事業成果
新たな磁気情報デバイスの開発に道
磁石に隠されていた振動の情報を取り出すことに成功2025年度更新

- 齊藤 英治(東京大学 大学院工学系研究科 教授/東北大学 材料科学高等研究所 客員教授)
- CREST
- 「情報担体」領域・「非古典スピン集積システム」研究代表者(2020-2025)
磁気振動の情報を取り出す新測定法を開発
齊藤英治東京大学大学院工学系研究科教授を研究代表者とする研究グループは、これまで磁石の中で約100ナノ秒(ナノ:10億分の1)程度の短い時間しか存在できないと考えられていた磁気振動の情報(コヒーレンス)について、新たな測定法(ポンプ-プローブ測定)を開発することで、約5000ナノ秒もの長い時間隠れて存在できる機構を発見した。さらに、その情報を取り出すことが可能であることも明らかにした。
磁石の中のコヒーレンスは、コンピュータが情報を処理する際の最小単位ビット(「0」と「1」の情報)の代わりとして利用できる可能性があるものの、その状態を長く保つことが難しいために応用が困難と考えられてきた。今回、磁石に隠された情報を取り出すことが可能であることを実証できたことで、新たな磁気情報デバイス開発の道が開けたといえる。
室温で動作する磁気情報デバイス実現に向けて
磁気の振動からはさまざまな情報を得ることができる。例えば、磁気振動の速さからは、物質の種類や空間分布の情報が得られるため、元素分析装置や医療診断装置などに役立っている。
また、磁石(強磁性体)に外部から磁場を与えると、磁気振動状態を生成することができる。磁石を構成する原子レベルのミクロな磁石(スピン)がそろって動く磁気振動は、スピンの向きによって「0」と「1」に対応させることができる。この性質を活用すれば常温で動作する演算素子を作ることが可能だ。しかし、実用化の大きな壁として、コヒーレンスは約100ナノ秒程度のきわめて短い時間で失われてしまうという課題があった(図1)。仮に、ある程度の長い時間を経てからでもコヒーレンスの情報を取り出すことが可能となれば、磁気情報デバイスへの応用が期待できるようになる。
本研究では、コヒーレンスを測る新たな実験手法を開発し、コヒーレンスが存在できる機構の実証に挑むことにした。

図1 通常の磁化歳差運動
パラメトリック励起を用いて測定、理論モデルで検証
磁石の中には多数のスピンが磁場の方向に揃った状態(磁化)で存在している。これに外部からマイクロ波の振動磁場を与えると、スピンは力を受けて一斉に磁場の周りを振動する(歳差運動・図1)。この振動のコヒーレンスは外部からマイクロ波を与え続ける限り維持されるが、マイクロ波を止めると散逸によって減衰するため、きわめて短時間にコヒーレンスが失われていく。
そこで本研究では、外部からの力を絶った後のコヒーレンスの情報を取り出す測定法(ポンプ-プローブ測定)を新たに開発した(図2)。この測定方法は、ブランコの立ちこぎと同じ原理の「パラメトリック励起」を用いる。ブランコの立ちこぎでは、身体を上下に動かすとブランコを大きく揺らすことができる。それと同じように、共鳴周波数(パラメーター)を周期的に変化させ、その半分の周波数の振動を引き起こすのがパラメトリック励起である。ここで重要なポイントは、励起を開始した瞬間にブランコが前に振れるか(0位相)後ろに振れるか(π位相)という点。例えば、0位相が実現する確率のほうが大きかった場合は、ブランコが0位相のコヒーレンスを持っていたことがわかる。
この測定法を何度も繰り返し、磁石のコヒーレンスがどれだけ長く存在できるかを調べた。まず、比較のために共鳴周波数と同じ周波数の力を加えて測定すると、予想通り、約100ナノ秒後にはコヒーレンスが失われ、0位相を読み出す確率も50%になった。つまり、コイントスで表が出る確率と同じランダムな結果だった。次に、パラメトリック励起を行って測定すると、約5000ナノ秒という長い時間まで繰り返し振動することが明らかになった。もちろん、磁化の歳差運動自体は約100ナノ秒で失われるので、この結果はコヒーレンスが約5000ナノ秒にわたり“隠れて”存在していたことを示している。
この確率振動を説明するため、研究グループは理論モデルを構築し、その検証実験を行った(図3)。理論モデルでは、コヒーレンスの情報を半分の周波数の運動に埋め込み、その情報を再び元の周波数として取り出す機構を考案した。その検証実験では、磁化歳差運動の振幅・位相・ゆらぎを取得する状態トモグラフィ※1を利用して振幅の時間変化を測定し、理論モデルと同じ特徴的な2つの傾きが現れることを観測するのに成功した。
この結果から、従来考えられていたコヒーレンスの存在時間の50倍もの長い時間にわたり磁気振動の情報を保持できる機構が存在することが明らかになり、その隠された情報を取り出せることも実証できた。
※1 状態トモグラフィ
対象とする物理系の射影測定により物理状態を特徴づける確率分布関数(ウィグナー関数)を同定する実験方法。ウィグナー関数は位置と運動量のように正準共役な関係※2にある力学変数の関数であり、分布の平均値は振幅と位相を、広がりはゆらぎを表す。
※2 正準共役な関係
2つの量が互いに相関し合い、明確に区別できない関係。量子力学において正準共役な関係にある2つの物理量の値は同時に測定できず(不確定性原理)、一定の誤差でゆらいで観測される。

図2 測定方法の概念図と結果 (a)ポンプ–プローブ測定の模式図、(b)ポンプが線形励起の場合の結果、(c)パラメトリック励起のポンプパルスを印加した結果、(d)0位相状態の模式図、(e)π位相状態の模式図。

図3 理論モデルの概念図と実験結果 (a–d)スピン波を量子化したマグノンの周波数–運動量の関係(分散関係)、(e)理論モデルに基づく数値計算で得たマグノン振幅の時間変化、(f)状態トモグラフィ測定によって得たマグノンのウィグナー関数の軌跡、(g)状態トモグラフィ測定で得たマグノン振幅の時間変化。
新規磁気情報デバイスの開発だけでなく、材料・物性物理学などにも貢献
今回、磁石に隠されていた磁気振動を発見し、その情報を取り出せたことで、新たな磁気情報デバイス開発への可能性を開いたといえる。今回発見した情報保持機構は、スピントロニクスや磁性の分野だけでなく、材料物理学・物性物理学の広範囲に影響を与えるものと考えられる。また、磁性体をナノメートルサイズに集積化し演算素子やメモリーに利用する際も、この原理により隠れたコヒーレンスを利用できるようになる。
今後、この成果をもとに、磁石の物理がさまざまな量子物性物理学の領域と融合するように展開していくことが期待できる。
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