事業成果
物質分離やエネルギー回収に広く応用の可能性
エントロピー増大に逆らうゲル材料を開発2024年度更新
- 石田 康博(理化学研究所 創発物性科学研究センター チームリーダー)
- CREST
- 「次世代フォトニクス」領域・「殆どが水よりなる動的フォトニック結晶の開発と応用」研究代表者(2017-2022)
「自在配列」領域・「エントロピー増大に逆らう革新材料『力学極性ゲル』による物質・エネルギー・生物の整流化」研究代表者(2022-2027)
「左右どちらかにしか振れない振り子」のような挙動をする新材料
石田康博チームリーダーと王翔研究員らの共同研究グループは、外部から加えられた力の左右方向を見分け、一方向にのみ変形することのできるゲル材料を開発した。さらに、この材料が物質やエネルギー、生物を一方向に移動させる能力を持つことを実証した。
今回、共同研究グループは、90%以上が水で構成されるハイドロゲル※1の中に、斜めに配向させた酸化グラフェンのナノシート※2を埋め込んだ材料を作成。このゲルは「力に対する極性」を示し、「左右どちらかにしか振れない振り子」のようにふるまう。その結果、乱雑な振動を一方向の振動に変換する、物質を一方向に輸送する、線虫※3の集団を一方向に走行させるなど、方向を制御する機能をさまざまな場面で発揮した(図1)。
この研究成果は、今回の材料が乱雑状態から秩序状態を作り出す、すなわち「エントロピー増大※4に逆らう」能力を持つことを示している。自ら秩序性を高める能力を持つ生物と通常はその能力を持たない人工材料の間にある大きな差を埋めるとともに、物質の分離、エネルギーの回収、生物行動の制御など、幅広い分野での応用が期待できる。
※1 ゲル、ハイドロゲル
ある液体によくなじむ物質を使ってナノサイズの3次元網目構造を形成すると、網目の中に閉じ込められた液体分子は流動性を失い、全体が固体状になる。このような物質をゲルと呼ぶ。また、水でできたゲルはハイドロゲルと呼ぶ。
※2 酸化グラフェンのナノシート
酸化した黒鉛(グラファイト)の極薄の板状物質。厚みは炭素原子1個分に相当する約1ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)、横幅は数マイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル)程度。
※3 線虫
アメーバやゾウリムシなどの原生動物とミミズやヒルなどの環形動物の中間にあたる、体長0.3~1mm程度の袋形動物の一種。
※4 エントロピー増大
エントロピーとは「無秩序な状態の度合い」を数値で表すもの。無秩序な状態ほどエントロピーは高く(数値が大きい)、整然として秩序の保たれている状態ほどエントロピーは低い(数値が小さい)。全ての事物は自然のままに放っておく限り、エントロピーは常に増大し続け、外から故意に仕事を加えない限り、エントロピーを減らすことはできない。これを「エントロピー増大の法則」と呼ぶ。
力学極性を示す「未踏の材料」に挑戦
電場・磁場・光などに対して極性を示す材料は、数多く知られている。整流ダイオード※5、光アイソレータ※6などの発見は、人類の生活を一変させる影響を与えた。しかし、力に対して極性を示す材料は、これまで想像すらされてこなかった。
力に対して極性を示し、一方向のみに力を伝える機能を発揮する道具は存在する。例えば、結束バンド、ラチェットレンチ、自転車の後輪などだ。これらは、固体材料をノコギリの歯のような左右非対称な形状の繰り返しに加工することで、力に対して極性を示す外形になっている。ただし、これらの加工物は、ノコギリの歯のサイズと同程度のサイズの物体にしか、その機能を発揮できない。
もし、加工物としての外形に頼ることなく、物質本来の性質として力学極性を示す材料が開発されれば、あらゆるサイズの物質に対して一方向のみに力を伝えることのできる、極めて有用な材料となると考えられる。本研究では、この「未踏の材料」の開発に挑戦した。
※5 整流ダイオード
