事業成果

バイオフィルムのメカニズムの解明

油分解性の海洋細菌が形成するバイオフィルムは油を効率的に分解2025年度更新

写真:野村 暢彦
野村 暢彦(筑波大学 生命環境系 教授)
ERATO
「野村集団微生物制御」研究代表者(2015-2021)

細菌が油を分解するメカニズムの解明

生き物をとりまく環境において、多くの細菌はバイオフィルム※1と呼ばれる集団を形成して生存している。海洋に広く存在するある種の細菌は、海洋に流出した石油などを分解して、これを栄養源としている。その際、油の周りにバイオフィルムを形成することがわかっている(図1)。しかし、バイオフィルムがどのように形成され、それが油を分解することにどのように関わっているのか、その関連性はわかっていなかった。

本研究では、マイクロ流体デバイス※2を利用して、細菌と微小な油滴との相互作用を時空間的に高解像度で可視化することにより、海洋に存在する油分解性の細菌が、油水界面上に強く付着しながら集団で密集して生育することで、油界面の屈曲を生じさせることを発見。これにより油水界面の面積を拡大させ、より多くの細胞が直接油に接触できるようになり、効率的に油を分解しているという、油を分解するメカニズムを明らかにした。本研究成果は、細菌を用いた環境浄化技術の向上に貢献することが期待される。

※1 バイオフィルム
微生物が形成する集合体のこと。微生物の細胞と微生物が自ら産生するマトリクス(多糖やタンパク質、核酸など)から成る。

※2 マイクロ流体デバイス
微細加工技術を利用して樹脂やガラスなどの基盤に微小流路を形成した装置。

図1

図1 海水中の油滴表面上に存在する細菌の模式図

実環境でバイオフィルムが形成されるメカニズムの解明が課題

多くの細菌は、バイオフィルムと呼ばれる集団を形成して生存している。バイオフィルムは植物、動物、そして人間の健康や生活と関わっており、致命的な感染症や、工業用パイプの詰まりや腐食による経済的損害の原因となる。一方で、廃水処理における浄化にも重要な役割を果たしており、バイオレメディエーション※3の担い手としても知られている。

海洋に存在する細菌の中に、石油を栄養源としている細菌がおり、海洋に流出した油なども分解することが知られている。この細菌が油を分解する際、油滴の周囲にバイオフィルムを形成することがわかっているが、どのようにバイオフィルムを形成するのか、どのように石油を分解するのかは不明だった。

※3 バイオレメディエーション
微生物や植物などの生物を用いて、有害物質で汚染された土壌、地下水や海洋を浄化する技術のこと。

マイクロ流体デバイスでバイオフィルムの仕組みを解き明かす

これまで油を分解する海洋の細菌がバイオフィルムを形成し、石油を分解するメカニズムの研究は、試験管内で行われてきたが、メカニズムの解明には至らなかった(図2左)。本研究では、人間の髪の毛の直径の2分の1ほどの大きさの油滴をトラップし、油滴上の油分解性細菌の挙動を1週間以上観察し続けることができるマイクロ流体デバイスを用いて、油分解性の海洋細菌であるAlcanivorax borkumensis(A. borkumensis)の観察を行った(図2右)。

観察の結果、A. borkumensisは、油滴上に異なる2つのタイプのバイオフィルムを形成することがわかった。本研究グループは、この2つのタイプを球状バイオフィルム(spherical biofilm: SB)と樹状バイオフィルム(dendritic biofilm: DB)と名付けた。

油と水は混ざらないため、通常、油滴は海水中では球状の構造を保つ。SBは油滴を丸く包み込むだけだが、DBには油界面の面積を広げる性質があり、SBよりもはるかに速く油滴を分解することがわかった。A. borkumensisが油を分解する際、油液界面にDBを形成することにより、界面の構造が崩れ、油滴は樹状様構造を示す。これによって油界面の面積が指数関数的に拡大し、より多くの細胞が油に直接、接触できるようになる。

本研究では、DB細胞が油滴をどのように変形させるかを明らかにするため、細胞表面の特性を調べた。その結果、DB細胞の表面は、SB細胞よりも疎水性が増しており、油に強く付着することがわかった。また、A. borkumensisはバイオサーファクタント※4と呼ばれる分子を分泌して表面張力を低下させ、油との界面を変形する。こうして油界面の面積を広げるのだ。

さらに本研究は、理論物理モデルを用いて、バイオフィルムの形成のダイナミクスとその形状を予測した。その結果、細菌の細胞は油滴表面を隙間なく覆っており、その配置は特徴的なパターンを示していること、この配置パターンが液晶(個体と液体の中間状態)の物理学により説明できることを見いだした。

油滴の形状変化は、油滴上の細胞が野菊の花びらのように配置されている領域の中心から始まることがわかった(図3)。そして細胞の成長と密集によってバイオフィルム内の圧力が上昇すると、野菊の花びら状の中心が隆起し、樹状突起様構造の形成が始まる。これは、ひとつひとつの細胞がバイオフィルムを形成し互いに協力することによって、細胞の成長に伴う圧力を特定の場所に集中させることで油界面の隆起が起こるためだ。その結果、細胞に覆われた油のチューブが形成されるのだ。細胞の並び方は、液晶のネマチック相(分子の長軸は一方向に配向するが、分子の重心はランダムの状態)と類似していた。

※4 バイオサーファクタント
微生物が生産する界面活性剤。本来混じり合わない油と水の界面に作用して混ぜ合わせる働きがある。

※5 共焦点レーザー顕微鏡
レーザー光を観察対象上に走査させながら像をつくる顕微鏡で、高解像度かつ三次元的なイメージを得ることができる。

図2

図2 マイクロ流体デバイスを用いた油滴上細菌の観察技術

図3

図3 共焦点レーザー顕微鏡※5による油滴上における球状バイオフィルム(SB)と樹状バイオフィルム(DB)の画像 SBでは油滴は球状を保っているが、DBでは油滴が樹状突起のような形状に変化し、油がチューブ状に伸びている。右図は油滴の隆起が起きる直前の油滴上の細菌細胞の配置を示す。挿入図は野菊の写真。野菊の中心部に当たる部分から油滴の隆起がはじまる。

実環境中の微生物を制御して効率よく利用する次世代の基盤技術へ

近年、アクティブマターと呼ばれる、自ら動く能力を持つ物質における複雑な挙動が注目されている。細菌はそのような「物質」の1つであり、私たち人間にはないような特別な能力を持っていることが古くから知られている。本研究の結果から、細菌は物理学に基づき、餌である油を効率よく利用することが実証された。このようなメカニズムは、他の類似した生物の研究に応用可能であるとともに、油のバイオレメディエーションの効率化に貢献すると期待される。