停止させる仕組みが解明できれば、人為的に蚊の吸血を制御でき、蚊が媒介する危険な感染症を防ぐことにつながると期待されている。

※1 フィブリノペプチドA(FPA)、フィブリン、フィブリノーゲン
血液の凝固に関わる物質。前駆体タンパク質フィブリノーゲンからフィブリノペプチドA(FPA)が切り出されることにより不安定なフィブリンが作られる。さらにフィブリノペプチドBが切り出されてフィブリン同士が集まることで不溶化し血塊が作られる。FPAは全長が16アミノ酸から成る短いアミノ酸重合体(ペプチド)。

※2 ネッタイシマカ
吸血性のヤブカ属の一種。学名Aedes aegypti。熱帯・亜熱帯地域に広く分布し、デング熱やジカ熱などの原因ウイルスを媒介する。

図1

図1 蚊が吸血を停止する仕組み
吸血の進行とともに蚊の体内で吸血停止シグナルFPAが蓄積されて、それによって蚊は吸血を停止する。

蚊の吸血行動は感染症を媒介する

蚊に刺され血を吸われると、皮膚がかゆくなり、そのかゆみはしばらく続く。誰もがこうした煩わしい経験をしていると思うが、蚊の吸血被害はそれだけではない。蚊が人から人へ吸血を行うことで、日本脳炎やマラリア、デング熱などの感染症の病原体をうつす危険性がある。これらの感染症は主に熱帯、亜熱帯地域で流行しているが、日本でも海外との人や物の行き来にともなって流入する可能性がある。また温暖化による気温上昇に伴い、ヒトスジシマカの生息域が日本では北へと徐々に拡大している。こうした蚊による感染症の病原体伝播を防ぐために、蚊の吸血行動の仕組みを理解し、人為的に吸血を抑制する方法を探る研究が進められている。

ネッタイシマカの吸血停止に関わる物質の探索

佐久間上級研究員らの研究グループは、ヤブカの仲間であるネッタイシマカのメスを用いて、吸血停止に関わる物質の探索を進めた。メスを用いるのは吸血を行うのは蚊のメスだからである。

まず、血液中に吸血を停止する物質が含まれているのかを調べるため、マウスの血液と、蚊の吸血を促進するATP溶液を使って、それぞれの吸血行動を比較した。すると、マウスから直接血液を吸血した蚊に比べて、ATP溶液を吸血した蚊の方が、摂取量が多いことがわかった。つまり、血液に含まれる何らかの成分に、蚊の吸血を抑制する働きがあると予想された。さらに、吸血停止は満腹に至る前に起ることから、この物質は、吸血の後半で急速に増加あるいは活性化すると考えられた(図2)。

次に、佐久間上級研究員らは、吸血を抑制する物質を突き止めるために、血液を血清と赤血球に分けて、吸血行動を検証した。血清にはATPがほぼ含まれていないため、血清を単独で与えても蚊は摂取しない。そこでATP溶液に血清を加えて与えた。すると、ATP溶液を単独で与えたときに比べ、満腹になるまで吸血する蚊の割合が顕著に減少した。このことから、血清に吸血停止効果があることが明らかになった(図3)。そこで、血清をさらに高速液体クロマトグラフィー法で区画分け、質量分析計で分析して、吸血停止効果を持つ成分がフィブリノペプチドAであることを突き止めた。フィブリノペプチドAは、血液が凝固するときに作られる物質である。吸血中および吸血後の蚊の体内を調べたところ、吸血完了時にフィブリノペプチドAの量が高く、吸血とともに蚊の体内のフィブリノペプチドA量が増加していることが明らかとなった。

さらに蚊に人工合成したフィブリノペプチドAを加えたATP溶液と、血液凝固を阻害する薬剤(ヘパリン)で処理したマウスの血液を与えたところ、フィブリノペプチドAが存在すると蚊は満腹になる前に吸血を止めるのに対し、フィブリノペプチドAが存在しない血液では吸血が満腹まで促進された。

また、吸血後の蚊の体内を、時間を追って調べたところ、体内で血液が徐々に黒ずみドロリとし始め、最終的に黒い血の塊になることがわかった。

これらの結果から、フィブリノペプチドAが蚊の吸血を止めるシグナルであることが明らかとなった。蚊が吸血を開始すると、宿主の血管から蚊の体内に取り入れられた血液が凝固し始め、フィブリノペプチドAが作られ始める。吸血の進行に伴ってその量は上昇し、あるレベルに到達したことを感知して、蚊が腹八分目で吸血を止めると考えられる。

図2

図2 ATP溶液とマウス血液を吸血した際の摂取量の比較 ネッタイシマカは、マウスから直接吸血させたときに比べて、人工吸血法でATP溶液(緑色の液体)を摂取させたときに、より多くの液量を摂取した。グラフ中の点は、実験を行った個体を示す。摂取量の単位nl(ナノリットル)は10億分の1リットル。

図3

図3 ATP溶液に血清を添加したときの満腹蚊の割合 左)ネッタイシマカの吸血行動におけるATP溶液摂取量の解析。緑色に着色したATP溶液を摂取させることで、満腹(ATP溶液で腹部が膨満)、少量摂取(腹部が着色し部分的に膨張)、未摂取(腹部の着色・膨張なし)の3段階に摂取状態を分類した。
右)ATP溶液の摂取に対する血清の効果。ATP溶液単独の摂取では大半のネッタイシマカは満腹になるが、血清を添加した際は、満腹になる個体の割合が減少する。

蚊が媒介する感染症制御の応用へ期待

本研究から、血液中に蚊の吸血停止シグナルが存在することが明らかとなった。この成果により、血液中に吸血促進シグナルが存在するにも関わらず、蚊が腹八分目で吸血を停止するメカニズムの一端が解明された。

本研究で発見されたフィブリノペプチドAが、蚊の体内でどのように働き、吸血を停止させるのか、さらに詳しいメカニズムが解明されれば、人為的に吸血停止を誘導する手法の開発や、蚊が媒介する感染症制御への応用が期待される。古くから人々は蚊に刺されないように、蚊帳や殺虫剤などさまざまな工夫をしてきたが、その戦いに新たな戦略が加わった。