事業成果

てんかん診断の精度向上につながる測定に成功

装置の小型化・大量生産を可能にし「どこでも使える脳磁計」実用化の道を開く2024年度更新

写真:安藤 康夫
開発実施企業:コニカミノルタ株式会社
研究リーダー:安藤 康夫(東北大学 教授)
戦略的イノベーション創出推進プログラム(S-イノベ)
「トンネル磁気抵抗素子を用いた心磁図および脳磁図と核磁気共鳴像の同時室温測定装置の開発」(2011-2020)

超微弱な脳磁図の測定に世界で初めて成功

脳の神経細胞の中を流れる微弱な電流によってできる磁場(脳磁図)を計測する脳磁計は、てんかん※1の診断などに重要な役割を果たす。東北大学大学院医学系研究科てんかん学分野の中里信和教授と、同大学大学院工学研究科応用物理学専攻の安藤康夫教授らのグループは、トンネル磁気抵抗(TMR)効果※2を利用した密着型センサを用いて、超微弱な脳磁図の測定に世界で初めて成功した。

それによって、従来の超伝導センサを用いる装置よりはるかに小型で、室温で稼働できる測定精度の高い測定装置が可能になった。製造コストが安価で大量生産も可能になるので、将来的に、持ち運びができてどんな環境でも利用しやすい「どこでも使える脳磁計」の開発への道を開くことが期待されている。

※1 てんかん
さまざまな原因で、大脳の神経細胞が過剰に興奮し、四肢や顔面などのけいれんや、感覚症状、自律神経症状を生じる状態を「てんかん発作」と呼ぶ。

※2 トンネル磁気抵抗(TMR)効果
薄い絶縁体を挟む二層の強磁性体において、それぞれの磁化の向きが室温で電気抵抗を変化させる現象。東北大学大学院工学研究科の宮崎照宣名誉教授によって1995年に発見された。

装置の問題が普及の遅れにつながっていた脳磁計

てんかん患者の約7割は薬を服用し続けることで発作を抑えることができるが、薬の効かない難治性てんかんでは、原因となる脳の部位を切除する外科治療が有効である。脳磁計は、「磁気で計測する脳波」ともいえる脳磁図を計測する装置で、電気で測定する脳波と比べて測定精度が高く、脳の活動部位をミリメートル単位で測定できるという優れた性質を持つ。そのため、てんかんの外科治療で、どの部位を切除するかを決定するときに、脳磁図検査は極めて有効となる。そのほかにも、さまざまな脳の機能診断に活用されてきた。

しかし、従来の脳磁計で使われている超伝導センサは、センサの性能を十分に発揮するためには超低温の液体ヘリウムによる冷却が必要で、装置の大型化が避けられなかった。また、厚みのあるヘリウム容器に合わせて形状が固定されたヘルメット型装置へ頭部を挿入しなければならず、磁場センサを十分に頭皮に近づけることができなかったため、精度が十分には発揮されていなかった(図1)。この超伝導センサは環境磁気の雑音に弱く、外部の磁気を遮断する特殊な磁気シールド室の中でしか測定ができない。そのうえ、液体ヘリウムは高価で、そのコストだけでも年間数千万円がかかる。そうしたさまざまな装置の問題は、脳磁計の普及が遅れる要因にもなっていた。

東北大学で1987年から脳磁図の研究に取り組んできた先駆者である中里教授は、それらの装置の問題を解消する道を模索していた。その中で、安藤教授らのグループがスピンセンシングファクトリーおよびコニカミノルタと共同で開発してきたTMR素子の研究と出合い、画期的な脳磁計の開発という今回の研究成果につながった。

図1

図1 脳磁計の新旧比較

従来の超伝導センサを用いた磁場測定(上)は、ヘリウムで冷却するための2センチメートル厚の魔法瓶構造が必要で、患者の頭部に密着できないため高精度な計測を妨げていた。本研究で用いたTMR素子を用いた磁場計測(下)では、室温で動作し頭皮に密着して記録が可能。

TMR脳磁計の実用化への道を開く研究結果

本研究には、東北大学が得意とするスピントロニクス技術が用いられている。これは電気工学(エレクトロニクス)と磁気工学(マグネティクス)が合体した新しい工学研究領域だ。TMR素子はスピントロニクスの技術によって作られている。電子は微小磁石としての性質も持っていて、これを「スピン」と呼ぶ。スピントロニクスとは、このスピンを利用する技術だ。

今回、脳磁計の密着型センサを実現したトンネル磁気抵抗(TMR)効果とは、薄い絶縁体を挟む二層の強磁性体において、それぞれの磁化の向きが室温で電気抵抗を変化させる現象のことだ(図2)。磁性体の一方の磁化が外部磁場で変化する場合、微弱な電気抵抗として計測できることになり、消費電力が極めて低い高精度な磁気センサが実現した。これを利用したのが、TMR素子磁気センサである。

研究グループでは、TMR素子を健常者の左手首の正中神経※3を電気刺激した際に、右大脳の体性感覚野から発生する超微弱な脳磁図を計測することに世界で初めて成功した(図3)。皮膚や粘膜の感覚が大脳に到達して「脳が感じる」時に出現する脳磁図(体性感覚誘発磁界)の計測は、従来の脳磁計で臨床応用がもっとも進んでいる検査方法である。今回の研究で、極めて微弱な信号を記録できたことは、TMR脳磁計の実用化に向けた道を開く、画期的な結果と言える。

※3 正中神経
手の働きにかかわる重要な神経で、手掌、親指、人差し指、中指、薬指の中指側半分の感覚や、方形回内筋や長母指屈筋など多くの筋を支配している。

図2

図2 TMR素子の原理

電子は上向きスピンと下向きスピンの2種類が存在し、電気回路中の電気の流れに関与する。しかし、磁石を2つ同じ向きに並べた時には、上向きスピンは回路中を流れることができるが、下向きスピンは流れることができない。この性質を利用し、一方の磁石を固定し(ピン層)、他方の磁石を外界からの磁場の影響で自由に回転できるように作成したのがTMRセンサである。

図3

図3 本研究で測定した体性感覚誘発磁界

TMR素子を用いた体性感覚誘発磁界反応波形(右上)と超伝導素子を用いた波形(右下)。2つの波形は類似の形式を示し、TMR素子の捉えた振幅は超伝導素子より高い。左上はTMR素子。

いつでもどこでも使える脳磁計が普及する未来

本研究で微弱な脳磁図が測定できたことで、普及型TMR脳磁計の実現が見えてきた(図4)。TMRセンサは、周囲の電子機器から発生する磁気などの外部雑音にも強いため、特殊な磁気シールド室から出て、普段の日常生活の中での脳の機能を調べ、てんかんなどの診断につなげることが期待される。また、製造コストが安価で大量生産も可能であり、冷却用の液体ヘリウムのコストもかからず、小型の装置を持ち運びできることで運用コストも軽減できる。いつでもどこでも計測が可能で安価な脳磁計の開発が実現し、爆発的に普及すれば、多くのてんかん患者が恩恵を受けられるものと期待される。

また、本研究成果は、東北大学が得意とするスピントロニクスの医学応用と社会実装を、より一層推進することにもつながるだろう。

図4

図4 TMR 素子を用いた未来型磁場計測

数百〜数千チャンネルを頭皮に密着した計測が可能になると期待される。