電気の流れを一方通行にする電子部品のこと。電圧をかけた際に一方向にしか電流を流さないため、交流を直流に変換できる。
※6 光アイソレータ
光を一方向だけ通過させ、逆方向には光を遮断する光学素子のこと。光源から出た光の一部は、何らかの光学部品から反射されて光源に戻ってくることがある(戻り光)。戻り光は、光源の不安定性や損傷の原因となるが、光アイソレータはこれを防ぐことができる。
力学極性ゲルを合成し、機能を実証
共同研究グループは、水中に分散した酸化グラフェンのナノシートを磁場によって斜めに配向させた後、水中に溶解させておいたモノマー※7と架橋剤※8を重合※9することで、今回のゲルを合成した(図2-a)。
このゲルの「力に対する応答」を調べるために、立方体型のゲルの下面を床に固定し、上面を左または右に剪断※10した(図2-b)。左剪断ではナノシートは面内に圧縮されてたわむ(図2-b左)が、右剪断ではナノシートは面内に引っ張られてたわまない(図2-b右)。その結果、このゲルは左剪断では容易に変形する一方、右剪断では強固に抵抗し、あたかも「中心から左右どちらかにしか振れない振り子」のようにふるまう。その左右差は67倍になることがわかった(図2-b下)。
※7 モノマー ※9 重合
モノマーとは、一次元的に伸びた分子量の大きい分子(ポリマー)の構成単位となる、分子量の小さい分子のこと。重合とは、モノマー同士が互いに連結してポリマーを形成する反応のこと。
※8 架橋剤
ポリマーとポリマーを連結する物質のこと。
※10 剪断
例えば、トランプの束の上面に対して横方向の力を加えると、各層が高さに比例して横方向に移動する。このような傾きを持った変形を剪断と呼ぶ 。
こうして開発された力学極性を示す材料(以下、力学極性ゲル)は、エントロピー増大に逆らう機能を発揮すると考えられる。
そこでまず、力学極性ゲル全体へ均一に力が加えられる場合を調べた。
ゲルの下面から水平方向に左右対称な振動を加えると、上面に伝わる振動は一方向の振動に変換される。その振動は、物質を一方向に移動させることができる(図3-a)。ゲルの上面に水滴を置き、下から対称振動を加えると、水滴は右方向に一定速度で移動した(図3-b)。振動器を垂直に立てた場合でも、水滴は重力に逆らって一定速度で登っていった(図3-c)。また、扇型のゲルを6枚貼り合わせて、ナノシートを風車状に配置したゲルの円盤を使うと、一方向の回転運動が実現できた(図3-d)。
次に、力学極性ゲルの一部に、局所的な力を加える場合について調べた。
平板型のゲルの上面に円柱を寝かせ、円柱を鉛直方向に押し込むと、ゲルは左右非対称に変形した(図4-a左下)。ゲルが柔軟に変形できる円柱の左側では、円柱とゲルの接触面積が右側と比べてはるかに大きく、円柱がゲルから受ける力も大きくなっている。そのため、ゲル表面に接触・衝突する物体は、右側に向かって押し出す力を受けると予想される。実際、鉄の小球をゲル平板の上に自由落下させると、小球は大きく右方向に跳ね返った(図4-b)。
さらに、この力学極性ゲルは90%以上が水で構成され、生体に優しい材料でもあることに着目し、生物を一方向に移動させられるのではないかと考えた。ゲル平板の中央に約20匹の線虫を乗せて走行方向を追跡したところ、全ての個体が右方向に移動した(図5-c)。
基礎・実用の両面に多大なインパクト
本研究で開発した力学極性ゲルの持つ機能は、さまざまな応用展開が期待できる。乱雑振動を一方向振動に変換する機能は、これまで利用価値の低いエネルギーとして捨てられてきた振動エネルギーを回収するシステムに、衝突物を非対称な方向に跳ね返す機能は、力を望みの方向に伝達する高機能スポーツ用品などに、線虫の集団を一方向に走行させる機能は、細胞のクロマト分離、幹細胞の未分化維持、細胞組織の極性化などにつながる可能性がある。
「力に対する極性」を示す初の材料として、エントロピー増大に逆らう機能を発揮する今回のゲルは、基礎・実用の両面に多大なインパクトをもたらすと期待できる。
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