事業成果
生体組織を再生する革新的な足場材料に
含水率99%かつ疎水性の「ゲル・ゲル相分離材料」を発明2025年度更新

- 酒井 崇匡(東京大学 大学院工学系研究科 教授)
- CREST
- 「ナノ力学」領域・「ゲルのロバスト強靭化機構の解明と人工腱・靱帯の開発」研究代表者(2019-2024)
「ゲル・ゲル相分離」を世界で初めて発見
酒井崇匡東京大学大学院工学系研究科教授らの研究グループは、水溶性高分子※1のポリエチレングリコール(PEG)※2が大量の水を保持した状態のPEGハイドロゲル(以下、ゲル)において、濃厚なゲルと希薄なゲルの2相に分離する「ゲル・ゲル相分離」を世界で初めて発見した。今回発見したゲル・ゲル相分離では、希薄ゲルの中に100マイクロメートル(マイクロ:百万分の1)程度の濃厚ゲルによる繊維状網目が張り巡らされた構造が形成された。しかも、含水率99%にも関わらず、水を弾く疎水性を示した(図1)。
PEGゲルは、ソフトコンタクトレンズや止血剤、薬を体内に運ぶドラッグデリバリー、身体の組織を再生する組織工学、医療診断などの用途に広く利用されている。その物性も長年にわたって研究されてきたが、疎水性スポンジ構造の観察例はこれまでになかった。
研究グループは、新たに発見・開発したゲル・ゲル相分離PEG材料をモデル動物の皮下に埋め込んだところ、周囲から網目の中に細胞が入り込んで血管を含む脂肪組織が形成されたことを確認した。このような生体組織との親和性は、従来のPEGゲルでは全く見られないものであり、ゲル・ゲル相分離PEG材料は皮膚や血管などの組織再生を促す足場材料として医療分野への幅広い応用が期待される。
※1 水溶性高分子
水に溶ける性質を持つ大きな分子の化合物。植物性の寒天、動物性のコラーゲン、ゼリー、ポリエチレングリコール(PEG)が水溶性高分子の一例。
※2 ポリエチレングリコール(PEG)
新型コロナワクチンなどの医薬品や工業製品に使われる水溶性の合成高分子化合物。

図1 ゲルを作製する際に含まれる水の量を増やせば増やすほど、相分離が進行してゲルは白濁し、疎水性微粒子をより吸着するようになる。
組織再生足場となるPEGゲルの開発
病気や怪我、老化などにより機能を失った組織や器官の再生、修復を行う組織工学の研究が進んでいる。組織を再生するには、細胞が定着し増殖する基盤となる足場が必要となる。これまで足場材料としてコラーゲンやゼラチンなどの生体由来材料が開発されてきた。これらは免疫原性の低さや毒性の少なさなど総合的な生体親和性を持ち、細胞の付着・増殖にも適しているが、異物反応※3や感染症リスクも否めない。特に動物由来材料の場合、ウイルス感染の懸念があり、使用が制限されるケースもある。このため、人工合成による足場材料の研究開発も並行して進められてきた。ただし、合成材料は一般に細胞が定着しにくいという課題がある一方、材料の種類によって性質は多様である。適切な化学修飾※4を行うことで細胞接着性を高めることも可能だが、材料が複雑化すると予測不能な生体反応が起こる可能性が高まり、実用化が難しくなるという指摘もある。
そうした中、PEGは人工合成物質ながら免疫原性や毒性の低さといった点で生体親和性が高く、医療分野で広く利用されてきた。しかし、PEGゲルは10ナノメートル程度の細胞よりもはるかに微細な網目構造をもち、さらに細胞接着性をほとんど持たないために、従来は組織再生足場として不向きと考えられてきた。
研究グループが今回開発したPEGゲル・ゲル相分離材料は、こうしたPEGゲルの課題を解決し、組織再生足場材料に道を開くものとなる。
※3 異物反応
体が自分自身とは異なる物質を異物と認識し、反応を起こすこと。例えば、埋め込まれた医療デバイスや移植された臓器に対する反応などのこと。
※4 化学修飾
化合物の構造を特定の目的のために変更するプロセス。物質の溶解性や反応性を改善するためなどに行われる。
ゲル・ゲル相分離材料で動物の組織再生に成功
研究グループが、PEGゲルのゲル・ゲル相分離を発見したのは2016年頃のこと。人工硝子体(しょうしたい)用の材料を作るために、極端に含水率の高いPEGゲルを作製する研究を行っていた学生が、ゲルが白濁していることに気付いたのがきっかけだった。本来、水によく溶けるはずのPEGが低濃度で不溶化する現象は不可解だった。PEGと水の2成分系は、これまでに50万報もの学術論文で調査されてきた「やり尽くされた物質」であり、ゲル・ゲル相分離のような現象の観察例は皆無だったからだ。
研究グループは、この現象を解明するため顕微鏡の専門家である理化学研究所生命機能科学研究センター細胞極性統御研究チームの岡田康志チームリーダーに協力を仰いだ。結果は、まさに百聞は一見にしかずで、顕微鏡写真は見事にゲル・ゲル相分離を捉えていた。
今回発見したゲル・ゲル相分離により、PEGゲルの疎水化とともに100マイクロメートル程度のマトリックス構造(網目構造)が形成されたことで、細胞がゲル内に入り込んで組織再生の足場材料となる可能性が一気に広がった。しかも、ゲル・ゲル相分離は水分量が多いほど顕著になり、より疎水性が高まる。つまり「ゲルの含水量が多ければ多いほど、水となじみにくくなる」というこれまでの常識を覆すものだった(図2)。
この成果は、化学構造から予測されるPEGの特性を、3次元の網目構造の形成により変えることができることを示すものでもある。一般に、高分子の性質は化学構造によって定まり、分子量や分子の形によらないとされてきたが、今回の発見は高分子化学に新たなパラダイムシフトをもたらす可能性もある。
その後、研究グループは、99%の水と1%のPEGからなるゲル・ゲル相分離材料をつくり、モデル動物の皮下に埋め込む実験を行った。その結果、網目構造の中に周囲から細胞が入り込んでゲル・ゲル相分離材料は分解され、分解された場所に血管を含む脂肪組織が形成されたことを確認した(図3)。

図2 PEGは親水性であることが知られている。例えば、PEGのモノマー(基本単位)であるエタノールCH2CH2OH、1本の鎖状のPEG(CH2CH2O)N、分岐構造を持つPEGの全てが重合度Nによらず親水性である。さらには、PEGの3次元的な網目構造が水を保持したPEGゲルも同様に親水性であることが知られていた。本研究では、ゲル・ゲル相分離によって世界で初めて水になじみにくいPEGゲルの合成に成功した。

図3 通常のPEGゲルとゲル・ゲル相分離材料をマウスの皮下に2週間埋め込んだ。その結果、PEGゲルでは、ゲル自体にも生体組織にも際立った変化は見られなかった。一方、ゲル・ゲル相分離材料は生体内で分解され、分解された場所には血管と脂肪組織が形成された。
組織工学にとどまらず新規高分子材料開発に貢献
本研究の成果は、組織工学の新たな可能性を切り開くものといえる。開発したゲル・ゲル相分離材料は、生体由来の材料の持つ感染リスクを排除すると同時に、合成材料が抱える生体親和性の低さという問題を解決する可能性を秘めている。つまり、安全性と効果性を両立した新たな組織再生材料として、広範な医療分野での応用が期待される。特に、今回の研究を通じて、ゲル・ゲル相分離材料は皮下組織の再生を促進することが示された。これは、慢性創傷や糖尿病性足潰瘍などの治療に役立つ可能性がある。これらの疾患は患者の生活の質(QOL)を著しく低下させ、治療費の増大をもたらすなど大きな社会問題となっており、新たなゲル材料の適用により、これら疾患の治療方法が大きく進歩することが期待できる。
しかも、ゲル・ゲル相分離PEG材料は既存の製造プロセスや規制への対応が比較的容易であり、実用化への道のりも近い。さらに、ゲル・ゲル相分離は、PEG以外の高分子材料にも応用できる可能性があり、今後、画期的な新機能を有する高分子材料開発への貢献も期待できる。
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